未熟なカメラマン さてものひとりごと

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昭和の庭師 重森三玲のふるさとを訪ねて 岡山県吉備中央町

2021-08-23 23:05:20 | 庭園
訪問日:令和3年8月2日(月)

重森三玲は、昭和を代表する作庭家で、主に大きな石組の枯山水で知られています。私が彼の作品に最初に出会ったのは、京都・東福寺の石庭・方丈庭園でした。

その後、出身地が岡山県吉備中央町であり、その町に記念館があることを知ったのは、随分あとのことでした。私も何度かお話をさせていただいたことのある京都の斎藤忠一先生は、早くから三玲に師事され、三玲の実質的にデビュー作となった春日大社の庭園のこともうかがっておりました。

日本庭園が大好きな私は、少しジャンルは違いますが、ふと彼のふるさとを訪ねてみたいと思いました。ナビをセットし、向かったのはいつも利用している岡山自動車道賀陽IC方面、まもなく目的地につきましたが、そこは公民館の駐車場、入り口の急な坂道にびっくりしました。
目の前にあるのは吉川公民館、あれ記念館は?というとありました。右手の平屋の小さな建物でした。


吉川公民館と重森三玲記念館


吉備中央町立吉川公民館


こちらが重森三玲記念館 記念館は同地区出身であり昭和を代表する造園学者である重森三玲を顕彰する資料館となっています。また敷地には大正3年(1914)に、三玲が18歳の時に初めて設計した作品である茶室「天籟庵(てんらいあん)」が移築され、平成11年(1999)に登録有形文化財となっています。


記念館横にあるこの庭園は名前を「三玲」といい、孫にあたる重森千青(ちさを)氏の作品です。


公民館の受付を訪ねると、大きな七夕が飾ってありました。


地元の三玲の作品を紹介する大きなボードがありました。

御用の方は、公民館受付まで、と書いてあったので、早速受付を訪ねお庭を見せてもらうようお願いしました。すると担当の女性の係の方が、鍵を持って出てこられ、慣れたしぐさで案内をしていただきました。
お庭は、資料館の裏側にありました。茶室と何とセメント製の小さな庭園、こちらは撮影禁止になっていました。係の方によりますと、撮影に気を取られて、飛び石でころんでしまう方も出たため、安全のためそのように決められたのだとか。私も何度か、「飛び石の上を歩いてください」とやさしく注意を受けました。
茶室は何と若干18歳の時に設計した三玲の作品だとか?
隣に立派な社が見えたので、尋ねると吉川八幡宮だそうで、このあと境内を散策させてもらいました。


吉川八幡宮は国の重要文化財


石の鳥居をくぐると


見えてくるのが、県の重要文化財に指定されている吉川八幡宮随神門


向こうに見えてくるのが、国の重要文化財に指定されている本殿。


社伝によれば、平安時代の後期・永長元年(1096)に京都の石清水八幡宮の別宮として創建。
三玲も保存活動に尽力したそうです。


境内にとても大きな古木がありました。

賀陽支所の中庭にある友琳の庭

次に訪ねたのが、賀陽支所にある三玲の作品です。資料館から15分ほどの距離でした。
賀陽支所は、とても近代的な建物です。その中庭にあるのが、「友琳の庭」です。
当初は京都友琳会館のため作成したものですが、閉館に伴い2002年に出身地の吉備中央町のこの支所に移築されたものです。
中央部の幾何学模様は、束熨斗(たばねのし)をデザインしたものだとか。まさに三玲の和モダンを象徴した作品だと思います。周囲に苔と石組みの島が配置された池泉回遊式庭園となっています。
小さな人口池の水は絶えず循環しており、どこか清々しさを感じました。



立派な支所の建物


真っすぐ進むと、庭園がありました。


びっくりするくらい斬新なデザインです。中心の幾何学模様は、束ね熨斗(たばねのし)をイメージしているとか。熨斗(のし)とは、熨斗鮑(のしあわび)の略称で、アワビの肉を薄く長く剥ぎ、引き伸ばして乾かしたもののことで、江戸時代以降、古事の贈り物や引き出物に添えられたのが始まりとされています。これを細長く帯状にし、何本か重ねたものを「束ね熨斗」と呼んでいます。


真横から見たところ


中心をご覧のような石組が、いくつも取り囲んでいます。水は循環し想像以上にきれいです


一番奥側から見たところ


苔と石組は落ち着きます


このような大きな石を使ったものもあります

このあと、帰途につきましたが、途中、高梁市の江戸時代・小堀遠州により作庭された純和風の頼久寺庭園に立ち寄りました。

高梁市 頼久寺庭園


頼久寺(らいきゅうじ)は、足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つです。


その中にある国指定名勝の庭園は、備中国奉行・小堀遠州(こぼり えんしゅう)の初期の作庭で(1605年頃)、禅院式枯山水蓬莱庭園です。俗に「鶴亀の庭」と呼ばれる天下の名園で、はるかに望む愛宕山を借景に、砂の波紋で海洋の感じを出し、中鶴亀二島の蓬莱石組、鶴島の三尊石組を配し、さらに、大海の波のあらわすサツキの大刈込みで背景を整えています。この豪華な大刈込みは、遠州独特のものです。(高梁市HPより)


丸窓から見る額縁庭園


ガラスに描かれた富士と帆掛け舟


犬養木堂の書がかかっていました


頼久寺庭園 はるか向こうに見えるのは愛宕山


大胆なサツキの刈込は遠州独特のもの、青海波(せいがいは)と呼ばれる


この素晴らしい景観を独り占めでした


裏庭にスイレンが花をつけていました


かわいい童地蔵が見えました


シオカラトンボが頭にとまったので、スイレンを王冠に見立てて撮影してみました

最後までご覧いただきありがとうございました。

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久しぶりに倉敷美観地区を訪ねました。岡山県倉敷市

2021-08-05 22:58:04 | 古い町並み
訪問日:令和3年7月19日

朝から青空が広がり天気は上々。先々週の蒜山に続いてまたまた外出です。今回は、岡山県一の観光名所である倉敷美観地区を久しぶりに訪ねることにしました。時刻は10時ごろ、随分気温も上がってきました。飲料水を準備して出発です。

倉敷アイビースクエアの正門から入り、広場の隅にある小さな人工池のカメをいつものように撮影。スイレンもピンクの花を咲かせ、ゆったり泳ぐニシキゴイとのコントラストが実に絵になっています。

倉敷川の枝垂れ柳の並木は風にゆっくり揺られて、まさに真夏の風情。観光客は意外なほど少なく閑散としています。
中橋たもとの人力車もどこか暇そうでした。倉敷川では、川舟流しの舟が音もなくゆっくり進んでいます。
倉敷館観光案内所は永く修復中でしたが、その工事も完了し、久ぶりに白亜の外観を見ることができました。石橋や柳とマッチし、時代はまさに明治、実に美しく感じます。
中に入ってみると、エアコンの効いた1階は、広々としていて奥に係の方が待機、自動販売機が置かれ、観光案内のパンフレットはとても充実しています。エレベータが設置され、2階も休憩所となっています。窓からの眺めも素晴らしいのですが、残念ながら安全のためか戸は少ししか空かず、カメラを外に出しての撮影はできません。

大原美術館に隣接した、新渓園(無料)に入ってみました。
春には、ひな人形が一面に飾られる広い座敷には、1組だけのお客さん。寝転がりたい気分ですが、周囲の目もあり、なかなかそうはいきません。
新渓園を出て周辺を散策しました。保育園があり、裸足の元気な園児たちが、手を振って応えてくれました。


倉敷アイビースクエア KURASHIKIIVY SQUARE

倉敷アイビースクエア付近のコイン駐車場に車を駐めて、スタートです。

レンガ造りの大きなアーチ状の正門は倉敷アイビースクエアのシンボル


ホテルの玄関 夏らしい青空が美しい


イベント会場にも使用される中庭広場


整然と並べられたスイレン、ニシキゴイがゆったり泳ぐ


ピンクのスイレン


石の上で混み合うカメ 近づくと察知して水に飛び込む


かつての紡績工場の面影を残す通路


ツタで覆われた建物 アイビー学館


「倉紡記念館 」1888年に倉敷で創業したクラボウ、 その130年以上の歴史を紹介している


左右対称のレンガ造りの建物

美観地区側の西門入り口を出ると、倉敷川に続く小路は土産物店が並ぶ


倉敷川に続く小路


道路の右手は、本町通りに続く美しい町並み

倉敷川に出た


正面、川向こうの建物は、倉敷民芸館


石造りの中橋と倉敷館観光案内所は、一番の撮影スポット


倉敷珈琲館のレトロな看板


くらしき川舟流し
かつて物資を積んだ川舟の往来でにぎわった倉敷川。. その風情を味わえる観光川舟が運行されている


町並みと川舟と枝垂れ柳は実に絵になる被写体

倉敷館の中に入ってみた


1917(大正6)年に倉敷町役場として建てられた洋風木造建築。現在は観光案内所として観光ガイドや観光施設などの紹介を行うほか、無料休憩所として自動販売機やコインロッカー、トイレを備え、くらしき川舟流しのチケットを販売している。
令和2年2月16日に改修工事が終わりリニューアルオープンした。


2階にはエレベータを利用する


中橋から見る倉敷川と町並み


川沿いの枝垂れ柳の並木


ハギも植えられている


今橋から見るお馴染みの景色 ビル群が入らない奇跡の構図、往時の面影を伝えている


大原美術館は、1930(昭和5)年に設立された日本初の私立西洋美術館。倉敷の文化発展に貢献した事業家・大原孫三郎によって創立された。


エルグレコ cafe EL GRECO
大正ロマンを残す建物。この喫茶店の名前は、元々大原美術館に展示されている絵画、「受胎告知」の作者エルグレコの名から大原総一郎により名付けられた。

美術館横の路地を歩いてみた



新渓園 お広間から庭園を眺める 大原家から現倉敷市に寄付され広く一般に開放されている


若竹と白壁のコントラストが美しい


倉敷川沿いの有名な和菓子店。看板は町並みに配慮したものとなっている


さわやかなフヨウの花。町並みに彩を添えている


倉敷館まで戻ってきた

本町通りに向かう

このあと、向かったのが本町の町並みです。倉敷美観地区内最古の町屋で重要文化財の井上家住宅、外観はほとんど修復が完了しているように見えますが、完成までにはあと数年を要するようです。
緩やかにカーブした町並み、昔から続く畳屋、旅館や造り酒屋、新しいお店などが一体となって元気に息づいています。江戸から昭和にかけての町並み、どこか懐かしい感じがします。
道路を挟んで、東町まで足を延ばし撮影したあと引き返しました。
最後に、倉敷珈琲館でアイスコーヒーと思いましたが、ここは我慢し引き上げることにしました。



本町通りに向かう途中にある路地、白壁となまこ壁がいかにも倉敷らしい


本町通りの途中にあり、アイビースクエアの西門入り口前に続く道


静かな本町通り、実に美しい


緩やかにカーブしているところに何とも言えない味わいがある


映画のセットのような連続した江戸時代の雰囲気を残す町並み


新しいお店もできて、絶えず進化する町並み


すり減った石段、時代を感じる瞬間


本町通りの終点あたり、振り返ってみたところ

東町にやってきた

本町通りに続く東町の通りも歴史と生活感が絶妙に調和し、静かな暮らしを垣間見ることができます。古い町並みのあちこちに見かける軒屋根看板や井戸跡などに往時の面影を見ることができます。


楠戸家住宅 楠戸家は「はしまや」の屋号を持ち,明治2年の創業以来,今日も呉服店として営業が続けられている


東町の町並み 本町通りよりさらに静かな佇まい


現在も残る道標


竹製の風鈴?


実に絵になる造形、何に使われるものでしょう

本町通りに戻ってきた


民家やお店が混在し、活気づく町並み


倉敷川に続くお気に入りの一枚


倉敷考古館は、なまこ壁の極み

最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は、重森三玲のふるさと吉備中央町を訪ねます。







 



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