完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

個人的な「見解」ですが。     ~韓国大統領ピンチ!~

2016年11月12日 | 時事ネタ


私は初老男である。



何しろ疲れた1週間だった。



トラブルの連続で、対処するだけで精一杯。




今日は朝から、何もせずに「うたた寝」などを楽しんでいる。




少し前までこうした時に「何かせねば・・・」という強迫観念に囚われたが、やっと解放されたようだ。






ということで、お隣の韓国の朴大統領がピンチらしい。




大東亜戦争のことを細々と調べ続けているので、韓国のことには少々思いがある。





今の韓国の現状は、私ごときが記すべきことはほとんどない。




ただ、ちょっと「個人的見解」を暇に任せて記すことにしよう。







韓国には苗字が少ない。





そして、かなり以前は同じ苗字の人間は婚姻を結んではいけなかったらしい。(逆でしたっけ?)






つまり、親戚関係のつながりが非常に重要視される国なのだ。







歴代大統領が様々なスキャンダルにまみれるのも、ほぼ間違いなく「親戚関係の登用・コネクションの利用」からだ。









しかし、それは大統領に限らず、財閥から中小企業・そこいら辺の飲み屋まで、すべからく当てはまる。






それが韓国という国だ。




ただ、朴って人は「独身」であり、そうしたコネのことでスキャンダルが薄いのではないかと「期待」していたところもあったのではないだろうか?






しかし、落とし穴。「親友」しかも、新興宗教がらみ。




完全ハンドフリーの人間なんでいないことは、韓国でなくて当たり前なんだけどね。





だから、いま大々的なデモをしている韓国国民たちも・・・・・実はこんなことになることは多分分かっていた感がある。







人間なんて「矛盾」に満ちているのは、分かってるけど・・・・。





今の韓国国民たちはこうして朴大統領に退陣要求をしながら、自分の親類縁者が偉くなったら当然、自分が登用されること期待するんだろう。





思うに韓国国民は自分が登用されたら「さらしもの」にされることも、心のどこかで分かっているのではないだろうか・・・。





国民性としか言いようのないんだろうね。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんは、自分の力で道を切り開いていきますように。






            May





教育による自国の成り立ちがしっかりできていない。という意味では韓国を決していろいろ言えないのが我が日本なんだけどね。



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そういえば食べていないなぁ・・・。    ~エッセイ集「そばと私」読みました。~

2016年11月12日 | 



私は初老男である。



一気に「冬」らしくなったが、今日あたりはそれなりに暖かい。



やっぱり、雪は12月の末まで降ってほしくないなぁ。





ということで




            エッセイ集「そばと私」




                          読み終わりました。





季刊「新そば」という雑誌があるらしい。





実はその本自体を知らなかった。





その雑誌の中に有名人・著名人の短いエッセイがある。(らしい)





その中の67篇を集めたのがこの本だ。





投稿者は故人が多い。






しかし、蕎麦という食べ物は変化をしながらも「不変性」を持っているので、文の内容はほとんど違和感がない。







一番古い文は、なんと私が生まれた昭和36年。





落語家の桂米朝の文だった。







若い時にはやはり「ラーメン大好き」であった。






もちろん、今でも好きである。





しかし、歳を取るごとに「蕎麦」を好むようになった。





決定的だったのは、池波正太郎のエッセイを読み始めてからだろう。





特に寒くなってきたこの頃、妙に「温かい蕎麦」が食べたい。






特に「でっかい海老天の入った温かい蕎麦」で日本酒を飲みたいと思う。







「鴨南蛮そば」でいっぱいやりたいと思う。








最近まで冷たい蕎麦以外にほとんど興味が無かったのに・・・・。






この本を読んで改めて確認したことがある。






「食」というものは、間違いなく最終的に「個」に帰依する、ということを。






皆さんも経験があるだろう。





様々なグルメ雑誌や有名人の食べ歩き本をそのままなぞって食べ歩いたりしたことが。





私も、もちろんある。





しかし、情報というものは最終的に「自分で嚙み砕き咀嚼」してから自分のものとしないと無益なものだ。






それが世間の噂や、主流論に迎合することで「自分の知識」になったような気になる。






「食」というものは、絶対に「画一的」なものでは無い。





100%の正解も100%の間違いもないのが「食」の世界だ。





本の67のエッセイは、個人個人の好みと様々な蕎麦の存在を、とてもうまくまとめてある。







あまり気を遣わず頭を休める時には、こうした本が良い。





今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分の「舌・味覚」を信じますように。






            May






そうなんである。今年はまだ「新そば」を食べていない。






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