雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

二度目のロンドン19 大英図書館③

2024-01-28 11:47:21 | Weblog
写真は大英図書館1階(日本の感覚だと2階)のロビー。この階に大英図書館の会員証を発行手続きをする登録審査室がある。

【蔵書を手に取りたい場合に必要な許可証】
大英図書館は、観光でふらりと入っても利用できる施設がたくさんあるすばらしいところですが、ただ一か所、閲覧室に入るには許可証が必要です。

許可証の発行は無料。

大英図書館のサイトには、
「簡単にできます」
といかにも簡単そうに手順が記されているのですが、実際に行ってみると、事務作業が苦手な私にとっては、なかなか高いハードルでした。億単位の蔵書、なかには博物館のケース越しにしか見られない貴重書までもを手に取れる資格なのですから、当たり前なのかもしれませんが。サイトの説明が少し足りていないようで、疲れました。

まず、必要なものは英語で書かれた身分証明書。
私が2019年7月に行ったときには、家人のアドバイスに従い、日本で国際自動車運転免許証を発行しておきました。日本の免許センターで免許証とパスポートを見せて2350円払うと、すぐに発行してくれます。たんなる厚紙でできた簡素なつくりなので、少し驚きました(これでイギリスでもレンタカーも借りられます)、それにパスポートと、現在、居住地となっている部屋での居住証明書らしきものを持ってまず大英図書館内の許可証登録室(reader resistration)に行きました。

そこにはすでに一人、登録希望者がいて、白いTシャツを着たラフな服装で金色の髪の図書館の方といろいろとやりとりをしていました。簡単な机とパソコンと、空港ゲートにあるセキュリティチェックのようなものがありました。静かです。

私も指示にしたがって、そこに置いてあるパソコンにたくさんある入力事項を埋めていきました。埋めきらないと、また最初のページに戻る、といった時間を繰り返し、最期にメールアドレスを登録(これは家でもできた作業だったらしい)。しばらくすると、自分あてに大英図書館からメールが届きました。
 あとは審査の順番を待つだけです。前の人の審査もスムーズには運んでいないようで、いろいろと身振り手振りで説明しては行きつ戻りつの応答を繰り返しています。

 やがて私の番になりました。担当者の方に、先に掲げた各種証明書を見せると、それらを見て、担当者が
「この証明書はどこのですか?」
「ほかに持ってきたものはないですか?」
 など、なにか困った、といった感じの質問を繰り返しました。最後に納得してくれたのか
「あなたはこれらが証明する本人ですか?」
 といった質問に答えて、少し待つと発行してくれました。

ほっとしました。

2024年1月20日現在の大英図書館のサイトを確認すると、昨年10月に大規模なサイバー攻撃にさらされて、一時は正規の許可証の発行は停止され、現在、3か月のみ有効な臨時パスを発行する、と書かれていました。状況は刻刻と変わっているので、ご入用の直前にぜひとも、ご確認ください。
〔必要とされるものの解説はこちらのブログがわかりやすいようです。ご参考までに〕
大英図書館リーダーパスの作り方!YMS&留学のロンドン在住者は必携!! | OSLOndon Journal (lifebeginnerz.com) https://lifebeginnerz.com/british-library-reader-pass/〕
                           (つづく)
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二度目のロンドン18 大英図書館②

2024-01-21 10:42:33 | Weblog
大英図書館内のショップには、オリジナルグッズが豊富に売られている。上の写真のものはその一つ。「BRITHISH LIBLARY」(大英図書館)と焼き印が押されたUSBメモリ。8ギガバイトで12.75ユーロ(当時のレートで約1555円)だった。
 外側の木質は高級家具によく使われいるメープル材。滑らかでやわらかな手触りだ。高級感もある。蓋にはひもがつけられる金属の輪が付いており、しかも強力な磁石が内臓されている。蓋が簡単に閉められ、なめらかに開けられるように工夫されているようだが、磁力を帯びていると、いろいろと不都合も出そうで若干不安。今のところピン止めがくっついているくらいで実害はない。

【貴重な展示が無料・バッハからビートルズまで】
半地下の入口で荷物検査を受けた後、入館。なかは吹き抜けで明るい。日本の国立国会図書館のようなシーンと静まり返った特殊な雰囲気はなく開放的です。入場無料で基本的には誰でも入れます。

常設展示の部屋が結構なボリュームです。ガラスケースに恭しく飾られているのは世界史の教科書に出てきた『マグナカルタ』の1215年発行の10年後の改訂版です。これは日本の鎌倉時代頃に作成され、いまのイギリス国でも一部、効力を発揮している法典です。古くて大きくて、いかめしい感じです。

ほかに貴重な書物が痛まないように光を落とした部屋には『不思議の国のアリス』の作者の書いた直筆イラスト、ビートルズのレコードや手紙、バッハをはじめとした有名作曲家の直筆楽譜、大航海時代に作成された世界地図、日本の古書や江戸時代の絵画もありました。

展示室内は貴重書の保存のために17度から19度に保たれていたので、夏で薄着の私にはえらく寒かった。でも見ごたえ十分で、これらが無料! と大興奮でした。
展示は定期的に替わるとのことなので、同じものが並んでいるわけではないでしょうがおすすめです。

【優雅で趣のある吹き抜けのラウンジ】
吹き抜けの壁際にはガラス張りの書棚が1階から階上までどん、とそびえていて気分が上がります。それを囲んだそれぞれの階ごとの廊下というかテラスには誰でも利用可能な机とイス、それにフリーWi-Fiと電源もあり、コーヒーなどの持ち込みも可能。喫茶店より便利です。それほど混むことなく、勉強したい人、憩いたい人が自分の持ち物を拡げて書斎替わりに利用していました。ここも無料。

各所にカフェもあり、さらにオリジナルグッズが置かれたショップもあって、ちょっとお高めですがオリジナルの文房具はなんともおしゃれ。私も「BRITISH LIBRARY」と焼き印が押されたUSBメモリスティックと、館内の蔵書の閲覧室では鉛筆しか使えないので、鉛筆と鉛筆削りを買いました。いい記念です。
           (つづく)

※前回の二度目のロンドンの副題を大英図書館と書くところを、大英博物館と書いておりました。1月22日に訂正いたしました。
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二度目のロンドン17 大英図書館①

2024-01-14 16:04:04 | Weblog
写真はセント・パンクラス駅を横からみたところ。正面とその右隣りに接したキングスクロス駅は混んでいるが、それ以外の面はとても静かだった。
 ちなみにキングスクロス駅といえば、ハリーポッターの「9¾番線」。実際にはないホームだが、無料の撮影スポットが用意されているので、ハリーポッターファンはいく価値大である。

【ヴィクトリア朝の駅舎でタイムスリップ】
住まいにも慣れてきたところで、いよいよ大英図書館へ。憧れの場所です。私の高校の時からの夢は「ライブラリアン」つまり図書館司書でした。まだインターネットがない時代に、ここでは他に先駆けて、ちゃんと手続きを踏めば、所蔵図書の貸し出しや複写の送付をほぼ実費で請け負っていました。

 それこそ正確な知は書籍に集約されていた時代に、いつでもどこでもだれでもが平等に情報にアクセスできるための知見を営々と構築しつづけている場所、それが大英図書館だと、1980年代末に大学の図書館概論で教えられました。

ロンドン北の郊外にあるセント・パンクラス駅を降り、物乞いやパフォーマーに引っかからないように駅舎を出て注意深く歩こう振り返って、まずびっくり。
 赤レンガにアクセントで入る白い石灰モルタルのライン、アーチに組み込まれた丸ガラス、そしてお城の塔のようにそびえ立つ大時計台を持つ駅舎が、とにかく豪奢でまるで宮殿から出てきた気分になりました。

 1868年開業。ヴィクトリア朝ネオゴシック様式とよばれるもので当時の鉄道会社がロンドン市内に延伸し、会社の顔になるように設計した駅舎とのこと。

東京駅の開業が1914年ですからさかのぼること約半世紀前からある現役の建物です。東京駅を設計した辰野金吾もロンドンに留学しているので、この駅舎も見たことでしょう。最近ではロンドンの駅舎も東京駅の参考になった可能性もある、と指摘されています。さらにセント・パンクラス駅開業の10年後には駅舎脇に豪華ホテルが併設されています。東京ステーションホテルを彷彿とさせます。

ヴィクトリア朝時代村のような景観から道路を一本挟んだところに大英図書館本館がありました。セント・パンクラス駅の赤レンガの雰囲気に調和したたたずまい。こちらは1997年の建築。大英博物館からの所蔵と現代も出版され続ける書籍の納本制度によって集められ続ける書籍の多くが収蔵されています。
                     (つづく)
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二度目のロンドン16 ケンジントン宮殿のなかへ 下

2024-01-07 15:44:24 | Weblog
サンクンガーデンを囲むイングリッシュガーデンに欠かせないバラアーチの木立の隙間から見える景色。宮殿や広大やハイドパークに連なるケンジントンガーデンズのさらに端っこの意外と目立たない位置にあるサンクンガーデンからは、見慣れた公園(ケンジントンガーデンズ)が不思議とおもしろく見えてくる。宮殿前の木々の刈り取り方もまるで、京都の銀閣寺の砂の形のように、気取っていた(写真①)


前回と同じ写真で恐縮だが、ケンジントン宮殿(北東)前のサンクンガーデン(写真②)。1908年に造られた一角で17世紀ハノーバー朝の庭園を模したものだという。ダイアナ元妃がよく散歩した庭として、大切にされている。
宮殿の前から写真左上の緑の盛り上がりがバラのアーチ。写真①はその隙間からケンジントンガーデンズのほうを見たもの。

【プライベート空間がない!】
 宮殿内の出口にくると、写真入りのカレンダーやメモ帳などのお土産コーナーがありました。その減り具合やグッズの多様さ具合で王室の方々の人気の度合いがわかってしまう残酷さ。ただ、そこに生まれただけなのに王族は大変です。

 宮殿の外に出ると長蛇の列でした。朝だから、すんなり入れたのですね。
しかしこれほど観光客でごったがえす宮殿が現在も王族らが暮らす場所とは驚きです。あまりに気軽に入れるし、奥に入れなくても隙間から庭などが見えるくらいなので王族が暮らす場所は別の場所では、と常識的に考えるとそういう判断に落ち着きます。

 ところが当時は本当にウィリアム王子一家もヘンリー王子一家もそこで暮らしていたのです。驚きました。実際、そこで暮らすヘンリー王子婦人のメーガン妃の赤ちゃんの抱え方があぶなっかしいだの、服がどうだのと、私が住んでいるマンションの入口や鉄道駅に山積みされた無料のタブロイド紙で、連日写真入りでおせっかい極まりない指摘を載せていました。

その後、ヘンリー王子一家は国外へ(ご存じの通りその後ますます変な方向に)、ウィリアム王子一家も2022年9月に主な住まいをウィンザー城へと移しました。ウィリアム王子は子供の教育的配慮のために引っ越した、と説明されているようですが、むべなるかな。プライバシーがなさすぎたんですね、やっぱり。
(ケンジントン宮殿にスタッフは今も居住し、ウィリアム王子一家の生活の場として維持管理されているそうです)

【サンクンガーデン】
さてこんなお城の出口前だというのに、とても静けさ漂うまとまりのある小さな庭園がありました。レンガの敷石にバラのアーチや勿忘草などの小さな草花の植え込みが美しい空間。

 そこがサンクンガーデンという名で、ダイアナ元妃がよく散歩していた場所だと後に知りました。私が訪れた2年後の2021年7月に二人の王子によって始まったプロジェクトによってダイアナ元妃の銅像がここに設置されたのです。二人の王子も除幕式に出席された映像は二人の関係が不穏な時期と喧伝されていただけに、記憶にとどまっています。
                       (つづく)

※今年もよろしくお願いします。心を寄せる場所へ思いを馳せつつ、日常を大切に過ごすことも大切だと感じています。
 少しでも気持ちを明るくしたいときにほっとできる場所。ここもその一つになれたらうれしいです。
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二度目のロンドン15 ケンジントン宮殿のなかへ 上

2023-12-24 14:51:55 | Weblog
写真上はケンジントン宮殿。

【ケンジントン宮殿】
 ケンジントンガーデンズには、わかる人にはあたりまえでしょ、といわれそうですが、ケンジントン宮殿があります。朝10時から一部区画が開放されていて、入場券を購入すれば、誰でも予約なしで見ることができるのです。

 私も朝10時に宮殿見学に行ってみました。切符を買って10分ほどで中に入ることができました。
ベルギーの王宮などの白地に金の装飾といったキラキラとした派手さとは違う、いかにも住まい、といった感じの木目を大切にした暗めの内装。天井は高いものの、気が遠くなるほど広い、といった感じではなく、人の気配を感じる空間です。
とはいえ、写真を見返すとやはり王家の住まい。

入口を入って階段を上がってすぐの踊り場的空間。冬場は寒く、日がすぐに落ちるせいなのか、宮殿の内部は自然採光に頼らないろうそくの明かりが映えそうな部屋が続く。

【豪華な装飾品や自画像も】
 廊下の奥がヴィクトリア女王の誕生の間です。じつはここ、台所の脇。産湯とか出産に便利だったからだそう。親の思惑でイギリス生まれにするために滑り込むようにこの宮殿で生まれることになった事情が垣間見える、王族にしてはやや落ち着いた空間。彼女は1819年、ここで誕生し、18歳で即位するまで、この宮殿内で過ごしたということです。

 この展示が、興味をそそりました。ベッドや壁紙などは当時を再現したもののようですが雰囲気は伝わってきます。なにより間取りが本物なのでテンションが上がります。ちょうどロンドンに来る前にタイミングよくBBCのドラマ『女王ヴィクトリア愛に生きる』がNHKで放映されていて見ていたので、より一層、興味を掻き立てられました。

パネル展示のコーナーでは、ヴィクトリア女王がインドを訪問したときの写真やヴィクトリア女王自身が書いた自画像、彼女の身に付けていたものなどが展示されていて、自画像を見ていると誠実な人柄なことが感じられました。

ヴィクトリア女王が身に付けていたティアラなど。




上はヴィクトリア女王の孫娘、ルイーズ王女(エドワード7世の娘)の結婚式のために女王が1887年にプレゼントしたダイヤモンドのティアラ。当時の有名なパリのジュエリアーの手によるもの、とのこと。


【女王の間】
 ヴィクトリア女王の展示の次は、歴代女王の私的空間です。
 そもそも17世紀に共同君主となったメアリ2世とウィリアム3世が街の中心にある宮殿の喧噪から離れたいと郊外に購入したのがケンジントン宮殿でした。このあたりの部屋は、メアリ2世の命で拡張されたところで彼女の趣味がよく感じられるといいます。映画『女王陛下のお気に入り』(2018年公開)に登場するアン女王 と彼女の幼なじみで親友のマールバラ公爵夫人サラ・チャーチル が実際に喧嘩したりした場所もありました。


上は1688年に王位継承者の資格を持つジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート が生まれたとされるベッド。イギリス史においてその出産からたいへん複雑な歴史を持つベッドである。とにかくイギリス王室の歴史は、難解だ。

メアリ2世は、日本と中国の磁器の収集に情熱を傾け、部屋中、それでいっぱいにした。

家具も! 江戸時代、オランダは日本の製品を独占して、さぞ儲けたことだろう。

ヴィクトリア女王コーナー以外では、現代の王族の仕事の紹介やその時の写真の展示、今なお人気の高いダイアナ元妃の身に付けていた洋服、またデザイナーが彼女に服をプレゼンする際に使ったデザイン画なども展示されていました。
                    (つづく)

※次回の更新は再来週となります。今年もこのブログにお付き合いくださいまして、ありがとうございました。みなさま、よいお年をお迎えください
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二度目のロンドン14 ケンジントンガーデンズ 散歩するひとたち

2023-12-17 11:30:14 | Weblog
写真上はケンジントンガーデンズ内にて。英国の芸術家ジョージフレデリックワッツが作成した「物理的エネルギー」という名の銅像。歩いて楽しい不思議な公園だ。


【ピーターパンから電話が】
雑木林の一角のような、雑然としたケンジントンガーデンズ内のロングウオーター池の西側に角笛をふいて自由に戯れるピーターパンの銅像がありました。
スマホをかざすと、なんと、ピーターパンが電話で折り返してくれます。こんなにすごいのに、付近に解説すらは見当たりません。帰ってから調べると、原作でピーターパンはケンジントン公園で乳母車から転落し、乳母に見つけられないまま、そこで育って永遠の少年となったのだとか。いま、私たちがよく知っている原作の「ピーターパンとウェンディ」の話の以前に「ケンジントン公園のピーターパン」という物語が出版されていたのです。作者のバリーは毎日、ここに犬の散歩にきていたとか。昔から犬の散歩のメッカだったのですね。

【南方熊楠も散歩していた】
バリーが散歩していた同じ時期にはロンドン遊学中の日本の知の巨人「南方熊楠」もここのベンチに腰掛けて、よく本を読んでいたとか(本人の手紙より)。目の前には羊が放牧されていたそうです。


ケンジントンガーデンズの西洋菩提樹(シルバーライム)。

【ベルリン市民による西洋菩提樹】
他にも公園の端のほうを歩いていると「1988年にベルリン市民からロンドンに贈られたという西洋菩提樹(SILVER LIME)の木立がありました。第2次世界大戦でドイツから空爆を受けていたことを想うと、意義深い木立です。
このように歴史も懐も深い公園の散策は、歩くたびに発見があって楽しいものでした。
                   (つづく)

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二度目のロンドン13 ハイドパーク&ケンジントンパーク

2023-12-10 14:21:59 | Weblog
写真はハイドパートとケンジントンガーデンズに設置されている犬のもの以外は容れられないゴミ箱。とにかく飼い犬に手厚い公園である。野生の動物もあふれんばかり。

【ロンドンで一番の広さ】
ロンドンで日課になったのが早朝のハイドパーク散歩です。厳密にはケンジントンガーデンズなのですが、ハイドパークと地続きで間に池が挟まっているだけで一体化しているので、シェアハウスの住民は「ハイドパーク」と言っていました。
 公園の敷地はその二つを合わせると253ヘクタールもあり、東京ドーム54個分の広さ。ロンドンで一番大きな王立公園です。公園の脇道に入ると大木に囲まれるので、ずーっと緑の空間が続いていると錯覚してしまうほど贅沢な空間です。ここが都会であることを忘れてしまいそう。

 シェアハウスから徒歩5分、人と自転車しか入れない入口を通るとリスが樹上や地面で、ちょろちょろピタッと、と忙しそうに走り回っています。

 でも一匹だけをみてみると、基本ぼよーんとしている時間のほうが長くて、時折、走る。エサをあげる人を見つけるとそこに集う。人慣れしているのです。
(現在のリスは19世紀後半に北米大陸から持ち込まれたトウブハイイロリスで、ガーデナーにとっては苗を食い荒らす害獣だそう。でもかわいい。)
参考:https://gardenstory.jp/gardens-shops/13503 2023年12月9日閲覧

 4メートル以上はあるような大木ばかりがゆったりと、まるでクリスマスツリーのように立っていて聳え立っています。地面すれすれに、まるで貴婦人のドレスのようにたっぷりと広がっている枝ぶりはハイドパーク流選定術なのでしょうか? ほんとうに気持ちいい。

適度に自然感を残した手入れの仕方がいいのか、気候のせいなのか夏なのに蚊もいません。そして池には白鳥やカモがたくさん。こんな環境なので、サンドイッチを座ってほおばる人もちらほら。

 草花の色が淡く、木々の香りは立ち昇る。葦はうすい薄黄緑、花はパステルカラーのピンク、青、赤。まるでボタニカルアートの世界です。

川に浮かぶカモを何気なく映すだけでイギリスの公共放送BBCのドラマの色になるのは、光のせい? 植物のせい?

ジョギングや犬の散歩をする人々。とくに連れ立つ様子もなく、服装のくずれもなく、都会的。なによりもどんなに大きな犬でもリードを付けず、放し飼いの状態で散歩している様子が日本とは違います。犬も、きちんとしつけされている様子です。

スマホで登録して利用できる貸自転車のコーナーも入口近くにありました。
  

2019年時点で24時間で2ユーロ。30分以内なら無料と、じつに使いやすそうでした。
                     (つづく)

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2度目のロンドン12 憧れのリバティへ 下

2023-12-03 12:43:20 | Weblog
写真上はリバティ百貨店の階段の手すり。カメの彫り物がいかにもアジア風。創建当時から店内を見つめ続けているのだろう。

リバティの創業は1875年。

【アジアンテイストな内装】
リバティでは純粋に買い物が目的だったので家人とは公園で別れるつもりでした。ところが「リバティ社は東洋関連だから興味がある」といわれ、二人で行くことに。

 1924年に建てられたリバティの建物は、まるごと日本でいうところの重要文化財に指定されています。しかも当時、流行のものではなく、それ以前にはやった「テューダーリバイバル」と呼ばれる様式を採用していました。テューダー様式はエリザベス1世の治世に発展した様式なので、まさに「大航海時代」がテーマの家人には外せないスポット。さらに建物の材木には当時のイギリス海軍の2隻の軍艦を使用したのだとか。ますます海の歴史には外せない建物ともうせましょう。

こういうわけで買い物目線の私をよそに、入口に阿吽(あ・うん)の獅子像を見つけて「パシャッ」

天井に唐草文様を見つけては「カシャッ」。入るとすぐに高そうな中国の陶製の壺が出迎え、階段の手すりにはアジア風のカエルと亀の彫り物が・・。

濃厚なほどのアジアンテイストです!

有名な現役のロンドン中心部にある百貨店は、19世紀のオリエンタリズムやジャポニスムを体感できる博物館でもあったのでした。
なんだか雰囲気に酔ってしまい、気づくと赤札が付いていたとはいえ、普段、目に入らない高―いシルクのパジャマを2枚も買っていました。
 その後、旅行時に一度羽織ったのみ。しかもパジャマではなく上掛けとして。なんだかもったいなくて、いまもタンスの奥に眠っています。

【サマータイムでも足りない】
 夕方、部屋に戻って、家人が豚肉のソテーとマッシュルームと地元の野菜とジャガイモを焼いて、ワインとともに夕飯に。疲れていたのでありがたい。

 しかし夜9時を過ぎているというのに、外は明るいまま。高緯度地帯というのはこういうものなのでしょうか?
 サマータイムに夏場は一時間時刻が早まっているので、冬時間のままなら夜10時です。ちなみに夏至の時のロンドンの日の出は4時43分、日没は21時21分で日照時間は16時間38分、冬至のときは日の出が8時3分で日没が15時53分で日照時間の差は8時間強。日本ではその差が5時間弱なのでサマータイムがイギリスで導入されているのは必然なのです。
                     (つづく)
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2度目のロンドン11 憧れの「リバティ」 上

2023-11-26 14:24:33 | Weblog
写真はリバティ百貨店(LIBERTY)の正面玄関。建物は、1924年に建てられた当時のものを使用しており、イギリスの第2種重要建造物に指定されている。

【目抜き通りのリバティ百貨店へ】
さてリージェンツパークをポートランドプレイス側から出ると、すぐロンドンの有名なショッピング街・リージェントストリートに入ります。ぶらぶら20分ほど歩くと、人通りの多い街の中心、という場所にたどり着きます。そこでひときわ目を引く雰囲気のある建物が「リバティ(Libaty)」です。

ここは、前にロンドンに来た時に買ったときの印象がよかった百貨店でした。当時、地下へ続くなめらかな木製の階段を降りると、昼だというのもオレンジ色の間接照明が異世界へといざなってくれました。そこにはつば広で縁がやや下降したレモン色の固めに編まれた麦わら帽子が売られていて、最後の旅の思い出に自分のために買ったのです。

かぶるとマイフェアレディのオードリー・ヘプバーンにでもなった気分が味わえて、とても優雅でした。とっても大事にしていたのに、残念なことに帰国後、わりとすぐに電車に置き忘れてしまい、悔しい思いがずっと続いていました。その後、似たような帽子は私の手の届く範囲ではお目にかかることはありませんでした。他に父へのシルクのネクタイや母へのシルクのスカーフを買ったのもここでした。(こちらも残念ながら両親には雑に扱われ、どこに行ったことやら。)

今回は、それらに会いたい、できれば買いたい、と熱い思いがたぎっていました。

もちろん、リバティ柄のファブリックにも興味がありました。

ところが、行ってみると、モードはすっかり変わっていて、当時売られていた品物はなし。冷静に考えれば日本の百貨店だって30年前のものを売っていることはまれなのですから、当たり前。

代わりにイッセイミヤケのプリーツプリーツがアート作品のように飾られていました。もちろん売り物です。日本ならハンガーにたくさん掛けられて色味がわかる程度なのに、ここでは一点一点、空間を贅沢に使って、マホガニーの天井から吊るし、マネキンなしで勝負する贅沢さ。ここに限らず、ヨーロッパではユーズド店でもプリーツプリーツは元値以上の値段で売られ、大切にされていました。

でも、それらは私の求めているものではない。日本で買えます。以前みた、リバティ、ぽいもの、ロンドンぽいものは、どこにいってしまったのでしょう?

がっかりはしたものの、これまたよく考えれば、リバティ社は1875年の創業時より東洋、とくに日本のものの販売を旨としていたので、これこそ王道回帰なのです。しかも、この店がイギリス・ヴィクトリア時代にヨーロッパ全体のジャポニスムをけん引していたそうなので、日本のデザイナーズブランドを取り扱うのは当然なのです。
                (つづく)

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2度目のロンドン10 広大なリージェンツパーク

2023-11-19 11:07:15 | Weblog
写真はリージェンツパークの一角。広大すぎて撮る写真ごとに雰囲気の違う絵になる景色になっている。歴史は国王の所有になったり、貴族のものになったりと、非常に複雑。もとはお狩場でもあった。現在は自然公園。

【やわらかなパステルカラーの緑の群れ】
シャーロックホームズ博物館から大通りを北に100メートル進むと、緑滴るリージェンツパークに吸い込まれます。166へククタークの一角には世界最古(1828年)の、科学目的とされた動物園があるのですが、広すぎて片鱗すら見えません。

 草花が細やかに一株一株植えられ、様々なタイプのイングリッシュガーデンを見て楽しんでいると、突如、厳粛な雰囲気の碑が見えました。
「1982年7月20日にここで起きたテロ事件の犠牲者への追悼」と書かれていました。ロンドンはテロ事件の記憶が数年おきに更新されるほどの地。浮かれていた気分がさっと冷えた一瞬でした。

その少し先に野外劇場がありました。緑あふれるこの場所で、シェイクスピアをはじめとした伝統的かつ意欲的な作品を上演するのが、ロンドン夏の名物となっているのです。上演は3か月以上続くとか。その年のポスターをみると演目は「真夏の夜の夢」。夏の夜の野外劇場なんて、ロンドンっぽくて、おしゃれ! 話の内容は萩尾望都のマンガでしか知らないのですが、さっそく、5日後に予約を入れました。今度来るときは夕方になるわけです。

公園は広くて、どんなに人がいても、まったく気になりません。ロンドン市内には、このような規模の王立公園が8つあり、さらに水辺の遊歩道など散歩道が整備されている上に個人宅の庭も(どんなに小さくても)まとまりのあるイングリッシュガーデンになっています。ロンドンは、不思議なグラデーションをもつ散歩がたのしい街だと実感。

リージェンツパークが、日本の景色と違うなあと感じるのは、その植え方です。一分のスキもなく手植えされた空間はかわいらしさを醸しつつもどこか人工的。そして雑草は少ない。雑草のなさゆえか、草木の緑がやわらかい中間色のせいか、どことなくおしゃれに感じてしまう。
一方、ケンジントンパークに行くと大木の重なる雑木林が多いので、公園ごとに歴史も違えば、成り立ちも違う、それぞれの特徴、というだけなのかもしれません。そもそもリージェンツパークの一角しか歩いていないので、なんともいえません。
                (つづく)
※更新お休みしている間に、一気に寒い季節になりました。体調いかがですか? 私は、数年ぶりに風邪を引き、少しの咳も気になって処方された鼻水止めの薬で却って体調悪化の憂き目に。毎年、少しずつ風邪ぐらいなら引きなれないと、かえって治し方を忘れてしまうもののようです・・。
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二度目のロンドン⑨ シャーロックホームズ博物館

2023-10-29 16:54:15 | Weblog
写真はシャーロックホームズ博物館の2階。ホームズらの居間。実験器具やヴァイオリンなど、本に描写されたもののほか、当時の家具などが細かにしつらえられてあった。


【シャーロックホームズ博物館】
シャーロックホームズ博物館脇のショップでチケットを購入し、列に並ぶこと20分。ビクトリア朝の従者スタイルの係員(ビクトリア朝の警官の立っている時間もあるらしい。)の誘導と名調子を聞いているといつの間にか入口です。

地上4階地下1階の建物に入ると、目の前に雰囲気のいい階段がありました。階段を上がるところからビクトリア朝の調度類やランプなど細かな配慮にいつの間にかタイムスリップ。2階はホームズの部屋です。おおよそ6畳の客間に4畳半の寝室、それにトイレ。シャワーなどの設備はなし。思った以上に天井が低いせいか、想像より狭い感じを受けました。

いかにもさっきまでそこで寝ていたかのような長椅子、使い込まれたクッション、よく来訪者に勧めていた布張りのイスにその後ろの暖炉、立て付けの書棚に革張りの書籍のほか、びっしりと試薬瓶が置かれ、机の上には顕微鏡や実験器具がずらり。それがいかにもさっきまで使っていましたよ、という風情で、名探偵の怜悧にして怠惰な気配を思わず感じてしまうつくりなのです。

じっくりとみていると、執事の恰好をした男性がキングスイングリッシュで一つ一つの調度について解説を始めました。

ヴァイオリンを弾く動作をして

「これによって、彼の頭を休め、イマジネーションをもたらしました。」

 など、話す雰囲気が部屋に見事にマッチ。

耳を傾けながらめいめい勝手に見て回る観光客たち。のろわれたらしき、タカラガイの腰巻が巻かれた人形、はく製の鳥やホームズ愛用のパイプにマホガニーの机まで、じっくり見続けたいほど意味ありげな品々。

肖像画などにまじって、壁には「ホームズ物語のわき役たち」と日本語英語併記の日本人のシャーロキアンが書いたホームズの周りを彩る当時のもの、つまりガス灯や馬車、独特の帽子の解説が書かれた文章が、うやうやしく飾られていました。
日本人シャーロキアンの考察が鋭いと認められているのか、それとも日本人の観光客が多いせいなのか。日本語は、ちょっとうれしい。

さらにホームズの住所が書かれ、今も世界中から送られてくるホームズ宛ての封書の中から一枚が飾られていて現代の空気もさりげなく反映させる心にくさ。

ここに入るまでのちょっと複雑な気持ちはどこへやら。ディズニーランドだって、ディズニーの夢の世界、ミッキーハウスだってある世の中なのです。本場の、ちゃんと考察されたコンセプトでこれだけ、作りこまれていたらこれはもう、本物だ!

3階はワトソンの部屋(DR WATSON’S ROOM)と書かれた部屋とハドソン婦人の住まい。それぞれに調度類にこだわりがあり、ここもなんだか落ち着きます。

4階は、ちょっとこわい。ボヘミアの醜聞の婦人や、ホームズとワトソンが話すシーン、なにやら檻に閉じ込められた男性など、原作の何かの場面を再現した等身大の蝋人形がリアルすぎて苦手。あれは原作を読めば十分なので、蛇足なのでは、と感じました。


写真はホームズの部屋脇にあったトイレ。ホームズ連載時、水洗トイレは最先端の設備。それだけにおしゃれな便器で美しい。当時、じっさいにはベイカー街の表通りに面したビルには備わっていたが、裏通りは部屋でおまるをして、外に出していた。
           (つづく)

※来週と再来週の更新はお休みします。
 夏から秋へと、明らかに変わった気候。くれぐれも体調に注意して、ようやく過ごしやすくなった温度帯に身体と心をやすめたいですね。


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2度目のロンドン⑧ ベイカー街へ

2023-10-22 11:25:51 | Weblog
写真は「ベイカーストリート」駅の地上を出たところに立っているシャーロックホームズ像。たくさんの観光客がツーショット写真を撮っていた。

【ベイカー街へ】
次に地下鉄「ノッティングヒルゲート」駅から「ベイカーストリート」駅へ。改札から地上に出ると、等身大の「シャーロックホームズ」像がお出迎え。ベイカー街といえば、シャーロックホームズなのです。
 その横に大行列がありました。行列の先はマダムタッソー館。蝋人形をみるためにこんなに並ぶんだ、と驚くとともに、学生時代の記憶がよみがえってきました。

 30年ほど前、予備知識なしで迷い込んだベイカー街。そのときもマダムタッソー館はたしかにありました。けれども行列はなく、ひっそりとしていて不気味さ倍増。近くには2階のオフィスから通りに突き出るように横顔にパイプをくゆらせたシャーロックホームズのシルエットの透かし彫りのプレートが、これまたひっそりとかかっていました。
 1階入り口の階段脇に貼られた金の小さなプレートには「シャーロキアン協会」の文字。痕跡はただそれだけ。博物館的なものは、とくに見当たりません。
 シャーロックホームズ関連を探しにベイカー街に赴いたのでプレートに満足はしたものの、他にみるべきものはなく、ちょっと残念に思ったものです。

でもよく考えると、そもそもシャーロックホームズは架空の存在だし、下宿先の「ベイカー街221B」だって、書かれた当時、番地は85までしかなかった架空の住所なのです。実地にあろうはずはない。

 ところが、現代では地下鉄の地上に出れば、彼の銅像、さらにマダムタッソー館の先には「シャーロックホームズ博物館」(※)が世界中の観光客を集めていて、長蛇の列でした。

「シャーロックホームズ博物館」前。

 さらに、その横に「ビートルズハウス」なるものがあり、日本人客が多いのか、日本人の売り子が日本語を話しながら、ビートルズグッズを並べていました(https://beatlesstorelondon.co.uk/ 住所:231/233 Baker St. London, NW1 6XE) なかは原宿のアイドルショップのようなつくりで、ビートルズの顔ばかりがにぎやかに並んでいました。

さて、小学生の時にシャーロックホームズに出会って以来、繰り返し読み、各種映像でも慣れ親しんできた名探偵の博物館。架空とは知りつつも、長蛇の列に並ぶことにしました。
                         (つづく)

※シャーロックホームズ博物館(Sherlock Holmes Museum)のホームページに設立年が1990年とありました。さらにウィキペディアの『ベイカー街221B』の項目に「実業家ジョン・アイディアンツが同地のビルを1990年1月に買収し、5月に博物館をオープンした」と書かれています。その注を見ると、

「オープン前、イギリス最大のシャーロキアン団体、ロンドン・シャーロック・ホームズ会から金儲け主義の施設と批判された。
  - 田中喜芳『シャーロッキアンの優雅な週末 ホームズ学はやめられない』中央公論社、1998年、17–18頁」

 とあります。私が赴いたのが1990年9月初頭。そのころにこの博物館は設立されてはいたはずですが、当時、そちらより、シャーロキアン団体のプレートのほうがまだ目立っていたのかもしれません。少なくとも現在のような賑わいは博物館にはありませんでした。
参考:



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2度目のロンドン⑦ ノッティングヒルの古本屋

2023-10-15 11:41:02 | Weblog
写真はポートベロー通りにあるノッティングヒルの商店街。この通りの後ろの道にはまた違った風情の住宅街が広がり、そぞろ歩きの楽しい街だった。

【古書に古着になんでもござれ】

しずかな住宅街の道路を抜けると、ノッティングヒルの中心をゆるく南北に走る商店街に出ました。商店街という庶民的な感じではなく、ところどころ古びた、歴史を感じるブティック街です。

 映画に出てきたような古本屋も一軒だけですが、たしかにありました。日本のガイドブックがあったので、手に取ると、東京タワーの項目はあっても、スカイツリーはありません。私もロンドン行の準備として、日本で最新版のガイドブックを買ったところ、食べ歩きの項目は増しているのに、歴史的部分や特集のページがだいぶ割愛されていたので、結局、古本で古い版も買ったのですが、このガイドブックも何らかのご縁を、この棚で待っているのでしょう。

古地図屋も数軒あり、それぞれに特色のある古地図を販売していました。
土産物屋には、映画「ノッティングヒルの恋人」をあしらったマグカップがたくさん。ジュリア・ロバーツ、人気です。メキシコの女性画家フリーダ・カーロの自画像がプリントされたマグカップもありました。もしかしたら毅然とした女性が好みのお店というだけなのかもしれません。

アフリカ系の雑貨店もありました。黄色の袈裟をまとった小乗仏教の若いお坊さんもずいぶんと歩いていました。あとは観光客がいっぱい。

街角の張り紙に週末に行うフリーマーケットの案内がありました。8月にはノッティングヒル・カーニバルというのもあるとか。これはアフリカ系イギリス人の祭典らしい。次の週末に行ってみよう。

 白い街だ、高級住宅街だと、最初のうちは思いがけない出会いにひたすら感動の嵐だったのですが、いくぶん、気持ちがおさまってきてよく見ると、けっして高級なだけではないとわかってきました。建物自体は古いのでしょう。ただ表面だけ白く塗っていて、その横の道路に面していないほうの外壁を見ると、黄土色のレンガがそのままの姿で見えていました。

  街並みもなんだか不思議。私のシェアハウスのあるすぐとなりの居住区は比較的南北に道路が走る規則正しい区画なのですが、このあたりは丘の高低差のためか等高線にそったような丸めの形の道で碁盤の目にはなっていません。

建物の成り立ちを調べてみると、どうやらこのあたりはビクトリア朝中期から後期(19世紀末)のイギリス黄金時代の建物がそのままある地区のようです。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Portobello_Road)
 そんな場所で骨董ものが売られていたら、それだけで風情が増してきます。
                      (つづく)
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2度目のロンドン⑥ ノッティングヒルの森

2023-10-08 10:15:41 | Weblog
写真はシェアハウスの裏通りの住宅街に咲くアジサイ。どの家も小さなスペースに見事に緑を茂らせていた。

【日本渡りのお花たち】
まず周辺を散策しました。
シェアハウスの裏手の道には緑の庭を持つ戸建てが並び、昔からのレンガ造りの煙突があり、静かで落ち着いています。玄関の小さなスペースにはアジサイや藤の花がちょうど先誇り、元日本産の植物が見事にマッチしていて、19世紀にはやったという、シーボルトの影響も感じました。

写真はフジの花が咲き誇るお宅の入口。アジサイの家の並びのおうちである。

さらに西に歩いていくと2階建ての白壁にレンガの半円階段の玄関がついたテラスハウスが並ぶ一角があり、ザ・ヨーロピアン。映画やミュージカルのようなしつらえ、と思ってしまう浅はかさ。こちらが本物なのに。

【ノッティングヒルの住宅地】
地名を見ると、ノッティングヒルと書いてあります。映画『ノッティングヒルの恋人たち』は、ただの古本屋のさえないおやじと美女の話なのではなく、高級住宅街で繰り広げられる昔の「フジ月9」みたいな、あこがれの世界の話だったのか、とちょっと意外でした。

みるからに伝統ある高級住宅街。とはいえ身分社会の濃厚なイギリスで貴族しか住めないという場所ではなく、ロンドン西部郊外の、小金持ちなら住める感じの街並みです。

住宅街は大きな円を描いて、白亜のテラスハウスが並び、その中央には公園のような空間があって、そこに生い茂った木々の緑が上空を覆っていました。片側の住宅の並んだ道路の歩道には街路樹が、森側の遊歩道には森の木陰が道を歩きやすくしてくれているのです。その森は住宅街の中央にあり、その周囲をアスファルト道路が囲っていました。さながら大きなロータリーの中心に緑豊かな公園がある感じです。

 木の根元に目を向けると絵本の挿絵のようなイングリッシュガーデンが広がっていました。ピーターラビットが出てきても不思議ではない雰囲気です。これは見事、と思いながら近づくと公園らしきところの周囲にはぐるりと2メートル以上の高さの金網が囲っていました。

 入口には金網のドアがあり、鍵がかかっています。その脇には「住人専用」と書かれたボードがついていました。どうやら、このあたりの住人共有の庭といった位置づけのようです。ちょっとびっくりしました。これこそまさに「囲い込み」?
                  (つづく)
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2度目のロンドン⑤ シェアハウスで暮らす 下

2023-10-01 11:36:26 | Weblog
シェアハウスの台所。写真には写っていないが、手前にテーブルがあり、食事をしたり、いろいろとすることができる。

【シェアハウスの住人たち】
翌朝7時、共同キッチンで家人の作ったスライストマトとベーコンの目玉焼きにパンと牛乳で朝食をとっていると(日本では忙しすぎて家人が私に朝食を作ることは、まずなかった。ありがたい。)はじめて別の部屋の住人と出会いました。

見た感じ40~50代の女性。ふんわりとした麻っぽい浅黄色のワンピースをきています。2週間、ここに滞在されていたとか。彼女は手早くオムレツを作りながら

「系列のシェハウスの中で、ここは格段にいいですよ」

ら話しかけてきました。

「どこがですか?」
 と聞くと
「交通の便が最高だし、設備面もすごくいいです。はじめてのシェアハウスがここなんてラッキーですね。」
と話しだしました。ずいぶん前からイギリス各地を巡っていて、今日、日本に帰るのだそう。シェアハウスの達人のようです。

「あ、そうそう。あなたとほぼ同時に入居してきた若者二人は要注意ですよ。なにかあったら、すぐに担当の方にいうといいです。」
 とのアドバイスをいただきました。

翌日、彼女が言っていた若者二人に会いました。
「おはよっす」と小声で顔をうつむけて、私の挨拶に返してくれました。彼らの部屋は我が家の角を挟んだ隣にあったのですが、ちらっと見たところ、南向きで私の部屋の数倍の広さに2つベッドが見え、あきらかに恵まれた環境にありました。その広さでストレスもたまらないのか、おのおの静かに過ごしていて、よき隣人であり続けました。

 たしかに鼻やら耳やらにメタル色のものをぶら下げ、服も鋲がたくさんささったような、痛そうな黒い皮の服を着こなして、頭も個性的に今時みないようなモヒカン刈り。外で見かけても一目でわかるほどでしたが、中身は挨拶も返してくれる素直な青年たちです。

 たまに、大量の黒髪が彼らの部屋から流れ出てきて
「もしや、事件?」
と思わなくもなかったのですが、聞くとロンドンの憧れの美容学校で学ぶためにやってきたという、見習い美容師さんとのこと。ついでに英語も学びたいと意欲もあるようです。すばらしい。

ほかの住人には、ウインブルドンの期間のときのみ、ロンドンの滞在してウインブルドンに通い詰めている年配の女性、9月から新しい大学に入るための準備で滞在している母子などがいました。
シェアハウスの担当者が朝食後の9時半に現れ、注意事項などの説明を受けました。これで、いよいよロンドン生活がスタートです。
                    (つづく)

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