読書。
『愛と暴力の戦後とその後』 赤坂真理
を読んだ。
近現代史ってよくわからなくないですか?
なぜ太平洋戦争が起きたか、
それ以前に、なぜ大東亜共栄圏のもと、
満州や朝鮮、台湾などを支配していたか、
についても、その動機や当時の民衆の考え方や空気が
イマイチつかめなかったりしますし、
そういう方ってけっこういらっしゃるのではないですか。
ぼんやりした近現代史のとらえかたで生きているからこそ、
現在に生きるぼくらの精神構造に少なからずその影響があり、
よくわからない矛盾や苦悩が、
意識上か意識下か、そのすれすれのボーダー付近から生じたりする。
本書は、そのような、ぼんやりとしかわかっていないひとの多い近現代史を、
自らもぼんやりとしかわかっていないことを認め、前提にして調査し勉強して、
なにか「よすが」のようなものを見つけていくエッセイ。
赤坂真理さんは小説家でもおありなので、
出だしなどは、小説のそれのように、そして気合も乗っていて、迫力十分。
また、肩に力の入った文章に読めますが、
読んでいくうちにそれも気にならなくなっていきました。
迫力に押されてしまったのかもしれません。
終盤に近いところで、
「自分が現在だけにぽつんと置かれたようなよるべなさ」と書いてあって、
これって多くのひとが感じていることだろうなあと思いました。
歴史の連続性を感じ得ずに、
現代という舞台にいきなりいる感覚って、
勉強不足という言葉では片付けられないものなんじゃないでしょうか?
そして、「それは自尊心を蝕む」と続くのでした。
現代の日本人はこれだけじゃなくて、
いろいろ分裂した概念の板挟みになっていると説明されている。
政治に文句は言うけれど選挙に行ったことがない、というひとだとか、
社会上の分裂した概念が基盤になってしまっているからかもしれない。
60年安保闘争、70年安保闘争、80年代というもの、
そして、オウム真理教についてのこと、
個人体験としてのこの日本の政治感覚というもの、
最後に、憲法、をみていく。
憲法改正の動きはSNSなんかでも知識人がいろいろ考えを述べていらっしゃいます。
賛成、反対、いろいろありますが、
本書の著者の立場は、どっちかといえば反対、というところ。
自民党の改憲案には驚きますよね。
97条の「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は(中略)
現在および将来の国民に対し、侵すことのできない
永久の権利として信託されたものである」
という文言を削除して、
102条には「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と追加してる、と。
その他、天皇を象徴ではなく元首と改める(明治期に戻す)、だとか、
民主国家色を極端に薄くして、国家主義国家色を濃くしようとしていますね。
まあ、ここで、天皇を元首というのはアレコレという意味で……というような、
解釈の忖度はしないほうがいいです。
そのような曖昧な語句を今の世代がうまく解釈しても、
後の世代が自分勝手に解釈する余地を与えてしまうからです。
これは、たとえば、本書に書いてありましたが、大日本帝国憲法で、
天皇に権威を与えながら実権は政府が握れるようにしたシステムを、
昭和期に軍部が暴走できるシステムに解釈したのと似たようなことです。
日本の近現代を、論考、思索する旅をともにする意味で、
このエッセイは非常におもしろかったです。
序盤では、著者の頭のキレのよさに、
大丈夫かなと逆に心配になったくらいですが、
後半、文章から力が抜けていくのとともに、
安定していったように読めました。
著者は、若い頃に留学したのをきっかけにか、
英語に明るい方なので、
そういった点での言葉へのスポットライトの当て方が見事で、
彼女ならではの視点からの論考プレゼンがありました。
意外とさらっと読めてしまいますので、
現代人の内面に宿る不安定なフワフワ感ってなんだろう、
と疑問に思うような方は、ご一読をおすすめします。
『愛と暴力の戦後とその後』 赤坂真理
を読んだ。
近現代史ってよくわからなくないですか?
なぜ太平洋戦争が起きたか、
それ以前に、なぜ大東亜共栄圏のもと、
満州や朝鮮、台湾などを支配していたか、
についても、その動機や当時の民衆の考え方や空気が
イマイチつかめなかったりしますし、
そういう方ってけっこういらっしゃるのではないですか。
ぼんやりした近現代史のとらえかたで生きているからこそ、
現在に生きるぼくらの精神構造に少なからずその影響があり、
よくわからない矛盾や苦悩が、
意識上か意識下か、そのすれすれのボーダー付近から生じたりする。
本書は、そのような、ぼんやりとしかわかっていないひとの多い近現代史を、
自らもぼんやりとしかわかっていないことを認め、前提にして調査し勉強して、
なにか「よすが」のようなものを見つけていくエッセイ。
赤坂真理さんは小説家でもおありなので、
出だしなどは、小説のそれのように、そして気合も乗っていて、迫力十分。
また、肩に力の入った文章に読めますが、
読んでいくうちにそれも気にならなくなっていきました。
迫力に押されてしまったのかもしれません。
終盤に近いところで、
「自分が現在だけにぽつんと置かれたようなよるべなさ」と書いてあって、
これって多くのひとが感じていることだろうなあと思いました。
歴史の連続性を感じ得ずに、
現代という舞台にいきなりいる感覚って、
勉強不足という言葉では片付けられないものなんじゃないでしょうか?
そして、「それは自尊心を蝕む」と続くのでした。
現代の日本人はこれだけじゃなくて、
いろいろ分裂した概念の板挟みになっていると説明されている。
政治に文句は言うけれど選挙に行ったことがない、というひとだとか、
社会上の分裂した概念が基盤になってしまっているからかもしれない。
60年安保闘争、70年安保闘争、80年代というもの、
そして、オウム真理教についてのこと、
個人体験としてのこの日本の政治感覚というもの、
最後に、憲法、をみていく。
憲法改正の動きはSNSなんかでも知識人がいろいろ考えを述べていらっしゃいます。
賛成、反対、いろいろありますが、
本書の著者の立場は、どっちかといえば反対、というところ。
自民党の改憲案には驚きますよね。
97条の「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は(中略)
現在および将来の国民に対し、侵すことのできない
永久の権利として信託されたものである」
という文言を削除して、
102条には「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と追加してる、と。
その他、天皇を象徴ではなく元首と改める(明治期に戻す)、だとか、
民主国家色を極端に薄くして、国家主義国家色を濃くしようとしていますね。
まあ、ここで、天皇を元首というのはアレコレという意味で……というような、
解釈の忖度はしないほうがいいです。
そのような曖昧な語句を今の世代がうまく解釈しても、
後の世代が自分勝手に解釈する余地を与えてしまうからです。
これは、たとえば、本書に書いてありましたが、大日本帝国憲法で、
天皇に権威を与えながら実権は政府が握れるようにしたシステムを、
昭和期に軍部が暴走できるシステムに解釈したのと似たようなことです。
日本の近現代を、論考、思索する旅をともにする意味で、
このエッセイは非常におもしろかったです。
序盤では、著者の頭のキレのよさに、
大丈夫かなと逆に心配になったくらいですが、
後半、文章から力が抜けていくのとともに、
安定していったように読めました。
著者は、若い頃に留学したのをきっかけにか、
英語に明るい方なので、
そういった点での言葉へのスポットライトの当て方が見事で、
彼女ならではの視点からの論考プレゼンがありました。
意外とさらっと読めてしまいますので、
現代人の内面に宿る不安定なフワフワ感ってなんだろう、
と疑問に思うような方は、ご一読をおすすめします。