Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

基本的人権≒個人の秩序。

2023-05-20 09:55:35 | 考えの切れ端
ふと、「基本的人権」の言い換えを思いついたのでした。それはなにかと言えば、「個人の秩序」です。そうやって言い換えを想定してからまず秩序とはどういうものかを考えていき、個人と言うレベルの秩序に当てはめて考えてみる。そうすると、「基本的人権」がよりわかりやすくなると思う。秩序は、安全や安心、そしてその範囲内での効率性を担保するという良い点があります。「個人の秩序」としてみれば、自身の安心や安全、自分と言う単位でする仕事の効率性を生むものだとなります。おまけに、安心や安全ゆえなのかもしれませんが、幸福感や充実感もえられると思います。

で、他者によるものである他律性が個人秩序をつっつくと、秩序で得られる安全や安心が揺らぎます。くわえて、仕事の効率性もゆがめられる。だから、多くの人は他律性を嫌うのです。しかしながら、他律性を排す、イコール自律性を持つこととはならないんです。感覚的にこれはどうも違うと常々考えてきましたが、やっともっとよい言い方へとたどり着きました。「他律性を排す」=「個人の秩序を持ち、保つ」。

秩序はそれに沿わないものを排除したり修正・矯正を強いたりします。個人の秩序でそれをやると、他者の秩序が自分の秩序を脅かすから、その他者に他律性を発揮してしまうというケースが思い浮かびます。そうならないため、「個人の秩序」のイメージは、壁に囲まれたものとするとうまくいくかもしれない。そんな、壁に囲まれた自己を持つ個人同士にはできるだけのフェアなコミュニケーションが必要になる。現在、世の中に跋扈する「自己利益のための行動」は、それを求めるよりまずこのフェアなコミュニケーションを前提とするほうが、社会全体は生きやすい場になります。社会的な生き物として、まず社会の利益や全体的な幸福(理想を求め過ぎず、できるだけの幸福ですけども)を基本的事項としてルールのように優先することで、生きやすさの方向へと世の中の有り方は変化するんじゃないでしょうか。ただ、社会こそを優先! なんていうふうに行き過ぎてしまうのはよくないです。犠牲になってはいけない。欲望の部分に関するところでは、社会を優先するといいのかな、と思います。

というところですが、幸福感や生きやすさは、「個人の秩序」を持ち、守ることから得られるもののように考えられます。そして、それは基本的人権を含むものなのではないでしょうか。というか、ニアリーイコールなのかもしれません。

最後に。「関係性においての自律性」っていう言葉に触れたことがありますが、これについても、「関係性においての秩序」、ととらえてみると、より少人数のグループでの秩序に基づくものであると捉えることができます。介護は、介護者と被介護者との関係性の自律性が大切なんて言われていることがあります。お互いが納得して、一方的に決められるのではない、関係性においての秩序を築き上げられると好いのでしょう。
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