吉岡銅山跡の案内版
8月29日の日曜日、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)、また岡山県のふるさと村に指定されている、高梁市成羽町の「吹屋の町並み」を3年半ぶりに訪ねました。それにしてもこのような高いところによくぞ町ができたな?といつも感心します。車がやっと通れるような細い山道を登っていって周囲に山並みが連なる頃、そこに忽然と現われるさまは、まるで南米インカの空中都市「マチュピチュ」のようです。(少しオーバーかもしれませんが、まさにそのようなイメージです。もちろん行ったことはありません。)重伝建の指定は昭和52年で、あの倉敷美観地区より早かったようです。
当時(主に江戸時代後期から明治時代にかけて)の日本有数の銅山・吉岡銅山(日本三大銅山とも日本六大銅山とも云われたようです)が吹屋にあり、そこには最盛期1200人もの人々が働き、当然のごとく町が形成され、昭和の時代、銅山閉山後も町並みは、繁栄の証として住民により手厚く保護され、現在まで残っているということですね。以前、住友グループの礎となった別子銅山の「別子銅山記念館」を訪ねたときの館長の説明の中に、「岡山県の吉岡銅山にいた人が、ここを調査し鉱脈を発見した」と聞いた記憶があります。当時、ここの権利を持っていた泉屋(住友の前身)は、別子に開発の拠点を移し、その後、岩崎家(三菱)が設備を導入して隆盛を極めたようです。
吹屋で有名なのがその副産物として産出されるベンガラで、全国にベンガラの町として知られたのは有名な話ですね。
さてここに着いたのが、朝の8時半ごろ、観光客は他になく人影もほとんどありません。地酒を売るお店の前の空き地にコスモスの花が咲いていました。もう初秋の装いですね。折角ですから前景に入れて写真を撮りました。少し歩くと猫が2匹、カメラを向けるといったん逃げましたがすぐに戻ってきました。もう少し進むと、今度は犬が入口から半分体を覗かせてこちらを物憂げに見ていました。まだお店は開店の準備中。空は曇り空だったのでまだ気温はさほどでもありません。ゆったりとした山間の町並みの様子です。
さて町並みの散策を終え、山を下りかけたときに真新しい「吉岡銅山跡」の看板が目にとまりました。吉岡銅山の遺構というと、観光のため整備されている笹畝坑道がありますが、そのほかにも遺構が残っていたのかと、興味がわきました。矢印があり、ここから500m.とあります。500m.というと平坦地なら、早足で5分ほど、車で降りてもいいのですが、行き止まりだったら困るな!と少し迷い、意を決し徒歩で行ってみることにしました。この道は中国遊歩道にもなっているようで、「天神山方面」の案内板もありました。勾配のある山道をどんどん下ること10分。真新しい看板が目に留まりました。どうやらここが吉岡銅山の遺構のようです。あちこちに遺構とみられるレンガ状の建物が残っています。どこか毒ガス島で有名な大久野島に似ているなと思いました。(つづく)