私は初老男である。
ラジオのニュースでも、今回のオリンピックの裏話をやっていた。
おもしろかったので紹介しよう。
開催国のイギリスでは首相のキャメロン氏があしげく各競技に激励に回っているという。
しかし、キャメロン氏の激励に回る先々の競技での成績が・・・・・。
いわく「キャメロンの呪い」と呼ばれ、恐れられているという。
やっぱり、政治家が下心を持って行動するとえてしてそんなことになるんだゾ!
さて、今回のロンドンオリンピックでは「審判」「競技」ともに信頼が揺らいでいる。
いわく、「柔道での2度の旗判定」「ボクシングでのカウント取らず」「体操での技の難度判定ミス」。
そして今回のテーマであるバドミントンにおける「無気力試合」。
同じ時期に、なでしこジャパンの佐々木監督が選手に「引き分け狙い」を命じていたらしきこともあって物議を醸している。
まず、よく考えてほしいのだがスポーツにおける「スポーツマンシップ」というのと「無鉄砲・無計画」と言うのは違うということだ。
目の前のプレーに「全力を尽くさない」と言うことと「わざと負ける」ことも。
いつのオリンピックであったか忘れてしまったが、野球の日本代表がオーストラリアに負けてメダルに届かなかった大会があった。
覚えている方もいるんじゃないか?
あの時日本代表は、まさに「無計画」で「目の前の敵に全力で勝ちに行く!」形で試合に臨み、メダルに届かなかった。
ピッチャーの起用や、日程、対戦チームの状況等をほとんど加味しなかった結果だった。
これを「スポーツマンシップ」と呼ぶのか?
そうまで書いておきながら話をひっくり返して悪いのだが、大体同じオリンピック種目と言ってもサッカー・野球・バドミントンではでその「無気力試合」をおなじ意味で語ることはできまい。
まず、問題となったバドミントンの件から話を進めてみよう。
・・・と、ここから再開しようと思ったのだが、こうして文字にしてみると最初に言いたかったことに対する「確信」が揺らいできた。
しっかりと読んでいる皆に自分の思いを伝える自信が無くなった・・・。
そうして少々時をおいて考えてみた。
この問題は、もしかするとこれからのオリンピックを揺るがす問題なのかも知れない。
そのため、他のブログや記事を様々読んでみたが、やはりその思いが強くなった。
柔道で先に「有効」を取ったとする。
そのあと、時間いっぱいを逃げ回ったとする。
これは「無気力」ではないのか?
今回のサッカーでも問題になった、同点のまま得点を狙わないのは「無気力」か?
柔道の場合は、それこそが「作戦」であるし、サッカーの場合は、そのまま同点を守ることはもしかしたら得点を奪うことよりむずかしいかもしれない。
サッカーにおいては、引いて引いて守り抜くのは「無気力」か?
そして、競技そのものの、オリンピックそのもののあり方を懐古的な「参加することに意義がある」などとホンキでいっている選手には、こうした問題は無用であろう。
しかし、スポーツの本質が「勝利」(金メダル)である限り、それに向かって最大限の努力をするのがアスリートの本能であるとするなら「作戦」として「手を抜く」ことは「失格」を受けるほどの罪悪だろうか?
バドミントンという競技だから、あんなふうにわざとらしくなったが、他の競技であればもっと上手に「演技」できたかもしれない。
バドミントン競技においての、今回の大会形式「予選リーグ・決勝トーナメント」方式は、実は珍しい。
バドミントン競技はほとんどが、トーナメント一発勝負で行われる。
もし、そういう形式であればこうした問題も起こらなかったであろう。
これから益々スポーツにおいてこの「無気力」問題は、重大なものになっていくだろう。
金メダルの価値はドンドンあがるばかりなのだから。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんもスポーツの本質は「勝利」至上なのか考えて見ますように。
May
バドミントンの中国ペアの無気力試合は、彼女達だけの考えじゃないんじゃないかなぁ・・・。これが原因でリタイヤってのは、悲しすぎるやね。
ラジオのニュースでも、今回のオリンピックの裏話をやっていた。
おもしろかったので紹介しよう。
開催国のイギリスでは首相のキャメロン氏があしげく各競技に激励に回っているという。
しかし、キャメロン氏の激励に回る先々の競技での成績が・・・・・。
いわく「キャメロンの呪い」と呼ばれ、恐れられているという。
やっぱり、政治家が下心を持って行動するとえてしてそんなことになるんだゾ!
さて、今回のロンドンオリンピックでは「審判」「競技」ともに信頼が揺らいでいる。
いわく、「柔道での2度の旗判定」「ボクシングでのカウント取らず」「体操での技の難度判定ミス」。
そして今回のテーマであるバドミントンにおける「無気力試合」。
同じ時期に、なでしこジャパンの佐々木監督が選手に「引き分け狙い」を命じていたらしきこともあって物議を醸している。
まず、よく考えてほしいのだがスポーツにおける「スポーツマンシップ」というのと「無鉄砲・無計画」と言うのは違うということだ。
目の前のプレーに「全力を尽くさない」と言うことと「わざと負ける」ことも。
いつのオリンピックであったか忘れてしまったが、野球の日本代表がオーストラリアに負けてメダルに届かなかった大会があった。
覚えている方もいるんじゃないか?
あの時日本代表は、まさに「無計画」で「目の前の敵に全力で勝ちに行く!」形で試合に臨み、メダルに届かなかった。
ピッチャーの起用や、日程、対戦チームの状況等をほとんど加味しなかった結果だった。
これを「スポーツマンシップ」と呼ぶのか?
そうまで書いておきながら話をひっくり返して悪いのだが、大体同じオリンピック種目と言ってもサッカー・野球・バドミントンではでその「無気力試合」をおなじ意味で語ることはできまい。
まず、問題となったバドミントンの件から話を進めてみよう。
・・・と、ここから再開しようと思ったのだが、こうして文字にしてみると最初に言いたかったことに対する「確信」が揺らいできた。
しっかりと読んでいる皆に自分の思いを伝える自信が無くなった・・・。
そうして少々時をおいて考えてみた。
この問題は、もしかするとこれからのオリンピックを揺るがす問題なのかも知れない。
そのため、他のブログや記事を様々読んでみたが、やはりその思いが強くなった。
柔道で先に「有効」を取ったとする。
そのあと、時間いっぱいを逃げ回ったとする。
これは「無気力」ではないのか?
今回のサッカーでも問題になった、同点のまま得点を狙わないのは「無気力」か?
柔道の場合は、それこそが「作戦」であるし、サッカーの場合は、そのまま同点を守ることはもしかしたら得点を奪うことよりむずかしいかもしれない。
サッカーにおいては、引いて引いて守り抜くのは「無気力」か?
そして、競技そのものの、オリンピックそのもののあり方を懐古的な「参加することに意義がある」などとホンキでいっている選手には、こうした問題は無用であろう。
しかし、スポーツの本質が「勝利」(金メダル)である限り、それに向かって最大限の努力をするのがアスリートの本能であるとするなら「作戦」として「手を抜く」ことは「失格」を受けるほどの罪悪だろうか?
バドミントンという競技だから、あんなふうにわざとらしくなったが、他の競技であればもっと上手に「演技」できたかもしれない。
バドミントン競技においての、今回の大会形式「予選リーグ・決勝トーナメント」方式は、実は珍しい。
バドミントン競技はほとんどが、トーナメント一発勝負で行われる。
もし、そういう形式であればこうした問題も起こらなかったであろう。
これから益々スポーツにおいてこの「無気力」問題は、重大なものになっていくだろう。
金メダルの価値はドンドンあがるばかりなのだから。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんもスポーツの本質は「勝利」至上なのか考えて見ますように。
May
バドミントンの中国ペアの無気力試合は、彼女達だけの考えじゃないんじゃないかなぁ・・・。これが原因でリタイヤってのは、悲しすぎるやね。