未熟なカメラマン さてものひとりごと

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白い龍がうねるが如く 白亜の千本鳥居 済渡寺白龍門 岡山県新見市法曾

2024-08-31 21:17:49 | 神社・仏閣
訪問日:令和6(2024)年8月5日

前回の、鳴滝夢すき公園に続く
新見市の観光スポットを巡っています。本日最後の目的地、済渡寺を訪ねました。国道を下りもうすぐ高梁市というところで、目立つ大きな案内板があります。ここを右折して山道に入っていきます。
離合が難しいところや、工事中のところもあって、運転には慎重を要しました。



女人高野 済渡禅寺と書かれた石柱


弁天池にはスイレンがびっしり 黄色やピンクと華やかです


薄い黄色と白のスイレン 清楚で鮮やか


梵鐘 第二次世界大戦に供出されましたが無事に戻ってきたそうです


仁王門と枝垂れ桜

道案内の標識が出ているので、よく見て進めば問題ないのですが、うっかり見過ごすと大変なことになります。ナビの目的地とは違う順路となっていますので、注意が必要です。実は一度間違って引き返すはめになってしまいました。
第一駐車場は広くてゆったり、参道を下るとすぐに女人高野の標柱が迎えてくれます。坂道をさらに下ると、左手に弁天池、鐘楼があり、枝垂れ桜が覆う風情ある仁王門が寺院の歴史を感じさせてくれるようです。



境内が見えてきました 手前が白龍門です


「お参りについて 弘法大師様と共に唐から来朝され功績があった白龍様、白龍大権現様を信仰する方々には諸願成就幸福が得られますのでお参りください 令和三年吉祥日 山主敬白」と書かれています。


美しい千本鳥居・白龍門 下に下って白龍殿に続いています


もう少しアップで


それぞれの門に取り付けられた桃の彫刻


真正面から奥を覗くとなんだか不思議な感覚が襲ってきます

そして、白い鳥居の白龍門が見えてきます。個人的には数年ぶりの訪問ですが、白亜の千本鳥居はとてもきれいに管理されていました。夏の青空と、白い鳥居のコントラストがとても鮮明でインパクトを感じます。
鳥居は78基、正面中央に取り付けられた桃の意匠が何ともかわいいですね。鳥居の幅は、人が一人通れる広さです。きっちり前方を見下ろすと、鳥居が連なり異次元の世界に飛び込んだようです。
鳥居を進み、90度折れたところで行きつくのが白龍殿です。白龍門の入り口の紹介文には、842年10月23日に成仏し石棺で済渡寺に葬られたとか。白龍殿の後ろにあるのが塚でしょうか。



向日葵が咲いていました


花ショウブが一株残っていました


正面が白龍殿です


白龍様について 白龍様は唐(中国)に生まれたお方です。唐で弘法大師様と親交があり、大師様と親交があり、大師様と共に来朝され、片腕として功績がありました。西暦842年10月23日、成仏され、石棺で済渡寺に葬られました。白龍大権現様を信仰する方々には諸願成就幸福が得られます。 山主敬白 と書いてあります。


白龍殿の後ろにある白龍の塚


本殿 遠景


本殿 正面左側から


石柱 本尊 子安観音大菩薩 と書いてあります


水鉢にハスが一輪、花を付けていました


観音菩薩像


白龍塚と白龍門 遠景

弘法大師・空海は804年に遣唐使船で唐に渡り、真言密教を学び806年に帰国。このとき白龍も随行して来たということでしょう。時は奈良時代から平安時代に変わったころ、今から1200年以上も前のことです。この地にいつ来たかはわかりませんが、36年間、日本で過ごしたことになります。白龍はこの法曽の地で焼き物の技術を伝えたとあります。
しかし、いくらネットで探しても白龍のことは何もでてきません。まさに伝説の人ですね。



サルスベリと白龍門


望遠で見る白龍門

空海が創建したといわれる済渡寺、子安観音、女人高野からてっきり真言宗のお寺だと思い込んでいましたが、実は禅宗の曹洞宗だと知ってびっくり。いつから宗旨が変わったのかそのいきさつを知りたいと思いました
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1000年の時を繋ぎ国宝の文書を支えた手漉きのわざ 岡山県新見市夢すき公園 神代(こうじろ)和紙

2024-08-14 17:27:49 | 公園
訪問日 令和6(2024)年8月5日(月)

岡山県の名瀑を訪ねて 新見市鳴滝(なるたき)につづく

新見市鳴滝から次の目的地「新見夢すき公園」を目指しました。所要時間は20分ほどでした。たまたま、今朝の地元新聞朝刊に、「短冊、風鈴 涼しげ」と題して夢すき公園が紹介されていました。せっかく新見市に来たならぜひ寄ってみたいと思ったのです。

新聞の紹介では、地元に伝わる神代和紙で作られた短冊を風鈴とともに飾る「かみさま夢風鈴」が今年も開催され、来場者にひとときの“涼”を届けているというものでした。短冊は冬場に手すきして淡い黄色や緑色に染めてあり、公園内の藤棚などに約2千枚をつるし、その間に鉄製・備前焼の風鈴計130個が取り付けられているとのことでした。



駐車場に高く掲げられた「日本一の親子孫水車」の看板


「かみさま夢風鈴」の幟 かみさまは、神代和紙の「紙」と「神」が掛けられています。


周辺の様子

駐車場からまず向かったのが、藤棚です。藤の花ならぬ淡い色のついた短冊が藤の花のようにびっしり吊り下げられています。風鈴はその間のところどころに取り付けられていました。風鈴というと「チリーン、チリーン」という音を連想しますが、こちらでは、高音で「キン・キン」と聞こえました。わずかな風でも一斉に短冊がたなびき、それに伴い風鈴が共鳴してまるでメロディーを奏でているように聞こえました。とても風情があります。公園の水車と相まって十分に涼を感じることができました。
こちらの公園、人生二度目ですが、改めてその大きさを確認することができました。園内には、奥備中神代和紙の歴史を紹介する「紙の館」などがあります。




水車小屋と親水車 一番大きい親水車は、直径13.6m 全国7位の大きさ 完成1991年6月 材質はマツ 下掛け方式
最初、親子水車(子は6m)でしたが、日本一の称号を取り戻すため、平成11年に孫(4m)を加えて三世代水車になりました。


藤棚に吊り下げられたパステルカラーの短冊


風鈴は、鉄製と備前焼で、130個が取り付けられています


風が吹くと短冊は一斉にたなびきます


風鈴は、キン・キンと鳴り響きメロディーを奏でます


きれいに影が映り込んでいます


茅葺き屋根の軒先にも取り付けられています


水車は鉄骨で補強されているようです


下掛け方式と言うそうです


子水車


紙すき体験館


孫水車 


下手から園内を一望する


東屋の短冊 風に揺れています


取り付けられた風鈴


池のコイ


紅白の大きなコイ


紙の館 和紙の原料が天井の梁に吊り下げられています

神代は平安時代に伊勢神宮の神領でしたが、中世室町時代になると、東寺の荘園になり神代和紙は東寺に献上されるようになりました。東寺百合文書(*1)が現在まで残っているのは、手すき和紙が非常に長持ちすることの証明に他なりません。

公園内を一巡し、最後にもう一度、藤棚の下のベンチで、音色を楽しんだ後、本日最後の目的地「済渡寺(さいどうじ)」に向かいました。



日本で一番大きい水車は、埼玉県立川の博物館の24.2mだそうです


大木の木陰から見る水車

(*1)東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)は、京都の東寺に伝えられた日本中世の古文書で、現在は京都府立京都学・歴彩館(旧京都府立総合資料館)が所蔵しています。8世紀から18世紀までの約1千年間にわたる膨大な量の古文書群で、その数はおよそ2万5千通に及びます。中でも、もっとも充実しているのが、14世紀から16世紀あたりの文書です。名前の由来は、江戸時代に遡ります。加賀藩の第5代藩主だった前田綱紀が百個の桐箱を文書の保存容器として東寺に寄附し、その後はこの箱に納められて伝えられてきたことから、「東寺百合文書」と呼ばれるようになりました。
東寺百合文書は、1967年(昭和42年)に京都府が東寺から購入。史料的価値がとても高いということで、1997年(平成9年)には国宝に指定されました。
(参考:京都府立京都学・歴彩館HPより)
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岡山県の名瀑を訪ねる 新見市「鳴滝(なるたき)」

2024-08-10 18:43:18 | 
訪問日:令和6(2024)年8月5日(月)

猛暑が続く日本列島、今年も涼を求めて岡山県内の名瀑を訪ねることにしました。今回訪問するのは、新見市の「鳴滝(なるたき)」です。私は初めての訪問でした。午前中に帰りたいと思い、早朝午前6時半に自宅を出発しました。
それにしても、新見市の何と広いこと。市の中心部を過ぎても目的地まではさらに30分要しました。
ナビは、「別所アウトドアスポーツセンター」にセットしました。このあと、このまま進めば鳴滝に着くことはわかっていましたが、途中道が狭くなり、合っているのか少々不安になったこともありました。
野生の猿の集団に二度ほど遭遇しました。目の前をを我が物顔で横切っていきます。そして何とか目的地に到着。事前の情報では、駐車場5台とありましたが、スペース的には10台は可能のようです。
立派な外観のトイレの横に案内板が設置してありました。最近設置されたものでしょうか、色も鮮明で、わかりやすいものになっていました。



山小屋スタイルのトイレ


分かりやすい案内板です


いよいよ出発です


渓流沿いの遊歩道を300mほど歩きます


渓流にも癒されます

(土木学会選奨土木遺産 用郷林道・七曲がり)


明治45年に建造されました


あちこちに咲いていたキツネノカミソリ(狐の剃刀)はヒガンバナ科の多年草


用郷林道(ようごりんどう)・七曲がり

(下段の滝)

案内板に従って、渓流沿いの遊歩道を進みます。道幅は広くてとても歩きやすく、暑い日差しは樹々の緑に遮られて、いい感じで森林浴を味わうことができました。
数百メートル歩くと、滝の音が聞こえ、鳴滝が姿を見せてくれました。スケール的にはそれほどでもありませんが、水量は予想以上でした。渓流の石を飛び越えて向かい側からも撮影を試みました。

鳴滝は、大河ドラマ「武蔵・MUSASHI」でのロケ地となったそうです。主人公が滝に打たれるシーンはここだったかと思いましたが、あとで確認すると、こちらで撮影されたのは、「奈良への道中、柳生兵庫助(高嶋政伸)が、お通(米倉涼子)に道中を共にしないかと誘った」シーンだったそうです。滝に打たれるシーンは、山乗渓谷で撮影されたようです。



遠目から見る鳴滝


水量はかなりのものです


岩を飛び越えて向こう側に回ってみました。上にもう一つの滝を発見しました。


美しい滝です(スローシャッターで)




近くからアップで

上段の滝



渓流の反対側から撮影している時、上にもう一つ滝があることに気づきました。よく見るとそこに通じる遊歩道もあるようです。上の滝は、さらに大きく水量も相当なものでした。滝つぼも広く、スケール的には下段の滝をはるかにしのぎます。一般に鳴滝と言われているのはこの滝のことでしょう。撮影は手前側からのみでしたが、黄色い花「キツネノカミソリ」が一輪滝の手前に咲いていて印象的でした。


上段の滝 下段をはるかに上回るスケールです


一輪のキツネノカミソリと滝


広い滝つぼです


マイナスイオンが漂っています


小さな女滝もありました


キツネノカミソリ


帰りの遊歩道 ブヨが顔の廻りにたくさん寄ってきたのでハンカチで払いながら歩きました


もうすぐ駐車場です

後でわかったことですが、鳴滝は3段ありその長さは30mもあるそうです。近くに小さな
女滝と称する滝もありました。
そして、滝の横には、もう一つの観光スポット・土木遺産の「用郷林道・七曲がり」があります。急な斜面に、つづら折りに六曲がりの石垣が積み上げられています。六より語呂がいいので七曲がりになったとか。説明版によると、作られたのは明治の終わりごろ、旧新見営林署が国有林から木炭や材木などを搬出するため作ったそうですが、難工事だったに違いありません。

本日、一番目の目的を終え、このあと、当日の朝刊に掲載されていた、短冊に風鈴の「新見夢すき公園」に向かいました。
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