Fish On The Boat

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『秘密の花園』

2020-04-08 00:25:26 | 読書。
読書。
『秘密の花園』 フランシス・ホジソン・バーネット 畔柳和代 訳
を読んだ。

本作は『小公子』や『小公女』とともに、
バーネットが書いた児童文学の代表作のひとつです。

物語の作りが、良い意味でオーソドックスといいますか、
物語のひな形として基本形といった感じなので、それはそれで参考になります。

主人公である少女メアリがインドから本国に帰還してやって来るまでの邸の過去、
それも10年前に大きな悲劇があり、
その悲劇ののちの10年の経過でできあがった世界がまず構築されていて、
そこに主人公のメアリが飛びこませられる。
メアリ自身が偏屈で痩せぎすで問題のある子ですが、
彼女は邸に落ちついてから、
使用人のマーサとの出会いやムーアと呼ばれる邸の周囲の植生からの生命力みなぎる風、
そして邸の周囲の庭で遊ぶようになり、少しずつ再生していく。
邸と花園によって再生していくメアリが、
逆に今度は邸と花園を再生させていきます。

気付いたことといえば、
小川洋子さんの『ことり』に出てくる鳥と話せるお兄さんのキャラクターは、
本作の重要キャラクターであるディコンからインスパイアされているのかもしれないこと。
ディコンは人と話すときは支離滅裂だけど駒鳥と駒鳥語で話をする、
という一文がありましたし、物語のなかで実際にそうでした。
そして『ことり』のお兄さんこそ、人間語がめちゃくちゃ。
共通しています。

本作後半で「魔法」だとか「大きな善きもの」と呼ばれる力。
なかなか名付けようがないけれど、
そのぶん人それぞれで自由に表現が可能なものです。
人のなかに備わってもいるし、人を含めたこの世界全体としてみてもその力はある。

なんとなく思い出すのはソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』。
この小説の底に流れているものだって人間の内に根源的に備わっているパワーのことであり、
『秘密の花園』の「魔法」などとほとんど同じだと思います。
僕も以前、かなり拙い小説ながらこの力を「火種」と名付けてテーマとし、書いたことがある。

個人的な経験ではありますけれど、
ちょっと本が読めてくると「魔法」や「大きな善きもの」
と名付けられるようなものを読書をしていない「しらふ」の状態でも
うっすらと感じられるようになってきます。
そして一度「魔法」に気付けば、
その後はけっこうふつうに、
生活な思索のなかで「魔法」を察知できるようになっていく。
まあ、しつこく考えればかもしれないですが。

最後にですが、
本書冒頭で、コロナならぬコレラによって人がばたばたと死んでいくんです。
いやぁ、この時期に疫病モノかあと構えましたが、
序盤の一章のみでした。
コロナが流行ってきてから、
カミュの『ペスト』が売れているという話を読みました。
こういう、時事に重ねて深めるみたいなのって、
僕はあんまりしないんですけど、
どうなんでしょうね、逆に視野が狭くなったりはしないんでしょうか……。

と、それはさておいて。
こういう子どもの素直な部分、それは良いところも悪いところもですが、
それらに触れられて、さらに自然の豊かさも感じられる読書になるのが本作。
あくまでそれは書かれていることであり、「読書によって」の経験ですが、
こういった読書が実生活へよい影響を与えもします。
それは、読書体験を経た後であれば、そこで知った知識や感覚や視点によって
感性がより開いた状態になるでしょうし、
その状態でいろいろと、
より深く見たり聞いたり知ったりできるようになるだろうからです。
そうして得た経験が想像力を豊かにして、
また次の読書時により深い読書ができるような
フィードバックになっていく。
つまりは好循環です。

そうはいうものの、
そういうことを考えなくても、ふつうに楽しめればいいんですけどね。

この物語に浸れれば、ずいぶんゆったりとした気分になれるでしょう。
かたとき、日常の鎧を脱ぎ捨てて、
かろやかかつ自然に、物語の世界に踏み入ってみてほしいです。


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