Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『男、そのブログ愛』(自作小説)

2023-03-31 12:16:45 | 自作小説18
 十二月の夜の外気が張り付いてきても、熱を帯びた頬は燃え盛り続けた。
 今日は散々な別れ方をした。だいたい史恵はきっちりしすぎだ。大学の講義やバイトの間の時間の使い方について、毎日おれの行動をあれこれ詮索するうえに、ちょっと連絡を忘れたくらいで、会った時には必ずむっすりふくれている。
 インスタント食の多かったおれの体を気遣って、炒め物なんかを作りに来てくれたり、自分の部屋で作った煮物なんかを持ってきてくれたり、史恵はほんとうにおれのことを考えてくれる人で感謝だってしてるし、会えば楽しいことは楽しいのだけど、最近、うっとうしいと思う瞬間も少々でてきた。
 二人の相性がぴったり合っていれば、付き合うための努力なんてそれほど要らないのかもしれない。もしくは、気が重くなるような種類の努力の要らないのが相性の良さというものなのかもしれない。お互いの心のなかにある剝き出しの感じやすい部分にばかり触れるがため、その抑制としての努力ばかりが要る関係ならしんどくてうまくいかないのはすぐわかる。トラウマ的なもの、コンプレックス、そういったものに高頻度で触れないといけない関係は、相性の良い関係とは言わない。それをも克服していける関係に対しては、帽子を脱いで頭を下げよう。尊敬する対象だ。
 さてと、気持ちを落ち着けたい。今夜もシャワーの前にお気に入りブログの巡回チェックをする。全部で十サイト登録している。気の合う仲間みたいな気すらしてくる、おれにとっての珠玉のブロガーたち。最初の三つのブログは更新がなかった。四つ目、泡雪という名のたぶん女性が書いているブログである<溶解の砂場>には詩が更新されていた。目の悪いおれはぐうっとスマホ画面を近づける。


* * * * * * *


「明るいうちに」

地面が乾いた、明るいうちに。
路地の低きに流れる茶虎と、しんと静かで尖ったその眼。
欠けた淡い月の、明るいうちに。
風に巻かれた楓の葉、その香ばしい音たち。
吐く息の湯気もくもく。
吸う息の冴えひりひり。
地面が受け止めたのは、そこに熱があるから。
宿している熱を、わたしはまるで感じもせず、
踏みしめて、踏みしめて、明るいうちに。
わたしはどこに向かっているのか。
帰るのか、行くのか、そのどちらでもないのか。
明るいうちに。
せめて、明るいうちに。



* * * * * * *


 二回読んで、三回読む。最後に全体を眺めて味わう。
 場面は夕暮れ前だろうけど、暗くなる前って、なんの暗喩なのだろう。どこに向かっているのかまるで見当のつかない自分自身を表現しているみたいだ。詩の読み解きは得意じゃないながら、おれにはこの詩から生きていることの当てのなさが感じられた。おれだって、そういう気分の時はある。
 続いて五つ目から九つ目のブログもまた更新はなく、最後にチェックした<Light my fire>というブログが更新されていたので読みにかかる。ブロガーはプロメテウスという名の、たぶん男性だ。気分は落ち着いてきていた。


* * * * * * *


考え事をしながら、僕は今朝、今シーズン初めての雪かきをした。(前回、もしかすると初積雪になりそうだと予告したけど、その通りになってしまった)
仕事前に、ゆっくりと雪をかく。急いだほうが絶対にいいのだけど。

僕はそのことにうんざりしたりはしないのだが、毎年毎年過ごすのは、同じサイクルの日々なのは間違いない。(とはいえ、気候変動のせいか、寒暖のレベルは毎年極端なほうへ変化してる)

ああ、今年も雪が積もりだした、ああ、また桜がつぼみを付けた、というように、だいたいは、同じサイクルが訪れて、僕らは生きている。みんな、どうやってそこに変化をつけているのだろう? 僕にはもうマンネリなのだ。

凡庸な僕が、季節の移り変わりを凡庸に受け止めて、凡庸に仕事をこなし、食べなれたものを凡庸に食べ、凡庸にテレビを見、凡庸に本を読み、凡庸に給料を使い、少しは貯めもするけど、やっぱり日々の流れに身を任せている。


雪かきしながらした考え事の本編は、自分の死についてだった。
きっとこのまま平凡に死んでいくのだとしか思えない。
凡庸に、凡庸に、この月並みな人生を、どこにも刻み付けることもなく、ただただ消え去っていくだけのものとして、終えていく。
その何が不満なのだろうか。
僕だけじゃない、大勢の人がそうなのだし、なによりも何も悪くなんかはない事なのに。

多少は、息がってみたいのだろうか、いや、そうじゃない。
何か、成果を残したいのだろうか、いや、それも違う。

僕はひとりだ。
家族がいてもひとり。
今は恋人がいないけれど、いた頃を想っても、やっぱり結局はひとりだった。

何が言いたいか。
さみしい?
ちょっと違う。
それに、甘えたいわけでもないんじゃないか。

なんだろうと考える。
雪かきの時にずっと考えていたけどわからなかった。
つぎの更新までにひとつ答えが出ているといいのだけど。



* * * * * * *


 北国の人なのはもともとわかっていた。書いている中身から、おれとはまったく違う生活の、その質感が感じられていたからだ。
 このプロメテウスさんは、孤独で寂しげなところがある。このブログを見つけてからずっとそういう感覚を受けている。それでも、ブログの場ではそのままの自分を文章に写し取るように公開している印象で、およそ、他人がそういったタイプの人の内面を知るにはこういうかたち以外無いんじゃないか、とおれは思う。
 凡庸な人生なんて考えたことがなかった。そりゃ、立ち止まって自分を見つめれば、凡庸な人生を生きているという感想を持つのかもしれないが、そうなったところで、おれなんかはすぐにどこかへ歩きだして忘れてしまうだろう。
 今夜の儀式もこれで終わりだ。二つのブログを読めたし、シャワーを浴びて眠ろう。タイミングが悪いときには、どのブログも更新されていないから、二つしか読めなくてもまずまずだ。頬の熱さも和らいでいた。


 朝は食べない。ミルクで薄めたインスタントコーヒーだけで済ます。古びた納屋を描いたようなデッサンがプリントしてあるマグカップは、一緒に行った雑貨屋で史恵が選んだものだ。低いテーブルの前の床に座り、テレビをつけず、静けさに同化しながら少しずつ、その温かでエッジの効いた香りとともに体内へと受け入れていく。
 昨晩は、お互いにお互いの気に入らないことを責めあって別れた。その別れの前にした約束で、今日の昼に学食で会うことになっていた。正直、今日はすっぽかしたい。用事ができたからとメッセージを送って、史恵と会うのを避けようかと考えている。だけど心のどこかでは、避けることはもっとまずいことのような気がしていた。頭の中がもう少し冷静になれたなら、たぶん、会って話をした方が二人の関係のためには良いことになる。
 どうしようか。まず、一時限目の社会思想史の講義にでないといけない。教室で講義を受けながら、もう少し考えたり気持ちを落ち着かせたりしてみよう。決めるのはそれからだ。
 おれは黒いカバンを手に取り、ふうっと一息気合を入れて、部屋を出た。


* * * * * * *


長く画面を読んでいた。
冷めてぬるくなった紅茶が熱い。
温まるように、少しだけブランデーを垂らしたから。

わけもなく泣きたい夜がある反対に、
わけがあるから眠れない夜がある。
悩み、悲しみ、驚き、喜び。
怒り、恋、妬み、心の傷。
様々なわけがある。

再びわずかに紅茶を啜る。
胸に灯がともった。
その灯が、長く読んでいる画面を照らす。

生を諦めるとき、書く人がいる。
わたしはそれを見つけてしまう時がしばしばある。

解決をみることはないような物事が頑丈な糸になり、
がんじがらめに行く手を阻んでしまい、
途方に暮れるよりほかない場面がそこにある。

出くわすわたしの中には、
悔しいとかやるせないとかあんまりだとか、
言葉と感情が次々に湧きおこってくる。
言い募れば薄まっていくものがあって、
それは無情ではあってもわたしの健全さを保つ仕組みとして無条件で発動してくるものだ。

生を諦めるときに書く人の多くは、
書いてはいても、書き募らない。

あなたは、
諦めるのでしょうか?
どうか、言い募るように書き募ってみて。


そして私はまた紅茶を啜った。


* * * * * * *


 泡雪さんの<溶解の砂場>が二日連続で更新されていた。淡雪さん、誰かのブログを読んだみたいだ。その淡雪さんなりの反応としての文章だと思う。誰かの文章の裏側に苦しみを見出したのかもしれない。そのような場面にもこれまでに何度か遭遇したことがあるふうだ。「言い募れば薄まっていくものがあって、」というのはわかる。言い訳したり愚痴ったりするのが激しいヤツのほうが、ぐっと無言で耐えているヤツよりもなんでもなかったりしがちだけど、それに近いような気がした。
 紅茶にブランデーを垂らすなんておれはしたことがない。大人の夜の過ごし方だなと思った。淡雪さんはいくつくらいの人なんだろうか。彼女の言葉使いや考え方が、俺はとても好きだったし、一方的にだけど相性だって悪くないような感じがしていた。

 史恵とは、今日は会わなかった。メッセージを送ることさえも躊躇したのだけど、そこは自分を奮い立たせて、短い文章で、ごめん用事ができた、と伝えた。早いうちに気持ちを整えないと。このままずっと会わなくなって気まずいまま自然消滅していく可能性が頭に浮かびだしている。

 <溶解の砂場>のあとに<Light my fire>を表示してみると、こちらも更新されていた。どれどれ、昨日の思索の続きかな。


* * * * * * *


今朝も雪かきだった。
豪雪地帯とまではいかないけど、けっこう積もるほうなのだ、僕の住む土地は。

そして、考え事は続いている。
自分の死についてと自分はひとりだということと。

まず、死だ。
いや、死についてのほうに、的を絞って考えてみよう。
怖いかと訊かれれば、やっぱり怖い。
痛い死に方や苦しい死に方が一番に思い浮かんでしまうからだ。
そして、死の瞬間という決定的場面を迎えての心の内がイメージできない。
いったいどうなるのか、さっぱりわからない。
このまま死ぬのだろうな、と考えて、その死の瞬間に不安のピークに至ったりしないのだろうか。
これってあり得そうなケースだと思うのだけど、でも死のまさにその瞬間にパニックになっていた人、という話は聞いたことがないから、死というものは、たぶんパニックとは毛色の違う事象なんだろうとは思う。
死って、エネルギーが消失していく現象だろうから、パニックになるのにはエネルギー不足なのかもしれない。

そういった、死の恐怖とは別に、「存在しても存在していなくてもどうやら同じだった」みたいに僕は死んでいくに違いないのだと想像すると、やっぱり引っかかってくるものがあるのだ。無為をすんなり受け入れられるほど、僕はできた人間ではない。

前回、死を想う時のその想いは、さみしいのとはちょっと違うと書いた。
ずっと考えていて、じゃあ何が違うのかというとそれは、誰かと話をしたい気持ちがあるということだ、とわかってきた。
すごくさみしいわけではないのだけど、誰かと話はしたいのだ。

自己分析してみてわかるのは、自分を満たすためだけに話をしたいのではなく、かといって、誰かに与えたいためだけに話をしたいのでもない、ということ。
おそらく、これらのどちらも半々ぐらいに混じり合った動機があると思われる。
それでも、まだ、考えが足りていないのはわかっている。

話をしたいには、まだ奥があるようだ。
それはまた次の更新で。



* * * * * * *


 重い一歩ずつなのかもしれないけど、歩いてるなプロメテウスさん。この記事の内容そのものの意味に促されたのではないのだけど、おれも史恵とはやっぱり話をしたほうが良さそうだ。「明日、午後の講義が終わった後、バイトが始まるまでの間に時間を作れないか、できれば話がしたい」と史恵にメッセージを入れた。もう午後11時をすぎていたが、すぐに返信が来た。「午後3時半から一時間くらいなら大丈夫だけど」とあった。大学から地下鉄の駅までの長い下り坂の途中にあるカフェで待ち合わせをした。


 カフェに二、三分遅れて到着してみると、史恵はとっくに席についていた。
「ごめん、待たせた」
 史恵はいつものような、ほころんだような笑顔ではなく、
「ううん。ちょっとだけ前だから、着いたの」
と口元だけの微笑みで応えた。史恵は紅茶を頼んだというので、僕はオリジナルブレンドのコーヒーを頼んだ。講義はどうだった、だとか、昼食は小さなパンしか食べてなくて、だとか、どちらからというわけではなく当たり障りの無い話題をぽつぽつと繋いでいった。先に運ばれてきた史恵の紅茶を、おれは頬杖をつきながら眺める。
「ブランデーをたらすと旨いんだってな」
 史恵は、一口啜るところで、目を丸くした。
「圭介の口から、そんなお洒落な雑学がでてくるの、初めてだね」
「意外と、知ってんのよ」
 小さな笑い声が史恵からもおれからも漏れだし、思わず長く尾を引いた。いつもの空気感に近くなった。そして、このタイミングでおれのコーヒーもテーブルに運ばれた。
「で、話って? まあわかるけどね」
「そう。その話なんだ」
 言いにくいけど、先にこっちから謝ったほうがいい。
「史恵、ごめん。悪かったよ。謝る。許して」
 史恵はおれの目をじっと見つめながら、ゆっくりとまた紅茶を一口含んだ。その動作に違和感めいた重々しい感じがさあっと漂い、おれは嫌な予感を覚えた。史恵がやっと口を開く。
「ごめん、って言うけど。じゃあ何が悪かったと思ってる?」
「わがまま言ったかな、って。言い合いになったときにさ、史恵の言ってることを理解しようともしなかった」
 手のひらが汗ばんできた。
「あのね、私だって、自分の言ったことややったことがすべて正しかったなんて思ってないよ」
「え、そうなの?」
「圭介、ほんとに考えたの? ただ謝ればいい、なんて安易に解決しようとしてない?」
 コーヒーカップを手に取る。熱くて苦くて、ほんのちょっとしか飲めなかった。史恵の言う通り、おれはただ謝ればいいのだろう、と考えてきた。この流れではどうやらそれだけじゃ解決しないことがわかりかけてきている。ヤバいかもしれない。史恵は続けた。
「こないだ圭介が言ったように、私はあれこれ圭介の領域に踏み込み過ぎている。あのあと反省したもの。だから節度っていうか、付き合ってる同士でも距離感って大切なんだなって痛感したのよ」
 そういう話か。だったら、史恵が反省したのだからおれが許せば二人の間の溝は埋まるのか。
「わかってくれて嬉しい。正直に言うと、けっこうイラつくようになってた。でも、そう考えてくれたなら、俺はもういいよ」
 よかった。おれは史恵と別れたいわけじゃないから。そう安堵していたおれに向けている史恵の目つきが、突然研ぎ澄まされた。またしても嫌な予感に襲われて、カップの取っ手を握る指が震えた。ソーサーがかたかたと小さく鳴るのが聴こえる。
「圭介のほうはどうなの、なにを反省したの? 私の言ってることを理解してなかったって言ったけど、私の言ってることを理解して受け止めるのなら、これまでのように私が圭介の領域にずかずか踏み込んでいってもいいってことになるんだけど」
 たぶん、何も反省していないことがバレてる。実にまずい展開に入り込んでいた。さらに史恵は言う。
「圭介。ねえ、私のこと好きじゃないの? 私のこと、嫌い?」
「いや、好きだよ」
「じゃあ、どういうところが好き?」
「健康に気を使ってくれるところだとか」
「それだけ? お母さんみたいにしてもらうのが嬉しかったの?」
「それだけじゃないよ」
 そうは言ったものの、手詰まりだった。具体的に出てこない。おれは史恵のどういうところが好きだったのだろう。あまりに考えていなかった。個体のようでも液体のようでもない、霧状に漂うような好意。自分でもつかみどころがなくて、答えられない。史恵の追求が続く。
「うそ。言えないじゃない。私のこと、ただのお母さんだとか家政婦だとか、そういうふうにしか見ていなかったんじゃない」
 史恵の声は抑制されていて普段の大きさのままなのだが、その速さは違った。連射だった。つまり、かなり怒っている。だが、このまま泣き出されたくない。それはまるっきり本意じゃない。おれは史恵が好きだ。ただ、これまであまりに無条件に甘えてしまったがゆえ、その好きなところが言葉にならないだけなのだ。把握する必要性すら感じていなかったから。でも、何か言わねば。泣き出されたくない。伝えられるものを絞り出さねば。
「おれは史恵が好きだよ。これは間違いない。絶対だ。気を使ってくれることには感謝している。でも、それだけじゃない。もっと好きな気持ちがある。でも、どうしてなのか、言葉にならないんだ。どこが好きかなんてフォーカスしなくても、好きなら好きだけで通用すると思ってたから。浅はかだと思うだろうけど、ごめん、ほんとうにそうなんだ。でも、好きだよ。史恵と一緒にいると楽しいし、史恵はかわいいし。今、全力で言葉にできるのはこれだけ。すまないけど、今はこれだけで全力」
 このあと史恵がどう理解してくれるかわからないけど、おれはなんとかこれだけを言った。おれの低いレベルでは、これがすべて。気が付けば、胸がしくしくと切なかった。


* * * * * * *


こだまでしょうか、という詩がある。
思い出すたびに気持ちが柔らかくなる好い詩で、
ご存じの方も多いでしょう。

呼びかけると必ず返ってくるなんて、信頼みたいなものがとても強くなりそう。

こないだ、わたしの書いたことのこだまではないのだけれど、
あなたは書き募ってくれました。
弱々しいわたしの願いが、
実際に届いただなんて爪の先ほどわずかにも思いはしませんが、
その通りになってくれていた。

人間と言う存在の命は、必ず散る宿命にある。
考えたってしょうがない。
100年時代と言いますが、25年でも30年でも長いはずなのに短くて。

もっと生きたいと強く願いながら邁進していく姿は美しい。
だけど、1000年も2000年も生きるセコイアの樹のように、
ほんとうにそこまでまっすぐ生きたいのだ、と願う人物はどうしてなのか、
わたしにとってはとても醜い。

人間は人間のやり方で、
その平均的な寿命の内で、
精一杯充実できる仕掛けの存在なのだから、
どうしても運と不運とはあるとしても、
あまり文句を言いたくないのがわたしの性質なのだ。

凡庸な人生。そうかもしれない。
でも、そうだとしても、あなたやわたしは受精という、
数限りない同士との競争に勝ちきって生じた奇跡なのだし、
さらに大きな視野で考えれば、身体全体を構成している無数の原子は、
宇宙のあちこちで星たちが爆発したときに生まれたものだったりする。
とってもスペシャルだと思わない?
もうその存在だけでね。

このわたしの散文は、こだまとなるでしょうか。
存在だけで奇跡であるようなわたしたちが、
それ以上の奇跡を望むなんて、
罰当たり甚だしいのかもしれません。

それでも、そっと握りしめるように、わたしは願います。



* * * * * * *


 三日連続で淡雪さんは更新してくれていた。それもなんだか意味深長な更新だ。というより、これってプロメテウスさんの<Light my fire>を読んでの反応じゃないだろうか。おれが<Light my fire>を読み始めたのはたしか、たまたま覗いた淡雪さんのブログフォロー欄に載っていたからだ。見つけてからまだ半年も経っていないと思う。プロメテウスさんのブログフォロー欄のほうには淡雪さんの<溶解の砂場>があるのかどうか、あとで確認してみよう。
 でも、素敵だな、と思った。こんなふうに言葉を使えるなんておれには無理だから。大切なことをきちんと言葉にすることは難しい。たとえば、好きだ、という気持ちをもっと的確に表現するのがそうだ。
 プロメテウスさんへのリプライだとすれば、こんな返し方をしてくれる淡雪さんって、おれだったら尊い。凡庸な人生と書いていたプロメテウスさんだったが、淡雪さんはそれをスペシャルな存在に変えてしまった。
 人って、こうやってカバーしあう美しさがある。淡雪さんの記事がプロメテウスさんに届いているといいのになと思ったけど、それはでも、実際は些末なことなのかもしれない。自らは知らないとしても、見ている人はいるんだっていう事実の存在こそが大きいような気がした。それを信じることのほうが、大事なことのような気がした。
 そして、そんな二人の有り様を外から眺めていられるおれ自身の経験も、とても有難いもののように感じられた。

 おれも、淡雪さんのやり方のように、史恵を想うことができたらいいのに。おれにとってはまだまだそこはレベルの高いスタンスになるけど、だとしても目指さなかったら今のままで終わってしまって成長しない。今日、カフェで史恵と会って話をして、好きだという気持ちすら、おれはなんら具体的に考えていないことが痛いほどわかり、とてももどかしい気持ちになり自分の幼稚さに元気を失くした。自分の気持ちを、自分の言葉にできるくらいまで知ること。おれはまだまだだ。それは、成人した一般の大人としてもまだまだだということだ。
 史恵は、おれが力の限り絞り出して言ったことを、それでも言葉が全然足りなかったにせよ、受け止めてくれた。「一応わかったけど、まだよく考えてみて。そして私に話して」と、史恵の方が逆にお願いするように言ってくれた。おれはよく考えようと思う。ノートにペンで書いて整理してみようと思う。そうやって、自分の言葉を探っていこう。

 <Light my fire>を表示する。今日の更新はなかった。ブログフォロー欄を調べてみたけど、<溶解の砂場>は登録されていなかった。

 その後、五日間、<溶解の砂場>も<Light my fire>も更新はされていない。おれは史恵に、今日食べたものの報告やおやすみのあいさつなどのメッセージを毎日送りつつ、毎晩ノート書きに力を注いだ。自分とはどういう人間なのか、好きなものは何か、嫌なことはどういうことか、そして史恵をどう思っているか。考えながら書きだし、そしてまた考える。自分ってこういう人間だったのか、と客観的にイメージできるようになってきた。それは、他人から見た自分の姿というものが、いくらかわかってくるということでもあった。
 思ってたよりずぼらで、なのに神経質なところがあるのがわかった。他人と一緒にいるよりも、ひとりで過ごすほうが落ち着くのはわかっていたけど、その度合いはたぶん、友人知人たちのなかでもトップクラスにあるかもしれない、と思うようになった。
 自分がくっきりとしてくる。自分のことなのに、書くことで様々なものを見つけた。ブログやネットの記事を読むのは好きなのに、書くことってこれまでほとんどしてこなかった。おれも、淡雪さんやプロメテウスさんのように、ブログを始めてみてもいいのかも、とちょっとドキドキしながら、自分がブログを持つさまを想った。まあ別に、ブログじゃなくても、SNSでもよかった。これまでそういったサービスに触れてこなかったのだけど、周囲のみんながよくSNSを身近なものとして使いこなしているその何が面白いのか、文章を書くという行為についてだけは、おれにもわかってきたのかもしれない。


 六日目の朝、いつものルーティンではないけど、なんとなしにブログチェックをした。<Light my fire>が更新されていた。更新時刻は夜中の3時過ぎ。格闘したのだろうか。あの思索記事の続き。画面に迫って読む。


* * * * * * *


なんと、雪が溶けた。積雪ゼロになった。
急に暖かくなってびっくりした。これも気候変動の影響なのだろう。

さて。
「話をしたい」ということがテーマの話の続きをしたい。
さみしいがゆえというのとはちょっと違う、この「話をしたい」という衝動のようなものについて考え続けていると、自分を満たすにしても、与えるにしても、実は自己顕示欲から来ているものなのではないか、という疑いが生まれ出てきた。
つまり、自分のその小ささに耐えきれないから、話をしたいのではないだろうか、ということになる。
それはそれで、ひとつの答えかもしれないし、あるひとつの答えとしてはきっと合っている。

ただ、何かの物事や事象、人間心理にしても、その答えは無数の面から成り立っていて、たとえばその中でのふたつの面は、互いに矛盾すること同士なのに悪戯っぽく平然と隣り合っていたりすることがある。
だから、自己顕示欲というひとつの答えにとらわれ過ぎずに、少し切実に「話をしたい」ことのまた別の面をなしている答えを探ってみたい。

話すってなんだろう。内容がしっかりしていないと話してもつまらないから話さない、という人がいる。
合理的な人だろう。情報の伝達手段としての話すこと、という位置付けだ。これも一つの面だけど、僕の動機はこれには合致していない。

しっかり話すと今のままの関係が壊れてしまうかもしれないから、大事なことを隠したまま話す、という人もいる。例として片想いの人がそうだ。
これはどうやら僕の動機に近いだろう。

大事にしている内容を隠してまでなぜ話をするのだろう。
見つめ合うということに近いのかもしれない。
話したい相手は、ずっと見続けていたい相手なのだ。
その存在を感じていたい相手なのだ。

他にも、挨拶するという話し方がある。
あまり意味のない記号のような言葉を交わすだけで、その存在を確認し合い、お互いの応答を得ることで安心を得る効果があるように考えられる。

まだまだ「話をしたい」にはいろいろな面があるだろうけど、ここらで僕の動機を再考したい。
情報をもらい、与え、その相手の存在を愛で、不安を消しあう。
全部かき混ぜて考えると、つまるところなんとも情報量の多い創造的な行為に見えてきやしないだろうか。
話をすることって、ぐるんぐるん弧を描いて上昇していくかけ算みたいな創造的行為だと言えるのではないか。
かけ算どころか、平方かもしれない。

自分では気づいていなかったけど、僕の「話をしたい」動機はどうやらそこにありそうだ。意識の底にある、シンプルに、創りたい、という衝動。

創造。

クリエイション。

これじゃないか。


思いがけず、おもしろい答えが出た。
話をしたい、イコール、創りたい。

ずっと忘れないでいたい答えが生み出せると嬉しいものだ。

ネットに綴っているのだから当然だけど、読んだくださった方にこの考察を共有します。
役立つならば、嬉しいです。



* * * * * * *


 プロメテウスさんは見事、自分なりの答えを見つけ出したようだ。おれもなんだかうれしくなった。淡雪さんの願いが通じた。
 それにしても、「話をしたい」ことの源が創造の欲求にあるなんて、独特といえるような答えだ。
 きっと淡雪さんはこの後、この記事への反応としての記事を書くだろう。なんていうか、俺にとってこの二人は、天空の織姫や彦星のようだ。手の届かない天空世界に住む人々のうちの二人だという感覚がする。おれの手の届かない天空の高く高くあるようなところで、繊細な想いを投げあったりしている。実際は天空でというより、サイバー空間の片隅でということなんだけど、それだと風情がない。
 おれも、そういう人になってみたくて、近々ブログを作成することに決めた。SNSでもいいのかな、と考えていたけど、やっぱりブログのほうがしっくりくる気がする。
 ブログ愛。いつしかおれにはそう呼ぶべきものが宿っていた。そうか、これが愛ならば、史恵のことを好きだという気持ちも、同じ気持ちの持ち方で「愛だ」ときちんと言えるくらいはっきり掴みとれるのではないか。

 これからバイトに行く。帰ったらまたブログをチェックしよう。淡雪さんが更新しているかもしれない。
 おれは史恵にもこの二つのブログを教えようと思う。そして、おれがこれから始めるブログをうまく更新し続けられるようなら、いつか史恵にも読んでもらいたく思っている。天空の住人としてのもう一つのおれの姿が、そこにできあがっていることを願う。


 地下鉄の駅へと歩く。よかったな、プロメテウスさん。
 おれもまた、歩き出す。創造したいのは、プロメテウスさんだけじゃないのだから。


* * * * * * *


「もたらされた灯」

その灯は、ついにもたらされた。
うずくまってばかりの世界に打ち立てられた道標。

降りしきる暗黒の粒子たちの勢いは、
止まるところを知らぬままでありはする。
だとしても、照らすものがもたらされた。
寄る辺ない世界に打ち込まれた小さなくさび。

わたしの輪郭すら認めさせない暗黒の、
知恵を遠ざける魔術が消え去ることはけして無い。
であろうとも、言葉である灯はもたらされた。
幻惑の世界を薙ぎ払う鍛えられた一本の剣。

闇が包んだ喧噪の、粘つく死の眠りの息よりも、
中心の眩いばかりの静寂の声は、低く、低く、頼もしい。
灯によって、わたしは見える。
言葉によって、わたしは見える。
その眩さに誘われた涙が、丸く弾けて、語りを始めるのが。



* * * * * * *

(了)


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