未熟なカメラマン さてものひとりごと

ようこそ、おいでくださいました。

何とタマムシを使って製作された茶道具が現代にあった!!

2020-07-28 00:08:40 | 昆虫
投稿日:令和2年(2020)7月27日(月)
(生きたタマムシを発見!)
勤務先近くの歩道で、一匹の昆虫を発見しました。よく見ると、タマムシ(ヤマトタマムシ)でした。
死んでいるのかと思って、触ってみると、何と生きているではありませんか。




足をしきりに動かしていたので、早めに写真に撮っておこうと、カメラを準備し急ぎ会社に戻りました。
受付カウンターの上に置き、何枚か撮影しましたが、今にも飛び立ちそうでした。
そしてついに飛翔、玄関の自動ドア付近に落ちてしまいました。
そのとき、突然、同僚が帰ってきて思わず踏みそうになり、「うわ!」と顔を背けましたが、何とタマムシは無事だったようです。
やれやれと、玄関先の植え込みに離してやりました。



今にも飛びそうなタマムシ

過去のブログで、ご紹介した、「タマムシの死骸を発見!」前回見つけたタマムシはもう7年前になります。
タマムシの羽は、ご存知のとおり独特のグリーンと赤の金属色。見る角度によって微妙に色を変えます。まったく劣化しないので、いつまでもきれいなままです。飛鳥時代の玉虫厨司に用いられたのもわかりますね。
私も前回のタマムシ(死骸)を大事に保管しています。

このタマムシ、我・田舎の街中でもほとんど見かける機会がなく、私の人生で記憶にあるのはたった数回です。
情報によりますと、タマムシが成虫として活動するのは、7月の後半。おもにエノキやケヤキの上の方で飛び回っているとか。

会社の玄関先にも何本かのケヤキが植栽されていて、先日業者が剪定したばかりでしたが、その匂いに誘われてやってきたのでしょうか。
タマムシの成虫での寿命は、1~2ヶ月、その間に相手を見つけて子孫を残さなくてはなりません。
全国的にも絶滅危惧種に指定されるケースも多いようですが、果樹園では害虫として疎まれていることもあるようです。何とかうまく共存できるといいですね。


(何とタマムシを使って製作された茶道具が現代にあった!!

ネットで、いろいろ調べているうちに、とある美術館に、タマムシ(以下、玉虫)を使った茶道具があるとの情報を得てびっくり。
この茶道具が展示されているのは、飛騨高山にある、茶の湯美術館です。


館のホームページによりますと、1300年前(飛鳥時代)に作られた法隆寺の国宝「玉虫の厨子」に魅せられ、その輝きを現代に再現しようと考えたのがきっかけとなり、中田館長が石川県輪島市の職人に製作を依頼したそうです。
そして、輪島の伝統工芸士ら約数十名が、産卵後死んだ玉虫の羽を利用し2年の歳月を費やして完成、玉虫を使った日本で唯一の漆芸作品が完成したのでした。

もちろん輪島では初めての素材であり試行錯誤の末、小振りで円形の物が多い茶道具に玉虫の羽を隙間なく貼り詰める方法を考案したそうです。
はじめに羽裏を薄く削り色ごとに選別したものを2ミリ角にカットし、輪島塗の漆器の表面に一片ずつ貼り付けて仕上げていくという、気の遠くなるような作業工程です。
まさに輪島の職人の技と根気強さが結集した作品です。
私も、茶道を習う一人として、いつの日か、その茶道具を拝見したいと思いました。

宮城県仙台市に似たような呼び名の工芸品・玉虫塗があります。こちらは、実際に玉虫を使うのではなく、塗りを重ねることによって、光の加減で色合いが微妙に変わり、玉虫の羽の輝きと似ていることから、玉虫塗と名づけられたそうです。


(ご参考と宣伝)
タマムシに興味を持たれる方も多いようで、私の関連記事には、多くの方にお越しいただいているようです。
このタマムシを含め、このブログでの人気記事をご紹介させていただきます。
興味をお持ちになりましたら、是非覘いてみてください。

ブログ名:未熟なカメラマン さてものひとりごと 人気記事・最近3か月のベスト5
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第5位 NHK BSプレミアム『八つ墓村』ロケ地を訪ねて その2矢掛編(2019.11.25投稿)357PV

当ブログで使用した画像のご紹介
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鞆の浦 ディープな午後の町並みを歩く! 広島県福山市鞆町

2020-07-23 23:22:47 | 古い町並み
令和2年7月13日(日)
福山市内に用事があって出かけましたが、時間に余裕ができたので、久しぶりに鞆の浦(鞆町)を訪ねてみようと思いました。(福山市中心部から車で約30分、日本遺産、重要伝統的建造物群保存地区選定)
時刻は、すでに午後3時過ぎ、おまけに曇天で被写体としては、期待もできませんでしたが、なにか、ディープな鞆の浦に出会えるかもと、ほんの少しだけ期待もありました。


(圓福寺付近)

仙酔島への市営渡船場横の駐車場はこの時間でも、ほとんど埋まっていました。まずは圓福寺方面に歩いてみることにしました。石段を登ると、正面に猫が1匹、寝そべっていて動く気配もありません。仕方ないので、脇を抜けると、今度は別の猫がやってきて、足にまとわりつき、体を寄せてすりすり。この辺りは鞆の浦一の猫に会える場所となっているようです。


千鳥食堂 レトロな雰囲気の漂う外観が「何とも素敵。昔この辺りは有磯(ありそ)地区と呼ばれた遊郭街。隣のわずかなスペースに建つ3階建ての木造の建物は100年前は遊郭だった。


汀邸 遠音近音(をちこち) 江戸時代創業の旅籠・「籠藤(かごとう)十返舎一九や井伏鱒二、シーボルトなど数多くの文人に愛されてきた旅籠」が、新しく生まれ変わった温泉旅館。


急な石段を上る


お昼寝中のネコちゃんに遭遇。


さらにもう一匹、この辺りは鞆の浦一猫に会えるところ


振り返ってみたところ


圓福寺 いろは丸事件の紀州藩の宿舎として利用されたり、かつて朝鮮通信使の上官の常宿となっていた。


鞆港が見える


路地は、どこか懐かしい

(波止場・茶房船番所)

円福寺の石段を下ったところで、道端にハイヒールが脱ぎ捨てられていました。何だろうと、その先を見ると、何でもないところでカメラマンがモデルの撮影を行っていました。
このあたりは、港のはずれの波止場に近いところ、漁船や定期船が目の前を行き交います。
ちょうど、左手の山道を少し登ったところに新しいカフェでしょうか。ガラス戸に人の気配がありました。寄ってみたい気もしましたがあまり時間に余裕がないので、あきらめ常夜灯方面に歩いてみることにしました。



茶房・船番所 右側の急な石段を上がると、古民家を利用したカフェがある。お店からの眺めは特に素晴らしいとか


もう少し回り込むと小さな神社がある


ここからの眺めもなかなかのもの。仙酔島が見える。


波止場から見る鞆港

(常夜灯付近

ここは鞆の浦のランドマーク、若い人が多く、雁木(がんぎ)に腰を下ろして港を見つめるカップルや、店先の外でテーブルを囲み雑談をする人の姿もありました。
このあと、重要文化財の旧太田家住宅の裏側に回り、外壁の腰板に使用されている船板を撮影した後、医王寺に向かいました。ちょっときつめの坂道、境内に人の姿はありません。



常夜灯付近の様子。波止場から望遠にて撮影


多くの観光客で賑わっているようです。


雁木は、潮の干満に関らず船着けできる石階段。満潮時には最上段が岸壁となり、干潮時には最下段が荷揚げ場となる。
近年大規模な改修が行われた。(色の白い部分)


右側の建物は、朝宗亭。藩主の滞在にも使われた町家で、太田家(旧保命酒屋)の格式ある別邸


路地、右の建物は民芸茶処「深津屋」腰板に使われている船板に情緒を感じる


太田家住宅前の通り 重伝建にふさわしいきれいな町並み


常夜灯前の広場。鞆の浦のランドマーク


港の風景


太田家住宅の裏側、腰板に船板が使われている


友光軒 1917年(大正6年)ごろに散髪屋兼銭湯として建てられた、鞆町で初の洋館。
ハヤシライスやオムライス、カフェの店として経営者は変わったが現在は営業していない。私も何度か利用させてもらった。

(医王寺、さらすわてい)


坂の途中にあった明圓寺は、浄土真宗大谷派の寺院


医王寺に到着。最後の石段。


ここは、鞆の浦一のビュースポット。晴れていないのが残念


常夜灯付近をアップで見る


鐘楼前は一番の特等席

鐘楼付近から、港を数枚撮影したあと、冷たいアイスコーヒーで喉を潤そうと坂道の途中にあるギャラリー喫茶「さらすわてい」に立ち寄ることにしました。
こちらは、2度目ですが、静かで落ち着いた雰囲気が気に入っています。古民家を再生した建物で、玄関を入ると入り口に蚊取り線香(お香兼用?)が炊かれていました。ここからの眺望は抜群で、港が眼下に見えます。

店では、ご主人が1人で店番のようです。中ほどの民家調のテーブルでアイスコーヒーをいただきましたが、お庭側はすだれがかかるだけの開けっ放し。エアコンは入っていませんが、時おりそのすだれが揺れ、涼しい自然の風が入ってきて何ともいい感じです。
どこからか、猫が一匹静かに入ってきたと思ったら「にゃーん」と一声鳴いてすぐに姿を消してしまいました。
人の声は一切入らず、静かな時が流れます。時間の制約がなければ、あと1時間でも好きな本を読んでゆっくりしたいところですが、そうもいきません。
あっという間に予定の時間がやってきたので、急ぎ、駐車場に向かいました。



医王寺を少し下ったところにある「さらすわてい」


玄関口を上から見たところ。左の窓から鞆港が見える


エアコンは効かしていなかったが、時折心地よい風が通り、すだれが揺れる


静かな空間を独り占め


すだれの外はこんな感じ
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岡山県三咲町‘まきばの館’のラベンダー畑を訪ねて 令和2年7月5日(日)

2020-07-19 14:55:30 | 花の名所
まきばの館 岡山県久米郡美咲町北2272)

今年もラベンダーを見に、美咲町の「まきばの館」を訪ねました。日曜日ということもあって、第一駐車場は満車状態でした。
ただ、園内はとても広いため、それでも閑散とした印象を受けます。
例年なら、団体客の観光バスで賑わうのですが、バスは一台も停まっていませんでした。

視界に広がる緑の草原、実に癒されます。
入園が無料というのもありがたいですね。

肝心のラベンダー(7品種・6000株)ですが、一部、早咲きの品種は終わっていましたが、種類が多く全体的には見ごろが続いているようでした。
ハーブ園もなかなか充実しており被写体には困りません。

西日本最大級のドッグランでは、自慢の愛犬を遊ばす人々、それを周りから見守る人々、愛犬の動き一つ一つに歓声があがります。
園内には、子ども達のための、水の遊び場や、遊具があり、簡易テントを張ってくつろぐファミリーの姿が目立ちました。

肝心の牛や馬は見えないものの、うさぎや、やぎも飼われており、こども達は楽しいことでしょう。



入園口 無料というのがありがたいですね。


ファミリーで賑わう


小川


子どもたちの歓声があがる


入園口の向こうにグラジオラス

(ドッグラン)

広いドッグラン


賢いワンちゃん

ラベンダー園


まだまだ見ごろがつづく


7品種 6000株のラベンダーは見ごたえ十分






ハナバチも大忙し

(ハーブ園)


チョウをたくさん見つけました






今が旬です




アルストロメリア








ダリアの小型品種




アガパンサス


キアゲハの幼虫






誕生寺 岡山県久米郡久米南町里方808)

‘まきばの館’からの帰り、久しぶりに久米南町の誕生寺に寄りました。
誕生寺は浄土宗の法然の生誕の地として知られています。お茶を宋から持って帰った臨済宗の栄西も岡山県の出身ですが、岡山県には宗教家を育む、何かがあるのでしょうか?

山門を潜ると、正面左手にどんと構えるのが、大イチョウです。すでに内部も空洞になっていましたが、たくさんの葉をつけていました。樹齢は伝承850年、まさに神木ですね。

本堂に上って参拝したあと、境内を散策しましたが、人の姿はありませんでした。
こちらには、素晴らしい日本庭園があるのですが、今回はパスしました。



山門


実心大徳によって元禄年間(1688~1704年)に建立された。現在の阿弥陀堂は平成15年に浄土宗ご寺院をはじめ有縁の方々の協力により再建。


大イチョウ




幹周/4. 12m、樹高/10m。樹齢は伝承850年


旅立つ勢至丸 後方の大仏は県下最大


本堂(御影堂) 国の重要文化財


見事な透かし彫り


観音堂


境内を流れる小川


石造宝篋印塔(部分):南北朝時代


広い境内


山門より参道を見る


うどん名店 すぎ茶屋福渡本店 岡山市北区建部町川口1552)

久米南町から、国道53号線を南下、岡山市北区建部町福渡でお目当てのうどんのお店「すぎ茶屋」に到着です。
店前の駐車場は満車状態、もうお昼の1時半を過ぎていましたが、大変な盛況です。
近くを通ったら、こちらに寄るのをいつも楽しみにしています。
麺に対する好みは、人それぞれでしょうが、讃岐うどんの有名店にも決して引けを取らない名店だと思います。

ポワンと弾力のある麺、適度にコシがあっていうことなし。讃岐うどんとは一線を画し、おかやまうどんというのだそうです。
出汁も最高。注文してから、出されるまで、決して待たせることはありません。人気店というのもうなづけます。
近くに行かれたら是非、立ち寄ってみてください。



絶品のざるうどんご賞味あれ 薬味を入れたあと撮影(泣)

最後までご覧いただきありがとうございます。
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香川県丸亀市 中津万象園(なかづばんしょうえん)百本鳥居を訪ねて

2020-07-14 23:31:12 | 庭園
令和2年6月22日(月)
讃岐うどんの人気店「麺処綿谷(わたや)」でボリュームたっぷりのおいしいうどんをいただき、丸亀城を散策したあと、せっかく瀬戸大橋を渡って四国まで来たのに、このまま帰るのはもったいないと、観光パンフレットを眺めしばし思案したのでした。



中津万象園の百本鳥居

そこで目に留まったのが、丸亀市中津の中津万象園(なかづばんしょうえん)の百本鳥居でした。竹やぶに平行して続く朱色の鳥居。どこか風情が感じられ、被写体としても期待が持てるのではないかと思いました。

学生時代、京都の伏見で過ごした私にとって、伏見稲荷大社の千本鳥居は、特に懐かしく思い出されます。こちらの稲荷神社は、その伏見稲荷大社から勧請(かんじょう=分社)されたものです。鳥居は、1993年から企業や個人による奉納が始まり、一昨年で60基、令和になって奉納をよびかけ、ついに念願の100基になったものです。

この中津万象園、敷地内にあるレストランには一度だけ来た事があったのですが、正式に庭園を訪ねるのは初めてでした。資料によりますと、この庭園は、丸亀京極家二代藩主の京極高豊が中津別邸として築堤したのが始まりだそうです。広さは栗林公園の約3分の1の5ha(1万6千坪)もあります。



入園口(東門)


美術館入り口


回廊が続く


青松の庭


うちわの里、海望亭


白鳥観音


茶室・松帆亭


回棹廊 島は橋でつながっている

当日のこの時間は、平日ということもあって、来園者は数組程度、コロナ禍の真最中、ということを考えれば、これも仕方ありません。
併設されている絵画館とのセット券も販売されていましたが、今回は庭園だけにしました。予想をはるかに超える広い園内、手入れも素晴らしく行き届いていて感心します。大きな池は琵琶湖に例えられ、近江八景になぞらえて八つの島が配置された池泉回遊式庭園となっています。

園内には、周囲に配慮して目立たないように、二つの建物が配置してありました。陶器館とうちわの里(海望亭)です。全体的にフラットで、山を借景とした栗林公園とは趣を異にしていますが、完璧に近いほどに、整備された園内は、とても清清しいものがあります。
茶室もいくつかあって、それらが落ち着いた景色となっています。



大傘松は、樹齢600年


大傘松と母屋(茶室)


観潮楼は、江戸時代後期の煎茶茶室


池にかかる松の枝が美しい


筆海亭を臨む


大傘松から稲荷社を望む


稲荷社から大傘松を望む


竹林と鳥居


竹林と鳥居


百本鳥居


イチョウの木


実をつけていた


全景


園内


邀月橋(ようげつばし)


水蓮橋

さて、お目当ての百本鳥居は、竹林に沿って稲荷社に連なっており、真新しくて、とてもきれいで雰囲気はありました。引き続き寄進が増え、間隔が蜜になれば、さらに見栄えがよくなることでしょう。今後、できれば鳥居の下を石畳にしていただければ言うことはありません。京都伏見稲荷の鳥居を一手に引き受けている長谷川工務店によると5号で、もって7~8年だそうで、同じ大きさのこちらでの維持管理も大変だと思われます。

鳥居で雰囲気を楽しんだ後、シンボルとなっている邀月橋(ようげつばし)から、園内を眺めるとこれまた絶景、絵になる景色が広がっています、最後に水面ぎりぎりに配置されている水蓮橋、蓮の葉の形がイメージされた飛び石が、ほどよい高さで連なり、京都の鴨川や平安神宮神苑を彷彿とさせています。

途中、休憩しながら散策するとちょうど1時間ぐらいでしょうか。時間的にも距離的にもほど良い運動になりました。また違う季節にもう一度訪ねてみたいと思いながら万象園をあとにしました。

(公益財団法人中津万象園保勝会 中津万象園・丸亀美術館)


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うどん県丸亀市 讃岐うどんの人気店・綿谷(わたや)と丸亀製麺 

2020-07-12 23:41:51 | うどん
令和2年6月29日(月)
久しぶりに四国は香川県丸亀市を訪ねました。仕事先で、大手警備会社の倉敷支店長さんが、赴任のあいさつに来られた際、雑談の中で讃岐うどんの話になりました。
この支店長さん、丸亀出身ということで、自信満々に、讃岐うどんのおいしい店を力説されたのです。

私も、讃岐うどんには目が無く、近年ひいきにしている、森田さんの「もり家」を初め、「山越うどん」、「うどんバカ一代」、「うどん本陣山田家」など、おいしかったというと、この支店長さん、丸亀の「綿谷(わたや)」に是非行ってみてください。
特に「肉ぶっかけ」は、最高においしいですよ!とおっしゃるのです。


麺処綿谷

そこまでおっしゃるのではと、平日でしたが、瀬戸大橋を渡って丸亀市を訪ねることにしたのです。
自宅から香川県坂出ICまでちょうど1時間、まず行き先を丸亀城にセットしました。
そして丸亀城に着き駐車場を確認したあと、お目当ての人気店、「麺処綿谷・わたや」を訪ね、先に昼食を摂ることにしたのです。



外観はまるで倉庫のよう


ボリューム満点のうどん

時刻は11時ごろでしたが、駐車場にはすでにたくさんの車がありました。
店内に入るとびっくり、ざっと100人ぐらいの人がすでにテーブルに座り食べているではありませんか。
まるで、大会社の社員食堂のようでした。


一玉ですか?と聞かれ、ハイと答えたと思います。とにかく注文してから出るのが早い。HPによりますと、注文してからレジを終えるまで、一人当たり10秒との設定のようです。
日曜日が定休日ということから、お客さんは主に会社勤めの人や、地元の人だと思います。とにかく、貴重な昼休みの時間を無駄にしないようにいかに早くさばくかが命題です。

麺は少しだけ柔らかめでボリュームたっぷり。それで安いときてますから、人気店というのもうなづけます。おいなりもいただきましたが、こちらも大きめ、お腹がいっぱいになってしまいました。


丸亀市と丸亀製麺

ところで、讃岐うどん、丸亀ときてすぐに頭に浮かぶのが「丸亀製麺」ではないでしょうか。
丸亀製麺は、47都道府県はおろか、世界各地に出店しその数、1000店以上とか。
しかし、丸亀市内はおろか、本場うどん県・香川県では、高松市の2店舗のみ。
運営会社は、本社を神戸から東京に移転させています。
昨年、ネットで丸亀とはゆかりもないのに、その名前の使用についていかがなものかと、多くの批判が出たと聞いていますが、丸亀市との関係は、どうなのでしょうか?

丸亀市の担当者によると、両者の関係は極めて良好。協力関係にあるということです。その一つに、それぞれの店舗で、丸亀や讃岐うどんをPRしていることや、丸亀市の公用車に、丸亀製麺が広告を出し広告料をいただいていることなどが挙げられます。

また、昨年の日本一高い丸亀城の石垣が台風の影響で崩落した際、栗田社長個人から多額の寄付もあったそうです。

極めつけは、粟田社長ご本人が、2011年、丸亀市から市の文化観光大使に就任していることからもわかります。その肩書紹介には、「株式会社トリドールホールディングス(代表取締役社長)セルフ形式で提供する讃岐うどん専門店 丸亀製麺 店舗を開業」とありました。
(令和2年6月1日現在)

粟田社長の実父が、丸亀市の隣の町、坂出の出身ということで、幼い時から製麺にこだわる讃岐うどんに親しみ、そこから出店のヒントを得たということのようです。

まったくの個人的感想ですが、過去の経験から、香川県にある讃岐うどん店、数々あれど、すべてが、おいしいわけではありません。いろんな店を訪ねましたが、有名店といえど、がっかりさせられた経験は幾度となくありました。
おいしいかどうかは、個人の好みによる結果なので、このあたりの判断が難しいところですね。


丸亀城


亀山(標高66m)に建つ丸亀城天守、石垣の高さに驚く、天守閣が小さい分、余計立派に見える


堀を覗くと、鯉と亀がどんどん集まる、どうしてわかるのでしょう?


2018年7月7日の石垣崩落から丸2年、工事完了予定は令和6年3月31日


急な坂道、見返り坂


扇の勾配、美しい石垣。日本一高い石垣として知られる


讃岐平野、抜群の眺望、正面が讃岐富士(飯野山)


眼下に広がる丸亀市街


石垣の修復現場、約6000個の石を修復する。寄付金は3億8000万集まったが、修理費用は最大35億にもなるという


石一つ一つに番号が振られている、気の遠くなる作業が続く


天守。現存12天守の中で最も小さい、四国では、松山城、宇和島城、高知城とあるが丸亀城が最古


丸亀城、大手一の門を内側から見る
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