昨日、お買い物をして帰るデブ夫婦に飛び込んできたニュース。
野茂英雄、現役引退を発表。
ウワァ━。o.゜。ヽ(o´д`)八(´д`o)ノ。゜o。━ァン デブ夫婦号泣(TT▽TT)ダァー
デブ夫婦は野茂と同世代(1号旦那は野茂のひとつ下、2号嫁はひとつ上)。
ソウルオリンピック~近鉄入団~メジャー挑戦までのすべてをリアルタイムで見てきた世代である。
それだけに感慨深いし、1号旦那にいたっては常に『尊敬人物は野茂英雄と中嶋悟』と言っていたので2号嫁以上に感じるものはあるだろう。
忘れもしない、あの10.19の翌年。1989年に8球団からの指名を受けて近鉄入団。
今見ると、なんと痩せてたことか(´Д⊂
17奪三振で飾ったプロ初勝利。背番号11がとにかく眩しかったっけなあ・・・。
当時、よくオグリキャップと比較された野茂ですがw『プロは結果さえ出せばいい』という当時の仰木監督のもとで、誰にも矯正されないという恵まれた環境だからできたトルネード。
スタイルがよくてカッコイイ野球選手が増えてきたあの時代に、あの風貌にあのケツでバッタバッタと相手を三振に斬ってとる爽快感!2号嫁は一気に惚れてしまったのだ(。・m・)クスクス
ぶっきらぼうなのも笑顔が少ないのもご愛嬌♪あれがよかったんですよ。
そして『平成の名勝負』といわれた野茂VS清原。
野茂はフォークは投げず、清原も合わせるようなスイングなどせず、
とにかくストレートとフルスイングの対決。
ピッチャーをやるからには、誰よりも速い球を投げたい。
バッターならば、誰よりも遠くに打球を飛ばしたい。
そんな力と力のぶつかり合いが潔かった。
あの時代のパリーグだからこそできた、名対決だったのだと思う。
さらにその勝負をただ見守った監督もある意味すごいよなw仰木さんはともかく森さんまでw
あれをリアルタイムで見ちゃった世代だもの、
松坂VSイチローなんざ小粒に見えらぁヾ(@^▽^@)ノわはは
調べてみたら、野茂のプロ初の奪三振も、初の被本塁打も清原なのね。これも名対決たる所以だろう。
こういう名勝負って、多分このふたりがデブ夫婦の中では最後だと思う。
これほどココロときめく、ワクワクする対決は未だに出てきていない。
メジャーに渡った当時、日本のプロ野球選手のことなどホームラン王・王貞治と鉄人・衣笠祥雄くらいしかアメリカ人は知らなかっただろう。
それが気づいてみたらとんでもないスター選手になってしまった。
日米通算201勝。3119奪三振。
二度のノーヒットノーラン。
ここまでやってもなお『悔いが残る』と語った野茂。
誰もが多分『よくやった』とか『野茂がいなければイチローも松坂も誕生しなかった』などと言ってるだろうけれど、ただひとり本人だけが『納得していない』。
・・・どこまでも野茂ですなあo(*^▽^*)oあはっ♪
しみじみと、この選手は
日本球界でもなく(ましてや鈴木啓示でもなくww)
メジャーという舞台でもなく
どんな大打者でもなく
自分の中の内なるものと常に闘ってきたのかもしれないと思った。
そして、どこに居ても野茂は野茂だったなあ・・・と。
また何らかのカタチで野球に関わってくるであろう野茂英雄。
また戻ってくることを今はのんびりと待とうと思うデブ夫婦である。
○o。ヾ(・ω・`【ォ】☆【ッ】☆【ヵ】☆【レ】´・ω・) ノ。o○