ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

大きな家族、フランスTPC大会

2009-05-30 | 海外&ルーマニア・マラソン大会

 
閉会式の後、主催者のビッグボス・クロードさんがわたしに告げてくださいました、「ヒロコ、表彰式のときに僕が何を話したか判っている?」~残念ながらフランス語は相変わらずちんぷんかんぷん(6年も参加しているのに、ごめんなさい)。
 
「Hiroko has three families, one in Japan, one in Romania, one in France.」
(=ヒロコは3つの家族を持っている、ひとつは日本の家族、もうひとつはルーマニアの家族、そしてフランスにも家族を持っている。)
 
いままで何度もクロードさんに感謝の気持ちを書き綴ってきました、私はこのフランスでの出会いを大きな家族のように感じている、と。それを汲み取って、わたしには3つの家族がある、と。
 
ルーマニアの家族は、フランスでの出会いからです。フランスの家族が一番大きな家族。なんと大きな家族。

絶不調のままこの大会に参加した私は、「ヒロコ、元気?」とみんなに声をかけてもらい、走り始めればこれまた、名前を呼んで応援してもらえる。この声援がなければ、とても完走できなかったに違いない・・。
 
思えば初参加の時には、「アレー、マダム!(=がんばって、ご婦人)」「セ・ビヤン、マダム!(=いい走りですよ、ご婦人) 」、この女性に対する「マダム」の呼びかけが固有名詞に代わって久しいのです。フランス人にとって発音のむつかしいhやrの音が入っているにもかかわらず、小さな子供にも覚えてもらっているのです。
 
いつまでも、いつまでもありがとう、TPC大会に感謝、たくさんの人との出会いに感謝。

一番上の写真、選手村解散の最後の朝。



上の写真、レースの合間にお邪魔したボニークファミリー宅。2004年の初参加のときからマリーちゃんがファンになってくれ、お父さんのフィリップも地元の警察官、ということでマイダーリンと仲良くしてもらっています。24時間走などにも参加しているウルトラランナー&家では料理人、この日のクレープもフィリップ特製。
 


3年前からサポーターとして参加してくれているケビン君ファミリー。今年はご厚意で、かの世界遺産の地、モン・サン・ミッシェルに連れて行ってもらいました。百聞は一見にしかず、スーパーでしたぁ!!




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第7ステージ・さよならパーティ(5/23)

2009-05-30 | 海外&ルーマニア・マラソン大会

 
閉会式に引き続き、アペリティフ(=食前酒)はフランスの習慣。リキュールなどを酌み交わし、場は和んでいきます。ほぼ定刻、午後8時過ぎ、シャンパンの乾杯でさよならパーティのオープニング。上の写真、女子総合3位のザイアと。

いつも真ん中に用意されている招待選手席、着席の前に振袖を脱ぎ捨て、振舞われるお料理に備えます。なにせ午後3時スタートでハーフを走ったあと大慌てでシャワー、着付けをしているうちに時間になってしまったのです、つまり、腹ペコ。


 
お腹も減っているけれどおしゃべりにも忙しい、そんなふうにしてさよならパーティが過ぎていくのもいつものこと。上の写真、イスラエルのモハメッド~はい、お気に入り。



スタッフも選手もサポーターもみんな一緒。ずっと応援してくれていたケビン君ファミリー。家族揃って横に大柄ですが、スポーツ観戦が大好き。 
 
が、フランス料理だけで終わらないのがTPCのさよならパーティ。いよいよ各国選手団の出し物、これ、一国一芸、必須科目。みんなその国の言葉で歌を歌ったりします。



ルーマニア選手団は、第5の選手ユリア(=マリアンの奥さま、走らないでみんなの世話役、マネージャーを務めてくれていました)の登場、「私達は6ステージを走ったのだから、第7ステージはユリアにお任せ!」の任命どおり、マイクを持って歌って踊る大活躍。わたしは三色扇子(赤・黄・青のルーマニア国旗の三色)をジュリアナ扇子風に翻し、盛り上げ隊。



男子総合優勝のクイデールも、もちろん歌います。セクシー美女の飛び入りダンスあり、うえのザイアでした~。



スロバキアチームは、ミハイがギターとハーモニカのパフォーマンス。これ、国から運んできてくれているのです。



日本チームは、ナイス!こま廻し。RUNNERS9の会の「尼崎の酔うたろう」さん。

そして、ダンス&ダンス&ダンス。みんなが手をつなぎ、肩を組み、ダンスフロアーと客席全体を巻き込んでのムーブメント。



ここで活躍したのがこのシューズ。例年ちょっとおしゃれを、とミュール(=ハイヒールのサンダル)で踊りまくる(!)のですが、筋肉痛を激化させるだけ。ことしはこれでダンスに参加、このシューズはエアロビック・ダンスのためのもの、跳んでも撥ねてもとても快適!そして夜は更けるもダンスミュージックは続き・・・お開きになったのは未明4時前。

レースの前にパリに到着したときには肌寒いほどで上着を着込みました、ノルマンディーに来てからも3日ほど土砂降りの雨に降られたけれど、レースが始まってからはずっと好天が続きました。25年の歴史に発展的解消を告げるTPC大会の最後を飾るために。

(ロゴ入りの写真はすべて、Jackieさんの写真サイトからいただいています。)


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フランスTPC大会、閉会式&表彰式(5/23)

2009-05-30 | 海外&ルーマニア・マラソン大会

 
4日間6ステージ・90キロ完走の余韻は閉会式&さよならパーティで。地元の市長さんもご臨席の閉会式、功労者の表彰に引き続いて、TPCチーム部門の表彰。6ステージを一人ずつ走る駅伝、男子の部と女子の部があります。
 


そして女子総合部門の表彰~私は総合2位。女子はセニョールの部とベテランの部に分かれてマイヨを授与されてきましたが、表彰(=賞金の授与)は総合5位まで。



女子総合1位ポーランドのアグネスカ、誰も相手にならないダントツの一位。昨年に引き続き2度目の参加ですが、昨年は駅伝の最終ランナーとして第6ステージだけを走り、男女混合チームだったためチームは目立った成績ではなかったのです。

去年から一緒に宿舎で過ごしていた彼女、フリーの時間帯のジョグや動き作りのエクササイズを見て、これは只者ではないランナーと直感した私は尋ねたものです。

「何故個人戦を走らないの?あなただったら勝てるわよ。」~「こんなステージランの連続の大会は初めてだから、チームで走ることにしたの。」、「次の年はぜひ、個人戦を走ってね。」~「そうするわ。」



その言葉通り、今年の彼女は勝つために個人戦にやってきました、そしてこの成果。体格がありスピードも備わるアグネスカの走りをまったく見ることなく(=付いていくことができず)、堂々の優勝。



男子は総合3位の表彰に引き続き、40歳代・50歳代・60歳代・70歳以上の部、と3人ずつステージに上がります。今年のトップ3はいずれもセニョール(39歳以下)の選手。向って左から総合3位のジョルジュ(フランス)・優勝のクイデール、2位のモハメッド。
 


総合1位は連覇となるアルジェリアのクイデール。昨年はトレーナー(兼マッサージ)を伴っての参加でしたが、今年は単独で参加。フランス語も英語も話せて人懐こい彼、人気者。



「いま僕は35歳、マラソンランナーとしてはまだまだこれから。」~2時間16分のベスト記録を持つ彼は、完全な職業ランナーーではなくセミプロランナー。アルジェリアで普通に仕事を持っています。35歳にしてまだまだこれから、と言うのは、年齢が上のハイレ・ゲブラセラシエ(=マラソン世界記録保持者2時間3分59秒、2008年ベルリンマラソン)の快挙をにらんでのこと。



総合3位のイスラエル、モハメッド。シャイなアラブ人。イスラエルからはイスラエル人とアラブ人が混合で参加、派遣元となったイスラエルのランニングチームは、イスラエル人とアラブ人がともに活動するクラブ、としてフランスのスポーツ連盟から招待を受けています。
 


圧巻はやはり70歳代の部。71歳のフランス人選手オスカーが第4ステージまでマイヨを保持していましたが、第5ステージで74歳のベルギーのポールがマイヨ奪取、ポールはこの大会連続参加、3年ほど前、脚を痛めて走れないときでもコース係員としてベルギーからはせ参じてくれていました。
 


みんなが元気で一生懸命走ることができる、それを支えてくれる人達、いつまでも表彰式の拍手は止みません。このレースの主催はフランスのスポーツ連盟FSGT(=自動車メーカーのルノーの労働組合を母体とする)に所属するノルマンディー地方のひとつのランニング・クラブ、「クラブ・アスレティック・コショワ」、みんなそれぞれ仕事を持ちながら走っているアマチュア・ランナーのクラブ。
 
アマチュアランナーのランニングクラブ、クラブ・コショワを挙げて、そしてその家族も一緒に、そして地元も巻き込んで開催されるこの大会、大きなひとつのファミリーなのです。


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第6ステージ21.250キロ(5/23)

2009-05-30 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


レースもついに4日目、最終日。第6ステージはTPCの名物ともいえるワン・ウェイの21.250キロ。

前半は穏やかに下り、森林浴を楽しむことが出来ます。


途中給水所はボランティアのお世話になります、真ん中は男子総合3位のイスラエル・モハメッド。

中盤から穏やかに上り始め、16キロを過ぎたところに800mほど続く最大の上り坂。昨年は脚を痛めていたこともあって、歩いてしまった坂。
 
毎年、坂の入り口に「ボン・クラージュ(=直訳で良い勇気=頑張って、の意味)」と書かれているこの坂、わたしは「ボンクラ坂」と命名。ここを走って上がるのが最大の目標(ボンクラ、は大阪弁で、ぼーっとしていてどうしようもないアンポンタンのことを言います)。 



入り口に来るのが待ち遠しかったです、今年は。馬力は無かったけれど、走りモードを続けること出来ました。スタート直後から女子単独2位、私の前にも後にも女子選手はいません。

農道を抜け、牧草地帯の真ん中を突っ切り、住宅街を通り抜け、ゴールは陸上競技場。最後までペースを落とすことなく、むしろ前の男子選手を一人、また一人と抜きながら、競技場のタータンの上もラストスパートで駆け抜けゴール。



最後は、先のハーフマラソンで何度も引っ張ってもらった蛍光イエローのユニフォームのオリビエと一緒。ゴール手前で背中を押してもらいました、「ヒロコ、先に行け。」~フランスのスポーツショップ「チーム・エンデュアランス」の店長さん。ラン&トレイルのお店。
 
颯爽と走っているように書いてきたけれど、6レース通じての平均時速は13.18キロ。初参加の2004年には平均時速14.65キロ、毎年わずかなコース変更はあるけれど、06年にも時速14.64キロで走っていたのと同じようなコースです。
 
確実にスピードは落ちているけれど、経験と勝負勘がモノを言いました。老獪、ってことかな?
 
第7ステージのレポートに続く。


≪数字編≫
手元計時のレース結果。いずれもアップダウンや足場の悪いところアリ。
順位はいずれも女子の部。
第1ステージ(14.5キロ)1時間02分54秒・ステージ4位、女子総合4位、ベテランの部2位
第2ステージ(11.2キロ)51分42秒・ステージ2位、女子総合4位、VF部2位
第3ステージ(20.980キロ)1時間38分23秒・ステージ2位、女子総合2位、VF部1位
第4ステージ(8.4キロ)36分27秒・ステージ2位、女子総合2位、VF部1位
第5ステージ(13.7キロ)1時間02分31秒・ステージ3位、女子総合2位、VF部1位
第6ステージ(21.250キロ)1時間40分31秒・ステージ2位、女子総合2位、VF部1位



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