完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

私の「波・理論」

2006年03月21日 | Weblog
私は中年である。
中年のおじさんは、生きてきた長さに
応じた「理論」を勝手に語りだす癖がある。

若い人には、本当にウザッたい話をウダウダ
繰り返してやがる!と思われていることだろう。
しかし、どんなたわごとのような「理論」にも、
少しは頷ける部分があるものだ。

というわけで私の「理論」は、前のブログに
書いた「波・理論」である。

その理論の大本は、学生時代に読んだ麻雀マンガに
よる。「王牌打ち(ワンパイうち)」(うろ覚えで
申し訳ない、ちがったかもしれない)という法則を
中心にしたマンガだった。

麻雀牌は136枚あり、3種類の数牌が1~9まで
と方向を書いた風牌、白・発・中の字牌が4枚ずつ
ある。

これを混ぜ合わせ4人が自分の前に34枚を
二段に積み、ゲームを始めるわけだ。16種類の
牌が混ぜ合わせれた時点で、完全にランダムに
なる筈だし普通に見ていれば、何の規則性も見えない。

しかし、膨大な確率のなかでも、「ある規則性が
あるのではないか?」と考えた人がいる。

サイコロは振れば振るほど、各目がでる確率が
1/6に近づいてくる。その数万倍の確率になって
しまうが、麻雀にもその法則があると考えたわけだ。

詳しいことは忘れてしまったが、私はその本を読んで
その法則が「波」のようなものだと感じた。
そして、その法則は他の世の中すべてのことに、
当てはまるのではないかとも思った。

ここまで書いて何かに似ていると思ったら
「スターウォーズ」の「フォース」に似てるな。

当たり前だが、その「波」は目には見えない。
だからこそ、いつも真剣に自分自身を律すること
真摯に物事にむかうことでしか、その波を捉える
ことは出来ないのだ。

前のブログで、消臭剤を盗むばか者が多い話をUP
したが、アレなども人生においての「波」に乗り
損ねる典型的な行為だ。

そういう意味では、中年のおじさんの私は
ずいぶん「いい波」を逃しているなぁ・・・。
残り時間が少ないんだから、もっと気をつけなきゃ。


















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先日Nスペで・・・

2006年03月21日 | テレビ
私は中年である。
中年の男はドキュメントが好きである。
特に「NHKスペシャル」は面白い。

先日も面白い番組をやっていた。
「永ちゃん 俺たちはもう一度走れるだろうか」
という題名だった。
今の40代のおじさんで「矢沢永吉」を知らない人は
いないだろう。

音楽シーンというのは、面白いもので
如実にその時代を象徴する人物が登場する。
50代のそれはGS(グループサウンズ)や
「内田裕也」(樹木きりんの旦那)では
ないだろうか。(もっとも、この世代は現体験で
ビートルズを知っているが)

30代のそれは「尾崎豊」だろう。
その生き様・死に様(民家の軒先で全裸で死亡
していた)はいかにもそれらしい。

そして、私ら40代のそれは「矢沢永吉」だ。
普通の単純な価値観を守ることで、アイデンティ
ティ(その当時は、こんなわけのわからん言葉は
なかったなぁ)を保っていた私達の前に、矢沢は
「全く違った武器」を持って「成り上がり」そして
現れた。私達はそれに驚愕し、怯え、そして
熱狂した。

それまでの楽天的希望が包んでいた世間を
少しずつ少しずつ、目に見えない何かに圧迫され
はじめた頃の話だ。
世の中には「ツッパリ」「暴走族」「ぐれる」ことが
輝きを放った時代だ。しかし、その輝きは
ピカピカと眩しい光ではなく、鈍くくすんだ光だった。

番組では、矢沢と同じ時を過してきた喜びと、
思い通りにならなかった時の重みを湛えた顔で
それでもまだ残っている夢のかけらを話している。
その顔に自分の顔が重なる。

人生の半分以上を過ぎてしまったであろう我ら中年は
背負った責任に身もだえしながらも、歩いてきた道の
途中で、見上げた星に「非日常」を感じて熱狂し
それを糧にこれからも歩いていく。

番組は、ライブの終わりの喧騒の中で
    「永ちゃん最高!!」
の声が響き渡りフェードアウトしていった。

今回は色々考えすぎた・・・。ア~疲れた。

PS.WBC韓国戦で5-2で勝利と予想したが、
  結果は6-0で勝利。まあ、ある程度の誤差が
  あったが、70%当たったと思う。それを
  導き出した「波理論」は後日にブログります。


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