未熟なカメラマン さてものひとりごと

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しっかりもののおばあちゃん 吹屋にて

2014-09-03 21:44:39 | 古い町並み

重要文化財 片山家住宅

8月30日(土)、久しぶりに夏らしい青空が見えたので、初秋の被写体を求め、ひとり、吹屋に行ってみることにしました。吹屋は、昭和49年に岡山県のふるさと村に認定され、昭和52年には文化庁から、国の重要伝統的建造物群保存地区にも認定されています。山あいの小さな町ですが、その昔、銅山とベンガラで大いに繁栄した歴史がありました。

銅山の歴史は、平安時代にさかのぼりますが、特に繁栄を極めたのは、江戸時代、泉屋(住友の前身)の一次、二次の経営時代、そして、その後、明治に入ってから、三菱の岩崎弥太郎が巨額の資金を投じた頃です。当時、日本三大銅山と称され、従業員は1600名を超えたとも言われています。
住友は、その後、別子(愛媛県)に拠点を移しましたが、いずれにしても日本の2大財閥がこの吹屋でその礎を築いたことは、間違いありません。

吹屋の町並みの特徴は、石州瓦の赤い屋根と、ベンガラで塗られた建物です。ベンガラは、江戸時代、銅山の捨て石である硫化鉄鉱を焼くとベンガラの原料であるローハが出来たことから偶然に発見されました。この町並みの多くは、そのようなベンガラで財を成した者たちが建てたものです。
しかし、この町並み、あまりにも一体感が有り過ぎて、まるで映画村のセットのようにさえ感じられますが、これは、個々の屋敷が豪華さを競うのではなく、旦那衆が石州から宮大工の棟梁たちを招いて全体が統一されたコンセプトのもとに建てられたことによります。
さて、話は現代に戻ります。
今は、道も随分良くなりましたが、その昔、対向車が来たらどうしようと思うような細い山道を進んだ先に、こつ然と姿を現す町並みには、感動を覚えたものです。

観光駐車場に車を停めると、ちょうど観光バスが時を同じくしてやってきました。ナンバーを見ると、名古屋とありました。そして‘なにわ’ナンバーの車もありました。随分遠くから来ていることに、岡山県人としてうれしくもありました。駐車場の前から通りを見下ろすと、道はゆるやかにカーブし下っています。この下ったカーブが、町並にさらに情緒を与えています。

中ほどに修復中でしょうか、ブルーシートが張られた建物が一軒ありました。正面から町並みを撮ろうと思うとどうしても視覚に入ってしまいます。被写体として誠に残念ですがこればかりは仕方ありません。バスから降りた観光客が通りに出たため、あたりはいっぺんに賑やかになりました。お店の主人でしょうか、忙しく往来を走っていました。通りに相変わらず空き家が目立つのは残念ですが、建物自体はなんとか維持されているようなので安心しました。(つづく)



吹屋の町並み この辺りまでくると人影はほとんどありません。
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