デブ夫婦のビバ!お気楽人生&ぐーたら生活

体重合計約150㌔のちょっぴりデブ夫婦です♪毎日ぐーたら暮らしているお気楽夫婦のゆる~い日常を綴っています。

家族という病/下重暁子@セレブおばさまの愚痴と自慢のご本です♪

2015-11-17 10:46:20 | 読書感想・レビュー
すっかり秋も深まり、朝晩は寒いくらいの日が増え、
米を研ぐ時に、水が冷たく感じるようになってきている。
しかし、まだ外出時のトイレの便座の冷たさは感じていないので、
まだそこまで寒くはないのだろうと思っている、11月中旬のデブ夫婦である。

先日11月11日は『1並び』ということで、一年でイチバン記念日が多い日なんだそうな。
数字だと『1』が4つ並び、漢数字だと『十一』が2つ並ぶってんで、まあ記念日があるわあるわ。
何でも、数年前までは10月10日が記念日の数ナンバーワンだったのだが、
ついに11月11日が抜いてしまったとか(´・∀・`)ヘー

ざっと挙げてみると・・・、
そのカタチに似たものシリーズとしてイチバン有名なのは『ポッキー&プリッツの日』。
同じ系統として『きりたんぽの日』『麺の日』『もやしの日』『靴下の日』『チンアナゴの日』
ほかにも『下駄の日』『豚まんの日』『煙突の日』『麻雀の日』などなど。
『十一』シリーズでは『鮭の日』『鏡の日』『配線器具の日』『電池の日』・・・さあ、わけわかんなくなってきた(笑)。
『サッカーの日』はいいとしても、『ライターの日』やら『美しいまつ毛の日』とかになると・・・ヾ(o^▽^o)ノあはは♪

これだけ考えるのもある意味スゴイ。語呂合わせだけじゃなく、日本人は文字やコトバで遊ぶのがやっぱり昔から好きなのかなあ。
個人的に好きなのは、お箸が並んだ形に見えるからという『いただきますの日』かな~~??

そして11月第3日曜日は『家族の日』なんだそうだ。
内閣府が2007年度から少子化対策の一環として実施しているもので、家族の日の前の日曜日から次の土曜日までを
『家族週間』としているらしい。
というわけで、積読状態の本たちの中から、家族をテーマにして今年3月の発行以来ベストセラーとなっているらしいこの本を読んでみた。

『家族という病』下重暁子
下重暁子さんの本って、大昔・・・小学生くらいの頃に家にあって読んだことがあるのを思い出した。
『聞き上手、話し上手』みたいなタイトルの本だったと思う。
本の内容はまったく覚えていないし、NHKアナウンサーだったという程度しか知らなかったのだが、
この本を手に取った人のほとんどが、おそらくタイトルにひかれて手に取るのだと思われる。
いわゆる家族問題をテーマにした本だろうと。
で、このテの本を買うのは、少なからず自分の家族や育ってきた環境やなんかに対して問題があったり、疑問や不満があった(ある)人だと思う。
家族大好き、親大好きなんて人は目にもとめないだろう。

2号嫁も、もちろん家族に対しては思うところはあるし、イマドキの『家族ってステキ!』『家族バンザイ!』という気分には到底なれないので、
まんまと手に取ってしまったわけだ。

で、そういう思いがあって読んでみると・・・あら~~?? という感じになる、多分(*´艸`)クスッ
だって、この方自身がきちんと家族と向き合ってないんだもーん。

『私の経験から言うと』『私の友人・知人では』『という話を良く聞く』などなど、
すべて著者の周りの人や著者自身の体験しか元になっていないんだよね。
私と私の周りではこうだった →だからみんなそうなのだろう 的な傲慢さが見えちゃう。
これでは『オレの若い頃はね・・・』と、飲み屋で若い頃の武勇伝を語り、
『お前らには所詮わからないよな』『だからイマドキのヤツは・・・』などとほざくオヤジと変わらないのではなかろうか。
百歩譲ったとしても、これはエッセイだよね・・・評論じゃない。

世の中、昔から家族とうまくいっていない人も多いだろうし、表面上はうまくやっていても思うところがある人はもっと多いかもしれない。
でも、大人になればキライな家族でも、それなりにわかってやれる、折り合いがつけられる時が来たりする。、
2号嫁の場合、両親とも亡くなって10年以上経つので、まあいろいろあったし恨み事も無いことは無いし、
すべてを許したわけでもないし、キライな部分もいっぱいあるけれど、
『あの人はあの人なりにいろいろあったんだろうよ』とか
『今さら悪口言って悪者にする理由もないわな、死んじゃったんだし』
と思えるようになったわけで。
なので、ワタシよりもはるかに年上で大人の女性であるはずの著者が、未だに父親を責めているような部分を読むと、
『別に許さなくてもいいから、他人様に向けて自分の親をそんなに悪く言わんでも・・・』と思ってしまう。
親がキライだったワタシですら、そう思っちゃうんだから。

子どもの頃や若い頃は、それこそ何でも『親のせい』『育ちのせい』にしたいのはわかる。
親がこんなだから、自分はうまくいかない。そう思いたい。実際2号嫁もそういう時期はあった。
が、親を選べない以上、自分で折り合いをつけて、ある程度はあきらめていくしかないのも事実。

実際、どんなに迷惑をかけられようと、どんなにキライだろうと、憎んでいようと、
家族である以上は介護は最低限しなければならないし、介護施設に入所したとしても、最低限は見舞いに行ったりしなければならない。
入院や施設探しやケアマネージャーとの面接や、そんな事務的なことも、親がキライでもやらなきゃならない。
そんないろいろなことをやっているうちに、何を憎んでたのかわからなくなってしまう。
もしかしたら、そういうふうに『できている』のかもしれないな・・・なんて思うほど。

でも、著者は運がいいことに親の介護でくたくたになることもなく、子どもももたなかったため自分が親になることもなかった。
著者は運よく家族に関わらずに済んだだけであって、それが正しかったわけでは決してないと思うんだけどなあ。

全体に流れるのは、自分が育った家庭と家族の愚痴、そして自分を理解してくれている(であろう)パートナー自慢、
セレブっぽい生活と友人の多さ自慢・・・結局はそういうことだけが印象に残るという残念さであった。

まあ、現代ニッポンでは『家族問題』や『親子問題』をテーマにするとそこそこ売れるから、
こういうタイトルをつけて、目を引くコピーをつけるという戦略は幻冬舎新書っぽいといえば、そうなのかも。
あと、家族をキライだとか親を尊敬できないとかっていうのが、昔から日本ではタブーだった気がするので、
家族の悪口を堂々と(笑)言う! という挑戦が、この本にはあるのかもしれない(かも)。
こういう本が売れることによって、
『そうか、家族をキライでもいいのか!』と思えて、救われる人も居る・・・かもしれない。
一応、ちょっとくらいは好意的に見てみる(∀`*ゞ)エヘヘ

Amazonの商品紹介には
『家族ほどしんどいものはない。これまで神聖化されてきた“家族”を斬る!』といういかにもなコピーがあり、
内容紹介は本の裏表紙からの一部抜粋で
『日本人の多くが「一家団欒」という呪縛にとらわれているが、「家族」はそれほどすばらしいものなのか?
実際には、家族がらみの事件やトラブルは挙げればキリがない。それなのになぜ日本で「家族」は美化されるのか。
一方でもっとも近い存在でありながら、じつは一番理解していなかったことを、家族が他界してから気づく人も多い——。
家族の実態を克明にえぐりつつ、「家族とは何か」を提起する一冊。 』
とある。
ココだけ読めば、そらあ売れるのはわかるよな~。本を紹介するコピーとしてはすばらしい。
でもね。
著者自身がその『家族』と、きちんと向き合ってきたようには、この本を読む限りでは思えない。
結局は、きょうだいとの葛藤からも、親の介護からも、子育てからも『逃げた』人が、
そんなに高いところからモノを言わんでもいいのになー・・・と凡人のワタシなぞは思ってしまう。
向き合ってないし、折り合ってもいないんだから、そりゃ家族を理解することだって、
克明にえぐることだってできないんじゃないかしらん。

そんな意地悪な感想しか出てこないという、ひさかたぶりに珍しい読後感でありました(∀`*ゞ)エヘヘ
それでも売れたもん勝ち・・・かな。
コメント (2)
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