Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『権利のための闘争』

2020-04-13 19:12:27 | 読書。
読書。
『権利のための闘争』 イェーリング 村上淳一 訳
を読んだ。

自己の権利を手に入れることや保持することは義務である。
権利が侵されることは、人格まで脅かされることなのだから。
ゆえに、権利を求めないことは、奴隷状態になることを認めることでもある。
だから、権利のために闘争せよ。

重要ポイントは上記の要約にあります。
闘争といっても、イェーリングは、
ときおり、武力解決を認めもするのですが、
すべてにおいて殴りかかれと言っているわけではありません。
権利を主張するのなら、権利を奪っている者から取りかえせ、
または、それは自分の権利だと主張して、
権利を明確にせよ、そのためには全力で挑め、
というように言っています。

もひとつ要約するならば、以下を。
権利の侵害に対して、
「激情によって荒々しく激しい行為というかたち」もあれば、
「抑えの利いた、しかし持続的な抵抗のかたち」もあるが、両者に優劣は無い。
しかし、前者の態度は野蛮人や無教育の者によるし、
後者の態度は教養人によるものだ。

つまり、優劣が無いんだから、できるだけ野蛮じゃないやりかたでいこう、
と暗にさとされているかのようでもあります。

また、名誉の権利を重んじる「将校のタイプ」、
信用の権利を重んじる「商人のタイプ」、
所有の権利を重んじる「農民のタイプ」など、
権利感覚の敏感さは職業・身分によって違う。
なぜかといえば、各々の生存条件が違うからだ、という説明も。

ちなみに、
自己の倫理的生存条件を権利というかたちで保持しない選択をすれば、
(これは最初の方にちょっと書きましたが、)
それすなわち奴隷になることを自認することになる、とイェーリングは述べている。
権利を主張しないこと、
権利のために闘わないことは倫理的自殺だ、とも。
ただ、権利のためだとはいっても、
自己を見失わずにいることは大切ではないか。

このあたりの考えは、
最近ツイッターを眺めていて感じる風潮にメスをいれるものでもあるなと思いました。
コロナ禍の現在、
誰かが行動自粛を叫べば、出勤せねば食べていけないと抗議がはいり、罵倒まで出始める。
営業自粛を叫べば、営業しないと食べていけないと抗議が入り、これも罵倒まで始まる。
長く家にこもっていられる人、経済的にそれは無理の人がいます。
生存条件が異なっているから、リスクも違うんですね。
「コロナに罹って死ぬかもしれないし、拡げてしまう可能性が無くもないけど、
外で仕事をしないとコロナ以前に生活ができなくなる」
というのが大きく見当たる部分での重要なところでした。
だから、国からの補償を、との声が声高に聴こえてくる。

とにかく、今訴えられているのは、権利も権利、大権利である生存権ですよね。
その条件が異なっていて、大きく見て一律に見えるような政策では不公平すぎる、と。

と、まあ、そんなところですが、
僕自身ちょっと病みあがりみたいな状況であたまの踏ん張りが効かない、かつ、
このトピックは近々応募する小説の根幹のネタに触れる、ということで、
ここではこれ以上斬りこみません。
あしからず、です。


Comment    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『秘密の花園』 | TOP | 『心を動かす音の心理学』 »

post a comment

Recent Entries | 読書。