未熟なカメラマン さてものひとりごと

ようこそ、おいでくださいました。

生まれかわった重伝建選定・矢掛の町並みを歩く!!  岡山県矢掛町

2021-05-30 21:46:42 | 古い町並み
訪問日:令和3年4月19日

お隣の町、矢掛町の旧山陽道の町並みが重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定され、合わせて、町並みの電柱・電線を地下に格納する工事も完了、さらに新しく道の駅(山陽道やかげ宿)もオープンしたというので、訪ねてみることにしました。

時刻は10時半ごろでしたが、国道486号線沿いにある道の駅の駐車場に車を入れると、すでに満車の状態でした。
道の駅の洗練されたデザインの建物、私たちが目にする道の駅の外観とは似ても似つきません。それもそのはず、こちらには特産品は一切販売されておらず、飲食店もありません。どこかファッションビルか美術館のようにも見えます。
黒を基調としたシックな佇まい、2階正面屋根は、唐破風を連想させる和のイメージ、そして一番高いところには“水見やぐら”らしき建物も見えます。

入り口を入ると、「いらっしゃいませ!」とまるでホテルのフロントにいるかのように声がかかり、施設の案内がありました。
「豪華ですね!」と声を掛けると「皆さん、そうおっしゃいます!」とのこと。この駅舎のデザインは、有名な建築家の監修によるものだそうです。

特産品のサンプルのみが陳列されていて、とてもこぎれいです。実際のお買い物は、町並みのお店でどうぞ、という趣向です。
2階に上がってみると、すぐ近くに江戸時代の町並みを俯瞰することができます。
ベンチやテーブルも設置され、来客者はゆっくり時間を過ごせるようでした。



駐車場から見る駅舎


道の駅 山陽道やかげ宿 黒を基調とした洗練されたフォルム。デザインは、岡山県出身の工業デザイナー・ 水戸岡鋭治 (みとおかえいじ)氏


エントランス なぜか手押しポンプがありました。まさか井戸があるわけでは?


1F 情報発信コーナー 特産品のサンプルがずらり


大型モニターでお店を紹介 豪華なパンフレットもたくさんありました


ゆったりとした空間 椅子も贅沢な造り


2階への階段


2階にはキッズコーナーと展望台


すぐ近くに町並みが見える。小田川も眼下に。

道の駅を見て納得した後、新しい町並みを散策することにしました。まずは、脇本陣の高草家前からスタートです。町並み、電柱が取り除かれたことで、道幅が広くゆったりとして視界が開け、通りの東西正面には、若葉で覆われた山々がとても近くに感じられました。
私が特に気に入ったのが、町並みの新しい外灯の下に架かる「山陽道やかげ宿」と書かれたタペストリーです。きりっとして雰囲気が随分変わって見えました。

脇本陣・高草家の横には、古い町家をリノベーションし新しくオープンした、「ビジターセンター問屋」があり、高草家、高草商店、問屋と連続した町並みを形成しています。



山陽新聞矢掛販売所前からスタート


大高草小路 人一人がやっと通れるほど。漆喰の壁が両側迫ってくるよう


国指定重要文化財 旧矢掛本陣高草家住宅 


高草商店は、酒・食料品や和風小物のお店


美しい町並み 下の画像と比較すると随分すっきりしている


これは以前の町並み 撮影日:平成19年3月24日

(矢掛ビジターセンター問屋)

問屋(といや)は、旧山陽道矢掛宿のメイン通りに建つ古民家を再生した観光案内施設です。江戸時代には「因幡屋」という屋号で、宿場から宿場へ公用の貨客を運ぶ馬や人足などの輸送手配を行っていました。その後、民家となっていましたが、観光案内施設に生まれ変わりました。
入ってすぐの場所は吹き抜けになっており、2階に上がれば太い梁が間近に見学できます。建物や矢掛の町についての歴史が分かる展示のほか、観光パンフレットも設置されています。奥に進むと、日本庭園がありました。「通りにわ」という昔ながらの町家のつくりなのだそうです。



矢掛ビジターセンター問屋 外観


観光案内所 中は吹き抜けになっており2階にあがることもできる


和室の向こうに中庭が見える


違い棚に、床、書院と落ち着く佇まい


2階から見たところ


虫籠窓(むしこまど)窓の形も特徴的


中庭、通り庭という 伝統的な地割 奥行きが長いまさに「うなぎの寝床」


問屋横の専教寺小路 専教寺は浄土真宗本願寺派寺院

こうして、道の駅、問屋と新しい施設を見学した後、引き続き町並みを散策することにしました。1点気になったのは、やはり道の駅近くに地元の農産物直売所をがあってもいいのかなと思いました。


シーズ藤原家付近から通りの西側を見る


妻入り五軒並び 矢掛の妻入り町家の典型


やっこさんのマンホール


店先に置かれていたクレマチス


重要文化財旧矢掛本陣石井家住宅付近


本陣石井家 重要文化財の本陣と脇本陣が共に現存するのは全国でも唯一


本陣、西側部分


やかげ郷土美術館 水見やぐらが印象的


本陣前から東方面を見たところ


中町ポケットパークは癒しの空間


やかげ町家交流館


散策を終え、道の駅駐車場に帰る

最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は、愛媛県松山市を訪ねます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島県呉市の観光スポットを巡る 大和ミュージアムと美術館通り

2021-05-22 23:25:37 | 観光名所
呉市・前々回の記事 「北前船で栄えた日本遺産・御手洗は遊女が支えた港町だった」
呉市・前回の記事 「かつて西国無双の港といわれた御手洗の町並みを歩く」

訪問日:令和3年2月21日

大崎下島の御手洗を訪ねたあと、下蒲刈の三之瀬に立ち寄りました。蘭島閣美術館や福島雁木、松濤園周辺を散策したあと、呉市の中心部に向かい、てつのくじら館、大和ミュージアム、美術館通りを訪ねました。

(豊浜大橋)
豊島と大崎下島を結ぶ全長543mのトラス橋で平成4年11月に開通した。
駐車場があり、急な石段をあがると公園らしきエリアがあり、眼下に橋を望むことができた。アップでみると自転車で橋を渡る人の姿が見えた。



豊島と大崎下島を結ぶ


橋を渡る人の姿が見える

(下蒲刈・三之瀬地区)
蘭島閣美術館
伝統的日本建築の美しさを追求したヒノキ造りの美術館。日本を代表する作家の作品をはじめ、郷土ゆかりの作家の作品などを収集し、文化啓発につとめている。

蘭島閣美術館


美術館前の松を配した庭園

福島雁木
福島雁木は、福島正則が幕命により船着の便をはかって築いたもの。113m、14段あるが上部の3段は昭和になってつけたされたもの。透き通るような海水が印象的だった。

福島雁木

松濤園
江戸時代に朝鮮通信使が来日した際、盛大な歓迎をしたという資料が展示されている。園内は回遊式の庭園になっているが、園の周囲はぐるりと散策することができ、内部の様子が十分うかがえる。訪問したとき、白梅、紅梅が見ごろだった。


海岸沿いに設置された遊歩道


外からでも中の様子が伺える


青空に白梅


石塔に白梅


紅梅もある


蒲刈大橋(かまがりおおはし)は、広島県呉市(旧安芸郡蒲刈町および旧安芸郡下蒲刈町)の上蒲刈島と下蒲刈島を結ぶ道路橋。昭和54年10月に開通し、長さは480mのトラスト橋。


(大津泊庭園から見る安芸灘大橋)
大津泊庭園は、安芸灘大橋を下りたすぐのところにある芝生の公園で人々の憩いの場になっている。江戸時代、瀬戸内海でも有名な港として栄えた。大きなグラウンド、広い駐車場とトイレを完備している。訪問時、ウオーキングをするお年寄りの団体を見た。島のイベントの会場として使用されることが多い。


駐車場脇の芝生の中にあった鯉にまたがる少女の像

安芸灘大橋

本州四国連絡架橋群を除き、都道府県道に架かる橋の中では、わが国最大の吊橋。
本土と下蒲刈島の間を流れる「女猫の瀬戸」に架かり、橋長1,175m、主塔の高さ119mの壮観な姿をもって美しい景観をつくっている。ETCは利用できず現金での支払いとなる。通行料金、普通車は730円

(てつのくじら館・海上自衛隊呉資料館)
潜水艦の発展と現況や掃海艇の戦績と活躍等に関する歴史的な展示資料を通して、海上自衛隊の歴史を紹介するとともに、呉市と海上自衛隊の歴史的な関わりについて紹介している。
大和ミュージアムと道路を挟んで向かい側にあり、よくぞここに設置できたと感心する。陸に上がった潜水艦のまずその大きさに驚き、次にその形に納得。なるほど「てつのくじら」はナイスネーミング。

(令和3年5月18日から6月1日まで緊急事態宣言発令を受け臨時休館)



外形はまさに鉄のくじら

(大和ミュージアムとそ周辺)
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)は呉市1番の観光スポット。年間入館者数は約91万人(2019年度)4階建で、主な展示は1階から3階。
1階の「大和ひろば」には全長26.3mもある10分の1スケールの戦艦大和がでーんと控え、初めて見た人はからなずびっくりする。
また、同じく1階の大型資料展示室には、ゼロ戦や特攻魚雷回天などの実物が展示されている。


レンガパーク
戦艦「陸奥」の主砲身、スクリュ―、主舵などの引揚品が展示されている

向こうに鉄のくじら館が見える


陸奥のスクリューと主梶

「大和ひろば」戦艦大和の10分の1スケールモデル
前から


上から


後方斜め後ろから


大型資料展示室
ゼロ戦(零式艦上戦闘機六二型) 昭和53年に琵琶湖から引き揚げられたもの


ミニチュアモデル

美しい機体

特殊潜航艇「海龍」

前から


後ろから

大和波止場から見る景色

大和ミュージアムの外観


対岸のドッグ

戦艦大和はここで建造された

大和波止場

実際の大和の大きさを体感できる 市民の憩いの場でもある

山裾の住宅事情

呉工廠時代の名残か 住宅事情はかなりきびしそう

穏やかな港


踊りの練習(いこいの広場)

波止場で踊りを練習をする少女たち ちょっぴりはずかしそう

芝生広場の、潜水調査船「しんかい」


そして、本日最後の目的地、美術館通りに向かいました。距離は1キロ弱、時間にして2.3分でした。

(入船山公園かいわい)

グラウンド横の有料駐車場に車を駐め、まず向かったのが入船山記念館です。

入船山記念館

美しいシンメントリー風の建物

呉市立美術館

玄関


道路側から

美術館通り(日本の道百選)
ゆたかな赤レンガ敷きのケヤキと松の並木道に、著名な作家による18点の彫刻が点在する通りはわずかに傾斜しており、美術館へのアプローチとなっている

美しい少女の像

マンホール

なぜか戦艦大和のマンホールが

作品の中で一番気になったのが、別館前にある、薮内佐斗司作の「走る童子」顔が“せんとくん”に似ているのですぐにわかりました。走る姿が分解写真のようで、しかも先頭が壁にめりこんでおり、アマガエル?が同じように移動しているのが非常にユーモラスに感じました。


後ろから 躍動感にあふれている


前から どうしてアマガエル?


めり込んでいる ここまでしなくても

こうして、朝から御手洗、下蒲刈と呉の観光スポットをめぐる旅を終えました。
駐車場から出て、坂道を下っているとき対向車がパッシング、何と一方通行を逆走していました。やれやれです。
最後までご覧いただきありがとうございました。


次回は、新生・やかげ宿(岡山県矢掛町)を掲載の予定です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かつて西国無双の港といわれた御手洗の町並みを歩く 広島県呉市豊町(大崎下島)

2021-05-20 08:03:51 | 古い町並み
前々回の紹介のページ 「遊女たちの悲しい物語があった」
前回の紹介ページ 「北前船で栄えた日本遺産・御手洗は遊女が支えた港町だった」


おいらん公園から俯瞰する御手洗の町並み

おいらん公園で、遊女の墓地を訪ねたあと、海沿いの駐車場に車を駐め、町並みを散策することにしました。この町並みを歩くのは実に12年ぶりのことです。
駐車場からすぐのところにある豊町観光協会(御手洗休憩所)は、以前テレビ番組で紹介されていました。ミカンジュース(大長みかん100%)も販売されていて、結構な人気とか?とりあえず観光パンフレットを入手しいざ出発です。

この御手洗を最初に訪ねたとき、おちょろ舟を製作中の宮本さんはまだ若かった記憶があります。この町並みは、平成6(1994)年7月に重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建)に指定されました。
そして、平成30(2018)年5月、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」として日本遺産に追加認定されています。



日本遺産認定の記念碑

(旧柴屋住宅)

最初に訪ねたのが、呉市重要文化財にもなっている旧柴屋住宅です。入り口のガラス戸を開けると、ひな人形が飾られていました。あの日本地図作成で有名な伊能忠敬は大崎下島を測量したとき宿舎として利用しており、珍しい資料が紹介されていました。


常盤町通りの入り口付近にある旧柴屋住宅(左側の建物)


入り口には、御手洗町並み保存センターの文字も かつて庄屋や町年寄りを代々務めた高橋家(屋号・柴屋)の別宅


季節柄、雛段が飾られていた (訪問日:令和3年2月21日)


郵便局の向かいにある洋館 御手洗にはこのような洋館がいくつかある。郵便局の宅配の車が細い路地を出るとき何度もハンドルを切り返ししていた。狭い町並みの中にあるが故の苦労がある。

(若胡子屋跡)

次に向かったのが、お茶屋で有名な若胡屋趾(わかえびすやあと)です。江戸時代、もっとも賑わったころ50人もの遊女を抱えていたとか。
暖簾をくぐって建物の中に入ると、玄関口の左に広い空間があり、正面の向こうにはお庭が見えます。耐震工事でしょうか、不釣り合いな鉄骨が柱を支えていました。一段高い檀上の奥には、奥座敷があり、豪華な造りが目を引きます。
庭の土塀には、桜島の噴石が塗り込まれていて独特なつくり。2階に上がってみると屋根裏は大きな梁で支えられていました。



通りから見る若胡屋跡の外観


かつては賑わったであろう、前の通り


玄関、左側にある広間 若胡屋跡は江戸時代、広島藩から公認された四軒のお茶屋のうち唯一現存する建物。50人もの遊女を抱えていた。


建物内は、耐震補強の鉄骨が目立つ。明治期寺院に転用された際、柱や天井が取り払われた


庭の土塀には、桜島の噴石が塗り込まれている


別棟の奥座敷 天井や雨戸に屋久杉が使用されるなど豪華な造り


欄間も見事


主屋2階天井の見事な梁


入り口の暖簾が風に揺れる

(旧金子住宅)

次に向かったのが、目と鼻の先にある呉市重要文化財の旧金子家住宅です。玄関を入るとすぐに茶室がありました。三畳台目、躙口のほかに連子窓、下地窓を三方向に配した特徴的な造り、露地の立蹲とともに広島藩主のお成りを考えて上田宗箇流好みの設えとなっています。



若胡屋跡を出て振り返ってみる通りの景観


数寄屋風書院造の主屋の中央にある茶室 全国で唯一現存する江戸期の上田宗箇流の茶室といわれている


露地 右側に特徴的な立ち蹲踞が見える

(村尾昌文堂)


看板建築の村尾昌文堂 ケヤキで作られた戦前の看板「國定教科書取次販賣所」がある

(乙女座跡)


昭和12年、当時の御手洗町長が私財を投じて建てた劇場 近年空き家になっていたが平成14年に当時そのままに復元された


乙女座横の小路 向こうに御手洗港が見える

(越智医院)


大正時代に建てられた築100年の建物。長い間空き家になっていたが平成29年ゲストハウス(旅籠屋 醫 KUSUSHI)としてオープン

(脇屋住宅)


薩摩藩の船宿跡 一輪挿しが建物にマッチしている

(重伝建の町並み 常盤通り)


美しい町並み 御手洗を代表する景観


御手洗には江戸時代から昭和初期に建てられた伝統的な形式をとどめる民家が数多く残っており、平成6年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている

(御手洗天満宮)


天満宮横の路地 落ち着いた佇まいを見せる


鮮やかな紅梅は見ごろ 境内は天神桜の名称で親しまれた桜の名所でもあった

(松浦時計店)


日本で最も古い時計店ともいわれる 現在の建物は大正8年に建て替えられたもの。NHK日本風土記でも紹介された。店名は昭和初期に「新光時計店」改称されている。店の顔は、100年以上時を刻んでいるアメリカ製の大きな古時計

(御手洗昭和館)


駄菓子屋玩具ミュージアム 御手洗昭和館 昭和30~40年代を中心としたレトロな駄菓子やお菓子、玩具、文房具、おもちゃなど5000点が展示されている

(御手洗七卿落遺跡)


町年寄や町割庄屋を務めた多田家の屋敷跡 蛤御門の変の敗北を聞き、討幕派公卿5名が長州へ落ち延びる途中、御手洗に立ち寄り、この竹原屋で二夜過ごしている

~そして海岸通りにでた~


道路の前に建つ存在感のある建物


青い空、青い海、土蔵の漆喰の白は見事なコントラスト


海に向かって立つ鳥居 記念写真の撮影スポット。鳥居の下に座って海を眺める後ろ姿の女性でもいれば実に絵になる。実は、恵美須神社の鳥居だが、参道が道路にとられてしまった。


警察署も町並みに配慮した和風の外観


玄関先に繋がれていた。近寄るとうれしそうに寄ってくる。ハンサム犬ではないがその表情に癒される


千砂子波止 1829年に完成した大防波堤。以来二度にわたって先端部が決壊したが修理されて現在に至っている。当時の技術水準の高さが伺える。
画像は、波止を散策する男女


船宿(三軒長屋)江戸時代の船宿は旅館というより仲買問屋 現在はカフェになっている。2階からの眺めは最高。新日本風土記にも登場した。手前は宮本さんのミニチュア舟の工房だが、午後には店じまいしていた。


高燈籠 住吉神社参道前の燈籠、当初は千砂子波止の突端にあり木製だったが、破損したため1832年に石造りに建て替えられた


海岸通りにある粋なレストラン


町を彩る一輪挿し 

最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は、呉の観光スポットを予定しています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする