デブ夫婦のビバ!お気楽人生&ぐーたら生活

体重合計約150㌔のちょっぴりデブ夫婦です♪毎日ぐーたら暮らしているお気楽夫婦のゆる~い日常を綴っています。

想い出の風景と想い出の味。

2010-08-18 23:58:59 | つれづれ日記

今朝摘んだばかりだという青じその葉をたーくさんいただいた。袋を開けるとふわっと広がる、独特の爽やかな香り。それを刻みながらふと思い出した。

ウチも昔は庭からシソの葉を摘んできてたっけなあ・・。

2号が多分小学校に入学した頃だと思う。当時我が家は四畳半二間にちっちゃい台所と風呂トイレという狭い狭い借家に住んでいたのだが、借家といえども庭っぽいものがあった。柿の木もあったし、イチゴも生えていた。大家さんの厚意で、柿もイチゴも我が家でとってよかったらしい。多分wその中にシソの葉もあったのだと思う。
赤いシソは梅干作りに、青いシソは漬物や薬味に・・・と使っていたはずなんだが、子どもの頃はシソなんて食べられなかった2号である。当然梅干やら漬物なんてとんでもない話だった。

その後2回ほど引越しをした我が家だったが、どの家でも母は毎年梅干と梅酒、それから糠漬けとらっきょうを漬けていたような記憶がある。ベランダにざるに並べた梅が干してあったり、台所のシンク下に梅酒の瓶があったり。
前にも書いたと思うが、ウチの母は娘ふたりに料理など何も教えなかった母親である。多分あきらめていたのであろうwそれに加えて、ワタシは漬物も梅干もキライだったので、母親としても作り甲斐がなかっただろうし、どうせ食わないんだから・・・と思って教える気もなかったのかもしれない。

しかし、今になってしみじみと思う。

自分の母親の梅干や糠漬けの味を、きちんと覚えておけばよかった。

多分、ウチの母は料理をしていた方だったと思う。私たちが高校生くらいになってからは体調などなどのこともあって、すっかり料理は手抜きになってたような気がするが、それまでは外で仕事をしながらも結構マメにあれこれ作っていた。その母親が作っていた糠漬けや梅干やらっきょうや梅酒、教えてもらわなくてもせめて味を覚えていたら、今役に立ったかもしれないのになあ・・・と痛切に後悔しているわけだ(*^^*ゞ

ま、後悔しているアタシを見て、母親は『ほらみたことか』と思っているのかもしれん(´m`)クスクス

いつも書いていることだが、アタシは両親のことは決して好きではなかったし、大人になってからもどうしても好きにはなれなかった。けれど、この年齢になって、記憶を呼び覚ましてくれるような風景を遺していたことには意外だったなぁと驚きもするし、それはそれとして感謝もする。青じその葉の匂い、ベランダに干してある梅の匂い、タレだけで食べたうなぎ味のご飯。食べ物には常に想い出が宿っているなあと改めて思う。それがおいしかった記憶だろうが、どんなに不味い記憶だろうが、小さい頃に食べてきたものの記憶は強く残っている。

今でこそ鰻が大好きになった2号ではあるが、子どもの頃は食えなかった。鰻って小骨がいっぱいあるのでそれがイヤだったようだ。でも甘辛いタレは好きで、タレだけご飯にかけて食べていたよな。同様に、煮魚も食べられなかったので煮汁でご飯を食べてた。それからタラコを甘辛く煮たやつとか、生姜の香りばっかりする白い麻婆豆腐とか(多分、豆板醤とかがなかっただろうから、要するにひき肉と豆腐の塩味煮w)。
フライパンいっぱいに焼いた餃子、ほうれん草をゴマと油で和えたナムル、ひき肉入りオムレツ。豚肉と玉ねぎだけが具の肉じゃが(当時は牛肉は高かったw)、ハウスのシチューミクスで作った、じゃがいもだらけのクリームシチュー。運動会や誕生会になると登場するチューリップの唐揚げ。

いろいろありますねw意外に覚えているもんだな。

貧乏共働きなりにあの頃、いろいろな料理を作って食べさせてくれたこと、いろいろな料理を作るところを見せていたこと、もしかしたら宝物だったのかもしれないと今になって思う。
想い出の味の風景、みなさんにはありますか?

コメント (4)
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