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未熟なカメラマン さてものひとりごと

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涅槃桜(ねはんざくら)が満開でした! 総本山善通寺 香川県善通寺市

2025-03-28 20:53:18 | 神社・仏閣
訪問日:2025(令和7)年3月23日(日)


善通寺大駐車場

朝から非常によい天気でした。久しぶりに出かけようと思いましたが、梅はもう終わっているだろうし、桜の開花にはだ早い。思案したあげく、神社仏閣が大好きな私は、久しぶりに香川県の善通寺を訪ねることにしました。
海の向こうの香川県というと、随分遠く感じますが、井原市を起点にすると蒜山高原に行くより随分近く、自宅(井原市)からの所要時間は1時間15分程です。


善通寺に到着すると、日曜日の好天気のせいか、大駐車場は満車、止む無く未舗装の第二駐車場に車を入れました。
駐車場のすぐのところに、太鼓状の石橋があり、その対岸に何と、はや桜が咲いているではありませんか。一見、紅梅かと思いましたが、形状が随分違います。隣の参拝者の方に、「これは桜ですよね?」と尋ねると「涅槃桜ですよ!」と教えていただきました。なんでも地元の今日の朝刊に満開との情報が掲載されていたようです。
涅槃桜(ねはんざくら)は、ソメイヨシノより一か月ほど早く開花するそうです。いいタイミングで来ることができ、得をした気分になりました。



済世橋 石製の太鼓橋


下方に桜が咲いていました。涅槃桜でしょうか


満開でした。


桜の背後にバコダ供養塔


橋を渡ったらすぐにある門


門の向こうに多くの参拝者の姿が見えました


聖天堂


こちらは光明殿


護摩堂


御影堂の裏側 宝物館横の涅槃桜


下から見上げる

誕生院【西院】

境内に入ると、まず向かったのが、御影堂(みえどう)の戒壇巡りです。まったく光のない空間を進むのは勇気が要りますが、係の方から「左手を壁に付けて歩いてください!」とアドバイスをいただきました。そのようにすると難なく進むことができました。
戒壇巡りを終え、続いて、宝物館を見学しました。向かう途中、満開の見事な涅槃桜が目に入り、周辺の建物とマッチし、とても美しく見えました。
そしてまた途中に、その昔、お大師様が産湯を使ったという建物もありました。逆算するとちょうど1250年前、奈良時代の終わりのことです。



御影堂 多くの参拝者で賑わいます。戒壇めぐり・宝物館の受付は、石段を上がった右側にあります。御影堂はお大師さまが誕生された邸宅あとに建てられています。


もう少しアップで。内部は撮影禁止です。


宝物館に向かいます 


涅槃桜は独特の甘い香りを漂わせて咲くのが特徴。ソメイヨシノより早く3月初旬につぼみが膨らみはじめ、お釈迦様が入滅した涅槃会(3月上旬・旧歴2月15日)の頃に満開になることから、「涅槃桜」と呼ばれています。
この桜の品種名はミョウショウジザクラ。昭和48(1978)年の弘法大師空海御生誕1200年を記念して、桜の発見地である新居浜市の明正寺から贈られた貴重なものです。総本山善通寺に春を告げる花として、毎年開花が待ち望まれています。(善通寺HPより)


見事なボリュームです


空海の産湯の井戸です。1250年前の話です。


幼少の頃の空海像




鐘楼から見る境内。鐘は誰でも突けます。


弘法大師空海像


いいお顔です。よくできています。品格がありますね。実際のお顔はどうだったのでしょう。


これはどなたでしょう


仁王門 左右に金剛力士像


大きなわらじです。真言宗のお寺でよく見かけますね


多くの参拝者の姿があります


売店のまおグッズ(空海の幼名は真魚・まおでした)


仁王門を出たところにある堀にカメが甲羅干しをしていました

伽藍【東院】


中門が見えます


佐伯祖廟 父君・佐伯家の祖廟です


梅が咲いていました


クスノキ 樹齢1200年と云われています。


幹の何と太いことか


五重塔が見えてきました。国の重要文化財です。明治35年に完成した4代目の塔です。


この角度で見ても美しい


もう一本のクスノキ 掃除をされていた方に尋ねると、こちらの方が古いと思うとのことでした。


金堂(重要分文化財)本尊は薬師如来像。


帰りにサギを見ました


まおかふぇ かわいいキャラクターです。

このあと、境内の大きな楠を身近で観察。樹齢は1200年と言われています。その幹の太さは、信じられないくらい太く、空海が植えたとか、幼いころこの木に登って遊んだという伝説もあるそうですが、どうなのでしょう。
実は境内にもう一本大きな楠があり、係の方に伺うと、こちらの方が古いと思うとのことでした。
善通寺のもう一つのシンボルが五重塔です。何度も火災にあり、現在のものは5代目で明治時代創建のものだそうです。ハト除けでしょうか、金網で覆われていますが、独特の存在感があります。
最後に、重要文化財の金堂でお参りをさせていただいたあと、善通寺をあとにしました。

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日本三大稲荷・最上稲荷 (さいじょういなり)の参道はおもしろい!

2025-02-10 21:31:05 | 神社・仏閣
訪問日;令和7(2025)年1月13日(祝)

久しぶりに最上稲荷に出かけました。いろいろ用事があって、自宅を出発したのは昼過ぎでした。コロナ禍が続き、しばらく遠慮していたので訪問は、実に4・5年ぶりとなります。
行きは高速で、帰りは下道を帰ることにしました。
参道入り口付近では、各駐車場の係の人が、(失礼ながら)シオマネキのように警棒を振って道の両側から手招きしています。
いつも一番奥付近の駐車場に停めているのですが、うっかり入るところを間違えて大型駐車場に停めてしまいました。駐車料は1000円でした。日にちが経つにつれて値段もだんだん下がってくるのですが、当日は安いところで700円、もう少し日が経つと400円と下がってきます。



参道前の広場 屋台が並び活気があります。そして大勢の参拝者。

参道入り口付近には、多くの人々の姿がありました。1月の中旬とはいえまだまだ参拝者は堪えません。おいしそうなイカ焼きや、串焼き、たこ焼き、クレープなどのお店など屋台が並び食欲をそそられますが、お楽しみは帰りです。長い参道(門前町)は、延々と続き、両側に歴史を感じさせる古いお店から、新しいお店まで、見て歩くのも楽しいものです。
参道が途切れ、いきなりという感じでインド式の仁王門が出現します。老朽化のため、平成25年に改修工事が行われ、2体の金色仁王尊像もこのたび改修されましたが、びっくりしたのがそのお姿、まさに黄金の像でした。
仁王門を抜け、御水舎で手と口を清めて最初に向かったのが祈祷の申込所です。さすがにこの時期、1時間待ちで午後3時となっていました。先ほど、門前町の出口付近で買った線香にローソクで火をつけて、先に七十七末社参りをすることにしました。



参道は門前町 古い店から新しい店まで


昭和レトロな趣き





1本ずつ線香をあげて一回りすると、ちょうど無くなるのでうまいことできています。この日は風があって、線香の束が燃え上がり、消すのに苦労しました。そして旧本殿横で、恒例のおみくじを引きました。実は、ここのおみくじ、過去の経験から、かなりの確率で「凶」が出ます。でもこの日はなんと「大吉」でした。破魔矢を買わずに済みました。
おみくじは、金属製の箱をガラガラと振って廻し、小さな穴から番号の入った竹の棒が出るというものですが、物理的にうまく混ざらない結果だと思います。



旧本殿


扇子型のおみくじ


鉄筋コンクリート製の巨大な本殿


インド風の仁王門(山門)が見える


猿回しが行われていました

おみくじを引き、鐘楼で勢いよく鐘をついたあと広い境内に戻り、午後3時からのご祈祷の昇殿口に並びました。そしていよいよご祈祷ですが、以前から変わったことがいくつかありました。今までは、大広間に座ってご祈祷を受けましたが、すべて椅子席になっていました。
この最上稲荷、正式名称を「最上稲荷山妙教寺」といい日蓮宗の寺院です。祈祷の最後に
一斉に並んだお坊様が、「南無妙法蓮華経」と祈祷肝門を唱えながら、木剣を打ち鳴らすと、そのカチカチという音で、悪い運気が取り払われるようで、すかっとした有難い気分になるのです。しかも退場時には、2列に並び両側からお坊様が背中を、お経巻で頭・肩・背中にやさしく当てて。気を授けてくださいます。
御祈祷を受けた後の帰り道、国道を出るまで空いていなければ5分ほどですが、この日は30分以上を要しました。
いつものことながら、岡山方面からの帰り道、立ち寄るのが真備町の「横山へんこつうどん」です。私のお気に入りの麺処です。
こうして帰途につきましたが、どうか今年も一年、家族全員無病息災でありますように。


【日本三大稲荷】

ホームページでは、伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷として、1200余年の歴史を紡いできたとあります。この日本三大稲荷、何を基準にしたものでしょうか。歴史、格式、初詣の参拝者の数、などでしょうか。伏見は確実、豊川はほぼ確実、続く3番手を、最上稲荷の他、笠間稲荷神社、祐徳稲荷神社が名前を連ねています。
このうち、豊川稲荷は円福山豊川閣妙厳寺曹洞宗の禅寺、最上稲荷は、最上稲荷山妙教寺という日蓮宗の寺です。
明治の神仏分離で稲荷神社へと転身したのですが、豊川稲荷(妙厳寺)、最上稲荷(妙教寺)は奇跡的に神仏習合の姿を留めています。

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かわいい、かわいい子坊主さんに出会った! 水車の里フルーツトピアと矢掛宿を訪ねて 岡山県矢掛町

2024-09-26 20:09:28 | 神社・仏閣
訪問日:令和6(2024)年9月16日(月)祝日

矢掛町の水車の里フルーツトピアを訪ねました。何とメインの駐車場は満車状態、一段下がった別の駐車場になんとか停めることができました。こちらの施設は何度か訪問したことはありますが、このように盛況なのは初めてでした。ブドウ狩りや、梨狩りのベストシーズンで無理もありません。時間待ちの親子連れをたくさん目にしました。
辺りを見渡すと、山麓に青々と広がる棚田、上や下にぶどう園や、なし園が広がります。ぶどうや梨の即売も行われていて、私は梨を買って帰ったのですが、非常にみずみずしくて美味でした。やはり獲れたてに限りますね。


水車の里フルーツトピア


芝生が広がるお祭り広場 青空と白い雲が印象的


ハンドメイドマルシェが開催されていました


上にぶどう園


受付、即売所棟とBBQエリア


下になし園

古い町並み矢掛宿を歩く

次に訪ねたのが、矢掛の古い町並み(重要伝統的建造物群保存地区)です。一番の目的は、多聞寺で御朱印をいただくことでした。
高野山真言宗のお寺で水掛観音が有名です。眼病やボケ防止にご利益があるそうです。
風車を持った水子観音が整然と並ぶ様子にも心を打たれます



道の駅「山陽道やかげ宿」

高野山真言宗 多聞寺


境内の外から見る多聞寺 インパクトのある鐘楼

しかし、私が一番気になったのが、山門前で手を合わせる子坊主の像です。頭には赤いニット帽をかぶり、手には数珠を持っています。その瞳はつぶらで、見ているだけで笑みがこぼれます。ほんとに、ほんとにかわいいのです。
多聞寺を紹介する記事は多いのですが、この像に触れている記事は目にしたことがありません。
もちろん、この像に文化財としての価値はないと思いますが、最初に迎えてくれるかわいい姿にただただ癒され有難さを感じるのです。



かわいい小坊主の像 癒されます


アップでのお顔です


水子供養 風が吹くと一斉に回る風車


山門を入った正面は大玄関で、大きな千鳥破風に花頭窓が人目を引くデザイン。


後ろ姿もかわいい

このあと町並みを散策しました。あまりにもお昼の暑い時間帯だったので、矢掛屋で涼ませてもらったあと、有名店で食事をし、パンの有名店でおいしいメロンパンを買って、町をあとにしました。



美しい矢掛宿の町並み


国指定重要文化財 旧矢掛脇本陣 高草家住宅横の細い路地 大高草小路


ハンバーグが有名な侍イタリアン 幟に特徴


矢掛ビジターセンター問屋 


矢掛屋本館 冷房がしっかり効いていました。
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白い龍がうねるが如く 白亜の千本鳥居 済渡寺白龍門 岡山県新見市法曾

2024-08-31 21:17:49 | 神社・仏閣
訪問日:令和6(2024)年8月5日

前回の、鳴滝夢すき公園に続く
新見市の観光スポットを巡っています。本日最後の目的地、済渡寺を訪ねました。国道を下りもうすぐ高梁市というところで、目立つ大きな案内板があります。ここを右折して山道に入っていきます。
離合が難しいところや、工事中のところもあって、運転には慎重を要しました。



女人高野 済渡禅寺と書かれた石柱


弁天池にはスイレンがびっしり 黄色やピンクと華やかです


薄い黄色と白のスイレン 清楚で鮮やか


梵鐘 第二次世界大戦に供出されましたが無事に戻ってきたそうです


仁王門と枝垂れ桜

道案内の標識が出ているので、よく見て進めば問題ないのですが、うっかり見過ごすと大変なことになります。ナビの目的地とは違う順路となっていますので、注意が必要です。実は一度間違って引き返すはめになってしまいました。
第一駐車場は広くてゆったり、参道を下るとすぐに女人高野の標柱が迎えてくれます。坂道をさらに下ると、左手に弁天池、鐘楼があり、枝垂れ桜が覆う風情ある仁王門が寺院の歴史を感じさせてくれるようです。



境内が見えてきました 手前が白龍門です


「お参りについて 弘法大師様と共に唐から来朝され功績があった白龍様、白龍大権現様を信仰する方々には諸願成就幸福が得られますのでお参りください 令和三年吉祥日 山主敬白」と書かれています。


美しい千本鳥居・白龍門 下に下って白龍殿に続いています


もう少しアップで


それぞれの門に取り付けられた桃の彫刻


真正面から奥を覗くとなんだか不思議な感覚が襲ってきます

そして、白い鳥居の白龍門が見えてきます。個人的には数年ぶりの訪問ですが、白亜の千本鳥居はとてもきれいに管理されていました。夏の青空と、白い鳥居のコントラストがとても鮮明でインパクトを感じます。
鳥居は78基、正面中央に取り付けられた桃の意匠が何ともかわいいですね。鳥居の幅は、人が一人通れる広さです。きっちり前方を見下ろすと、鳥居が連なり異次元の世界に飛び込んだようです。
鳥居を進み、90度折れたところで行きつくのが白龍殿です。白龍門の入り口の紹介文には、842年10月23日に成仏し石棺で済渡寺に葬られたとか。白龍殿の後ろにあるのが塚でしょうか。



向日葵が咲いていました


花ショウブが一株残っていました


正面が白龍殿です


白龍様について 白龍様は唐(中国)に生まれたお方です。唐で弘法大師様と親交があり、大師様と親交があり、大師様と共に来朝され、片腕として功績がありました。西暦842年10月23日、成仏され、石棺で済渡寺に葬られました。白龍大権現様を信仰する方々には諸願成就幸福が得られます。 山主敬白 と書いてあります。


白龍殿の後ろにある白龍の塚


本殿 遠景


本殿 正面左側から


石柱 本尊 子安観音大菩薩 と書いてあります


水鉢にハスが一輪、花を付けていました


観音菩薩像


白龍塚と白龍門 遠景

弘法大師・空海は804年に遣唐使船で唐に渡り、真言密教を学び806年に帰国。このとき白龍も随行して来たということでしょう。時は奈良時代から平安時代に変わったころ、今から1200年以上も前のことです。この地にいつ来たかはわかりませんが、36年間、日本で過ごしたことになります。白龍はこの法曽の地で焼き物の技術を伝えたとあります。
しかし、いくらネットで探しても白龍のことは何もでてきません。まさに伝説の人ですね。



サルスベリと白龍門


望遠で見る白龍門

空海が創建したといわれる済渡寺、子安観音、女人高野からてっきり真言宗のお寺だと思い込んでいましたが、実は禅宗の曹洞宗だと知ってびっくり。いつから宗旨が変わったのかそのいきさつを知りたいと思いました
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岡山県指定名勝 矢掛・大通寺庭園を訪ねて 岡山県小田郡矢掛町

2022-12-18 08:35:27 | 神社・仏閣
訪問日 令和4(2022)年11月7日(月)


大通寺は宿場町矢掛の北方1.7㌔に位置する山里の中にある。後方は高峰山。

矢掛町小田の限界集落・山ノ上地区を訪ねたあと、井原市の紅葉の名所・鬼ヶ嶽に向かう途中、ふと大通寺を思い出し寄ってみることにしました。
石庭の紅葉が見られるかもしれないと思ったからです。訪ねたとき、お寺は法事の最中だったようで、どこかバタバタした感じでした。
境内のイチョウの黄葉はもう少し先のようでした。いつものように拍子木をたたくと住職(前住職)が出て来られました。



仁王門


山門前に立つ観音菩薩像


山門


境内の様子

お庭を拝見したいと申し出て拝観料を払った後、取り込み中のようだったので、「何度も参らせていただいているので、勝手が分かっていますどうぞご遠慮なく!」というと申し訳なさそうに、いったん引かれました。
代わりに奥様が出てこられ、「いまちょうど、涅槃図がかけられているのでご覧になりませんか」と誘われ、それは是非と拝見させていただくことにしました。
大きなお軸に書かれた立派な涅槃図です。(江戸時代 矢掛町指定重要文化財)
北枕で横たわる釈迦の周りで、嘆き悲しむ人や動物たち。「この中に猫が一匹いますが、どこでしょう?」とクイズをいただきました。
顔こそ、見せていませんが、丸く描かれた後ろ姿は間違いなく猫でした。
「ここにいますね!」と答えると「ご名答です。」
このような会話のあと、じっくり庭園を鑑賞させていただきました。
本格的な紅葉は、もう少し先のようでした。



書院から庭園を望む


書院表の主庭150坪 庭園を代表する景観。大通寺庭園は石寿園ともいわれる


季節の花、ツワブキがアクセントになっている


涅槃図 矢掛町指定需要文化財


客寮表の庭園 まるで額縁


衆寮裏、北の裏 本格的紅葉はもう少し先


小さな池


襖に書かれた忍の一文字


巨大な龍


向こうに虎


帰り際、住職に、「資料を差し上げましょう」と言われたので、「以前いただきましたよ」と答えると、「いえいえ、それとは別のものです。」
岡山県には、江戸時代からの日本庭園が多く残っていますが、はっきりした年代のわかる資料が残っているのは、この大通寺だけだそうです。
中に戻られ、しばらくすると冊子「備中地方の禅文化 柴口成浩」を持参され出てこられました。ご自身が書かれ編集された立派な資料です。住職ご夫妻の温かいご対応にどこかほっこりした気持ちで、大通寺をあとにしました。


大通寺庭園 作庭者 中西源兵衛 作庭時期 寛政5年(1793)~文化10年(1813) 
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