完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

同級生はどうしてる? ~行かなかった同級会~

2006年08月19日 | Weblog
私は中年である。
今日の暑さはまた格別だった・・・。
しかし、今までの暑さと微妙に違うような・・・。
と感じ始めた「中年」である。

さて、お盆は「同級会」の最盛期である。
「中年」の私も久しぶりに同級会の案内のはがきが一ヶ月前に
届いていた。

・・・しかし、私はそのはがきの「出席」に○をつけずに
投函した。


私は男3人兄弟の2番目である。この境遇に育った男は
少なからず上から押さえつけられ、下から突き上げられるという
状況を経験する。

親も「兄に逆らうな」「弟をかわいがれ」と上下に対する抑制の
言葉を浴びせられて育つ。

そうすると、自分自身のアイデンティティ(自分で使いながら
どういう意味か良くわからんが・・・)を確立するのに微妙な
影を落とすことになる。

自分自身に対する「自信」が持ちにくくなり本当のことが
何なのかに「自信」をもてないままに思春期を過ごす。

そのためどうしても、それを確立するまでに他の人より
長い時間がかかってしまうのである。

その「自己の自信の確立」までの間で起きる学生時代のやり取り
は、本人にとって「恥ずかしさの塊」になってしまう。

子供とは残酷なもので、他の子供の弱みを徹底的に刺激することで
主導権を握ろうとするものだ。

わたしは学生時代のすべてを、こうした「主導権を握られた」ままに
すごしてきたのだ。

軽い「いじめ」らしきものも経験した。それがまた「自己の確立」を
遅らせることになる。

そして、その「自己の確立」を手にしたのは、私の場合ほんの
数年前でしかない気がする。

容姿が変わっても、同級生たちは同じ時間を同じ空間で過ごし
「確立していない私」を覚えている。(それは、私の思い込みで
現実には覚えていないかもしれない)
しかし、口の中に残る「苦さ」を私は甘受できる自信が無い。

ゆえに、私は「同級会」が殊更に好きになれない。

当日はゆっくりと一人で健康ランドに行き、汗をさっぱりと
洗い流し冷房の効いた部屋で、読みたかった「東京タワー」を
読んで過ごした。

私が本当に気兼ねなく「同級会」に出れるのは、級友たちが
私の学生時代を忘れた時・・・いや、違う。
「私自身」が学生時代のことを忘れた時だろう。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
本当は昔に仄かに恋心を抱いた「彼女」がどうなっているか
だけは知りたかったけど・・・「知らぬが仏」って気もしてる。     may











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