Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『アンリ・カルティエ=ブレッソン』

2013-06-25 00:06:20 | 読書。
読書。
『アンリ・カルティエ=ブレッソン』 アンリ・カルティエ=ブレッソン
を読んだ。

創元社から出ている、
フランス生まれの写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの
作品集であるポケットブックです。

派手ではないし、ウケを狙ったところもないし、
各国の文化を色濃く捉えているという感じでもない。

「世界は一緒」とでも見えてしまうような写真群です。
それは、カルティエ=ブレッソンという人の視座から
捉えられた写真であるから、みんな同じように見えるのかもしれない。

「カルティエ=ブレッソン色で統一されている」という言葉を使うと、
また違う意味になってしまい、的を外すことになります。
そこらへんが、表現にむずかしい。

写真家の個性は無いわけではないのだけれど、
個性を主題にはしていないと思います。

じゃあなんなんだろう、と考えると悩むわけでして。

すごく地味になって存在感を消して、
カメラのシャッターを切っている感じ。
そうやって見えて、撮影されたものを彼なりに選別して
まとめてみると、何かが通奏低音として流れているような
ものになるという。

なんだか、自然環境も文化も、人間を染め上げるものであって、
その「染め上げられました」という部分を写真に収めているような気がするんですよ。
ここではこういう風に染め上げられている人々がいます、という提示が、
カルティエ=ブレッソンの写真であるような気がします。
つまり、写真集には収められていないし、そんな写真は存在しないのだけれども、
染め上げられていない人間というものを無意識に予感させながら、
見せる写真なんじゃないだろうか。

風景にボートだけが写った写真にしても、
防風林を撮った写真にしても、
そこには、人間の息遣いが感じられて、
その息遣いが感じられる人間というものは、その自然や風土、文化に
染め上げられていて。

万国(万国民)共通の何かというのは、きっと、
同じ人間であるという共通項なんだと思います。
染め上げられていても、「みんな人類という種族」であるということ。
そういうのを言外に感じられる作品を作ったのが、
カルティエ=ブレッソンなんじゃないかと、僕は思いました。

というか、写真という芸術に暗いので、
カルティエ・ブレッソンに限らず、そういうものが
多くある世界なのかもしれない。

最後に、僕のお気に入りの一枚は…、
「M」という脚線美をとらえたものでした。
これは美しいです。

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