未熟なカメラマン さてものひとりごと

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亀老山展望公園からの絶景 愛媛県今治市吉海町(しまなみ海道・大島)

2012-01-26 22:12:48 | 観光名所
昨年の秋、社会保険委員会主催の健康ウオークで来島海峡大橋を横断した際、起点となったのが、下田水港(しただみこう)でした。この港の一角にあるのが、道の駅「よしうみいきいき館」です。そして、ここの名物が、七輪でのバーベキュー。今時、七輪というのがめずらしく、なぜか、普通の炭火焼きやガスよりもおいしそうに思えました。この時のいい匂いが忘れられなくて、いつか機会があったら一度、食してみたいと思っていました。
ということで、先日、機会もなにもありませんでしたが、天気がよさそうだったので車を飛ばして、大島に行ってみることにしました。ガソリン代や高速道路の料金を考えると随分、高くつくわけですが、それを言ったらどこにも行けません。



穏やかな下田水港です。

まず、建物内の鮮魚コーナーで魚介類を選びます。めんどうという人にはコースもあります。バーベキューというだけあって、野菜やウインナー、お肉類もありました。でも、お値段は決して安くありません。(ちなみに牡蠣1個=300円)レジを済ますと、建物に付属するビニールで仕切られたバーベキューコーナーへ移動。バーベキュー担当の方がいて、二人にひとつ、手際よく七輪を置いていきます。周りは、360度密封されていますので、寒くはありません。
牡蠣を焼いているとき、突然パーンと破裂し、破片が周囲に飛び散りました。このようなことは初めての経験なので、一瞬、何が起こったのかと思いました。あとで知り得た情報によると、「牡蠣を炭火で焼くときは、最初の15秒ほど平らな方を上に向け、開く方を反対に向けて焼くとよい」とありました。最初、入場者は少なかったのですが、お昼時ともあって、あらよ、あらよと増え、そしてあっという間にいっぱいになりました。



亀老山展望台から見る来島海峡大橋

お腹が膨れたところで、大島の観光名所・亀老山展望台を訪ねてみることにしました。鬼老山は、大島の南側に位置し、標高は307m。展望台に続く道路は、きれいに整備されてとても爽快です。標高が高くなるにつれて、眼下に瀬戸内海、そして来島海峡大橋が見えてきます。途中、何度も車から降りて撮影しました。展望台駐車場は、広くゆったりとしていましたが、停まっている車は、季節がらたったの数台でした。駐車場から展望台へ続く階段は、山の中にスリット状に縦に切り込んだ設計で、景観に配慮されているようです。両側がコンクリート製の重厚な作りでとてもしゃれている感じがしました。そして展望台へ。展望台は2箇所ありました。それをつなぐ木製の橋。それにしても、何という美しさでしょう。ここから眺める瀬戸内海は360度の大パノラマ、特に来島海峡大橋は、眼下に一望でき実に壮観です。しかし、天気はそれほど悪くありませんでしたが、霞がかかって視界がやや不良、というのが少し残念でした。
でもしまなみ海道、随一と云われるだけのことはあります。晴れた日には、西日本最高峰、石鎚山も眺めることができるそうです。また夕日が沈むころの景色は、それは美しいそうです。



愛の南京錠

少し、気になったのが展望台の保護用のワイヤーにしっかり留められていたいくつもの「愛の南京錠」です。誓いの言葉と名前がマジックで書かれています。若いカップルの愛の証しなのでしょう!「あー、うらやましい」でもロックしたあとのキイはどうするのでしょうか。そんなことを想いながら亀老山をあとにしました。


帰りに尾道・千光寺にお参りしてきました。
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鞆の町をぶらり (広島県福山市)

2012-01-18 22:22:52 | 古い町並み

万葉集にも歌われた、潮待ち、風待ちの鞆の浦

買い物でお隣の町、福山に出たついでに、またまた鞆の町をカメラ片手に散歩してこようと思いました。当日は特別寒くもなく風もなく、青空が広がる絶好のお出かけ日和でした。鞆に向かって進むと、途中、消防出初め式があるらしく芦田川にかかる橋の下の河川敷には何台も赤い消防車が並び、ちょうどバトントワラーの妙技が行われていて多くの車やファミリーで賑わっていました。また、空を見上げると飛行船が音もなく飛んでいて、どこかに車を停めて撮影しようかどうしようかと迷っているうちに、あっという間に広島方面に行ってしまいました。飛行船は以前にも見たことがあり、飛行ルートになっているのでしょうか。

今日は、あまり時間がなく、ほんとにぶらりという感じです。福山市の中心部から鞆までの所要時間は約20分。いつものとおり市営駐車場に車を入れ、海外沿いの歩道を歩いていると、サヨリの天日干しをしている漁師さんの露店があり、もう少し歩くと、防波堤の上で、釣り糸を垂れる人がいました。「ここで釣りをしてはいけません」と書かれた立札が立っていましたが、お構いなしのようでした。鞆の浦の観光マップには「こりゃ、つれるで!」と人のイラスト描かれており、終始一貫していないようです。
以前はこの海岸通り、違法駐車が目立ちましたが、規制がかかりとてもすっきりしています。竜馬伝のころは、相当な賑わいでしたが、随分落ち着いてきました。
仙酔島行きの渡船乗り場から、「平成いろは丸」が出航していました。真っ黒い船体で、相変わらず異様な雰囲気です。
久しぶりに対潮楼に寄ってみようかと思いながらも、まっすぐ進むとそこは鞆港です。漁船がたくさん停まり、港の向こう側には、常夜灯、いろは丸展示館、そして右側の港の奥には、雁木とよばれる石の階段があり、このあたりはまさに撮影スポットです。港に沿って歩き、路地を通って常夜灯、いろは丸展示館前の広場に出ます。
鞆港は全国的にめずらしい江戸時代の港湾施設がそろって唯一残っているところです。この町が架橋問題で揺れています。最初に提起されてから実に29年、まだ決着がついておりません。

次に古い町並みの小路を通って、医王寺に行ってみることにしました。緩い坂道を歩くこと10分、医王寺太子殿参道と書かれた石柱が見えます。医王寺からの眺めも鞆を代表するスポット。一番の場所は、鐘楼前のベンチですが、残念なことにご夫婦がずっと座っていました。別に邪魔をするわけでもないのですが、せっかくなのでひとつ鐘をついてみました。ちらっと振り返ってみるものの、動きそうにないので、少し遠めからの撮影です。



サヨリの天日干しは鞆の名物

ここから、鞆の浦が一望できるのですが、さらに見晴らしがいいのが、太子殿からの眺望です。一度だけ行ったのですが、さらに数百段を登らなければなりません。この道は、あのシーボルトも登ったという記録があるそうです。
医王寺からの帰り、いつものカフェ「友光軒」に寄ってみました。奥さんがお客さんに架橋問題の説明をしていました。おそらく質問を受けたのでしょう。私も「その後、どうなっていますか?」と尋ねると、明日、住民への説明会が昼中にあるとのこと。「お仕事を持っている人は出れないですよね。鞆地区の住人もだんだん少なくなって、5000人を切りましたよ。」
「奥さんは、架橋に賛成、反対?」と尋ねると、「お客さんはどう思われますか?」と逆に質問を受けたので、「この海の景観は、できることなら残してほしいですね」というと、「外からの人は、皆さんそうおっしゃるんですよ」とのこと。それでも、「住人の数が随分減ってきたので、以前ほど橋の必要性はなくなったのでは」、とも言われ本音が少し見えた気がしました。
帰りに海岸沿いにあった露天で、サヨリの天日干しを買って、鞆をあとにしました。


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高校女子駅伝 宿命のライバル興譲館高校と豊川高校

2012-01-14 23:28:00 | スポーツ

トップを走る豊川高校ワイナイナ選手と追う興譲館高校岡選手

昨年師走に都大路で開催された高校女子駅伝。興譲館高校の連覇は、残念ながら成りませんでした。1区で頼みの菅選手が出遅れ、予想外の6位。これが最後まで尾を引き、ライバル豊川高校に勝利を許してしまいました。先行逃げ切りで最終5区までに30秒離しておきたいという森政監督の思惑は見事に外れ、逆に4区終了時点で8秒の差をつけられ豊川高校の圧勝となりました。
今回、興譲館高校も豊川高校も、メンバーに各区間とも1位の記録はありませんでしたが、結果、1位と2位という、選手層の厚さを立証する大会となりました。

大会前にNHKで放送されていた「常に挑戦者」というドキュメンタリー番組を見ました。菅選手を中心に、連覇に向けて頑張る選手達の苦悩、そして彼女たちと寮で共に過ごしながら指導する森政監督を描いた番組でした。前回、1区1位というプレッシャー、「勝たないとカタにならない」という菅選手。そういう強い思いとは裏腹に調子があがらず、さらにあせりが見えていました。監督の「早い選手よりも強い選手が欲しい」ここ一番のときに、力を発揮できる、ということでしょうか。

菅選手、インターハイ3000mでは、まさかの8位、最後のラストスパートについていけません。それでも、12月に長崎で行われた記録会、5000mで自己新を出していたので、実は期待もしていたわけです。その期待もむなしく、昨年の都大路で見事なラストスパートを見せたあのときとまったく逆の展開となってしまいました。
しかし、驚いたことに菅選手のタイムは優勝した前回より2秒も早かったのです。今回の1区は、昨年の区間記録を上回る選手が6名もいるハイレベルな戦いとなりました。豊川高校の安藤選手も前年1区を走りましたが、このときの菅選手のリードは19秒もありました。その後、豊川高校も追いあげましたが、かなわず興譲館が豊川高校の連覇を阻んだのでした。

花の1区とはよくいったものです。最長区間であり、各校ともエース級の選手をそろえるため、そう呼ばれているのですが、一番記憶に残っているのが、16回大会の山梨学院大附属高校のモラーフィレス選手との死闘を演じた新谷選手です。抜きつ抜かれつ、そして離され、もうだめかとあきらめかけたとき、最後の最後でまた抜き返すあのねばり、岡山県人ならずとも感動を覚えた方も多かったのでないでしょうか。また17回大会の時に出した18分52秒は今も破られていません。今大会の1区の記録と比べると、実に30秒近くも早い驚異的な記録でした。

とはいえ、菅選手の活躍を私たちは決して忘れていません。彼女がいなかったら昨年の優勝もなかったでしょう。感謝あるのです。さて続く2区、3区、4区の興譲館の1年生トリオも素晴らしい走りでした。伸び盛りの1年生、今後も大いに期待したいところです。そしてこの4区の終了時点で、豊川高校に8秒差、勝負あったという感じです。5区の岡選手もよく奮闘しました。最初の出だしでは、すぐに離されましたが、徐々に追い上げ一時、9秒差まで迫って見せ場を作ってくれました。区間順位も日本人選手のトップの5位。堂々たる走りでした。

興譲館の選手の最大の特徴は、軸がぶれないこと、これは競歩をベースにして練習している成果のようです。躍動感はそれほど感じられませんが、安定感は抜群です。それほど速く見えなくても結構速い、そんな感じでしょうか。そして、伝統の「笑顔のたすきリレー」。私たちは、随分この笑顔に癒されました。
そして忘れていけないのが、キャプテン岡崎選手の存在です。駅伝では菅選手のサポート役を務めましたが、チームのムードメーカー、そして開会式の選手宣誓は胸を打つものでした。
(選手宣誓全文)
私たち選手一同は、決して忘れることができない2011年の師走に、この都大路を走れる喜びを今かみしめています。東日本大震災を目の当たりにし、当然のように競技ができること、また支えてくれる家族や仲間のありがたさを改めて実感しました。その感謝の心を胸に、全国の皆様に希望と感動を届けられるよう前を向いて伸び伸びと、明るい未来へつながる絆のたすきリレーをすることを誓います。

 それから、豊川高校には、ケニア人留学生がいます。平成18年の大会から高体連は、「1区を除く区間で、外国人留学生は1人」としました。その理由は、「終盤まで競い合いを続けるための措置」としています。これにより、当然のことながら次に長い5区を留学生が走ることになりました。留学生の起用については、意見もいろいろあるところですが、優勝インタビューに答える留学生に違和感を持つ方も多いのではないでしょうか。

豊川高校には、素晴らしいタイムを持った1年生がいると聞いていますので、ワイナイナ選手が卒業していない今年(平成24年)の大会には、是非、日本人選手で堂々と勝負をしてもらいたいと思います。
さて、15日には全国都道府県対抗女子駅伝があります。彼女たちがどのような活躍をしてくれるのか楽しみでしかたありません。

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