令和元年(2019)10月12日、NHK BSスーパープレミアムで放送された『八つ墓村』のロケ地を訪ねました。2回目は、矢掛町で収録された3箇所を巡ります。
(多治見家 ←岡山県指定重要文化財 福武家住宅)
令和元年(2019)11月16日・17日と年に一度の福武家住宅の一般公開がありました。作成されたチラシには、早くも“NHK BS放映・八つ墓村ロケ地”と書いてありました。
今回のロケでは、本陣石井家と福武家住宅が、多治見家として使用されました。
過去の大々的な映画のロケでは、決まって高梁市吹屋の広兼邸なのですが、矢掛町の福武家住宅と聞いて意外でした。実はその存在すら知らなかったのです。
福武家住宅全景 手前は裏口、長屋門は反対側(向こう側)にあります。
福武家は代々横谷村の庄屋をつとめていましたが、天保7(1836)年に庭瀬藩板倉領の大庄屋になりました。横谷村を中心に多くの田畑を所有していました。現在残る福武家住宅約4700㎡(本陣石井家の1.5倍)の屋敷は土塀で囲まれ江戸時代の当地域の大庄屋の面影をよく残しています。
福武家住宅 長屋門
『ロケ』多治見の表札がかかる NHK TVより
私は17日(日)に初めて福武家住宅を訪ねました。公開時間は9時半からとなっていました。余裕を持って9時に一番乗りで到着したのですが、快く受付をしていただきました。地元のボランティアの方がスタンバイ。NHKの八つ墓村を見て来たというと、この地のロケのすべてに立ち会ったという観光課OBの方からロケに使用された場所を詳しく教えていただきました。
また当主の福武豊郎さんからも、直接いろいろな苦労話をお聞きすることができました。県の指定を受けてからは、敷地内に別の住居を構えられています。
ちなみにベネッセの福武さんとは、遠い縁戚関係にあたられるそうです。
室内には、頼山陽、犬養毅、山田方谷などの書が掛かっており、歴代当主の交友関係をうかがわせます。
長屋門からつづく石畳 一般公開中は並行して木道が整備してありました。
『ロケ』辰弥(村上虹郎)と美也子(真木よう子)を迎えに出る春代(蓮佛美沙子)NHK TVより
主屋は正面中央に式台玄関を持つ大規模な建物
それでは、福武家で撮影された各シーンを見てみましょう
①多治見家・離れの座敷 ←長屋門内の和室
重要なシーンが数多く撮影されました。
長屋門の下屋 門の両側に二室づつ計四部屋あります。多治見家の離れ座敷として使用されました。
正面の庭には、美しいカエデがありました。
『ロケ』離れ座敷で、春代(蓮佛美沙子)に話を聞く辰弥(村上虹郎)NHK TVより
『ロケ』考え込み眠れない辰弥 NHK TVより
②多治見家・庭 ←福武家日本庭園
村人が侵入してくる、辰弥が春代に尋ねる、多治見庄左衛門が切腹するなどの各シーン
福武家住宅庭園 江戸時代後期から明治時代にかけて作庭
『ロケ』庭で話をする春代と辰弥 NHK TVより
主屋のご紹介
表側に五室を整然と並べ、裏側には居住用の諸室を適宜配する構成
調度品 野点に使う茶道具のようです。左の頑丈な木箱に入っています。
上段の間がありましたが、板倉公のお成りはなかったようです。
③鍾乳洞に降りる納戸下の階段 ←福武家住宅二階物置から一階へ降りる階段
二階から一階に降りる階段 二階は長持などが置かれた物置でした。
『ロケ』灯りを頼りにこの階段を地下(鍾乳洞)に降りる辰弥 NHK TVより
④多治見要蔵に殺される家人 ←福武家住宅外側廊下
福武家住宅の外側廊下
『ロケ』殺人の始まりです。NHK TVより
(多治見家 ←国指定重要文化財 矢掛本陣石井家)
旧本陣石井家外観
上段の間付近からみる日本庭園
中土間
欄間「ブドウとリス」
天井の木組がすごい
室内の多くのシーンは、旧本陣石井家で撮影されました。しかし感心したのが、“国指定重要文化財の建物をよくぞロケに貸し出した”ということでした。
しかも、矢掛町のメイン観光施設であるこの歴史的文化財を、何日も休館することなどありえないと思ったのです。
実際のところは、休館日の月曜日を含め3日間をロケに使用したとのことでした。そのほか閉館後の使用もあったのかもしれません。
特に気になったのが、あの天璋院篤姫もこの本陣に宿泊したという記録です。ということはあの上段の間で睡眠をとったとも考えられるのですが、その部屋(多治見家奥座敷)で久弥の死亡するシーンが撮影されたということになるのでしょうか。
①多治見家・奥座敷 久弥の死亡 ←石井家上段の間
大名らが使用した上段の間 普段は立ち入り禁止になっています。
『ロケ』奥座敷で、辰弥を迎える久弥 NHK TVより
②多治見家・台所 配膳を手伝う辰弥 ←石井家台所
広い台所
『ロケ』配膳を手伝う辰弥 NHK TVより
③多治見家・広間 梅幸が毒死、英泉が騒ぐ ←石井家大広間
大広間、多くのシーンが撮影されました。
この石井家は、江戸時代の初め頃から矢掛宿の本陣職を務め、元禄年間頃から酒造業を営んでいました。矢掛宿で最も大きな町屋として知られています。
(麻呂尾寺 ←大通寺)
大通寺山門 曹洞宗の古刹です。
岡山県指定の名勝である大通寺庭園が、そのまま背景として使用されました。放送でもその美しさは際立っていました。
英泉が辰弥の本当の父であることが明らかになる重要なシーンです。
撮影されたのは、禅堂衆寮から見る庭園の西側部分です。立って話をする金田一の後方に西方池の石橋が見え隠れしていました。
大通寺庭園 西側部分を山側から望む
『ロケ』麻呂尾寺境内 英泉ら人物が見える NHK TVより
『ロケ』告白する英泉 NHK TVより
禅堂衆寮から見る庭園 (石橋・土橋 三尊石を望む)右の建物は開山堂
『ロケ』麻呂尾寺お堂で、金田一が謎を解き明かす NHK TVより
大通寺は、743年に開基されたと伝わる曹洞宗の古刹です。書院の北側に広がる池泉観賞式庭園は、別名「石寿園」とも呼ばれています。矢掛の庭師、中西源兵衛が江戸時代の後期に21年をかけて作庭しました。
この大通寺、広い庭園のみならず、境内がとてもきれいに掃き清められています。
毎朝の掃除のことで住職は「掃除は創寺(寺づくり)にして創自(自分づくり)なり」と日々努力精進されているとお聞きしました。
エンディング NHK TVより
NHK BSプレミアム『八つ墓村』ロケ地を訪ねて その1井原編
(多治見家 ←岡山県指定重要文化財 福武家住宅)
令和元年(2019)11月16日・17日と年に一度の福武家住宅の一般公開がありました。作成されたチラシには、早くも“NHK BS放映・八つ墓村ロケ地”と書いてありました。
今回のロケでは、本陣石井家と福武家住宅が、多治見家として使用されました。
過去の大々的な映画のロケでは、決まって高梁市吹屋の広兼邸なのですが、矢掛町の福武家住宅と聞いて意外でした。実はその存在すら知らなかったのです。
福武家住宅全景 手前は裏口、長屋門は反対側(向こう側)にあります。
福武家は代々横谷村の庄屋をつとめていましたが、天保7(1836)年に庭瀬藩板倉領の大庄屋になりました。横谷村を中心に多くの田畑を所有していました。現在残る福武家住宅約4700㎡(本陣石井家の1.5倍)の屋敷は土塀で囲まれ江戸時代の当地域の大庄屋の面影をよく残しています。
福武家住宅 長屋門
『ロケ』多治見の表札がかかる NHK TVより
私は17日(日)に初めて福武家住宅を訪ねました。公開時間は9時半からとなっていました。余裕を持って9時に一番乗りで到着したのですが、快く受付をしていただきました。地元のボランティアの方がスタンバイ。NHKの八つ墓村を見て来たというと、この地のロケのすべてに立ち会ったという観光課OBの方からロケに使用された場所を詳しく教えていただきました。
また当主の福武豊郎さんからも、直接いろいろな苦労話をお聞きすることができました。県の指定を受けてからは、敷地内に別の住居を構えられています。
ちなみにベネッセの福武さんとは、遠い縁戚関係にあたられるそうです。
室内には、頼山陽、犬養毅、山田方谷などの書が掛かっており、歴代当主の交友関係をうかがわせます。
長屋門からつづく石畳 一般公開中は並行して木道が整備してありました。
『ロケ』辰弥(村上虹郎)と美也子(真木よう子)を迎えに出る春代(蓮佛美沙子)NHK TVより
主屋は正面中央に式台玄関を持つ大規模な建物
それでは、福武家で撮影された各シーンを見てみましょう
①多治見家・離れの座敷 ←長屋門内の和室
重要なシーンが数多く撮影されました。
長屋門の下屋 門の両側に二室づつ計四部屋あります。多治見家の離れ座敷として使用されました。
正面の庭には、美しいカエデがありました。
『ロケ』離れ座敷で、春代(蓮佛美沙子)に話を聞く辰弥(村上虹郎)NHK TVより
『ロケ』考え込み眠れない辰弥 NHK TVより
②多治見家・庭 ←福武家日本庭園
村人が侵入してくる、辰弥が春代に尋ねる、多治見庄左衛門が切腹するなどの各シーン
福武家住宅庭園 江戸時代後期から明治時代にかけて作庭
『ロケ』庭で話をする春代と辰弥 NHK TVより
主屋のご紹介
表側に五室を整然と並べ、裏側には居住用の諸室を適宜配する構成
調度品 野点に使う茶道具のようです。左の頑丈な木箱に入っています。
上段の間がありましたが、板倉公のお成りはなかったようです。
③鍾乳洞に降りる納戸下の階段 ←福武家住宅二階物置から一階へ降りる階段
二階から一階に降りる階段 二階は長持などが置かれた物置でした。
『ロケ』灯りを頼りにこの階段を地下(鍾乳洞)に降りる辰弥 NHK TVより
④多治見要蔵に殺される家人 ←福武家住宅外側廊下
福武家住宅の外側廊下
『ロケ』殺人の始まりです。NHK TVより
(多治見家 ←国指定重要文化財 矢掛本陣石井家)
旧本陣石井家外観
上段の間付近からみる日本庭園
中土間
欄間「ブドウとリス」
天井の木組がすごい
室内の多くのシーンは、旧本陣石井家で撮影されました。しかし感心したのが、“国指定重要文化財の建物をよくぞロケに貸し出した”ということでした。
しかも、矢掛町のメイン観光施設であるこの歴史的文化財を、何日も休館することなどありえないと思ったのです。
実際のところは、休館日の月曜日を含め3日間をロケに使用したとのことでした。そのほか閉館後の使用もあったのかもしれません。
特に気になったのが、あの天璋院篤姫もこの本陣に宿泊したという記録です。ということはあの上段の間で睡眠をとったとも考えられるのですが、その部屋(多治見家奥座敷)で久弥の死亡するシーンが撮影されたということになるのでしょうか。
①多治見家・奥座敷 久弥の死亡 ←石井家上段の間
大名らが使用した上段の間 普段は立ち入り禁止になっています。
『ロケ』奥座敷で、辰弥を迎える久弥 NHK TVより
②多治見家・台所 配膳を手伝う辰弥 ←石井家台所
広い台所
『ロケ』配膳を手伝う辰弥 NHK TVより
③多治見家・広間 梅幸が毒死、英泉が騒ぐ ←石井家大広間
大広間、多くのシーンが撮影されました。
この石井家は、江戸時代の初め頃から矢掛宿の本陣職を務め、元禄年間頃から酒造業を営んでいました。矢掛宿で最も大きな町屋として知られています。
(麻呂尾寺 ←大通寺)
大通寺山門 曹洞宗の古刹です。
岡山県指定の名勝である大通寺庭園が、そのまま背景として使用されました。放送でもその美しさは際立っていました。
英泉が辰弥の本当の父であることが明らかになる重要なシーンです。
撮影されたのは、禅堂衆寮から見る庭園の西側部分です。立って話をする金田一の後方に西方池の石橋が見え隠れしていました。
大通寺庭園 西側部分を山側から望む
『ロケ』麻呂尾寺境内 英泉ら人物が見える NHK TVより
『ロケ』告白する英泉 NHK TVより
禅堂衆寮から見る庭園 (石橋・土橋 三尊石を望む)右の建物は開山堂
『ロケ』麻呂尾寺お堂で、金田一が謎を解き明かす NHK TVより
大通寺は、743年に開基されたと伝わる曹洞宗の古刹です。書院の北側に広がる池泉観賞式庭園は、別名「石寿園」とも呼ばれています。矢掛の庭師、中西源兵衛が江戸時代の後期に21年をかけて作庭しました。
この大通寺、広い庭園のみならず、境内がとてもきれいに掃き清められています。
毎朝の掃除のことで住職は「掃除は創寺(寺づくり)にして創自(自分づくり)なり」と日々努力精進されているとお聞きしました。
エンディング NHK TVより
NHK BSプレミアム『八つ墓村』ロケ地を訪ねて その1井原編