Fish On The Boat

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「DV防止法改正案を閣議決定」から考える。

2023-02-26 12:07:02 | 考えの切れ端
「DV防止法改正案を閣議決定 精神的暴力でも裁判所が保護命令へ」という記事をNHKニュースで読みました。<政府は身体的な暴力だけでなく、ことばや態度による精神的な暴力でも、裁判所が被害者に近づくことなどを禁止する「保護命令」を出せるようにするDV防止法の改正案を、24日の閣議で決定しました。>とあります。

確かに必要だなと思ったのです。今までこういった精神面への暴力が身体面の暴力に比べて軽視されていたのですが、精神面へのダメージだって深刻なんですよね、という意識が具現化したものだからです。それに、実際面、そういう被害のある人が逃げるための逃げ道が細い道であっても無いよりはよっぽど良いのではないか、とちょっと単純かもしれないけれど、思うのでした。この逃げ道を補強するべく、NPOなんかが手助けしてくれるとより被害者は生きづらさから逃げ出しやすくなるでしょう。

ただ、僕が引っかかるのは、加害する側へは罰則だけだろうところです。いや、ケアもするのだろうけれど、社会的に表立って明らかにされていないように思いました。「保護命令」と同じくらいに加害側のケアも必要。正直「加害者ケア命令」も欲しい。放っておくべきじゃないのです。放っておかない社会を子どもたちが見て育つしますしね。

加害側は罰則で対応する、というのとは別方向の見方をすることが必要なのではないか。加害側がDVをするのは、加害側が精神面に大きな問題を抱えているからです。ケアをして、社会に戻す。罰則だけで社会に戻していても対症療法にすらならないのではないでしょうか。暴力衝動をケアされない人たちを是認する社会自体も問題でしょう。

ちょっと裏読みしてしまうけれど、人々の暴力性をうまく使ってやれ、利用してやれ、なんていう密かな思惑だって権力側にはあるんだろうから、そういうものが暗黙の中に無いようにする、白日の下で論じられるようにする、そういった透明性が欲しいと僕なんかは思うのです。逆に言えば暴力利用の意識が薄まらないと暴力も減っていかないのではないでしょうか。

山極寿一さんの『暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る』に書いてあったと思うのだけど、食べ物と性があるかぎり、欲望が暴力を産んで無くならないというような知見がありました。けれども、たとえそうであっても人間の「理性」はその根源的な暴力衝動を緩和させるのではないか、と僕は人間の理性とその発達に賭けたくなるのです。

理性とは、謙虚さであり客観性でもあります。そういったところをヒントにして、より生きづらさを解消できた社会になるといいのになあ、と思うのでした。
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