Fish On The Boat

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『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』

2023-11-05 00:42:25 | 読書。
読書。
『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』 伊勢崎賢治
を読んだ。

インド、東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンなどで起こった紛争や戦争による対立を仕切ってきた著者による、福島高校の高校生への講義と議論の記録。武装解除の話や子供兵の話はとくに、ごくっと唾を飲みこむ緊張感に包まれながら読むことになりました。

戦争がらみの国際問題の本で400ページを超えるボリュームです。手こずるかな、とちょっと気構えをして手に取りましたが、それでも話し言葉で進んでいくので、意外とわかりやすく読めました。それに、高校生にもわかる論理と言葉づかいですから、なおのことでした。

本書の性格がどういうものなのか、「講義の前に」と題された著者と高校生がはじめて対面する場面の様子の章にある文言を引用するとわかりやすいので、以下に記します。
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僕は、人をたくさん殺した人や、殺された側の人々の恨みが充満する現場に、まったく好き好んでじゃないけれど身を置き、人生の成り行きで仕事をしてきました。正直言って、楽しい思い出はありません。だって、今、目の前にいる人間が大量殺人の責任者で、自身も実際に手をかけているのがわかっているのに、笑顔で話し合わなければならないのですから。
こういう話は、日本の日常生活とかけ離れていて、別世界で起こっていることのように聞こえるかもしれない。でも、所詮、人間がすること。同じ人間がすることなのです。
なるべく、日本人が直面している問題、過去から現在に引きずっている構造的なものに関連させて、僕が現場で経験し、考えたことを君たちにぶつけてみたいと思います。(p47-48)
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第一章ではまず「構造的暴力」という言葉ががでてきます。わかりやすいところですと格差や貧困、差別、そういったものを「構造的暴力」と呼びます。そして、「主権意識」。米軍が駐留している日本に、たとえばテロリストが潜伏していて、それを米軍が日本政府に知らせずに捕獲作戦・殺害作戦をやったとします。そのときに、日本政府は強く抗議などできるのかどうか、そして日本人はその作戦にどれくらい嫌悪を持ったり批判したり抗議したりできるのか。そういったところに関わってくるのが「主権意識」です。後半部では、「原則主義」と「ご都合主義」のバランスの取り合いの話があります。たとえば「人権は守らねばならない」というのは原則ですが、現実としてどうしても守れない場合もあります。守れないことを容認するのが「ご都合主義」ですが、社会の風潮として、この「ご都合主義」が強すぎるように著者は考えている、ともありました。「原則主義」も大切だから、ほんとうならパワーバランスをとりたいわけです。

もはやこの第一章のみでもおなかいっぱいになってしまうくらい、現実的な生々しい問題がいくつも取り扱われています。正解のない、割り切れない問題なのですが、状況や内情を鑑みながら、最善手を見つけだして打っていかないといけない。それも、相手の細かい心理や信条、立場を想像し考慮して、ときに厳しくしたり、ときに相手に利したりしながら、交渉を遂行していく。でもって、めちゃくちゃ緊張感と重責があります。そういった現場を経験してこられた著者からの高校生への解説や問いかけを、読者も頭をひねりながら聞く(読む)ことになるのでした

第二章以降は、セキュリタイゼーション、脱セキュリタイゼーション、子供兵、憲法9条、核兵器、原発などにいたっていきます。そのなかであらためて感じたのですが、日本人は原爆を投下された恨みを、アメリカに対してではなく、概念としての戦争に向けました。これってほんとうにすごいことではないでしょうかねえ。僕には日本人の素晴らしいところに思えました。憎しみの連鎖を回避していますから(これはp291あたりの話でした)。

国際支援・援助のところも考えさせられました。他国への援助をする大国、アメリカにしろ中国にしろロシアにしろ、援助先の国からの利益を考えていて、「地政学的に重要だから密接になっておこう」「この国で採れる鉱物が重要だから親しくなっておこう」などの打算が強く働いているものだそうです。かたや日本のやる国際援助は、あまり国益を考えずその国の発展や平和のためを思ってやっている意味合いが強い正直な国際援助なのだとあります。これをおひとよしととうかどうかなんですが、著者も言っているのですが「だからこその強み」ってあるような気がします。日本の外交って、こういう正直さ、つまりあたりのやわらかさを基本として信頼を築いたり、向こうの警戒心を緩めたりできるかもしれなくないでしょうか。

また、援助先の国の治安が悪くならないようにとか、賄賂などの汚職がはびこらないようにとか、援助した金品が中抜きされないようにとかを考えに入れて援助するには、その国の内情をよく知らないといけません。内情を知らずに援助をしたがために、その国のバランスがもっと崩れて激しい内紛に繋がることもあるみたいです。そういうふうに考慮して援助・支援をすることを「予防開発」と呼ぶそうですが、著者の考えは、「予防開発」のための(もっと言うと戦争を回避するための)諜報活動って必要なんじゃないか、ということでした。諜報活動はいわゆるスパイを放って、他国の情勢を探り自国への脅威はないかを知り、相手国をくじく弱点をつかみ、といったように、自国が勝つためのものといった性質が強いのかもしれませんが、うまく戦争を回避するための外交交渉のエンパワメントのための諜報活動があってもいいんじゃないか、と。よく言われるように、「戦争」は「外交の失敗」にあるのならば、その外交能力がどれほどのものだったのかが知りたくなります。その外交能力を支える活動がどれだけなされていたのかが気になってくるものです。相手国をよく知れば、切れるカードは増えそうだし、効果的なカードが手に入ったりもしそう。そのための諜報活動は、現実的に考えて、あってもいいのかもしれないですね。

というところですが、恥ずかしながら、想定外の話がたくさんありました。国際問題や国際政治の裏側で、現実にその状況の都合にあわせて駆け引きや妥協をしながら、鎮静に向かわせたりしている。きれいごとだけじゃ無理というか、一枚めくると、きれいごとなんかはさっぱり通用しない状況だったりするみたいです。それは、それぞれがサバイブするために真剣だからそうなるのかもしれません。サバイブするためには、様式よりも実益なんです。そういう意味では、こういう本を読むことは、「人間を、よりもっとよく知る」ことにもなるんだと思います。僕の場合は、それゆえに自分の生ちょろさがわかるような読書体験でした。


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