雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

二度目のロンドン34 憧れのキューガーデン③

2024-05-19 09:28:06 | Weblog
写真はテンペレートハウス。ちょうどキューガーデン内をめぐるツアーの人々が到着。歩くのが苦手な人は、ツアーなどを利用するのもおすすめ。

【160年前からあるテンペレートハウス】
パームハウスから道にそって南西へ進むとまたもやガラス張りの巨大な温室がありました。先ほどの丸みを帯びた温室と違って、こちらはカクカクとした宮殿風です。テンペレートハウスです。テンペレートは温帯を指すので、文字通り温帯植物の温室です。一般公開が始まったのがやはりヴィクトリア朝の1863年。その後36年かけて今の形となりました。設計者パームハウスと同じデジマス・バートン。

なかでは野生種の稲や赤米などが見事に実っていました。

ガラスがきらりと光っていて白亜の宮殿のようだ、とその美しさに感嘆していたのですが、私が行った2019年7月14日は大規模な改修作業を終えて再オープンして1年2か月がたったころだとわかりました。100年以上たったこの建物にサッカー場4面を軽く塗れる5280リットルの白ペンキを塗ったりなど5年をかけていたのです。

【西本願寺の勅使門】
さらにずんずん南西へと進むと、高い木々と灌木がうっそうと茂る(けど下草は刈られていて歩きやすい)不思議な空間がありました。案内表示には
「日本庭園(Japanese Landscape at Kew)」
 と書かれています。

奥に進むと西本願寺が1910年に出品した勅使門と灯籠がうやうやしくそびえていました(ロンドンで開催された日英展)。あまりの迫力に日本の寺で使われた本物を移築したのではと思っていたのですが、案内板によると1910年に5分の4スケールで新たに造られたものでした。総桧木造りでヒノキ皮拭きの屋根、欄間や羽目板には華麗な彫刻とまことに豪勢です。

この時期の西本願寺の法主は大谷光瑞。シルクロードなどの探検で有名な大谷探検隊を企画し、主導した人物です。世界に日本が負けぬ威光をとどろかせようと、文化的にさかんに活動していた時期なので、そのような歴史的背景に思いを馳せると感慨ぶかいものがあります。

キューガーデンには博覧会終了後すぐに移築されました。1994年から修繕され1996年に再お目見え。周囲には桜やつつじなど日本由来の植物が植えられていました。

【アジアンワールドも】
勅使門からほど近い場所にはさらに中国園。立派な楼閣が聳え立っています。近くの森にはパゴダもありました。ロンドン由来のアジア関連の建築物が一気に置かれている印象です。これらが広い広い森に点在し、小鳥たちが軽やかにあちらこちらへ飛び回っていました。
                  (つづく)
※次週の更新はお休みします。ぐぐっと日差しが強くなってきました。熱中症には気を付けたいですね。私もスマホをうっかり日差しのある机においたら、熱くなりすぎて、危なくなっておりました。
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二度目のロンドン33 憧れのキューガーデン②

2024-05-12 16:50:05 | Weblog
パームツリーハウスに隣接する建物ウオーターリリーハウス。各種スイレンが咲き乱れ、甘い香りがただよっていた。

【途方もない広さ】
朝方の雨ですっかり冷えた空気。宿舎を出たときに寒い、と思って部屋に上着を取りに行こうとしたら、家人に

「これからあたたかくなるんじゃないの?」

といわれて断念したのが悔やまれます。日中のど真ん中以外は、本当に寒かった。
歩いていると広さが桁外れすぎて、先に進んでいる気がしなくて、なんとなく、絶望、という感じがしました。1日歩き回っても、半分も見れません。さすが大英帝国!

4万エーカー(132ヘクタール)という広さはどれくらいなのかと考えたのですが、先ほど新聞を見てぴったりな数字を見つけました。不謹慎なたとえで申し訳ないのですが2024年5月4日に山形県南陽市で山林火災が発生し、鎮火までに4日かかりました。その焼失面積が3日目の午後7時時点で137ヘクタールでした。消火に尽力していたにもかかわらず火が燃え広がった3日分がキューガーデンなのです。

【パームハウス】
園内を入って正面にみえるのがガラス張りの風雅な温室パームハウス。その名の通りヤシの木などの熱帯植物が生い茂っています。ヴィクトリア朝の1844年に造船技術を用いて鉄や手拭きガラスで作っているため、巨大な船がひっくり返ったような形をしています。

 デジマス・バートンの設計によって作られました。野生の熱帯雨林では絶滅の危機に陥っているものも多く、またゴム、アブラヤシ、カカノの木など植民地時代を支えた有用植物が多数見られました。
なにより温室なので温かい。

パームツリーハウスの右横に設置されている温室ウオーターリリーハウスには様々なスイレンが咲き乱れていました。スイレンの本場はアジア、日本もその一つですが、私が日本の植物園でも見たことのない種類の白く透明な葉をもつ不思議なスイレンも咲いていました。

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二度目のロンドン32 あこがれのキューガーデン①

2024-05-05 16:19:34 | Weblog
写真はキューガーデン駅からキューガーデンへ続く一本道に建つ家々。やや厳格な、ゆるがせにしない雰囲気をたたえていた。それぞれの庭が美しい。

【キューガーデンへ】
朝6時に起床。運動して6時半に朝食。いつもはクーラーのない西日の部屋で片側にしか窓がないため、寝苦しくて汗びっしょりで起きたり、寝られなかったりといろいろですが、今日はさわやかでよい目覚めです。
 と思っていたら7時半からやわらかいシャワーのような雨が降りそそぎはじめました。イギリスで初めての雨です。レンガがしっとりと濡れたらさぞやきれいに、地面の石畳はどんな感じになるのかな、とワクワクしていると、石につやが出る間もなく晴れました。

 雨だったら大英博物館か図書館と決めていたのですが、せっかく晴れたので、行きたかった、キューガーデンを目指すことに。

 キューガーデンは、世界でもっとも有名な植物園としてしられ、膨大な植物関係の資料を有する王立植物園です。2003年にはユネスコの世界遺産にも登録されました。

ロンドン南西部にあり、ディストリクト線で一本。気軽な遠出で30分で到着しました。キューガーデン駅を降りると、まるで別荘地のよう。静かで、家も周囲をいろどる庭も、手入れが行き届いていて美しい。お菓子の家のような、はたまたシルヴァニアファミリーのおもちゃのおうちのような建物が続いています。

このあたりは19世紀のロンドンの人口増によって発展し、ロンドンからの地下鉄の開通にともなって発展した、ロンドンのやや高級な住宅地、という位置づけとのこと(キュー (ロンドン) - Wikipedia)。ロンドンの中心部やノッティングヒルなどの超高級住宅地ほどではなくとも、上質な、世界を制覇したころのロンドンのたたずまいが醸し出されていました。

駅から徒歩10分弱でキューガーデンの入口となるヴィクトリア門へ。

ネットの情報では土日は混んでいるといわれていたのですが、日曜日だというのに、ほとんど人に行き会うこともありませんでした。朝方の雨のせいか空気はひんやりしています。チケットを買って温室風の建物を抜けると、130ヘクタール、4万種の植物が生い茂る植物園が広がっていました。
 空間が広すぎて、見どころが多すぎて、正直、どちらに行ったらいいかわからなくなってしまいました。広すぎるための圧を感じたのはちょっと方向性は違いますが、中国の天壇広場以来です。
               (つづく)
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二度目のロンドン31 大英図書館の閲覧室

2024-04-28 15:20:40 | Weblog
写真は大英図書館の蔵書がモニュメントのように置かれているロビー。集う人々は熱心に本を読んだり、勉強をしていた。
 しかし、ここで100年前に名誉会員として毎日を過ごしていた南方熊楠。この蔵書を使って自然科学雑誌「ネイチャー」に投稿しては何本も掲載されて、イギリス人にも一目置かれていた唯一無二の日本人。だのに閲覧室で、注意されたときに、カッとなって相手を殴ったために出入り禁止になった熊楠。やっぱり乱闘は、日本以上にダメな場所なことは明白だ。

【蔵書を手に取る】
話は再び大英図書館へ。図書館カードを作って、見たい本の申し込みをした2日後、本が閲覧室に届いたとのメールが届きました。意外と早い。

さっそく出かけて、いくつもある閲覧室から自分で指定した部屋へ。どの部屋でも指定すれば閲覧可能なのですが、私はアジア関係の辞書などがそろっている部屋に行きました。

高い天井から自然光のようなやわらかな照明がふりそそぐ空間はクラシカルで落ち着いています。閲覧用に何列にも並べられた木製の机には、貴重書を傷めずに本を広げられるように、角度をつけてあまり開きすぎないようにと移動式の灰色に塗られた段ボールの書見台やずれにくいように加工された木製の板などが置かれていました。

閲覧室の机。

机は40席ほどがゆったりと並んでいて、ほどよい混み具合です。そこでまず、空いている席に自分の鉛筆(ペンは不可なのです)とハンカチを置いて場所取りをした後、申し込んでいた本を受け取りにカウンターに行きました。

カウンターの職員の方々はジーンズにTシャツ姿も見られるほどラフな格好でしたが、利用者から「すみません」といいながら不意に聞かれる質問にも、テキパキと答えていました。
 私がカウンターで図書館カードを見せると、すでに用意された予約棚から取り出して、予約した大型本をカートに入れて渡してくれました。

 希望した本は、幕末に日本にやってきたシーボルトの『フローラ・ヤポニカ』。日本の植物を記した絵とその説明が中心です。彼は医者なので、植物学者ツッカリーニと共著しています。

 大英博物館の蔵書ですが、じつは日本の丸善から1993年から94年にかけて復刻されたもの。初版本はさすがにみられなかったのです。でも、この本も日本でみるとなると、東京大学や京都大学などが所蔵しているので、研究の理由を書いた提出書類を書いたり、推薦人を探したりするなどの手続きが必要になります。もし、購入するなら販売価格98万円。もはや品切れなので、古書市場だと数十万円かかります。とにかく日本で見るのは大変なのです。それが大英図書館の登録証さえあれば、スムーズに手に取ることができたのです。

そのほか、シーボルトは日本からヨーロッパに輸送して育種に成功した園芸植物を通信販売したりもしたのですが、その時のパンフレットやリーフレット、その一覧表も見ることができました。それらは本物で、感激しました。
 ちなみにシーボルトが収集した日本の本も大英図書館がずいぶん所蔵していました。

 ページをめくってはじっくり見て、メモをとったり、スマホで写真を撮ったりして過ごしました。状態もとてもよく、色も鮮明でした。

ちなみに閲覧室では書籍の写真撮影は個人で使う場合は自由にできます。私も本を傷めないように注意しながら撮っていたのですが、近くの席の若い紳士(牧野富太郎博士のようにきっちりとしたダブルの背広にあつらえたズボンの、貴族のような雰囲気の人)がやってきて「シー」というポーズで口に指をあてて、おだやかに

「ノー。シャッター音をさせてはだめですよ」

と言って去っていきました。彼も書籍を閲覧にきた利用者でした。

 たしかに他の方からはシャッター音がまったくしません。でも私のカメラは日本のスマホ。日本で販売されているスマホのカメラはシャッター音がでちゃうのです、と言いたかったのですが、とにかく皆の集中を乱しているのは事実です。焦って音を消そうとしたのですが、やはり私にはできなくて、その後はなかなかつらいものがありました。

 とはいえ大英図書館は、ジェントルマンの人が集う場なのだと実感。職員も礼儀ただしく、大人な対応で丁寧に接してくれます。図書館という空間では日本は礼儀とホスピタリティにおいては、やはりまだまだ、なのでした。
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二度目のロンドン30 気軽に行ける大英博物館⑤

2024-04-21 16:55:13 | Weblog
写真はギリシャのパルテノン神殿の彫刻群。テレビで見慣れていたパルテノン神殿は1801年当時は今の神殿の柱だけが立っているというほど荒れ果てた状態ではなかったらしい。大英博物館に登録されたのが1802年、フランスの博物館(ルーブル?)に登録されたのが1803年、との説明が部屋の廊下に掲げられていた。

【パルテノン神殿の顔も】
そして「メレイデス・モニュメント」の横にこれまた超一級品の白大理石の彫刻群が並んでいました。これぞ、かの有名なギリシャのパルテノン神殿の一部。しかも、彫像を一つ持ってきたというものではないのです。たとえば日本の神社だと一番重要な拝殿の屋根瓦の下側にゴージャスに彫り込まれた龍や牡丹の花などの木彫群がありますが、その部分。パルテノン神殿の顔である、一番目立つところの彫刻をはぎ取ってきたのです。

ずいぶん荒っぽいことをしたわけで、現在、ギリシャから返還請求がなされています。大英博物館も展示の経緯や訴訟のことも包み隠すことなく、ちょっと目立たないところの壁にではありますが、ちゃんとパネルで展示していました。
植民地時代の世界各地のものの返還については欧州諸国で重要な課題となっています。2017年にフランスのマクロン大統領は「これ以上、アフリカの文化遺産を欧州の美術館・博物館の囚人のように収容しておくわけにはいかない」と宣言し、ナイジェリアにいくつか返還を始めました。ドイツもその動きに追随しました。大英博物館は今のところ、拒否。今後の動向は、世界中は注目することとなっています。
(参考:https://www.cnn.co.jp/style/arts/35148855.html)

しかしパルテノン神殿の彫刻群は一度見たら忘れられないほど魔力的でした。馬の頭一つとっても、リアリティに満ちた何かを訴えかける表情と深く自信に満ちた彫りすじ。人類史上でも最高部類に入る彫刻であることは素人目にもわかります。所有をめぐる欲と徳の戦い、これが生々しくも目の当たりにできる博物館でもあったのでした。
               (つづく)
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二度目のロンドン29 気軽に行ける大英博物館④

2024-04-14 11:43:25 | Weblog
写真はギリシャ・ヘレニズム文化の間に鎮座する「メレイデス・モニュメント」。長い年月に耐えた独特のギリシャ文化の空気感を醸し出していた。
 だが客は意外と注目せず、神殿を見るために設置されたベンチで休みながら、スマホの画面を見ている人が多かった。大英博物館の深部にあるので疲れを癒したい欲求に勝てないようだ。

【メソポタミアの間】
メソポタミア関連では楔形文字が刻まれた石板が重々しく展示されていました。解説を読むと

「まったく最近の若者は・・」

今も昔も変わらぬ言葉に笑えます。

アッシリアの彫像群は大きくて迫力満点。特に印象的だったのが、前回、写真で紹介した守護獣神像。どこかでみた、と思ったらドイツ・ベルリンのペルガモン博物館でした。きっと、このような像が神社の狛犬レベルでたくさんあるだろう、と軽く考えて通り過ぎたのですが、家に帰って調べるとベルリンのものはレプリカで大英博物館のものが本物だとわかりました。

かつて世界史で習ったイギリスの3C政策とドイツの3B政策。さまざまな収奪が交錯し、繰り広げられ、その終着点の一つが博物館の展示だったわけです。
〔3B政策とはドイツがベルリン、ビサンティウム(現イスタンブール)、バグダッドを直線で結び、イギリスは南アフリカのケープタウン、インドのカルカッタ、エジプトのカイロを結ぶ三角形地帯を植民地支配する帝国覇権争いのこと。〕

素直に見ただけではメソポタミアや古代ギリシャの遺跡はドイツのベルリンの博物館にはスケール感では及ばないと感じたのですが、それこそ、まんまとドイツ帝国の手のひらにのせられてしまったわけで、19世紀帝国主義のつばぜり合いの残滓だったのでした。

【ギリシャ神殿】
ギリシャヘ・レニズム文化の間でも同様のことがいえました。
 一部屋まるごとギリシャ神殿。ほんものの遺跡が聳え立っている「メレイデス・モニュメント」。でも、デジャブかな? ベルリンにあるペルガモン博物館の「ゼウスの大祭壇」と見せ方がそっくり。スケールではベルリンの方が上なような。

そもそも小アジアのペルガモンで発掘したそれを見せるため作られたのがベルリンのペルガモン博物館なので、肝いり具合が半端ではない。広場のモザイクまでまるっと移築していて、足元に広がる色味のある大理石のモザイク絵画からから仰ぎ見る神殿は威圧感に満ちています。さらに客も気軽に神殿内に入り写真撮影も可能。しかも本物。

ですが、これも調べてみると、もともと大英博物館のほうが先にあったことがわかりました(開館は1759年。当初は蔵書コレクションだったが、大英帝国の躍進とともに世界各地の遺跡、遺物が運び込まれ1816年にこのギリシャ彫刻も加わった)

ペルガモン博物館は1907年ごろに計画され、ペルガモンの大祭壇の展示にこぎつけたのが1930年。遅れること1世紀。明らかにベルリン側がイギリスへの強烈な対抗心で作り上げたものだったわけです。
             (つづく)

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二度目のロンドン28 気軽に行ける大英博物館③

2024-04-07 15:31:13 | Weblog
写真はメソポタミアの間の入口。メソポタミア関連ははぎ取った石像が中心。今回の主題の古代エジプトの間はすべてが私の感覚と相いれなかったので、写真を撮ることが、私にはできなかった(写真を撮っていいことになっていました)


その後、何回かに分けていった大英博物館で印象的だったものをご紹介しましょう。

大英博物館の常設展示でやはり、すごいのがエジプトや中東、そしてギリシャ・ヘレニズム文化です。19世紀はギリシャの遺跡の多い地域のほとんどがトルコ(オスマン帝国)の版図だったので中東の領域ともいえるのです。大英博物館の収蔵物の多くは侵略の歴史と軌を一にしているので、経緯からいってもそうなります。では、エジプトから。

【古代エジプトの間】
 4大文明の発祥の一つ、古代エジプトの展覧会は日本で大人気。私も上野の博物館に 古代エジプトのミイラやかの有名な黄金のマスクを見に行ったことがあります。あれはいつのことだったのかとネットで調べて驚きました。
 2,3年に一度の割合で全国を巡回する規模の古代エジプト展が開催されていたのです。しかも大英博物館からだったり、エジプトのカイロ博物館だったり、はたまたドイツのベルリン博物館だったりと様々。私のいった展示会はもはや特定困難なほどの多さでした。

 日本では、大勢の黒い頭の先にチラリとみるのがせいいっぱい。しかも暗がりに浮かび上がるような照明です。雰囲気もあいまって、ミイラなどは直視できず、呪いやらロマンやらを想像しながら早歩きして通り過ぎておりました。

ところが大英博物館では全然、違いました。すごい数のミイラがおとなりのお兄さんが
「横に立っていますよ」
 レベルで並んでいるのです。古びた木枠にガラスがはめ込まれたケースの中で煌々と電気に照らされたなかで、ずらずらと並んでいるのです。立ち上がった寝袋がいっぱいある感じ。それらは眠る姿勢をとることすら許されません。

日本で私が見た展覧会では、一体のみが薄暗がりの中、うやうやしくお棺のなかで横たわり、お眠りになってらっしゃる感じでした。(私は行っていないのですが)2021年には上野の国立科学博物館で「大英博物館のミイラ展」というズバリ、ミイラに絞った展示会ですら6体だったそう。

また大英博物館は、それほど混んではいないので、ゆっくり見ることができて、写真も撮り放題。この部屋にいると、イギリス人の、死や死体に対する感覚の違いを感じざるをえません。ある意味、展示としては正しいのかも。

この部屋には人だけでなく猫のミイラ、また臓物が入っていた壺やきらびやかな副葬品、何重もの入れ子になったお棺などなどが、白い光の中で雑然と並んでいました。あまりのあっけらかんさにちょっと気持ち悪くなってしまったのでした。
一方、家人は全く平気。これも感覚の違いなのでしょう。
(つづく)

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二度目のロンドン27 気軽にいける大英博物館②

2024-03-31 11:21:37 | Weblog
大英博物館近くのお店。大英博物館の「マンガ展」のポスターや萩尾望都が描く表紙の「月刊flowers」、「となりのトトロ」のトトロと「千と千尋の神隠し」のカオナシが一つの絵になった原画風のものなどが浮世絵とともに売られていた。

【日本ギャラリー】
中国や日本のものの展示には目を見張るような展示はありません。日本だとやはり浮世絵などの紙が中心となるのか退色を心配してるのでしょうか。せいぜい漆器や陶器が目を引く程度です。しかもアジアの一部としてざっくりと。

軽い失望を感じつつ日本などの展示の上階に向かって古めかしい石の階段で上がると、「三菱商事日本ギャラリー」というポスターが目に入りました。やはり無料の展示室で、三菱商事が出資している部屋とのこと。ずいぶんと落とした照明のなか、戦国時代の甲冑や喜多川歌麿の遊女をモチーフにした肉筆画などが展示されていました。いかにも欧米人が思い浮かべる「ザ・日本」の部屋。解説もほとんどなく、やはりざっくりとしています。

【(日本の)マンガ展】
 ただ、ちょうど日本のマンガを取り上げた「The Citi exhibition Mangaマンガ」展が開催中でこちらが大いににぎわっていました。特別展会場は有料で、この展示会は19.5ポンド、とウインブルドンの入場券15ポンドよりお高めでしたが、入ってみました。入口のポスターはゴールデンカムイのヒロイン・アシリパが毅然と遠くを見つけている絵。

当時はゴールデンカムイのマンガを私自身読んでいなかったので、アシリパの絵を見て「新しいマンガが中心なのかな」くらいしか感慨はありません(帰国後しっかりと見ました。アイヌ文化の部分がおもしろくて、いまや小学生も「熊とは食べるんだぜ。ゴールデンカムイでみた」などと食育にも役立つマンガになっています。)

展示は暗い照明の中、日本の有名マンガが展示され、文化としてわかりやすく流れを追った展示となっていました。コマ割りをどの順番で読むか、といったマンガに慣れ親しんだ人には空気のような作法に英語で解説がされていると、なんだかくすぐったいような気持ちに。

手塚治虫『新宝島』『鉄腕アトム』、鳥山明『ドラゴンボール』、石森(石ノ森)章太郎『サイボーグ009』などおもに少年マンガを中心に構成。さらに浮世絵(春画含む)の展示や圧巻は河鍋暁斎の作品《新富座妖怪引幕》(1880年)。デフォルメされた妖怪が決め顔でこちらを向くカラーの筆画で、妖怪らは当時、活躍していた歌舞伎役者がモデルとなったいかにもマンガ的な芝居小屋の幕の絵です。いろんな関連からルーツを探ってくるなアと面白くみました。
マンガから派生した文化として、コスプレやガンプラなどのプラモデル、ポケモンゲームなどもきちんと展示されていました。

2019年というタイミングでのこの展覧会は日本のマンガの爛熟期をあらわすにはちょうどいい時期の展覧会だったと今は思います。
(つづく)
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二度目のロンドン26 大英博物館①

2024-03-24 12:00:37 | Weblog
大英博物館の入り口では、厳格な荷物検査が行われていた。大英図書館でもあったが、入場者数が多いので入るまでに時間がかかる。

【寄付で運営される博物館】
 かつて(30年ほど前)ロンドンに寄った時のこと。地下鉄を降りて、予備知識もなくふらりと寄った大英博物館。
 するといきなり目の前に、かの有名なロゼッタストーンが。そのほか、中東の石像の数々が高い天井が特徴的な建物の一階に、ずらりと並んでいました。解説はほとんどなく、開放的な空間に戸惑う私。
 これら本物の風情を醸す物体を横目に、チケット売り場を探したのですが、どこにも見当たりません。日本では一流美術品はとにかくチケット買わないとみられないという常識に完全に毒されていて、まさか無料とは考えもつきませんでした。そのため、本物を探し求めて大英博物館の一角だけをさまよって、立ち去ったのでした。

 以来30年。入場料を払って来日する大英博物館展を見ては、ため息をつく日々。

それが今日、終わるのです。

 朝10時に行くと、私の記憶とは異なっていて、入口では厳格な荷物検査のテントがあり、そこを通過するために行列ができていました。
相変わらず入場料はなし。ただ、寄付ボックスがそっと置かれていて、「気持ちをいれて」と書かれていました。

 寄付で社会を回す文化と知らなかったかつての私が気づかなかったボックスに、気持ちのお金を投じて、ようやく周りを見渡す気分になれました。

かつてのようにスーッと道を歩くようには博物館に入ることはもはや治安が許さず。文化が囲い込まれた空間に、かつてを知る人は違和感を覚えることでしょう。が、悲しいことに日本の常識にどっぷりつかった私には入場を意識することが、館内の価値を高める大切なセレモニーなのだと自覚しました。
博物館は思った以上に巨大でした。今日のうちに全部を見るのは不可能なので、まずはアジア系の部屋に絞ってみることにしました。
     (つづく)

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二度目のロンドン25 ウインブルドン選手権へ⑤

2024-03-17 09:45:50 | Weblog
写真は主要コート下の休みどころ。ここの草花をバックに国営放送BBCは中継を行い、今日の天気予報のバックなどにも使われていた。私もリポーターになりきって記念撮影をして楽しんだ。

【ウインブルドン点景】
今回、センターコートなどには入れなかったものの十分楽しむことができました。テレビで見ていた光景が目の前にあったことに興奮したり、スター選手に会えたり。
ほか、書ききれなかった数々の楽しかったポイントを挙げてみます。

1.美しい草花
また、会場にとりどりの花で飾られていたのがいかにもイングリッシュガーデンの国らしくてなごみました。青系統が基調なのがいかにも高緯度で光の淡い国らしくて異国情緒を感じます。



2.警備員
有料会場の要所要所の非常階段口では警備員が目を光られていたのも印象深いものがありました。女性警備員も多く、仁王立ちの周辺は一種のバリアが張り詰めたような緊張感が漂っていました。


3.きびきびとした子供たち
また、やはり際立っていたのがボールボーイ、ボールガールたちの動作がきびきびとしていたことです。選手を尊敬して、失礼のないように動いているのがよくわかります。
彼らの統一された服装はラルフローレン製で、彼らは13歳から16歳の子供たち。ウインブルドン選手権を主催する協会と提携している28校の子どもたちが学校の主催する協会の教育プログラムを受講し、応募者1000人以上の中から170人が新規に選ばれて、2月からさらに厳しい訓練を積んで、当日にのぞんでいるのだとか。
一流の大会で、きちんとした礼儀も身に付けられ、しかも真剣勝負にのぞむ選手をまじかに見ることができ、きちんと仕事としての対応も求められる。長い伝統に基づいたプログラムなのでしょう。私もテニス好きの子供だったなら、参加したい光景でした。

4.気の利いたみやげ物
あとでなにより喜ばれたのがウインブルドンの会場で売られている公式グッズの数々。帽子や折り畳み傘、ワッペン、ボールペンなど数々が売られていて、大英図書館のグッズよりも安いぐらいで、品質もよいものでした。何より色が落ち着いた紫と緑と白のテイストなのが素敵。テニス好きの友人がいるかたはぜひ。

※次回は大英博物館です。
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二度目のロンドン24 ウインブルドン選手権へ④

2024-03-10 10:39:51 | Weblog
写真はウインブルドンにて。国枝選手とオルソン選手の試合開始の光景。ここからはシャッターを切らずに静かに観戦した。

【車いすテニス】
ちょっと時間を巻き戻します。
大型コートから聞こえる歓声を聞きながら、知っている選手で私のチケットで見られる試合はないかな? と対戦ボードを見ていると、国枝慎吾選手の試合が17番コートで11時からあると書かれていました。対戦相手はスウェーデンのステファン・オルソン選手。世界ランキング2位の選手です。つまり世界ランキング1,2位が激突です。

さっそく行ってみると緑色のビニールシートで周囲の通路から仕切られただけの独立した一面のコートがありました。

これが17番コートです。

コートの横に固定式の座席が数列並んでいます。試合開始の10分前なのに席は選び放題。一番前だとボールが飛んできそうなので、前から2列目の真ん中あたりの席に座りました。それでも選手に手が届きそうな近さです。

すでに国枝選手はコートに来ていました。ボールボーイ、ボールガールたちもすでにコート上にいて、おそろいの紺のポロシャツと半ズボン、キャップに白のスニーカー姿でキビキビとした動作で選手のお世話をしていました。

国枝選手がボールボーイに水とバナナをお願いすると、彼はすぐに走っていき、コートの真ん中にあるそびえ立つような審判席の下側に手を伸ばしました。そこにはバナナと水が常備されているのです。そして、また走って国枝選手のもとへ。国枝選手は笑顔ながら「もっと傷んでないものを。」と要求していました。

選手もボールボーイもたいへんな緊張感です。そんなやりとりをじかに見られるのもコートの真横に陣取っただいご味でしょう。

さて、ようやく納得のいくバナナを受け取った国枝選手は、次にゆっくりと自分のバックから水、栄養ドリンクのような黄色いのみもの、チョココーティングのグミ、10秒チャージのような栄養系のたべものを取り出して、手慣れた様子でコート横のイスの上に並べました。
 それからそれをちょっとずつ食べては、自分でメモしたノートを広げて、最終確認をするように目を通していました。
 これが彼のルーティーンなのでしょう。こちらにも緊張感がさざなみのように伝わってきます。

2時間の試合中、ピシッと立ち続けるボールボーイ、ボールガールたち。ボールが来たら、走って取りにいく姿がまたすごい。

試合は湖に手漕ぎボートを漕ぎだすように静かに始まりました。次第に熱を帯びてきます。白熱すると国枝選手の「ウンっ」という、うなるような声がスマッシュとともに響きわたりました。車いすが激しく動き、ギャワっときしむ音。恐ろしい勢いで走り、打つ。すべて腕だけで動いています。

試合は激戦で2時間にも及びました。最初は国枝選手が劣勢でしたが、やがてギリギリでかわし続け、最後に勝ちをもぎとりました。横綱相撲ではなく、すごくどきどきさせられた、見ごたえのある試合でした。

プロの試合をこんなにもまじかで見たのも初めてなら、車いすテニスを見たのもはじめてのこと。すっかりこちらも熱くなってしまいました。

また、見ていて感じたのは本人の技量もさることながら、車いすの性能や細かな調整も大きなウェートを占めている気がすること。冬と夏でも伸びる部材、断裂しやすい部材は変わり、調整も変わってくるはずです。そういった国枝選手をささえるチームが観客席の一角にいて、いろいろとアドバイスを飛ばしている光景も、まるで地元の地区予選のようで面白い光景でした。

帰国後、NHKBSのウインブルドン中継のダイジェストニュースを見ていたら、なんと我々が国枝選手の試合を観戦している模様がばっちり映っていました。ボールが目の前を通り過ぎるたびにせわしなく首を右に左にと動かす私。いやあ、夢中だったんですね。

しかし、世界一位、二位の選手の試合で準決勝だというのに、ギャラリーの多くが報道陣という不思議さ。パラスポーツは一流でもなかなかたいへんなのだな。
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二度目のロンドン23 ウインブルドン選手権へ③

2024-02-25 11:21:56 | Weblog
写真はウインブルドン名物のストロベリー&クリーム。冷たくてさっぱりしていて、おいしい紅茶にあいそう。

【スタジアムの中心とクラブの一角】
いったい、どんな会場なのか、と行ってみるとセンターコートはまるで今の千駄ヶ谷のオリンピックスタジアム並みの立派な建物、次に№1、№2、№3コートがそれぞれ散らばってスタジアムで囲われたりしていて、おいそれとは中をうかがうことができません。それらのコートを見学するには人気チケットを入手する必要があります。

でもそれ以外にもコートはたくさんありました(正確には15)。そして、それらは見放題。たとえばセンターコートの横に8面コートが2×4列でならんでいて、一見するとどこかのテニスクラブの練習場のよう。ですが、いずれも真剣勝負で鋭い玉の応酬が続いていました。こういう様子を観客も通る通路からも全部、見渡せるのです。コートが芝という以外に特別感はなし。これもウインブルドン選手権なのです。近くを通るときは私たちも大きな物音を立てずに通ろう、という気構えに自然となりました。

改めてセンターコートに立つ、というのは特別なことなんだ、と実感できます。日本で衛星中継だけでは伺いにくい頂点、ということがたくさんのコートを見ていると実感できるのです。現地に足を運だからこそ味わえる醍醐味を感じつつ、時折、ワッと歓声があがるセンターコートの歓声と拍手をBGMに、目の前の無名の選手たちの試合を同時並行で見ていると、やがて、おなかが空いてきました。

№1コートスタジアム周辺にはバーなどの飲食店が並んでいた。

【ストロベリー&クリーム】
お昼は№1コートの大きなスタジアムの一階にあるフードビレッジに行きました。そこでは降り注ぐ日差しの中、みながリラックスして思い思いの時を過ごしていました。

食べ物は社員食堂のように並びながら、冷蔵庫に入ったものを取って、最後にビールやソフトドリンクを注文して使い捨てのコップに注がれたものを持って、お会計、というシステムです。

サンドイッチやサラダ、ポップコーンやポテトチップスなど。あまり迷いようがない定番メニューが並んでいます。私はビールとイチゴの生クリーム添え(KENTISH STRAWBERRIES AND CREAM)を頼みました。イチゴといっても、日本のものとは違い、ちょっと酸っぱめのいかにもベリー。それに乳脂肪分たっぷりで甘さ控えめのクリームが載っただけの飾り気のないデザートです。容赦ない陽射しの中だと、揚げ物よりもは食べやすい気がしました。ウインブルドン名物ということで、多くの人が食べていました。

フードビレッジの近くには救護室もきれいなトイレも、なんと薬局もありました。のちほど詳述しますが、ロンドンに来て以降、悩んでいた肌荒れに効いたのが、ここで買ったニベア。慣れたものが一番です。さすが、国際テニスの大会の薬局。必要最小限の間違いのない製品が並んでいました。

※次週の更新はお休みします。冬と春が交互にきて、気温差が容赦ない日々ですが、どうぞ、みなさまお健やかにお過ごしください。
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二度目のロンドン22 ウインブルドン選手権へ②

2024-02-18 16:55:25 | Weblog
写真はウインブルドン選手権会場入り口ゲートの開場を待つ人々。この右斜め前に子供たちのファンファーレ鼓笛隊がいた。

【やりがい搾取ではないボランティア】
道の途中のところどころに協賛企業のブースがあり、ウインブルドンマークのついた参加者が喜びそうなものを無料で配っていました。会場図とか、スマホが落ちないようにつけるストラップとか、スマホの後ろにリングを付けて固定するもの、とか、いろいろです。各企業のロゴは控えめで、とにかく大会を盛り上げたい、という気概あふれるおしゃれものばかり。さらに、うれしいのが配る人々が、営業スマイルではなく、自然とこぼれるような笑顔なことでした。ふと思い立ってきただけだったのに、歩くごとに、すごくワクワクして、何かの一員になったような心構えが沸いてきました。
歩道を指し示すかのように地面や芝生に敷かれた白いビニールシートも自然環境と人への気遣いが感じられます。人へは雨天時にぬかるまないように、環境面では周辺の草花を痛めないようにしているのでしょう。誘導もボランティアの方々なのですが、スマートな対応と笑顔があたたかい。さすがロンドンオリンピックが成功した地。大会を成功させたい、という純粋なボランティアの精神が横溢していました。

そうして徒歩で会場の入口に10時ごろ到着。まだゲートは開いていませんでした。人は多いのですが、入口やその先の会場が美しい花々で彩られているせいかまるでパステルカラーのフェスティバルに迷い込んだような雰囲気。みな、笑顔です。
連日観戦している人、主要チケット入手のためにテント泊の人も多いのでしょう。肌が日焼けで赤く火照った人が大勢いました。
ここでチケットを購入しました。シェアハウスの方から、グランド(Ground)チケットなら当日に並ばずに買えると聞いていたのですが、その通りでした。2019年時点で15ユーロ。これでセンターコート、№1コート、№2コート以外のコートの試合は自由に見ることができます。
(勝ち上がった人やシード権のある選手が出るセンターコートなどの人気のチケットは前売り券をネットなどで購入か、当日券を目指してテント泊をするかが必要だそうです。)

10時20分に会場ゲートを通過し人々の流れに身を任せていたら、急に流れが止まりました。けど、みなさん、慌てる様子はありません。ひたすらおだやかです。
10時30分、ファンファーレとともに地元の子供たちのブラスバンドの生演奏で開場。お祭り気分が一層高まります。
それにしても世界的な催し物で規模も大きいのに、その流れをきちっとコントロールしてあくまで地元の手作り感のぬくもりが残っている。すごい。

さて、この日はウインブルドン選手権最終日の前日で、女子シングルス、男子ダブルスと女子ダブルスの決勝が行われる日でした(最終日は男子シングルスの決勝が行われます。)
大会は毎年その年の28週目の月曜日から2週間の日程で開催されています。2019年は7月1日(月)から7月14日(日)の開催日程で、私が行った日は7月13日(土)でした。
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二度目のロンドン21 ウインブルドン選手権へ①

2024-02-11 15:17:29 | Weblog
写真は、テニスの四大国際大会の一つとして有名ウィンブルドン選手権の行われる会場に一番近い列車の駅・サウスフィールズ(Southfieids)駅前の住宅街。客を乗せるための三輪自転車が走っていた。

【街はウインブルドン一色に】
朝、起きると、すがすがしいほどの青空。あまりに天気がいいので、もうすぐ終わってしまう全英オープンテニス(ウインブルドン選手権・The Championships, Wimbledon)に行くことにしました。

そもそもシェアハウスの住人には、この観戦のために会期中は毎年、ロンドンのこのハウスを借りている人がいて、その生き生きとした話しぶりに興味が募っていました。
 また、夕方になると、いつも最寄りのベイズウオーター(Bayswater)駅から降りてくる人々の手にはウインブルトンの白地に紫と濃い緑が美しいおみやげバッグがぶらさがっていて、みな、一様にルンルン気分が漏れ出ているのです。
 ダメ押しは部屋に設置されている恐ろしくうつりの悪いテレビ。会期中は毎日、朝のニュース番組で「本日のウインブルドン」情報が流れていたのですが、今朝はなんと花々咲き乱れる美しいウインブルドン会場にソファ一式をしつらえて、ゆったり気分でいつものキャスターたちがうれしそうに中継し始めたのです。
 さらには現地の天気予報まで別枠で紹介され・・。とにかく「ウインブルドン」の文字を見ずに過ごすことが日々ごとに難しくなっていました。チャンピオンが決まる日が日々、近づくのですから、人々のボルテージも否が応でも高まるのでしょう。

【都心から電車で30分】
いやしかし、かの有名な世界四大大会のチケットなんて今更無理でしょ? と思っていたら、シェアハウスのベテランさんが、

「一番人気のセンターコートは、気合が必要ですが、とにかくたくさん試合が行われているので試合をみるだけ、雰囲気を楽しむだけなら思い立った日で行けますよ」

と親切にチケットの買い方などを教えてくれました。

部屋で朝食を食べて、ウインブルドンを目指します。さすがの立地の良さで、ベイズウオーター駅から地下鉄ディストリクト(District)線で一本。地下鉄がいつのまにか地上に出ていて、のどかな車窓を眺めていると30分でサウスフィールズ(Southfieids)駅に到着しました。ここが会場から一番近い駅なのです。
ちなみに電車に乗り続けた終点がウインブルドン駅。紛らわしいのですが、こちらは会場の最寄りではありませんのでご注意ください。

さて電車を降りたところからフェスティバルは始まっていました。多くの人が駅のホームでうれしそうに自撮りをしています。さすがテニスの聖地。私もついついつられてパチリ。

しかし電車に30分乗っただけなのに、なんという牧歌的な風景でしょう。いかにも郊外の雰囲気で空が、広い。別荘のような瀟洒な建物が美しくならんだ街を過ぎると、牧場のような芝生と木々がただただ広がるだけの空間が続きます。

【気持ちのよい手作りの小道に導かれ】
会場は駅から少し離れているようで(実際には1キロ強)、ウインブルドン会場へ連れて行ってくれるインドネシアやフィリピンで常用していたトゥクトゥク(三輪自転車)を利用する人も。でも、多くの人はゆるゆると歩いていきます。辻々には「ものみの塔」のパンフレット片手におとなしく宗教の勧誘をしている人までいました。

ウインブルドン会場に近づくと、よく手入れされた芝生のゴルフ場のような空間に大会に集う人専用の駐車場が広く取られていて、そこにオレンジのジャケットを着たボランティアスタッフが立っていました。なんだか、日本でよくみる近所の広場のお祭りみたい。

スタッフには白シャツ上下の子供の姿もあった。
地元の子供たちが前から準備に携わり、礼儀などを
自然と身に付ける場ともなっているようだ。

 その横には入口風のアーチがあり、チケットを持った人用とチケットを持たない人用に区分けされた通路がありました。案内にしたがってチケットを持たない人用の道に進むと、自然と生い茂ったような木々が気持ちの良い木陰をつくり、強い陽射しのなかでも、気持ちのいい散歩道になっていました。人がいっぱいいるのに、このゆったりとした気分はなんでしょう。
                    (つづく)
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二度目のロンドン20 大英図書館④

2024-02-04 10:46:03 | Weblog
ロンドンのパブにて。フィッシュアンドチップスはボリュームたっぷり。このあと、気に入っていろいろなパブでこれを注文したが、間違いないおいしさ。
タラのフワフワ感と塩味、それにサクサクのフライドポテトがおつまみ?(にしてはボリューミーだが)にぴったり。

【閲覧室へ】
さていよいよ許可証を持って、許可書を審査した部屋の隣にある中央閲覧室へ。
あこがれの大英図書館の蔵書が手に取れる、と胸が高鳴ります。

まず閲覧室のパソコンで書籍の在庫を確認。私の目当てはシーボルト。彼は江戸末期に日本にオランダからの医師として長崎の平戸にやってきて、その後、ヨーロッパで日本の園芸植物を広めた人でもあります。彼が指示して日本の植物について本にまとめた『日本植物誌(フローラ・ヤポニカFlola Japonica)』や、日本で集めた園芸をはるばるオランダに運んで株を増やし、今でいう通信販売をする用に制作した園芸パンフレットの多くが大英図書館に所蔵されていて閲覧可能なのです。

オランダ・ライデンにある博物館や大学にも所蔵されているのですが、閲覧の許可は当然ながら、なかなかたいへんです。
日本でも『フローラ・ヤポニカ』は京都大学貴重資料デジタルアーカイブで全ページ公開され、八坂書房から復刻され販売もされていますが、園芸パンフレットまではありません。どんな状態なのか、見てみたいとめぼしい資料をピックアップして閲覧希望を同館のパソコンでポチリ。

するとこれらの書籍はこの大英図書館ではなく、書庫は別の場所にあるので、本館に届いたら、メールがくる、と表示されました。閲覧室も人文、科学技術、貴重書などテーマごとに閲覧室があるなかで、私が指定した中央閲覧室での希望が通りました。

けれども今日は見られないので、その日の大英図書館の訪問は終了。
(大英図書館の公式サイト(https://www.bl.uk/research)では閲覧可能なコレクションを検索することができるので、それをあらかじめ見てメールで在庫の確認をしておくと、上記よりは早く閲覧できることもあるようです)

帰り道。パブで飲んだビールのおいしかったこと。フィッシュアンドチップスが出来立て、アツアツ、フワフワで、なんなら食の都、ベルギーよりもビールに合うのです。イギリスの食事がまずい、という噂は、賑わうパブからは感じられませんでした。

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