未熟なカメラマン さてものひとりごと

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深紅のじゅうたん 圀勝寺の落ちツバキ 岡山県矢掛町東三成

2021-04-28 23:32:39 | 花の名所
訪問日:令和3(2021)年4月5日


椿遠景

矢掛町の圀勝寺(こくしょうじ)を訪ねました。例年なら、見ごろはもう少し先なのですが、今年は暖冬のせいか、春の花すべてが早いようです。
数日前の朝刊のエリア版にツバキの記事が早くも掲載されていました。コロナの関係で今年のつばき祭りは中止とのことですが、新聞で紹介されるとどうしても行きたくなります。
現地に着いたのが、早朝7時頃、他に訪問者はいないようでした。境内では住職(*1)ととお手伝いさんでしょうか、境内をていねいに掃き清めていました。

私が、駐車場から境内に入ると住職が、「本日最初のお客さんです」と作業をしながら笑顔で迎えてくれました。落ちツバキ(*2)、前日に雨が降ったので、特に紅色が鮮明なような気がしました。肝心のじゅうたんですが、その中に草が目立ち、気になりました。
その点を住職に訪ねると、「横着をした結果です」との返事でしたが、つばき祭りが開催されると多くのスタッフの方が手伝いますが、手が回らなかったということでしょう。

そこに、男性二人組が到着。この方たちは姫路から来られたそうです。実は一週間ほど前にも来ていて、この日二度目の訪問だとか。
住職によりますと、数日前には、愛知県から来た人もいたそうです。遠くからわざわざ来ていただいて迎える側もうれしい限りでしょう。



椿説明板の横にカメリアジャポニカと大きく書かれていて、この椿の品種かと勘違いするが、camellia japonicaは一般的なツバキまたはヤブツバキの学名、英名


鮮紅色のじゅうたんはインスタ映え間違いなし


蹲踞にも花弁が浮かぶ


樹齢は350年以上、矢掛町指定の重要文化財


土塀の瓦に落ちた花弁、後方は桜


深紅の花弁は特に美しい


じゅうたんの間に目立つ草、これは残念


縁の外は波状にきれいに掃き清められている

という私もこの落ちツバキを毎年楽しみにしていて実に連続10年以上になります。樹齢350年の大樹、目通り1.9m、枝張り四方9m、八重で美しい鮮紅色の花弁は大きく、それだけで十分鑑賞の価値があります。
じゅうたんの廻りは、竹を折り曲げて仕切られていましたが、一番シンプルで合っていると思います。過去、プラスチックの板や龍のひげなどの植物で仕切られていたこともありました。
つばきの木の横に土塀があり、外側にもいい感じで落ちています。
いろんな角度から撮影した後、境内をぐるっと巡ってみました。正門前には大きな桜の木があり、参道は落ちた桜の花びらで真っ白に染まっていました。
東側の駐車場の傍らには大きなカイドウの木が数本あり、こちらは満開で見事でした。

絞りの椿やツツジも咲いていて、見どころの多い圀勝寺。とにかくインスタ映え間違いなし、一度訪ねてみませんか?



光助霊神宮 この地で吉備真備の祖母の骨蔵器が発見された。真備の父は下道圀勝(くにかつ)といいこの寺の名前になっている


全体を見る


ツツジとサクラ


境内に咲いていた椿(吹上絞り)


純白の椿も清楚で美しい


参道は散った桜の花びらで真っ白に染められている


お隣の民家におとなしいワンちゃんを発見


東側の駐車場に咲いていたカイドウ


アップで見るとさらに美しい


上から見た大椿


とにかく美しい


こちらは、土塀の外側


お地蔵さんと落ちツバキ


*1 住職、拝見した感じではいかにも住職というイメージでしたが、こちらの住職は、落語家の桂米裕(かつらよねひろ)さんで、ネットで検索するとどうも別人のような気がします。
*2 落ちツバキ、あくまで私の個人的な表現です。
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広島県東部の桜の名所を巡る旅 その3 千光寺公園 広島県尾道市

2021-04-18 23:39:21 | 桜の名所
訪問日:令和3(2021)年3月29日



広島県東部の桜の名所を巡る旅、最後は日本さくら名所百選にも選定されている尾道市千光寺公園です。一番心配したのが駐車場でした。市役所の広い駐車場に入れようか、それとも山頂近くの公園駐車場に入れようかと迷いましたが、結局、公園駐車場に入れることにしました。
しかし案の定、駐車場は満車で多くの車が、眼下にあるグラウンド駐車場(臨時)に誘導されていました。しかしたまたま駐車場を出ていく車が数台あり、しかもラッキーなことに公園駐車場の入り口付近に停めることができました。

千光寺に向かう遊歩道周辺は、ソメイヨシノに覆われていました。毎年1・2回以上は千光寺に出かけていますが、さすがにこの時季は観光シーズン、人出も多く、公園内ではブルーシート敷いて寛ぐ家族らしき姿もあちこちに見られました。
また東南アジア出身とみられる外国人も多く、陽気に写真を撮り合っていました。。

一番のポイントは、眼下に見える尾道水道と桜の取り合わせです。しかし、黄砂でしょうか、それとも春霞でしょうか、今一つ視界がはっきりしません。

一番見晴らしのよい頂上エリアは残念ながらリニューアル工事が行われていて入ることはできませんでした。
頂上付近から見る、桜に覆われた尾道市立美術館も被写体としてぜひと思っていましたが、残念です。
こうして、3か所を無事に巡り、帰ることにしました。歩数は1万歩近くになっていました。





桜に埋もれる人たち


向こうに見える建物は、尾道市立美術館


公園内にはブルーシートを広げる人たちも


桜と尾道水道


桜と尾道水道、今一つ視界がはっきりしません


鼓岩


千光寺のおみくじ、開基は平安時代の初め


人の形にも見える巨木が1本


桜と尾道水道、尾道大橋も見える
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広島県東部の桜の名所を巡る旅 その2 御調八幡宮のさくら 広島県三原市八幡町

2021-04-13 23:37:15 | 桜の名所
訪問日:令和3(2021)3月29日(月)

(御調八幡宮のさくら)



世羅高原農場の枝垂れ桜を堪能したあと、次に向かったのが三原市の御調八幡宮(みつきはちまんぐう)です。時間にして30分ぐらいでしょうか、随分南下した感じがします。
平日なので、訪問者は少ないだろうと思っていましたが、なんと駐車場は満車でした。

御調八幡宮は紅葉の名所としても知られていて、実は昨年の秋に訪ねたばかりでした。
この神社は、奈良時代の769年、和気清麻呂公が大隅国に流された際に八幡神を祀ったのが起源とされています。
そして、天正年間に豊臣秀吉が三原城に寄った際に参拝し、境内に桜樹を手植えしたという言い伝えが有り、桜の名所として知られています。

資料によりますと、200年以上のしだれ桜、エドヒガンの古木10本が、江戸時代の広島藩主浅野家、三原城主浅野家によって植えられ、そして地域の団体などから漸次、新しいしだれ桜、八重桜などが植えられているようです。
しかし、コロナ禍の関係で、今年の春季例祭(桜花祭)はご多分に漏れず中止となっていました。
一番のスポットは、楼門、拝殿につづく朱色の清明橋と橋にかかる枝垂れ桜です。ただその樹齢からか、残念ながらもうその勢いは感じられませんでした。
拝殿でお参りしたあと、ぐるりと周辺を散策しました。巨木の杉でうっそうとした境内から川向うに咲く桜の花は、コントラストが効いてとても鮮やかに見えます。

この八幡宮周辺は、やはた川自然公園として、地域住民の安らぎの場となっているようです。


(駐車場付近のソメイヨシノ)

駐車場は満車でした


橋の両側は色とりどり桜で覆われる


八幡川にかかる桜

(御調八幡宮)


参道脇に連なる苔むした燈籠


木製の鳥居


朱色の清明橋は神社のシンボル 橋にかかる枝垂れが美しい


200年を越す枝垂れ


橋から駐車場方面を見る


真っすぐ進むと急な石段があり、風格のある楼門が姿を見せる


正面の建物が拝殿


(境内を散策し川向うに出る)

川向うから見る清明橋


東屋付近 紅白の桜が美しい


すでに見ごろを過ぎた桜も、これはこれで美しい


周辺の山もこのように桜で覆われる

御調八幡宮の桜を堪能したあと、次の目的地・尾道千光寺公園に向かいました
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広島県東部の桜の名所を巡る その1 世羅高原農場さくら祭り 広島県世羅町

2021-04-10 23:11:42 | 桜の名所
訪問日:令和3年3月29日



今年の桜、暖かい日が続き、例年より1週間から10日、開花が早いとの情報でした。仕事の関係で何としても今日一日、見納めに名所を巡りたいと思ったのです
例年なら、岡山県内の桜の名所である津山市の鶴山公園や、醍醐桜を訪ねるのですが、今年は、今まで訪ねたことのない名所を巡りたいと思い、その目的地を世羅高原農場の枝垂れ桜、御調八幡宮の桜、尾道市千光寺公園の3か所に決めました。時間があれば、最後に井原市内の井原堤にも寄って帰りたいという大胆なプランです。


(世羅高原農場 さくら祭り)

世羅高原農場は、西日本を代表する花の観光農園です。近年、農事組合法人から組織を株式会社に変更しその事業はますます拡大しています。桜の名所というと、公園など公用地が多く、当然無料で見物できるのですが、こちらは残念ながら有料(800円)です。
さくら祭りの入園口は、チューリップ祭などのメインゲートではなく、少し離れた場所にありました。

観光客は、それほど多くありません。一番のスポットは、入園してすぐのところにある枝垂れ桜の並木です。枝垂れ桜の並木というと、「たけべの森」が有名ですが、こちらの並木もなかなか風情があります。さわやかなスイセンの香りと風に吹かれてやさしく揺れる並木道を歩くと本当に癒されます。
もう一つの目玉は、菜の花との共演です。目の覚めるようなまっ黄色の菜の花畑に咲く枝垂れ桜も魅力です。


(桜のれん)

枝垂れ桜の並木道「桜のれん」


覆いかぶさる枝垂れはシャワーのよう


スイセンの甘い香りに癒される


優雅な紅枝垂れ桜


向こうに見えるのは、「香る散歩道」


鮮やかなスイセンの黄色


定番の白


ユキヤナギもこの季節の定番

(春恋の丘)


バスストップ


ヒヤシンスとパンジーで彩られたハートの丘

(菜の花畑)

菜の花は25万本 桜との共演が美しい



(せせらぎの谷)

神代桜はソメイヨシノよりややピンク


ソメイヨシノほどのボリュームはないが、花弁はやや大きめで優しい


蹲踞に浮かぶ花びら


とても優雅な桜の花弁


日本庭園をイメージした和のエリア

(休憩広場)



つくしを見つけました


お利口にカメラに納まるワンちゃん

続いて、本日2つ目の訪問地、三原市の御調八幡宮に向かいました。

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北前船で栄えた日本遺産・御手洗は遊女が支えた港町だった。

2021-04-01 19:51:27 | 歴史
訪問日:令和3(2021)年2月21日


本州と下蒲刈島とを結ぶ安芸灘大橋(有料)平成12年1月開通・長さ1,175m 大津泊庭園から

久しぶりに広島県呉市を訪ねました。一番の目的地は、大崎下島の御手洗(みたらい)です。
訪ねるのは、橋で陸続きとなってから2度目です。自宅からの所要時間は2時間半、距離にして146kmでした。
ナビを信じて進むと何と、安芸津港にやってきました。フェリーでの案内でした。これには少々慌てましたが、気を取り直して185号線を海岸沿いに走っていると、海には牡蠣筏が並び、さすが牡蠣の生産高日本一の広島だと思いました。
そしてやっと安芸灘大橋までやってきましたが、通行料金730円とその高額にびっくりです。ここから、さらに蒲刈大橋、豊島大橋、豊浜大橋を渡らなければなりません。安芸灘大橋から御手洗までの所要時間は、24km40分でした。



豊浜大橋 平成4年11月開通・長さ543m 豊島と大崎下島を結ぶ

(歴史の見える丘公園)

御手洗で最初に訪ねたのは「歴史の見える丘公園」です。公園への案内表示があったので迷わず進みました。細いくねった山道です。対向車が来ないことを祈りながら走らせること5分ほどで駐車場に到着しました。
展望台からの眺望は素晴らしいものでした。ベンチには静かに海を眺める老夫婦の姿があり印象的でした。眼下に御手洗の町を俯瞰することができます。さて、この公園の一角に「おいらん公園」があるはずなのですがよくわかりません。ちょうど下から登ってきた若い男性に道を尋ねると、「この下の方にありましたよ」とのことでした。
また戻ってくるのは大変だなと思いながら真下に続く階段を下ると、おいらん公園と書かれた石碑がありその下に墓地がありました。
墓地は、海が見下ろせる高台にあります。そこには100基以上の遊女の墓が整然と並んでいました。



駐車場から展望台につづくスロープ


御手洗地区の重要伝統的建造物群保存地区の選定にあわせて、地区を見下ろせる高台に設けられた公園。御手洗や来島海峡、四国の山々が一望できる。まさに天然の良港。


眼下に広がる御手洗の町並み。千砂子波止も見える。


高燈籠のアップ


ベンチで静かに海を眺めるご夫婦

(おいらん公園)


展望台から急な階段を下る

御手洗における遊女に関する最も早い記録は、元禄5(1692)年にドイツ人医師ケンペルが著した「江戸参府旅行日記」と考えられています。そして、公式にはじめて認可されたお茶屋は、享保9(1724)年に開業した若胡屋(わかえびすや)です。その後3軒のお茶屋が開業し、最も栄えたのは宝暦期(1751~63)と推測されています。宝暦5(1755)年には、若胡屋/46名、藤屋/27名、海老屋/27名で計100名の遊女がいた(豊町史)と記録され、全国の花街番付にも載るほどでした。実に町の住人の2割が遊女だったといいます。
その遊女の数も江戸末期には41名に、そして近代以降も御手洗の花街は存続し、最終的に売春防止法が施行された昭和33(1958)年まで継続していました。



急傾斜防止工事の際、享保15(1730)年頃から江戸時代末期に至るまでの遊女・童子それにかかわる人たちの墓が百墓に余って発掘された。


墓石が整然と並ぶ


若胡屋の文字が見える

この御手洗の花街は、他と違い周辺地域から隔絶された存在ではありませんでした。地域住民との密接な繋がりを持ちながら維持されてきたのです。2003年、土に埋もれ忘れられていた墓石を海の見えるこの地に移す中心的な役割をした今崎仙也さんは、NHK「日本風土記・北前船の旅人たち」の番組の中で、少年の頃の記憶を懐かしみながら次のように語っています。

「御手洗には銭湯が3軒あって、一番風呂は遊女なんですよ」
「夕方、化粧を早くしなきゃならんということでね」
「遊女たちも学校に勉強にいく子もおるし、一緒に町民運動会にも参加する子もいる」
「あまり違和感もない状況で私たちは接してきました」
墓石を移して整備したことについて
「江戸時代から非常に御手洗を支えてくれた人たちということでね」
「感謝の気持ちを込めて景色のいいところに移設してあげようじゃないかということになったんです」
「遊女たちは自分の出身地の船が港に入ると、あの船に乗って帰りたいと思ったんじゃないでしょうか」


関連ブログ 前回の記事「遊女たちの悲しい物語があった
参考文献:「大崎下島御手洗における花街の景観と生活」加藤晴美
     NHKBS新日本風土記「北前船の旅人たち」
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