私は初老男である。
世の中には「はやるラーメン屋」と「はやらないラーメン屋」がある。
それは別にラーメン屋に限らない。
飲み屋でもソバ屋でも同じである。
しかし、ラーメン屋というものには、他の食べ物屋と違う「何か」がある気がする。
近くに
「はやるラーメン屋」と「はやらないラーメン屋」
がある。
まあ、大抵どこの町にも両方あるだろう。
だが、大きな町なら「はやらない」といっても「それなりに」食べていけているだろう。
しかし、我が町のラーメン屋はどう見ても「それなりに」食べていけてない。
それなのに、なかなかつぶれない。
普通に考えると、構えた店の座席を「3回転」させなければ利益がでないという。
「はやる店」の話からしよう。
はやる店には、当然理由がある。
細かいことはたくさんあるのだが、やはり一番の理由は「やりたいこと」が、はっきり見えることだ。
正確にいえば「伝えたい味」を、作っている職人自身がわかっているのである。
だから「好みでない」が「おいしい」というラーメンはありえる。
昨日食べたラーメンがそうだった。
そして、はやらない店には、そうした「明確な伝えたい味」が見えてこないのである。
もっと言ってしまえば、単純に「俺でもできる」程度の感覚でラーメン屋を始めるような職人もいるようなだ・・・・。
「食べるもの」というのは、残念ながら作る人の「すべて」が反映される。
そのラーメンは「そういう味」がする。
例えば店の扉。
これが「引き戸」であるか「ドア」であるか、中が見えるガラスであるか、すりガラスであるか。
なんてのも食べる人が「かなりの意味」を持っていることに、気が付いていないオーナーが結構いる。
気の付くオーナーなら「中が見える」といっても、完全に見えるのではなく「人は見えるが中ほどだけすりガラスになっている」物を使う。
わたしもお客がどの程度入っているかによって、入ろうかどうか考える。
だが経営者本人だけが、こういうことを分かっていない。
だから思う。
マズいラーメンを食べると・・・・・。
「この人は、このラーメンを『おいしい』と思って作っているのだろうか?」
自分がおいしいと思っていないラーメンを客に出しているのだろうか?
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、おいしいラーメンを食べることができますように。
May
はやらないラーメン屋さんは・・・・。元別の飲み屋だったところをほんの少し改装し、タンメンの野菜炒めを電磁調理器で作っていた。扉は2重扉で食券機がその最初の扉の所にあった。店に入っても、私をなかなか見つけてくれなかった・・・・。
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