未熟なカメラマン さてものひとりごと

ようこそ、おいでくださいました。

ああ~~ただのイモムシだった!

2011-08-27 23:08:54 | 昆虫
会社のビルの玄関先に並べているプランター4つ。そのうちの一つに幼虫が数匹、いつのまにか茎を這いながら、花弁を食べている様子が見られるようになりました。
 この花は、ガーデニングがご趣味の、Oさんの奥様のご厚意により、車除けとして置かせていただいているものです。
 この幼虫、色が全体的に黒く、丸の斑点が胴にずらりとあります。最大の特徴はお尻の部分に、まるでアンテナのようにピンと上を向いて立っている触角のようなもの。
 この幼虫は、いったい何の幼虫か、事務所で想像するわけですが、以前、Hさんが「クロアゲハが卵を産んでいるような様子が見られた」といい、私もそういえば見たような気がしたので、一同、クロアゲハの幼虫と思い込んでいました。

 昨年も同じ幼虫が花弁を食べており、もうそろそろ羽化するかなと思っていたところ、こつ然と姿を消したのでした。今年こそはと、期待も膨らむわけです。

 この幼虫、最初は2匹だったのですが、いつのまにか5匹に増え、またその食欲がすさまじく、あっという間に10センチはあろうかという大きさに育ちました。蝶の幼虫ということを意識しなければ、その気持ちの悪さに「ぞくっ!」と、くるものがあります。

 花弁は、あらよ、あらよと食い尽くされ、もう半分ほど丸坊主になってしまっています。せっかくご厚意で置いていただいているOさんの奥さんに申し訳ないと思いながらも、もう少し、もう少し、もう少しで羽化が見られるはずだからと一同、日々我慢、そして観察に余念がありません。

 でも蝶にもいろいろ種類があり、この幼虫はいったいどの蝶の幼虫かなと興味もあるわけで、とりあえずネットで調べることにしました。まずアゲハ蝶のものと比較すると体型がまったく異なることに気が付きます。
 アゲハでなければと、次々とみていきますが、なかなか似ているものに行き当たりません。このころから、ひょっとして蛾の幼虫かも??と頭の隅に暗雲が。

結局、蝶の幼虫のリストにこの幼虫は見られず、しかたなく蛾の幼虫を調べてみました。
 ありました。この幼虫は、スズメ蛾(セスジスズメ)の幼虫でした、これには相当、がっかりしました。
 次の日から、この幼虫の話がほとんど出なくなったのは、いうまでもありません。



ペンタスを食い荒らすセスジスズメの幼虫

以下、調べましたのでご参考にどうぞ
「イモムシ」
イモムシは、チョウやガの幼虫のうち、ケムシ以外のものをいいます。
さらにイモムシとは、芋虫の意で、元来はサトイモの葉につくセスジスズメやキイロスズメ、サツマイモの葉につくエビガラスズメなどの芋類の葉を食べるスズメ蛾の幼虫を指す言葉です。

「スズメガ」
スズメガ科 に属する昆虫の総称で世界中に1,200種ほどが知られています。成虫・幼虫共に比較的大型になります。成虫の4枚の翅は体に対して小さく、まさに戦闘機のような三角形になっていて、高速で飛行します。幼虫は「尾角」と呼ばれる突起を持っています。
幼虫は、毒針毛などは無く、触っても無害です。
多くの場合、スズメガの幼虫は成熟すると食草から地上へと降下し、そのまま穴を掘って地中に蛹室をつくるか、地表の落ち葉などを糸で綴った荒い繭をつくってその中で蛹となります。
地中で羽化した成虫は地上に出て活発に活動し始めます。スズメガの成虫は鋭角を持つ比較的ほっそりとした三角形の翅をもち、これをすばやく羽ばたかせて、種類によっては時速50km以上の高速で移動します。また翅を素早く羽ばたかせる事で空中に静止(ホバリング)することもでき、その状態で樹液や花の蜜を吸引している姿が頻繁に観察できます。あまりに高速で移動する為、ハチや海外ではハチドリと誤認される事もよくあります。
また、欧米ではその大きさと繁殖力の強さから、タバコスズメやトマトスズメの幼虫が実験用として大量に飼育されています。日本でも人工飼料を用いたエビガラスズメの養殖が行われており、遺伝などの実験に利用されています。

また、エビガラスズメの幼虫は非常に栄養価に富み、将来の食糧として注目される他、実際に家畜の飼料としても利用されています。海外には伝統的に、スズメガをはじめとする鱗翅目の幼虫を重要な蛋白源とする地域が多く存在します。

(参考:ウィキペディア)

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撮影日記 笠岡ベイファーム100万本のひまわり畑

2011-08-22 21:28:39 | インポート


お盆の15日、久しぶりに家族がそろい、4日オープンしたばかりの笠岡ベイファームに行ってみようか、ということになりました。もちろん誘ったのは私です。道の駅ですから、地域の特産品が販売されているのですが、実は、そちらの方はあまり興味がなく、あくまで、100万本のひまわりの撮影が目的でした。一人だけ抜け駆けするのも気がひけたので、道の駅で買い物、ということで釣ったわけです。
実はひまわり畑は、一週間前のオープン頃が見ごろだったようですが、あまりにも人が多くて車が渋滞し「今は止めておいた方がいいよ!」と知人から助言を受けて行くのを控えていたものです。

出かけた時間は、お昼前頃でしたが、案の上、結構な渋滞となっていました。それでも帰る車も多く、30分も待たないうちに駐車場に入ることができました。
家族は、道の駅へ、私はひまわり畑に直行です。過去の経験から脚立があれば、また違う視点で写真が撮れるのにと、残念に思ったことを思い出し、今日は小さめの脚立(三段)を持参しました。家族から「恰好悪いからやめて!」と反対されましたが、今日はあきらめるわけにはいきません。同志がいるかなと思いましたが、他にそのような人は誰ひとりとしていませんでした。
ひまわり畑の入り口で、「展望台から手前のひまわりはご自由にお持ち帰りください」、という看板が出ていて、実際、何本か手にするする人を見ました。展望台までは、カーペットらしきものが敷かれ非常に歩きやすくなっています。それにしても結構な人です。




しかし、ひまわりの花は、大きくなり種ができて重くなったからでしょうか、ほとんどが頭を垂れています。やっぱり遅かったようです。垂れていない花も、花弁が傷んでいてとてもアップには耐えられません。やっぱり遅かったか!残念至極。ただ見ごろを過ぎているだけではなく、これはあきらかに水不足の影響なのではないでしょうか!もう半月も雨が降らないため、地面も乾燥で地割れしているような状態です。
それでも、展望台の上から、あるいはひまわり畑に入って脚立の上からと何枚か撮りました。ひまわりはだめでも、ひまわり畑で記念撮影をする人々の表情は明るくさまざまで、見ていて飽きませんね。




ということで、ひまわりはあきらめ、道の駅を挟んで東側の畑にちらっと見えたコスモス畑に行ってみることにしました。まだまだ暑い真夏でも、色とりどりのコスモスが、しっかり咲いていました。こちらにはほとんど人がいません。
ちょうど畑に降りようとしたとき、自転車を引いていたご老人が「ここはヘビが出るから危ないよ!」と声をかけてきました。一瞬、どきっとしましたが、でもここであきらめるわけには行きません。畑のコスモスは、背丈はないものの、赤や白、黄色とカラフルで何とも清々しいこと。今からもっともっときれいに咲いて見ごろを迎えることでしょう!

コスモスはまったく予定をしていなかったので、なんだか得をした気分になりました。
今後の予定は、菜の花、ポピー、と続きます。こちらでポピーは初めてではないでしょうか。来年の5月が楽しみです。


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星の郷  岡山県美星町の「天の川まつり」

2011-08-17 21:35:59 | まつり

「東北の美しい景色が元通りになります様に」

 このところの猛暑でなかなか撮影に出かける気力がなく、近場で何かいい情報でもないかなと思っていたところ、美星町の「天の川まつり」が13日の夜、開催されるというので、久しぶりに行ってみることにしました。午後7時前に自宅を出発。会場付近には、約15分で着きました。案の定、目的地の駐車場は満車、指示に従い、ぐるっと、迂回して「ふれあいセンター」の運動場に停めることになりました。
この臨時駐車場から、会場へ続く坂道の歩道の両側には、びっしりと灯ろうが並べられ、今日のまつりの雰囲気を盛り上げています。そして会場(星の郷青空市場)横の道路(進入禁止)には、ずらりと白い紙製の灯ろう、が並べられ、まさに天の川のよう。時間的にまだ早やかったため、灯ろうに書かれた願い事を見ながら歩きました。やはり東日本大震災の復興を願うものが多く見受けられました。
 後日の新聞によりますと、灯ろう、の数は2600個以上とのことでしたので、なかなかのものです。
 それから催し会場の方へ行ってみると、とても多くの人で賑わっていました。B級グルメや金魚すくいなど、出店もたくさんあってにぎやかです。例年、まつりに来る人が9000人、美星町の人口が5000人弱ですので、町の倍近い人で埋まるわけですが、いずれにしても美星町最大のイベントに違いありません。
 そうこうしているうちに、一段と明るく照らされた舞台で開会式が始まっているようで、覗いてみることにしました。ちょうど市長が挨拶をしているところでした。その中のお話で、「専門家が選ぶ星空の美しい町ランキングで、美星町が全国で第2位に選ばれた」というのがありました。私もテレビの番組で紹介されていたそのランキングをたまたま見ていて感動したことを覚えています。ジャガー横田夫妻がわざわざ美星町まで来て紹介していましたが、そのときは残念ながら雨でした。あとはお決まりのご主人にチョップ。

また数日前の地元の新聞に、倉敷科学センターの学芸員が、13日午前4時すぎ、真夏の夜空を彩るベルセウス座流星群の尾を引く流星の姿を、この美星町で撮影したという記事が第一面に載っていました。
TVドラマ「坂の上の雲」のロケ地に選ばれるなど、最近話題にことかかない美星町です。



天の川に見たてられた灯ろう じっと見ていると浮かんでいるように見えます。

 さて、日が暮れてきたので、先ほどの灯とう、を撮影するため道路に戻りました。少し傾斜があり、少しカーブを描くこの道路に灯る、ろうそくの明かりは、なかなか味わいがあります。どこにカメラを向けても、人がいないことはありませんので、撮影はなかなかの根気を要します。じーっと眺めていると、灯ろうがまるで浮かんでいるような錯覚を覚えます。いったい何枚撮影したことでしょう。
 撮影のあと、もう一度、会場を一回りして帰ることにしました。大きな歌声が聞こえてきたので、最初にそちらへ行ってみると、若い男女のライブでした。ボーカルの女性の歌唱力はたいしたものです。その音量に対抗するように、子ども神楽のお囃子が聞こえてきました。静かな山間に、普段はあり得ない雑踏。近所の住宅の前につながれていたワンちゃんも落ち着きがありません。
すいていたら、徳山牧場のジェラードでもと思いましたが、これがいっぱいの人で断念しました。
 イベントの行事としては、灯ろうが集められ、神主さんに拝まれたあと燃やされます。
と同時に、花火が上がってフィーナーレ、私の場合は、灯ろうの撮影が目的でしたので、待つことなく美星町をあとにしました。

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岡山後楽園 幻想庭園

2011-08-16 20:41:53 | 庭園


以前から行ってみたいと思っていた、岡山後楽園の幻想庭園に行ってきました。何とか明るいうちに着きたいと思っていました。自宅を夕方6時前に出発。今回は高速を通らずに一般道を通って行くことにしました。やはり少し時間がかかって、到着したのは7時過ぎでした。陽が落ちる前に何とか到着することができました。
駐車場は、最近に有料になりましたね。1時間=100円です。入口で係の人から、「帰りは出口が混雑するので、事前に清算機で支払いを済ませてください」との依頼がありました。それにしても観光客の何と多いこと。駐車場は、ほぼ満車に近い状態でした。
浴衣を着た若い男女や、家族連れも目立ちます。閉演は午後9時半(入園は午後9時まで)となっています。入園料は通常と変わらず400円でした。正門の両端に火が灯った提灯がありなかなかいい雰囲気です。ここで記念撮影をする人もいます。

さて、正門から入ると、すぐのところに大きな鉢に入ったハスの花がありました。なんとこの時間でも咲いていました。ハスは午前中しか咲かないと思っていたので、これは少し意外でした。いつもの木立の中を少し進むと、石橋があり、そこから一気に景色は開けます。緑の芝生と、背後に岡山城、カメラ教室の人たちでしょうか、5人ほどがずらり三脚を構えていました。ここは、まさに撮影ポイントです。芝生の中には、通路に沿って大きなローソクに火がともされていました。いったい何本あるのか想像もつきません。係の方でしょうか、長い柄杓で池の水を汲んで、ろうそくの周りに水を撒いていました。ローソクの火が芝生に燃え移らないようにとの配慮でしょうか。

園内は、想像以上の入園者でした。これでは、営巣しているアオバズクも迷惑をしているだろうと思いました。といっても、残念ながら私はまだ会ったことがありません。そういえば、こちらではカワセミも見られるそうです。私の200ミリの望遠レンズではとても撮影はできないでしょうが、このような場所に、野生の鳥が住んでいるとは、知らない人も多いでしょう。
陽が完全に落ちると、ろうそくの火とライトアップされた建物や照明の付いたオブジェなどが池に映り込み、まさに幽玄の世界。芝生広場では、ビアガーデンも開催されていますが、周囲に配慮してなんと暗いこと。
そぞろ歩く大勢の入園者。思い思いに真夏の夜の涼を楽しんでいました。

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三重県関宿を訪ねて その3(1万円未満で行く日帰り旅行シリーズ)

2011-08-03 22:48:53 | 古い町並み
おいしい紅茶のお店で、ひと息ついた後、再び散策を開始しました。まず目についたのが全面透明なガラス戸で、作業場が丸見えの「桶重」さんです。中に年配の男性が一人。ここは桶屋さんのようで、小さな木片(パーツ)をあてがい、当たり具合を見ているようでした。実に細かい作業です。表の看板に創業明治15年とありますから、相当な歴史があるわけです。中が丸見えというのは、作業場にせいいっぱいの自然光を取り入れて作業をしやすくすること、実際の細かい手作業をみてもらい、確かな商品作りをお客さんにも目で見て感じ取ってもらうということでしょうか。それで思い出したのが、昨年、広島県大崎下島を訪れた際、みた古い島の時計屋さん=松浦時計店です。確か日本で最も古い時計屋ということでした。作業場で、仕事に集中できるのは自然光がいい角度で入る限られた時間ということでした。



 さて、次に訪ねたのが、眺関亭(ちょうかんてい)。空き地を利用した小公園、百六里庭の中にあります。眺関亭は、通りに面した鉄筋コンクリート製の町屋風建物。うまく考えたもので屋根の一部がくり抜かれ、展望台となっています。ここから地蔵院方面の中町の通りを眺めるとなんともいい感じなのです。一番の施設である玉屋歴史資料館や関の戸の庵看板もよく見えます。逆に通りからこの眺関亭を見ると、展望台にいる人の顔だけが覗いてなかなか滑稽でおもしろいと思いました。

次に、まちなみ資料館を訪ねました。この資料館では、関の文化財の紹介や関宿に関係する歴史資料が展示されています。
表に「ばったり」があり、中に入ると受付(帳場)がありました。そして奥に箱階段も見えます。でも声をかけても係の人が出てこなかったので、先ほどの桶重さんのめずらしい縁の瓦を見忘れたことを思い出し、見に引き返しました。そして再び戻ってくると受付に女性の姿がありました。入館料は、もう一つの玉屋歴史資料館と合わせ300円、かなり良心的なお値段です。
土間の奥にあった明治時代の自転車を見たあと、座敷に上がりました。小さな山車などいろいろな文化的資料が展示されています、二階には、町並みの保存事業における変遷の様子がわかる長い資料も展示されていました。

 まちなみ資料館を出ると、玉屋の手前に石垣屋という旧町屋を利用した素泊まりの旅館がありました。道路側の間に、昔のものが雑然と置かれています。そしてずっと奥に目をやると坪庭が見え、またその向こうに離れ座敷があるようでした。こういうところに泊まると、昔の旅籠気分が味わえるかもしれませんね。あとで知りえた情報では、こちらには土間にワンちゃんがいたそうで、見ればぜひ撮っておいたのにと、甚だ残念に思いました。

 
そして、そのお隣が、玉屋歴史資料館です。受付で簡単な説明を聞いたあと、通りに面した店の間にあがりました。通り側の戸はすべて開け放たれ、通りから丸見えです。こちらにも奥に坪庭があり、その向こうに離れ座敷が見えます。階段があったので二階に上がってみることにしました。それにしても上がりにくい階段です。段の感覚が狭く、躓きそうでした。二階には、当時の旅籠の様子が再現されています。
 寝具が敷かれた間、小さくて高くて堅そうな枕、すべて質素です。そして食事の配膳の様子、整然と並べられています。
座敷を降り、土間で懐かしいかまどを見て、裏に出ると、これまた立派な土蔵がありました。中は、浮世絵の展示室になっているようでした。

玉屋歴史資料館を出たところで、アンケートの協力を求められました。亀山市観光協会の委嘱を受けた年配の男性の方です。亀山市に来た目的、交通手段、何泊か、何回目かなどを尋ねられました。「関宿だけを見に来た、高速バス・JRで岡山から、日帰りで初めて」と答えたところで、お礼に携帯のストラップをいただきました。




次にやってきたのが、銘菓「亀の戸」で知られる深川屋です。それにしても立派な庵看板です。例によって、亀の戸の文字が、江戸側がひらがな、京都側が漢字になっています。金の文字がとてもきれいで、最近、改修されたのでしょうか。
こちらで、お土産を買うことに決めていたので、躊躇なく店に入ると、「ピポーン」とセンサーでチャイムが鳴り、すぐに奥から店の方が出てきました。「いらっしゃいませ!」
こちらも条件反射的に「関の戸をください!」と言ってしまいました。箱の大きさで、大・中・小とあり、中のものを買い求めました。ほんとは店内に飾られた古いものにも興味があったのですが、見ず仕舞いでした。




お店から出て、中町の通りを進むと、建物が重要文化財の地蔵院が見えてきました。通りの反対側には会津屋など、風格のある建物が並んでいます。このあたりがその昔、一番の賑わいを見せたところでしょうか。
これから先が新所の町並みですが、うってかわって閑静な佇まいです。ほとんど人影が見当たりません。このあたりでパンフレットにあった漆喰彫刻を確認することにしました。なるほど、言われなければ、気づかずに行ってしまいそうですが、虎や鶴、亀など彩色をしていない小振りながら凝った彫刻がありました。まさに職人芸ですね。縁起の良いもので子孫繁栄を願ったものでしょうか。そこで、以前、四国の内子町で見た鏝絵(こてえ)を思い出しました。土蔵に描かれた本芳賀家の彩色された豪華な鶴と松の鏝絵は、いまでもよく覚えています。




新所の町並みの西の端、西の追分まで行ってまた引き返しました。この関の町並み東西1.8キロですから、往復3.6キロ歩いたことになります。駅から通りまでの往復の距離を入れると確実に4キロ以上、でもほとんど疲労感はありません。
時間も残り少なくなってきました。それにしてもきれいな空、町並みと空のブルーの取り合わせはとても美しく、最後にこの景色を忘れまいと思いながら関をあとにしました。家に着くのは午後11時前の予定です。(終わり)

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