完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

すでに「JUDO」     ~それは武道ではない~

2012年08月03日 | スポーツ
私は初老男である。

以前にここにUpしたと思うが、日本人が世界に誇るモラルの高さをもっているのは「羞恥心」だろう。

それは「他人の目」を、気にするところにある。

これが「これをやったら『マズイ』よなぁ・・」って感覚につながっている。


大津市のいじめ問題のことで、加害者側の写真や氏名が流出しているらしい。

それを受けてメールその他で、直接意見や非難をする人が多数いるらしい。


これこそ「これをやったら『マズイ』よなぁ・・・」って思わないのだろうか。

その直接の意見や避難こそが「いじめ」であることに気が付かないのだろうか?

しかも、勘違いで「それらしい人」にそうした行為をしている人も少なくないという。


その行為は、自分が思っている以上に相手を傷つける。しかも、たいていは自分が何者かであるを明かさずに行っているらしい。

それはもう「犯罪」のレベルになる。


これを読んでいる皆さんは、まさかそんなことをしていないでしょうね。

いずれにしても、デジタル化している今の世の中では、非常にデリケートに扱わなければならないことがあるのだ。



さて、オリンピックの柔道の話。

日本伝統のメダル獲得のお家芸であることは疑うべくもない。

しかし、大会二日目を終わって「金メダル」なし。

男子軽量級で銀・銅ともに1ずつ。

女子の48kg・52kg両軽量級でメダルに届かなかった。


いま、柔道は完全に「過渡期」に差し掛かっていると思う。

まるでプロテニスのように世界中で大会を巡り、ポイントを重ね、ランキングを上げないとオリンピックに出られない。


スポーツとしての柔道は、着々と「整備」されている。

・・・しかし、その分、日本人の精神的根底にある「何か」を失ってしまいつつある。

こうしてオリンピックを見ていると、この「柔道」というものが、いかにも日本的な教義であるかと言うことがわかる。

その日本的なものとは「曖昧さ」である。

同じオリンピック種目の格闘技でもレスリングは、ポイント制でどういう形になると何点であるかがはっきりしている。(バックを取ると1点とかね)

ボクシングなんて言わずもがな、アマチュアはナックルで確実にヒットした数ってことにはなってるけど、結局KO(アマチュアではRSC)方の勝ちだからね。

柔道の「有効」と「技有」「一本」の差は、結構審判の「感覚」にかかっている。

まあ、副審が2人もいるのも、逆に言えば曖昧だってことの証明でもある。

関係ないが同じく日本の代表的な格闘技「相撲」なども、とても曖昧な所がある。

そう「立ち合い」である。

あれは、お互いの気持ちが合った時にしか試合が始まらないということだ。

今はテレビ中継の関係で「時間イッパイ」と言うのがあるが、それ以前は平気で10分くらいお互いに仕切っては直しを繰り返したという。

そんな競技はほかにあるだろうか?

そしてその「曖昧さ」の正体は、日本人の美徳とする「精神性」だ。

その精神性の中に「潔さ(いさぎよさ)」が芯にある気がする。

これこそが柔道を、日本人が単純な「スポーツ」と思うことができない理由だろう。


そこはかとない「武道」の匂いを残している格闘技が「柔道」なのだ。

しかし、今オリンピックで行われているのは、競技としては充実して世界中に広がっているスポーツとしての「JUDO」であり「柔道」では、なくなっていることにそろそろ我々も気が付き始めている。

いまさらこんなことを言っても意味がないのだが、本来柔道に「有効」などと言う判定は無く「指導」などという通告もなかった。

もちろん、ゴールデンスコアなる延長戦もない。

どこまでも日本的美意識を根底にもった「柔道」は、すでにどこにもなくなっているのだ。


今回のオリンピックで、そのことを完全に私は理解した。

日本の関係者も、「柔道」から「JUDO」への変更を決断しない限り弱体化は進むばかりだろう。

・・・ってもう変更していて、それでも勝てないってことか。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを見ている皆さんは「有効」と「技有」の違いって明確にわかります?


             May

本当の「柔道」が、行われていたの「山下泰裕」選手までじゃないかな・・・。

コメント
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