memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

ガザの包囲

2011-11-10 00:17:47 | 海事
ガザの漁師の話のインターネットビデオをみていて“悲喜劇的”という言葉が口をついてでた。どんな悲劇も喜劇を産むことがある。このビデオはガザの漁師が落ちを飲み干さぬうちの短時間に錨を投入した様子を映していた。彼のテイーグラスは小さなものだ。彼はイスラエルによって線引きされた海事境界にすでに到着したのだ。彼らガザの漁師は沿岸から6㎞までしか出られない。(11月7日Hurriyet Daily News)



そこで悲劇的な喜劇が始まる。彼が網とロープを海中に投げ入れ、彼は上半身だけのウエットスーツとゴーグルを身に着けジーンズを着たままで海に飛び込んだ。

<見えない壁>
彼らは狭く細長い沿岸の地域に閉じ込められ、かたや開いている海に出ることを禁じられている、魚資源は枯渇したことはもちろんである。今や彼らは潜水で岩と海底の洞窟の間の魚を狙ってとる。これをこなすには漁師は素潜りがうまくなくてはいけない。「魚群はあそこにいる、でもそこにはゆけない」とビデオの中の漁師は先方を指さしながら語る。ボートの漁師はこの目に見えない壁を超えれば拘束される、悪くすれば会場で殺されることになる。

どんな法律に従ってイスラエルはこうした措置をしたのか?どのような法的規定がイスラエルをそう行動させたのか、その規制はいつから効力が発生したのか?そしてカメラは市場を映し出した。魚は銛でついた物で、もちろん、ここの市場には並ばない、そうした魚は別の場所で“エリート”の消費者にわたる。こうしたことは魚だけではない肉は贅沢品であり、金持ちだけが買うことができる。ビデオはガザの家族を映し出す。落胆激怒する男の話し手は部屋のろうそくに火をともした。彼の言葉は男や女の勇気を失わせるもので、彼はすべてを失った。「イスラエルはハマスのためにこうしたことをやっている」と彼はいう。イスラエルとハマスの両方を非難する。ガザでは毎日8時間の電圧低下がおこる。

病院の発電機はもはや動いていない、理由は燃料不足による。外科手術をすることもできない。透析の患者は生と死のはざまにある。パレスチナ人の医師が振り返った。カメラは病院内を映している。追加設備を建設するための鉄やセメントの入手をどうするかのために格闘している。 鉄やセメントはガザへの持ち込みが許されない。禁止品目のリストは馬鹿げているくらいに長い。禁輸策は2010年には若干は緩められた。それ以降タイどころ用品や、玩具、食料の入手は認められた。

ガザへの出入りに所有を認められない品の正確なリストは誰も知らない。イスラエル当局者はガザへの持ち込みができるかできないか勝手に自分たちで決めている。時にはそれが最後だという場合もある。イスラエルは世界の人々の前に150万院の人々の地獄をさらけだしている。ガザは天井の無い監獄である。イスラエルはこの狭い場所に気が向けば侵入し破壊する。この地区に対しては鋭い監視を続けている。陸も海も空さえも包囲されている。それは中世の包囲網のように自分には思えた。城の中にいる住民は降伏するか、飢餓に耐えるしかない。
間違いないように言うが、ハマスがユリに花のように真っ白と主張しているわけではない。自分はハマスがイスラエルの生存権を理解しないことと、パレスチナ人の悲劇に加担する狂信的な立場をとることをとがめたい。

<問題の根っこ>
少なくとも自分が思うに、とにかく、イスラエルの用心深さと法基準のダブルスタンダードが問題である。不正な世界は激怒の発生器のような行動を産み、憤怒の束となり、そして最終的には、それぞれの治安の脅威となり、全体に及ぶ。自分としてはすべての人々が平安であってほしい。(Orhan Kemal Cengiz )