未熟なカメラマン さてものひとりごと

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三重県・関宿の町並みを訪ねる その2

2011-07-21 21:33:12 | 観光名所



町並みのはずれ、東の追分・伊勢神宮一の鳥居を見て引き返します。それにしても何と暑いことか。このあたりでは、ほとんど人を見かけません。一軒ずつ見ていると、お店も結構あるようでした。但し、いずれも控えめでほとんど目立ちません。営業しているのかどうかわからないほどです。途中、左右対称の民家を発見。入口にそれぞれ、男、女とあります。もと風呂屋さんだったようです。真ん中に裸電球の傘も残されており、情緒があります。こういう発見は楽しいですね。

ばったりと呼ばれる建物付属の機能的な縁台や、当時の面影を残す、馬をつなぐ鉄の輪金具も残っていて、当時の往来の様子が見えるようです。観光案内所でいただいたパンフレットと見比べながら歩いていますが、それにしてもよくできているパンフレット。写真ではなくイラストですが、とてもわかりやすいですね。感心、感心。

現在は、鮮魚店の看板を出している遊快亭、そしてとなりの建物とのこの2軒は、その昔、芸妓の置屋だったそうです。2階の窓の木組みがとてもこっています。なまこ壁の倉庫蔵は、ほとんどと目にしませんでしたが、駅から通りに入る途中で見たひとつだけでした。通りの虫籠窓(むしこまど)は、いろんな形や色があって存在感を出しています。
最初の場所まで戻ってきたところで、銀行のATMがあったことを思い出し、ちょっと、涼ませてもらうことにしました。冷房がよくきいていて心地よいのですが、監視カメラがどうも気になって落ち着きません。すぐに出て、冷たいお茶でも飲んで、一息入れることにしました。

通りの角のところに喫茶店らしいお店があったので、入ることにしました。「いらっしゃいませ!」と中年の女性の声、入り口のところで、スリッパに履き替えます。奥のカウンターの中にもう一人の女性。店内は独特の雰囲気で、場違いかとも思いましたが、今さらどうしようもありません。お客さんは他には誰もいませんでした。アイスコーヒーを注文して、しばらくすると、アイスコーヒーと、そのあとに、「これはサービスです」、とシフォンケーキが出てきました。なんとサービスの良い店かと思いました。おいしくアイスコーヒーとケーキをいただき、しばらく涼んだところで店を出ることに。

「おいくらですか?」と聞くと「750円です」との返事。高い!と思いましたが、そこは何とか顔に出さず、お釣りをもらってお店を出ようとすると「よかったら使ってください!」とお店のネーム入りのボールペンをいただきました。そして別のパンフレットで近隣の見どころなどを紹介してもらいました。亀山市の美術館がとてもよくて、館長が素晴らしい人、とのことでした。「お車ですか?」と尋ねられたの、はずみで「ええ!まあ!」と答えると、それなら是非訪ねてみてください。と何度も勧められたのでした。
あとで調べたところによりますと、このお店は、アールグレイという有名な紅茶の専門店だそうです。その種類は50種以上で、わざわざこのお店を目当てに関宿に来る人も多いとか。

少し落ち着いたところで、町並み散策開始です。(つづく)

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三重県関宿を訪ねて!(1万円未満で行く日帰り旅シリーズ)

2011-07-14 21:23:09 | 観光名所

こんなに美しい京都タワーは見たことがありません。

1万円未満で行く日帰り旅シリーズ。今回は、旧東海道で、唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている三重県関宿を訪ねました。
例によって、福山から京都まで高速バス「みやこライナー」を利用します。実は、閑散期の割引期間(6月1日~7月10日まで片道3000円)というのがあって、この日は最終日の前日、7月9日でした。福山市広尾バス停7時25分のバスに乗車、京都には11時15分ごろ到着しました。次に京都から東海道線で草津まで行きますが、次の電車まで、時間があったので、駅ビルをぶらぶら散策して時間を費やしました。それにしても今日は素晴らしいお天気。雲がたなびく青空に、凛と立つ京都タワー、かつてこのようにきれいな姿は見たことがありません。

草津から草津線で柘植まで行き、関西本線に乗り換えて二つ目が目的地の関駅です。関西本線のローカルなことには少々びっくりしました。一両だけで、座席が対面式のワンマンカーでしたが、山の中をゴトゴトと進みます。
駅に着くと、カメラだけ持って、コインロッカーに荷物を預けます。そして駅舎内の観光案内所で、まずパンフレットを調達し、係の方から町並みへの行き方、見どころなどの説明を受けて、出発です。こちらでの予定滞在時間は、3時間程。いつもなら、2・3箇所めぐりますが、今回はじっくりこの町並みを散策してみようと思いました。

駅前の1号線を横断し、少し傾斜のある道を5分ほど進むと、町並みに出ます。まるで時代劇のセットのようです。右を見ても左を見ても、統一された完璧な町並み。電線は地下に格納され、道路は薄茶色にいい感じで舗装されています。もう随分前に重要伝統的建造物群保存地区に指定されていますが、その町並みが現在まで、このような姿で維持管理されているということは素晴らしいと思いました。この場所は中町といってちょうど通りの真ん中あたりになります。全長1.8キロもある町並みですが、まず右手方面、木崎の町並みを歩いてみることにしました。



百五銀行の前あたりの町並み

まず、不思議に思ったのが、玄関先のしめ飾りです。もうとっくに正月は過ぎているというのに、多くの家に飾ってありました。あとでお店の人に聞いたところによりますと、お伊勢さんに近く、その影響で年中飾ってあるそうです。ということは、元旦に新しいものと取り換えるのでしょうか!
それから郵便ポストは木製、ごみの回収箱などは木枠などで覆われていました、なにもそこまでしなくてもと思いますが、これが町並み保存なのでしょう。それから銀行も素晴らしい。百五銀行の外観は、町並みに配慮された町屋風の作りで、うまく町並みに溶け込んでいます。
道路は、一方通行になっているようですが、車の通行量は結構あります。生活道ですから、仕方ない部分もありますが、スピードを出す車もあるので、散策には注意が必要です。
ただ、観光客らしき人はほとんど見かけませんでした。たしかに、これだけ熱かったら出かけるのも躊躇しますよね。でも通りの町並みと青い空、とても印象的に感じました。

それからほかの町では見かけないものに幕板があります。庇の下に取り付けられ、風雨から店先を守る霧除けだそうです。季節がらツバメが飛び交い、なんとこの幕板にも巣を作っているのを見かけました。
そうこうしているうちに、大きな鳥居が見え、町並みのはずれ、東追分に到着しました。ここは東海道と伊勢別街道の分岐点になります。(つづく)

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しかし、人生は、捨てたものじゃない!

2011-07-12 22:38:18 | ドキュメンタリー



あの感動のドキュメンタリー番組をもう一度見たいと思いました。タイトルも忘れてしまっていましたが、「中国人」「不法滞在」などをキーに検索サイトで何とか探しあてることができました。タイトルは「泣きながら生きて」というものでした。2006年11月3日に、「フジテレビの金曜プレステージ」で放映され、かなり反響を呼んだので、覚えていらっしゃる方も多いのではないかと思います。
娘の教育費を捻出するために、15年間、不法滞在を続けながら、昼夜を問わず働きつづけ、目的を達成して、国に帰って行った丁尚彪(ていしょうひょう)さんと家族の物語です。事情により、再放送も、DVD化もされず二度とみられないと思っていましたが、どなたか録画されていたものが、YouTubeで公開されていました。
便利になったものですね。ほんとにありがたいと思いました。

この男性、35歳のときに中国で、日本の語学学校の生徒募集の一枚のちらしを見て日本に行くことを決心しました。卒業後は日本の大学に留学し教育を受けたいと思っていました。男性の若い頃は、まさに文化大革命の時代、下放され教育を受ける機会はなく、労働に明け暮れた日々でした。親戚中にお金を借りまくって、1989年6月、晴れて語学学校に入学しましたが、学校は北海道阿寒町の番外地、周りは何もないところです。アルバイトをしながら学校へ行こうと思っていた計画がここで潰えました。多額の借金もこれでは返済できません。しかたなく、学校を飛び出し、何とか東京へたどり着くことができました。
 最初は、借金を返すために、その目的が達成されると、今度は娘の教育費、そして留学費用を捻出するために、一度も国に帰ることなく3つの仕事を掛け持ちし15年間、働き続けたのでした。
 もちろん働いたお金はすべて家族に送金しました。途中、帰ってこない主人に奥さんは、「女でもできたんじゃないか」と思っていたそうです。

 取材が始まったのが、1996年春(丁さん42歳)来日7年目のことでした。このドキュメンタリー、カメラが回っているので、映される側は、多少でも意識せざるを得ないでしょう。カメラが入ることで、どのような影響があったかわかりませんが、でも流す涙は、本物です。私もまた、何度、もらい泣きしたことか。
 不法滞在者は、二度と日本に入国することはできません。帰りの飛行機の中で、じっと涙を堪えながら感謝の意を込めて、両手を合わす男性。 現在の中国は、急成長をし、急速に豊かになっています。ものの考え方や価値観も大きく変わってきていることでしょう。しかしこの家族のきずなはたとえ離れていても決して失われるものではありませんでした。
 見ていた方は、もう一度、初めての方にはぜひ、この番組をご覧いただきたいと思うのです。

感動のシーン 
①日本に居座り続ける夫に疑念を抱いていた妻。番組スタッフから映像で見せられた「日本で苦労して働き続ける夫の真の姿」に、涙する妻と娘。
②娘のニューヨークへの留学が決まり、見送りに行った空港で号泣する母
③ニューヨークへの留学の途中、立ち寄った日本で父と再会した娘。旅立ちのとき、駅のホームで見送る父と、電車内の娘。手を一度だけ振り、ただ涙を流す父と娘。
「私は知っているんです。父が私のことを心の底から愛してくれていることを!」と泣きながら語る娘
④12回目の申請でやっとビザが降りて、ニューヨークの娘に会いに行く途中、日本に立ち寄った妻。東京見物の翌日の旅立ちの日、車内で隣同士、座っている夫婦がただ前を向いて涙を流すシーン。そして、娘の時と同じように手を一度だけ振り、振りかえらない妻。そしてそのあと何度も何度もハンカチで涙を拭く夫と妻。
⑤中国に帰る前、原点の、阿寒町を訪れ、飛び出したことを詫び、「私の第二の故郷です」と、何度も何度も深々と頭を下げ、感謝の意を表すシーン。
⑥帰りの飛行機の中で、日本での15年間を振り返り、感極まって涙を流し、感謝の意を込めて両手を合わせるシーン。

心に残ることば
①15年前にここへ来たとき、人生は悲しいものだと思った。人間は弱いものだと思った。しかし、人生は、捨てたものじゃない。
②国家の代表者には、国を良くしていく責任があるように、私には、親として子どもを育てる責任があります。この責任を果たすため、親は一生懸命生きなければなりません。
③私がここまでやってくることができたのは、両親が考えられないほどの努力をしてくれたからです。
④日本人の皆さんは頑張っています。自分の国を発展させるために、とても頑張っています。日本に来た私たち中国人は、この日本人の精神を学ぶことが重要です。

企画・プロジュースの張麗玲さんは、元女優。
検索サイトで「泣きながら生きて」を検索。次に「泣きながら生きて」の動画の中から、含泪活着というタイトルをご覧ください。1から9(最終)まであります。



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あじさい寺 大聖寺を訪ねて

2011-07-07 22:42:00 | 観光名所


7月2日(土)岡山県内では、よく知られたアジサイの名所、美作市大聖寺を初めて訪ねました。例によって井原から高梁に抜け、賀陽ICから岡山自動車へ、中国自動車作東ICで降りて目的地の大聖寺までの所要時間は、約2時間ほどでした。
山の中の細い道では、対向車が気になるところもありましたが、何とか無事に到着。駐車場は特に整備されたものではありませんが、駐車料=500円となっていました。受付でさらに入園料500円が必要となります。ここでは、無料の貸靴が用意されていました。境内、特にあじさい園は山道で舗装されていないので、汚れたりすべったりするのでしょう。私は事前にこの情報はつかんでいましたので、準備万端でした。
受付を過ぎると、七夕の笹竹があり、願いを込めた多くの短冊が下がっていました。さらに参道を進むと、左手、山の上に多宝塔が見えてきました。アジサイとこの多宝塔の組み合わせは、なかなかのものです。この多宝塔、実は、約30年前に建てられた新しいものだそうです。

強引にアジサイを取り込んで撮影しようと思いましたが。なかなか適当なアジサイが見つかりません。そういえば昨年、奈良の室生寺の国宝の五重塔を同じようにシャクナゲを取り込んで撮影したことを思い出しました。とにかく赤い塔と花はとてもよく似合いますね。
途中、小さな池があり黄色のコウホネが咲いていました。そしてハスの葉も茂っており7月には大きな幻想的な花を見ることができるでしょう。そして、ウシガエルでしょうか、低音で「グー!グー!」という鳴き声。とてものどかなあたりの雰囲気です。

少しして、巨大な二本のイチョウの木が山門の前に見えてきました。まるで杉のように見えます。その前のボード(案内板)に、吉川英治著の宮本武蔵の、沢庵和尚に杉に吊るされた場面が絵で紹介されていました。筆者はこのイチョウの木をヒントにあのシーンを思いついたそうです。
そして、その左手には、武蔵とお通の銅像がありました。その顔は誰かと思いましたが、役所広治さんと、古手川裕子さんがモデルの随分前のNHK大河ドラマの主人公でした。




お寺の拝観はあとにして、アジサイ園を先に見て歩くことにしました。緩やかな傾斜が続く山道、両脇にいろんな種類のアジサイが植えられています。ガクアジサイの紫の花弁はとても大きいものでした。山道は、ぐるぐる回りながら続いています。
大聖寺のアジサイ、山の傾斜地というか、お寺の背後の裏山に植えられているんですね。ちょっと想像と違いました。途中、蛇とも遭遇し、油断が許せないアジサイ園です。

事前の情報では、1万本のアジサイということでしたが、はたしてそこまであったかどうか。ぐるっと、アジサイ園を見た後、山門をくぐりお寺の中へ。沙羅双樹の白い花が咲いています。なかなか格式のある寺院です。資料によりますと、このお寺は738年行基菩薩により開山、真言密教の根本道場として、かつては西の高野山と称されたそうです。

また、山陽花の寺霊場 第十三番札所として、冬には数万本の南天が真っ赤な実もたわわに埋め尽くし、早春には500本にも及ぶ椿の花々、新緑の6月には、境内地1万坪のアジサイ園で、1万株を越す西日本最大級の規模を誇るアジサイが7月中旬まで見られるとのことです。(パンフより)

また、抹茶や、予約されば精進料理もいただけるようです。
お寺をあとにするときに、見かけたお詫びと称する白い張り紙には、昨年の厳しい夏、5月の低温により疲弊し、イノシシやシカの集団にアジサイの花芽を食べられて、アジサイ園はひん死の状態ですが、ヤマアジサイの植培を準備し回生を目指していく、、とありました。
それでは、入山料や、駐車料を考慮してもらいたかった、、と思ったのは私だけでしょうか!

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