ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

2010年12月号目次

2010-12-31 | 目次


A table of content:
2010-12-01 統一の日、氷点下のブカレスト
2010-12-02 凍りつくブカレスト
2010-12-03 さらに凍り、だけど雨
2010-12-04 今日から始まるクリスマスシーズン
2010-12-05 クリスマス・イルミネーション点灯
2010-12-06 「モシュ・ニコラエ」の日
2010-12-07 出産休暇、半減
2010-12-08 寒さ緩んで、丸まる犬&伸びる犬
2010-12-09 晴れた日にはやっぱり洗濯
2010-12-10 やって来た雪雲
2010-12-11 子供たちのクリスマス・マーケット
2010-12-12 大阪国際女子マラソン、申し込みはしたけれど
2010-12-13 日本の印象 by RO CLUBメンバー
2010-12-14 うっすら雪化粧
2010-12-15 英文の推薦状
2010-12-16 ホットワインのレシピ♪
2010-12-17 降った!積もった!サニアでお出かけ
2010-12-18 凍った!湖
2010-12-19 師走、年末、年の瀬
2010-12-19 香るクリスマス・ツリー
2010-12-19 師走、年末、年の瀬
2010-12-20 本日の授業~「年末年始の日本の習慣」
2010-12-21 サンタが我が家にやってくる
2010-12-21 第30回記念大阪国際女子マラソン、14回目の出場決定!
2010-12-22 チャウシェスク夫妻、合葬
2010-12-22 ゲンチャ墓地でワイン3杯
2010-12-23 国民の館のバルコニーから飛び降り
2010-12-24 この時期の訪問客
2010-12-25 穏やかなクリスマス
2010-12-26 小さな村の小さな教会で
2010-12-27 目覚めたら、一面の銀世界
2010-12-28
2010-12-29 雪道走行、取り締まり強化
2010-12-30 ランニングはトレッドミルで
2010-12-31

@Bucureşţi


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ランニングはトレッドミルで

2010-12-30 | ルーマニア・ランニング事情


ランナー的な記事です、今週はWorld Class(=スポーツクラブ)のトレッドミルで走っています。今週のペース走は積雪とその後の冷え込みによる凍結のため、とても公園で走ることは出来ません。火曜日にトレッドミルで13キロ、4分半ペース。少し前までは、とても4分半などというペースで走れない、と思っていたけれど、走れば走れるもので・・・。
 


上の写真は60分でワークアウトするトレッドミル。60分走り3分間のクールダウンのセッティング、木曜日は10キロジョグ。外は雪が積もっているけれど、室内で走るにはTシャツ一枚でオッケー。
 
機械の上で走るって、ちょっと集中力が要ります。目の前にはテレビモニターがあって、50チャンネルほどの番組が用意されているけれど、これに見入っていたのでは、走るほうがおろそかになるし。ルーマニア語字幕のオリジナル言語英語などの番組~これに見入るのは、難しいです、頭と身体は同時に使えないもので・・・。

私のお気に入りは、ユーロスポーツ。最近はウィンタースポーツ中継がいっぱい。ランニングを始める前はスキーヤーだったワタクシ、マドモワゼル、雪山を見るとワクワクします。ダウンヒルやジャンプ、スノーボードも良いなあ~。トレッドミルの上でのランニングと一番マッチするのは、バイアスロン!クロスカントリースキーと射撃が一体になった競技。選手が懸命に雪上を走る姿を見ながら、私もベルトコンベアーの上でジョギング。途中で射撃が入るので、これまた気分が変わって面白いのです。
 
昨日はウインタースポーツの失敗シーンばかりを集めたダイジェスト、30分以上流していました。アルペンスキーでコースアウトする選手、ボブスレーでひっくり返る選手、アイスホッケーでぶつかり合う選手たち、こんなシーンばかり見ていると、わたしもバランス崩してベルトコンベアーから落ちそう・・・。
 
イスラエル出発まであと4日。雪はそれまで、融けそうにないです。イスラエルのマラソン(1/6、ティベリアスマラソン)が、ロング走の最終仕上げ。
 


大晦日も一日中、氷点下予想のブカレスト。最高気温予想マイナス1℃、最低気温はマイナス8℃とか道は凍り付いて、バリバリ、つるつる。でも、スポーツクラブがあるので、助かっています♪

初めのころはベルトコンベアーの上で60分もとても走れなかったけれど、今はスタコラサッサと快適ジョギング。これも慣れかな~。寒さ苦手なわたし、冬は氷点下のルーマニアにいて、寒がりだけは、慣れないけれど。
 
氷点下続くブカレスト:
今週、月曜日の降り始めは、暖かい目の雪でした、気温0℃。でもそれって、一番悪い状態。0℃くらいで降り始めた雪、20センチくらいどさっと積もり、あくる日は日中に表面が融けてびちょびちょ。幹線道路の雪は融けたり除雪されたりしているけれど、舗道はビチョビチョ、公園の周回コースもビチョビチョ。夕刻からは凍り始め、翌日の朝にはスケートリンク状態は必至。
 


降るなら氷点下で降って、氷点下のままでいてほしい、寒いけれど、ピシッと締まった雪の上は走れます。さらさらの雪のまま、氷点下3~5℃くらいが、一番良い状態。
 


その後の冷え込みで、水曜日以降、予想通りの凍結、つるつる状態。ブカレストっ子たちも滑りながら歩いています。

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雪道走行、取り締まり強化

2010-12-29 | ルーマニア・ブカレストの日常

 
また雪が降り積もり、今度は0度くらいの暖かい雪、つまり、びちょびちょ、靴がすっかり濡れる雪。幹線道路の雪は除雪され、車の走行で融けているけれど、舗道や脇道は雪がどっさり。しかもシャーベット状態。
 


道普請の悪さが露呈するのがこの時期、なんという水はけの悪さ。特に道路横断で舗道から車道へ降りるときが一大事。大きな水たまり、またはシャーベットが浮いた水たまり。浅いだろう、と目測して脚を突っ込むと大変なことに。この時期の外出には、履き替えのソックスを多いめにご持参下さい♪
 


そしてドライバーの皆さん、このシーズンから、雪道走行にはご注意。冬装備をせずに雪道を走っていると、つまりノーマルタイヤのまま走行していると、取締りにあいます。そしてかなりの額の罰金が課せられるようになりました(未確認だけれど、1000~2000レイとも)。
 
「雪道は危ないんだよ。自分はちゃんと運転していても、ほかの車がコントロールを失って突っ込んでくることがあるからね。」とマイダーリン、冷静な判断。走るときには点検を怠らず。
 


スノータイヤはかなりお高く、実際のところ周りの友達で雪が降るからといって冬装備に換えている人はいません。取締りなんか行えば、次から次へと引っかかりそう。みんな大丈夫かなあ・・?

ランナー的には: 
今週はずっと、0度前後の最高気温予想、本当に厄介です。昼間に融けた雪が夜間の氷点下で凍る・・・。シャーベット状態の道では、靴がびしょぬれ、これでは足元から冷えてきて、走れないです。冷え込んだ朝にはつるつるとスケートリンク状態。
 
氷点下5度くらいの雪が、一番走りやすいです、ピシッと締まっていて。寒いことは寒いけど。氷点下10℃になると、もう筋肉がおかしくなりそう。

@Bucureşţi


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目覚めたら、一面の銀世界

2010-12-27 | ルーマニア・わたしの日常
 
 
ロマンチックなタイトルを付けてしまいました、スチュエーションは山の別荘、ときたら最高かな~♪Bălţeşti近くの村にて~ブカレストの友人の別荘があるところ。
 


雪、降りやまず、ブカレストに戻るには、確かに車にも冬装備が必要。
 


都会の雪景色とはまた違う、田舎の銀世界。不思議なもので、日本の山あいの雪景色を思い出してしまいました。
 


今年3月上旬に訪ねていた蓼科、まだ雪深く、そしてその日も雪が降りやまず。(上の写真は蓼科、ホテルの窓から、2010年3月)
 


蓼科で1泊したときには、そのまた2ヶ月前、ルーマニアのツシュナドを訪ねたときの雪景色を思い出していて。不思議なことに雪景色は重なって見えます。(上の写真はツシュナド、サンタナ湖にあがる道なりに、2010年1月)
 


思い出はノスタルジア、少しセンチな気分にもなる白銀の世界。

@Bălţeşti


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小さな村の小さな教会で

2010-12-26 | ルーマニア・わたしの日常

 
ブカレストを離れて、穏やかな稜線をみせる山あいの村へ。



住居と果樹園、一体になったここらあたり。あいにくと霧が深くて、景色を見渡すことが出来ないけれど。
 


道路わきに、井戸がいくつもしつられられていて、今でも使われている井戸。上下水道と電気は完備されているけれど、ガスはプロパン。そんな小さな村。
 


一つ一つの家にそれぞれのクリスマスの飾り。
 


ここは学校。こじんまりした公民館のようなつくり。
 


鐘が鳴り響くほうへ歩いてみると、小さな木造教会。友人に連れられて中へ。少し大きめの個人のお宅のような広間、これが教会のホール。
 


少し冷えてきている夕刻、暖防具はソバ・デ・レム、木をくべて温める陶器製。少しお年を召したご婦人方が、暖を採っておられました。
 


このあとミサが始まります、少しずつ人も集まってきて。
 


誘われるままにお邪魔した、Bălţeşti(ブカレストからプロイエシュティ経由で1時間半ほど)近くの村の別荘、友人の親戚のところ。ファミリーのクリスマス休暇は、ここで新年2日まで続きます。私はここで一晩の宿をいただいて、都会の喧騒を離れ、Noapte Buna・・・
 
@Bălţeşti


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穏やかなクリスマス

2010-12-25 | ルーマニア・わたしの日常


日本の大晦日のようなあわただしい24日を経て、ルーマニア正教オルトドックスがお祝いするのがこの日、25日。クリスマス前の最後の掃除、そしてクリスマス期間にいただくご馳走作りに明け暮れるのがクリスマス・イブ、あけて25日は日本の元旦のような静けさ。個人商店などは軒並みお休み、ハイパーマートもお休み、わずかながらNON-STOPのお店が開いているだけ。
 
たいていの人は家族で、または親戚が集まって、飲んで、食べて、おしゃべり&飲んで、食べて、また食べて。テレビのクリスマス番組は日本のお正月番組のよう。ルーマニア民族音楽が流れ、クリスマスキャロルが歌われ、ルーマニア正教の大司祭さま(現在はダニエルさん)のお説教が放送されます。各地でクリスマスを祝うようすを中継、これも日本で言うところの各地で新年を祝うようすに似ています。
 


そして今年は、とても穏やかなクリスマス。先週に降り積もった雪もほとんど融け、最高気温15℃近くまで上がったこの日。ヘラストロウ公園の午後は、そぞろ歩きを楽しむ人でいっぱい。残念ながら今年は大掛かりな飾りつけやサンタさんの家などはなし、小さめのツリーが2つだけ。でもこの小春日和が何よりの散歩日和。
 


先週がほぼずっと氷点下だったので、この大きなヘラストロウ公園も結氷していたのです。それがまた、穏やかな太陽で融け始めて、キラキラ輝いています。
 


公園内のレストラン前。ダンシング・サンタさんで、腰をくゆらせ、Santa Claus is coming to town~!私はランニング中の一枚。いつもはヘラストロウまで来ないけれど、この日は太陽に誘われて遠出。
 


ダウンタウンに近い街角にこんなおじさんが居て立ち話。この帽子をかぶって、自分自身で楽しんでいるみたい。この後、私にも帽子を被せてくれました~。こんな一期一会もクリスマスならでは。

 @Bucureşţi


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この時期の訪問客

2010-12-24 | ルーマニア・わたしの日常
 

12月も下旬となれば、何かとさらにあわただしく物入りなのは日本もルーマニアも同じ。クマダンスや鳴り物隊でおひねりを集める人たちもいるし、道端で手のひらを前に差し出している人も、普段より多く見られるようになります。
 
そして気をつけたほうがいいのが、この時期、ドアの呼び鈴を押して戸別訪問してくる人たち。何かと寄付を募ったり、セールスの人たちであったりします。よくホールから響いてくるのが、寄付を集めに来てキャロルを歌う人たち。子供たちのお小遣い集めの聖歌隊も、知らないお宅にも飛び込みます。
 


知っている子供たちならいざ知らず、寄付集めなどいちいち相手にしていたのでは、小額紙幣がいくらあっても足りません。1回当たりは小額でも、それが度重なると一握りの札束になるわけで、我が家では呼び鈴を鳴らされても、知らない人たちだったら居留守をつかいます。
 
この間、お姑さんが近所に出かけて、マイダーリンと二人で留守番をしていたとき。また呼び鈴が鳴りました。のぞき穴からのぞいてみると若い目の男女二人におばさん。たぶんセールスかな?私は居留守を決め込んだけれど、ダーリン、興味本位でドアを開けました。横に付き添っている私に向かって女性が「ニーハオ、・・・・」と話しかけてきます。たぶん中国語なのかな、そんな感じ~「???、わたし、中国語を話しません。」
 
ここでダーリンと二言三言。「中国人の方に本を進呈したくて、やってきました。」と言うことらしいのです。どんな本かも訊かなかったけれど、ここら辺りのブロックに中国人が住んでいるぞ、という情報を得てやって来たそうです。同じブロックの人は私が日本人であることをみんな知っているけれど、棟が違えばほぼ言葉をかわすこともないので、遠巻きに見て「あ、あそこのブロックに中国人が住んでいる」となったみたい。

こんなことも起こるなんて、やっぱり歳末かな~。
 
我が家への訪問客:少年コリンダ隊


今年もやってきました、クラウディウー君、お姑さんが、小学校2年まで、チャイルドシッターをしていた男の子。もう14歳になったとか。さらに長身の友達と一緒、彼は次の3月で14歳。クリスマス時期のお小遣い集め。

昨年の様子はこちらから。このときでもすでに十分大きかったけれど~。



クラウディウー君には弟がいます、今6歳。それくらいの子供がコリンダ(=クリスマスキャロル)を歌うと可愛らしいけれど、「小さすぎて、連れて来れない。」だって。お兄ちゃん、ちゃんと面倒見てあげてね~。

@Bucureşţi


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国民の館のバルコニーから飛び降り

2010-12-23 | ルーマニアの新聞記事より


悲痛な抗議行動です。ルーマニア議会開催中の議員会館(=国民の館)、おりしも23日はボック首相の不信任決議の投票が行われることになっている矢先。午前10時30分過ぎ、ボック首相の演説が始まろうとするとき、7mほど上の議会開催中の室内バルコニーから、男性が頭から落ちるような形で飛び降り。42歳のこの男性はルーマニア国営放送(TVR)のエンジニアで、借金もあり、今年7月から公務員給与が一律25%カットされたことや医療補助削減に対する抗議行動と見られています。
 


顔面から落ちる形になったので怪我をし、担架で搬送されるところがテレビのニュースで何度も流れてきました。骨折はしたものの命にかかわるほどではなかったよう。男性には失業中の妻と子供が二人いて、一人は障害のある子供(自閉症)。身に着けていたTシャツには「あなたたちは、子どもたちの未来を台なしにした」(=要約、書かれていたのは3文、Ne-aţi ciuruit/Ne-aţi ucis viitorul copiilor noştri/Libertate)。
 
クリスマスを前に、単独の抗議行動。行き詰まり、やり場を失ったもやもやがこんな形で。年越しよりもクリスマスをどう迎えてお祝いするかが、オルトドックス(=ルーマニア正教)の国の関心事。どんな形で迎えるのか、クリスマス。
 
一番上の写真は、事件が起こった当日の夜、ウニリ広場から遠くに見える国民の館。ほとんど電気は消えていて、電飾の向こうにかすかに形が見えるだけ。
 
@Bucureşţi


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ゲンチャ墓地で、ワイン3杯

2010-12-22 | ルーマニア・わたしの日常

 
チャウシエスク夫妻のお墓が新しくなったと言うニュースの新聞記事を握り締め、マドモワゼルのゲンチャ墓地、訪問記。とかくその墓地は広くたくさんの墓標が立ち並んでいるので、目的の場所を探すのが大変、この記事を持って行って指し示せば、道案内してもらうのも簡単。
 
もうひとつのお楽しみは、この記事に添えられた写真、お墓の脇に2匹のワンコたち。見つけて切り抜いてくれたマイダーリンも大笑い、「チャウシエスクのお墓の横に、ブカレストの野良犬が2匹もいる!これぞルーマニアだ!」、この子たちに出会うこと。
 
門をくぐったところで係員さんに訪問の目的を告げます、ここは多くの市民も埋葬されているところ。余り関係のなさそうなアジア人が入り込んでくると、怪しまれるかも。「日本から来ました。」と観光客を装って、お墓の場所を尋ねると、丸々と太った係員さん、軽々と立ち上がり「付いてきて。日本人もたくさん来るよ」と、お墓の場所まで道案内。到着して、墓標を見ると一目で夫妻の墓、「ここがニコラエ・チャウシエスクとエレナ夫人のお墓で・・・、etc、」と判りきったことを繰り返すので、1レウ札を渡してご退散願いました~。
 


前のお墓も得に大きなものでもなく、立派なものでもありませんでした。同じ場所なので敷地面積はそのまま。新しくなった墓標もシンプルなもの。



その辺りで記念撮影をしていると、おお!さっそく出会いました、チャウシエスクの墓とともに新聞に載ったワンコ。まだ小犬に近いです。
 


またいた、2匹目!まさにこの2匹。



細い通路を隔てたところで作業をしていた人が、「なぜ、犬の写真を撮っているの?」~「ほら見て、この子達、新聞に載った野良犬たちよ。」「ほんとだ、この子達だ。」
「もう一匹いるんだよ、黒いの。」、噂をするまでもなく、じきに現れました。



「チャウシエスクの墓を見に来たの?お墓の前で写真を撮ってあげようか?」
 こんなとき、一瞬身構えなければならないのが、悲しいかな、ルーマニア。またはルーマニアに限らず、ヨーロッパの幾箇所の観光名所。カメラを手渡したとたん、掴んで逃げていく輩どももいます。



でも、この人たちはこの墓地内のチャペルにクリスマスの飾り付けをしている人たちのようです。3人いて、1人だけが脚立の上に上がって屋根の下に電飾を取り付けています。


 
「どこから来たの?中国人?」、決まりきまった質問。
「君、ルーマニア語を話すけど、ここに住んでいるの?いつから?何してるの?」
手持ち無沙汰の二人と四方山話。二人はタバコを次々ふかしながら。若い方の男の子はダニエル、おじさんはリカ。
 


そのうち、「きみ、タバコ吸う?どう?」~勧めてもらってもヌ・ムルツメスク(=No thank you)。
「え?吸わないの?一度も吸ったことないの?」~大きなお世話、「タバコは健康に悪いし、死をもたらすとパッケージにも書いてあるし。」



気を悪くされるかと思いきや、「寒いね。こんなとき、ワインがいいね。ワインはどう?」~仕事中のチャペルの前に、赤ワインの入ったペットボトル。半分ほど減っています。



「うん、寒い。こんなとき、ホットワインがいいけど。」
「ホットワインは無いよ、残念ながら。でも、寒いから飲んで温まろう。」
え~、仕事中でしょ~~。

「さっきから見ているけど、あの赤い服の人だけが仕事しているよ。あなたたち二人はずっと私と話している。」
「いいの、一人が仕事して、交代で次に仕事するの。三交代なの。」、そんなものかな~。
「えっと、グラスはあったかな?」~作業車の中から取り出してくれたのは、カップスープでも飲めそうなかなり大き目の発砲スチロール製。

「どこかその辺で見つけたやつだけど、洗ってあるから。これで良いよね。」と差し出してもらうと、ここで受け取ってにっこり笑ってしまうのが、ワタクシ、マドモワゼル。

気持ちが通じたのか、並々と8分目くらいまで注いでもらって、「Noroc(=乾杯)」「La Multi Ani(=おめでとう)」、この時期、挨拶の言葉は早々と「La Multi Ani(=新年おめでとう)」を使うことも多いです。
 
ワインを注いでもらうときには、手袋を取って素手でグラスを持っていたけれど、すぐに冷えてくるくらいの氷点下。赤ワインも天然で冷えています。一口飲めば、「田舎のワインね!100%ナチュラル!」~「そうだよ、これが美味しいんだ。店でボトルに詰められて売っているのとは、味が違うよ。」~「そうそう!美味しい、美味しい!」、ワインで意気投合だぁ~。



そのうち、脚立に上がっていたマリアンも下りてきて、ワインを一口二口。そして脚立を移動させて、また、電飾の取り付け。私には2杯目のワイン。



マリアンだけが、仕事熱心だけど。」~「いいの、いいの。僕達、チームだから。」
マリアンも、自分ひとりだけが働いている状況に何も言わずニコニコしながら仕事しています。

「次の用事があるから、そろそろ行かなくちゃ。」と言うところで、「まあまあ。」と3杯目のワイン。ここで断固お断りできないのが、まあ、なんと言うか、ワイン愛好家のワタクシ、マドモワゼル・・・。最寄の地下鉄駅まで歩くつもりだったけれど、市バスに乗れば時間短縮できるし。

「僕たち、もうすぐ終わるから、車近くまで送ってあげるよ。」と言うのだけは丁重にお断りして、最後のワインを飲み干すまで長居。



いつの間にか墓地のガードマンさんも合流していて、チャペルの中を見せてもらったり、墓地の中央にある大きな礼拝堂の中へも案内してもらいました。小さなチャペルの中には、66歳で亡くなった女性の写真が飾られていました、若く見えます。

大きな礼拝堂の中には、明日の埋葬を待つ人が3人。二人のおばあちゃんはそれぞれ1922年と23年生まれ。もう一人のおじいちゃんは1911年生まれ。長生きだった人たちのお顔はとてもきれいでちっとも怖くなかったです。

日本だと、亡くなった人が最後に葬られるまでひとりになることはないと思うけれど、この人たちは誰にも付き添われずに夜を越すのかしら?~「明日、また、家族が来るんだよ。」、そのような習慣のようです。ご冥福をお祈りして合掌。
 
結局勧められるままにワインを3杯も飲み干し、1時間以上も立ち話をして過ごした氷点下のゲンチャ墓地。3杯目にはいるころには身体もぬくもっていたし、ルーマニア人のおしゃべり好きにすっかり巻き込まれてしまいました。
 
電飾を取り付ける仕事も、マリアンがほぼ完成させていたし。記事中の写真、掲載順にご注目。最初声をかけられたとき、チャペルに向かって右側の屋根に取り付けていました。そこから正面をぐるりと回りこみ、最後には左側に脚立を移動。すべてマリアン一人でやっていました。何か足りない用具をとりに降りてきて、車から探し出すのも彼でした。あとの二人はずっとしゃべっていたけど、これで良いらしい~~?
 
みんなとは「Craciun Fericit!(クリスマス、おめでとう)」「La Multi Ani!(=おめでとう)」と言ってわかれ、昼間からすっかりほろ酔い~♪

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チャウシェスク夫妻、合葬

2010-12-22 | ルーマニア・ブカレストの日常

 
今月9日にお披露目されたチャウシェスク夫妻の新しい墓標、ブカレスト市内ゲンチャ墓地内。チャウシェスクと言えばいわずと知れた共産主義時代のルーマニアの大統領。1989年、東欧に巻き起こった社会主義革命の最後に起こったルーマニア革命は流血革命となり、捕らえられた独裁政権者は有無を言わさぬ裁判の後、クリスマスの日に銃殺刑となっています。
 
それから20年半がたった今年の夏、「ここに埋葬されているチャウシェスク夫妻の遺体は本物か」論議が最高潮に達し(以前から別人が埋められているのではないか、と論議が耐えなかった)、墓を掘り起こし、遺体をDNA鑑定するまでに至りました。結果判明したのが秋になってから。お二人とも本人と判明し、これまで別々の墓で眠っていた夫妻が、この機会に合装されたのです。



一国の大統領であった人ですが、けっして大きな墓ではないようです。近隣にあるお墓と同じくらいの大きさ。けれど、合葬のお披露目の際にはルーマニア国旗の三色の花飾りが備えられ、三色旗のリボンで飾られていたのを、ニュースで知りました。
 


大統領であったとはいえ、旧体制の独裁リーダーとして追放され、処刑された人。けれども、はなむけの飾りは、ルーマニア国家をあらわす赤・黄・青。
 
とにかく一度見に行ってみよう、と出かけたその日(・・近くの巨大ショッピングセンターに出かけたついでではありましたが)~平日だったけれど、墓地を訪れる人たちの何人かが、チャウシエスク夫妻の墓にも立ち寄っていました、ここに新しくなったんだ、と。中年以上のあるおじさんは、「チャウシエスクは偉大だったよ。」と。墓地のガードマンも、とても自慢げに「立派なリーダーだったんだ。」と。
 
少し以前までは、主に年金生活者くらいの年代の人たちにチャウシエスクを称える人が多かったです。~「あの時代は良かったよ、みんな仕事があり、給料がもらえ、家もあった。ポケットにお金をいっぱい持っていたんだ。町には品物が少なかったけれどね。いまは、ポケットにお金がない、町には買いたいものがあふれていると言うのに。」 
 
昨今の経済恐慌で、40歳代くらいの人にもチャウシエスク時代を懐かしみ、あの時代のほうが良かった、という人が増えてきています。もうけっして後戻りできないし、するはずもないことをみんな判っているけれど。
 
21年前の12月16日、ティミショアラに端を発したルーマニア革命は、21日にブカレストでの抗議デモへ、共産党本部(現在の革命広場前)の屋上からヘリコプターで脱出したチャウシエスク夫妻は22日にスナゴフ別邸にいるところを捕らえられ、25日、名ばかりの軍事裁判の後、即座に処刑。今年もその日が近づいてきています・・・。

ゲンチャ墓地:


チャウシエスク夫妻のお墓があるのはブカレスト6区のゲンチャ墓地。上の写真、その入口。



統一広場から市バス385番。
地下鉄エロイロル駅からトロリーバス96番。



入り口から墓地内を臨む。向こうに見える礼拝堂の向かって左横の通路を入ってすぐ、北側に夫妻のお墓があります。元のチャウシエスク本人のお墓があった場所と同じ。以前は、エレナ婦人は同じ墓地内ですが別のところに埋葬されていました。息子のニクさんも、別のところに埋葬されています。

昨年は革命後20年の記念の年でした、マドモワゼル自身が目で見て耳で聞いたいろいろな見聞はこちらから:
2009-12-21ルーマニア革命20年、見聞記その1・革命広場へ
2009-12-21ルーマニア革命20年、見聞記その2・犠牲者数
2009-12-21ルーマニア革命20年、見聞記その3・写真展
2009-12-21ルーマニア革命20年、見聞記クライマックス
2009-12-25ルーマニア革命・チャウシエスク没20年

私事:
厳粛な気持ちで訪ねたチャウシエスク夫妻の墓ですが、お墓の横でワインを次々(!)ご馳走になり、実に1時間以上も愉快に立ち話をして過ごした氷点下のその日でした~マドモワゼルのゲンチャ墓地訪問記は次のエントリーにて♪

@Bucureşţi


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