ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

2006年4月号目次

2006-04-30 | 目次


A table of contents:

はじめにお読みください 2006-04-22
出発のセレモニー 2006-04-23
今回の旅程 2006-04-23
国際列車の旅 2006-04-24
トルコの人はルーマニアを好きではないのか? 2006-04-24
無事到着 2006-04-24
スタジアム練習開始 2006-04-25
ノルディック・ウォーキング・ポールに出会う 2006-04-26
日本語を話す学生に出会う 2006-04-29
アンティークマーケットでお買い物 2006-04-30


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アンティークマーケットでお買い物

2006-04-30 | ルーマニア・ブカレストの日常
 今日は日曜日、合同練習は休みなので遅い目に起きだし、走って6キロほどの骨董市(アンティークマーケット)に出かけました。どこにでも走っていこうとするのは、やはりランナー的発想。

 こちらでは老若男女にかかわらず、「コレクション」が盛んで、キーホルダーやコインを集めている人、古い絵葉書を集めている人、各国の切手ももちろん人気です。コレクターのための「アンティークマーケット」が毎週日曜日の午前中に開催されていて、私ものぞきに行きました。

 ありとあらゆるものが堂々と並べられていますが、値打ちわからず通り過ごしています。アンティークとは言うものの、まるでがらくた市のように何でも売っています。尻尾の取れた犬の置物、錆だらけの鎖や釘、白黒の古い写真や共産党時代のバッチや証明書、同じく旧ソ連の時代の絵葉書などなど。

 家にあるものを何でも並べれば、そのままアンティークマーケットになりそうです。軍隊のベルトや懐中電灯などもあって、マニアもいるようです。マイダーリンはピンバッチやらメダルやらを集めているので、そのようなものを並べている店の前を通りかかるたびに熱心に見入っていました。

       

 なんとなくそのあたりを歩いてみて廻っていると、ピンク色のマトリューシカ発見。15センチあまりの高さで、5個に分かれる、ロシア(=旧ソビエト連邦)の木製の人形です。私もなにか買い物をしたくなって、思わず衝動買い。もちろん昔のもので、少し古くなっているのですが、色と表情が気に入ってしまいました。レイ(=ルーの通貨)で4レイでした。

 最初は5レイ(=約220円)、と言われたのですが、「マケテモラッテ。」と大阪の商人根性を出し、値引き交渉。「値引キシナイ。」と私にもわかるように英語で言われたけれども、財布の中には小銭が4レイしかなく、ここで交渉成立。値段にも満足!

 その後、小さな子供が子犬を抱いて歩いているのに出会いました。ほんの3つか4つくらいの男の子で、そのあたりの店の子供のようです。かわいいので一緒に写真を撮りました。彼はその子供に1レイを握らせていました。これって、こういう習慣らしいです。がらくた市に出店しているのは、貧しそうな人やジプシーも多かったです。

日本語を話す学生に出会う

2006-04-29 | ルーマニア・ブカレストの日常
 今日は土曜日で、朝からの集合練習はなし、といわれると、なんとなく一日中ごろごろ過ごしてしまい、走りに出かけたのは午後7時を廻ってから。でもまだまだ明るいので、安心して走れます。家から走って5キロほどのスタジアムに向かいます。

 道中で、「こんばんは、日本人ですか?」と話しかけてくれたのは、自転車に乗ったやさしそうなルーマニア青年。ランニング中の私たちに気遣って、「僕も一緒に自転車で走っても良いですか?」どうやら日本語で話したい様子。

 2年ほど日本語を勉強しているとのことですが、かなり流暢で、こちらがゆっくり丁寧に話すとコミュニケーションに支障ありません。英語のほうが堪能で、日本語に詰まると英語で会話、つまり彼はトリリンガル。6月に高校を終えて、9月には大学進学する予定の彼、エリートを目指しているのかもしれません。

 大学に進学すると、兵役2年間が免除される、とのことです。とはいえ、2007年1月にユーロ加盟を予定しているルーでは、男子18歳以上の兵役はなくなり、志願兵だけになる、とも教えてくれました。つまり軍隊は本当のプロフェッショナルだけになるのですね。日本は自衛隊、セルフ・ディフェンス・アーミー、軍隊と言われてもあまりピンと来ません。

 しばらく一緒に走り、メール交換をして彼と別れました。その後もローマ字でメール交換して、また、公園で会おうね、と、初めてマイダーリンを介さずにルーに友人が出来ました。

ノルディック・ウォーキング・ポールに出会う

2006-04-26 | ルーマニア・ランニング事情
 今日も朝からヘラストロウ公園でランニング。一人で湖畔のコースを廻っていると、滞在3日目にして、ノルディック・ポールに出会いました。女性二人連れでポールを携えてウォーキング中でした。思わず、「スミマセン、ソノポール、ドチラカラノモノデスカ?」「私達ハ、ハンガリーカラ来テイマス。コノポールモ、ハンガリーデ買ッタモノデス。」「ルーマニアデ、ポールハ売ッテイマスカ?」「ココデハ、見カケマセンネ。」

 ラン仲間にも尋ねてみましたが、「クロアチアデハ、見カケタケレドモ、ルーマニアニハ、マダナイヨ。」とのこと。残念ながらまだルーには到着していないようですが、オーストリーでは町を歩いていても多く見かけるというポール、ルーの隣国のハンガリーでも一般的な様子。きっと近いうち、入手出来そう。
 
 日本を離れる直前に、大阪・森之宮に新しく出来た「RUN & WALK」のお店でこのポールを体験、まったく新しい感覚でウォーキング出来るのですっかりとりこになってしまったのですが、スーツケースに入る荷物の大きさを考えて、衝動買いをかろうじて思いとどまったところだったのです。

 お昼にかけて、マイダーリンは管轄警察ボスのザゴネン氏を訪問予定、私も同行予定。フランス遠征となるペイ・ド・コー大会に向けて、個人に出資を願う請願書を提出するようです。ザゴネン氏には昨年十月にも出会っているので、覚えてくださっているでしょうか、再会が楽しみです。

スタジアム練習開始

2006-04-25 | ルーマニア・ランニング事情

ブカレストに到着した翌日から、朝9時集合の練習会に行くというマイダーリンに連れられて、トラムとバスを乗り継いで、スタジアムに出かけることになりました。

ダーリンは5月9日からの警察官の陸上競技選手権大会(=オール・ポリスマン・チャンピオンシップ・オブ・アスレティズム)に向けて2週間の職務免除に入ったところで、要するに出勤の必要なし、その代わりに9時からの練習会には必須参加のようです。

スタジアムというのは、ルーマニアスポーツ基金会館に併設されたもので、シドニーオリンピック5000mチャンピオンのガブリエル・サボー選手もこちらにアドバイザーとして勤務されているそうです。

400m公認のオールウェザーのトラック、こんなに立派なところで練習できるなんて、ルー入り直後からラッキーです。トラックでは、短距離選手みたいに疾走したい、というのが夢ですけど鈍足なのは仕方ありません。

マイダーリンはチームの長距離パートのメンバーと一緒にトラック練習したり、向かいのヘラストロウ公園に走りに行ったりしています。私は、といえば決められた練習もなし、ウォーミングアップだけは一緒にしてはいるものの、自分で好きなように走ってもいいのです。

ヘラストロウ公園には湖の周りを走る平坦だけれども緑豊かな6キロのコースがあります。ルーに到着直後からさっそく走り始めました。




無事到着

2006-04-24 | ルーマニア・わたしの日常
 列車は3時間ほど遅れて、夕方6時過ぎにブカレスト、ガラ・デ・ノール駅に無事到着しました。あたりはまだまだ明るいです。スリーピング・ワゴンから降り立ったホームに、マイダーリン、オレンジ色の花束と一緒に迎えに来てくれていました。ラン仲間の奥様と一緒です、花束を持って少し照れくさそう。マイダーリン、気の利いたことの出来る人ではないので、きっとこのロディカ奥様の発案に違いありません。でも、嬉しいです。

 ダーリン、車を持っていないので、ロディカ奥様とこうして迎えに来てくれました。昨年10月に初めてルーマニアを訪れたときに、ラン仲間のステファンの奥様であるロディカに出会いました。とってもチャーミングな婦人警官です。その時に「今、ドライバースクールニ通ッテイルノ、我ガ家デハ、マズ車ヲ買ッテ、主人ハトテモ忙シイカラ、私ガ車ノ免許ヲ取ルコトニナッタノ。」と話してくれていたのですが、無事免許皆伝となったようです。

 その後、2月に椎間板ヘルニアの手術を受けた彼女の回復を危ぶんでいましたが、今では普通に歩けるようです。入院時に「早ク良クナッテネ、私ノオ気ニ入リノ枕ヲ貸シテアゲルカラ。」とグリーティングカードを送ったのがとても気に入ってくれたようです。
 ルーマニアでも、日本と同様に友人に恵まれますように・・・。

 写真は、ブカレストのガラ・デ・ノルド駅。ガラ、はルーマニア語で「駅」と言う意味です。

トルコの人はルーマニアを好きではないのか?

2006-04-24 | ルーマニア&あちこちで・びっくり
 イスタンブール経由で2度目のルーマニア入りなので、親日家の多いトルコ、どこから見ても日本人にしか見えないわたしが一人旅をしていると、話しかけられる機会がよくあります。

 「ドコヘイ行ノ?」
 「ルーマニアデス。」
 「エ?ルーマニア?何ノタメ?観光?」と、みな一様にびっくりするのです。
 「イエ、友達ガ居ルカラ、会イニ行キマス。」というと少しは納得するようですが、その後に続く会話にはあまり良い情報がありません。

 「彼ラハトテモ貧シイ。トテモ貧シイ国ダヨ。」~前回の訪問のときに、駅の待合室で出会い、チャイ(=トルコの紅茶)をご馳走になった60歳代の元教師というおじいちゃん(=日本ではまだおじいちゃんという年齢ではないが、欧米人はこの年代になると皆、おじいちゃんっぽく見える。)は、哀れみの感情も含めて語ってくれました。
 「沢山ノルーマニア人ガ出稼ギニキテイルヨ、トルコヘモ。余リ良クナイ連中サ。」

 「アノ国ニハ泥棒ガトテモ多イ。ナイフヤガンヲ持モッテイテ、アットイウ間ニヤラレテシマウ。」
 「ルーマニアデハ夜ニ長距離トラックハ、走ラナインダヨ。走シッテイルト、ニセ警官ガトラックヲ止メテ、ソノママ奪ッテイクノサ。警官ノ格好ヲシテイルカラ、止マラザルヲエナイノデ、ヤラレテシマウノサ。本物ノ警官モ居ルシネ。ダカラ夜ニトラックハ走ラナイ。」
 ニセ警官が旅行者に近づき、パスポートや財布の中身を見せろ、などといってそのまま奪っていく事件は多いと旅行のガイドブックに乗っていましたが、現地のトラックの運転手まで狙われているのというのです。

 「ココラアタリノ男性ハヨク、ルーマニアニ行クンダヨ。ルーマニアノ女性ハ綺麗ダカラネ。」~ヨーロッパの中で一番の美貌を誇るといわれているルーの女性、こんな職業もあるのです。TOYOTAのテストドライバーで2週間の愛知県での研修後帰国するという37歳のトルコ人男性は教えてくれました。トルコのTOYOTAで13年間勤務中というその彼は日本語も堪能で、英語とのミックスです。

 「超一流ホテルノ中ニハカジノガアルヨ。日本ではパチンコ屋さん、あちこちにありますね。博打ヲ打チニイクノハ大抵、西ヨーロッパノリッチマンサ。」~国にカジノの存在しない日本人にとっては、カジノがどんなふうに風紀を悪くするのか、よくわかりません。ましてや国外からのばくち打ちがやってくる国とは??

 わたしの利用する国際列車の車掌さんにも言われました。「貴重品ヲカバンノ中ニ入レタママ、部屋ヲ離レナイヨウニ。泥棒ガ多イカラネ、電車ノ中モ危ナイデスカラネ。」

 これくらいの用心は当たり前だと思うけれども、余りにも皆、危ない、危ないというので、わたしも聞いてみました。「ブルガリアトルーマニア、ドッチガ危ナイデスカ?」車掌さんははっきりと答えてくれました、「ブルガリアデス、ブルガリアハ危ナイ。ルーマニアハ問題アリマセン。」~まあ、ブルガリアに比べたら、の話だろうけれども、安心は出来ないようです。

 写真はイスタンブール・シルゲジ駅のアタチュルク像

国際列車の旅

2006-04-24 | お出かけ先のナイススポット
 列車の旅は快適でした。コンパートメントといわれる寝台車(SLEEPING WAGON・49ユーロ)を選び、本来は3人利用の部屋ですが、空いていたのでわたしの個室となりました。きちんと洗濯されたシーツとピロケースをセットし、ゆっくり足を伸ばして布団の中で眠れるのです。

 日本の長距離特急につきもののデッキの公衆電話はないけれども、トイレにシャワーもついていて、足先だけでも洗えばとても気持ちよく横になれます。夜10時の出発を前に、乗り込んだらすぐにこれまた寝入ってしまいました。 

 イスタンブールからブカレストまで約550キロ、所要予定時間17時間。超特急などないし、のんびり行くしかありません。国境を2つ越えるのでそのたびに1~1時間半ほど停車し、パスポート・コントロールがあります。出国するときに検査、そして少し走って、また入国するときに検査があるので、止まっている時間は膨大となります。

 たとえば、トルコを出国するときには、深夜3時にホームに着いた列車から駅に降り立ち、駅舎に入ってパスポート検査を受けるのですが、ここでは検査官の到着が遅れ、乗客は少し待たされました。眠そうな検査官にパスポートを掲示し、出国のはんこを押してもらって終わり。駅にはデューテイフリーのお店もありました。

 30分ほど走って今度はブルガリアの入国審査。検査官が客車に乗り込み、コンパートメントをひとつずつ廻って、パスポートを回収していきました。初めての経験だったらパスポートを人に預けるなんてびっくりしたかもしれませんが、前回も同じ要領だったので、指示に従いました。入国のはんこが押されたパスポートを返しに来てくれたのは、車掌さんでした。

 税関の検査もありました。これも検査官がコンパートメントをひとつひとつ廻り、「申告スルモノハアリマスカ。」とたずねて行きました。わたしの顔を見て「JAPAN?」と少し珍しそうでした。検査が終わればまた、列車は夜の闇の中を走って行きます。個室のロックを2重に掛け、再び布団にもぐりこみました。

        

 ブルガリアを移動中、車窓の風景は天候にも恵まれ、本当にきれいに見えました。もう少し寒いかと思っていたのですが、窓を開けて新鮮な空気を入れたほうが気持ちよいくらいです。村や町を通過し、バルカン山脈を越えるときにはトンネルも多かったです。

 農村地帯には古いレンガ造りの家屋が多く、荒れた感じもしました。停車していくどの駅舎も、一部改装はしてあるようですが古いものをそのまま使っています。少ないけれども時折見かける車も旧型でおそろしくボロい風貌。貧しさが残っているようです。しかし風景はきれいでした。一日に通過する電車が少ないのか、手を振ってくれている子供もいます。人々もとてもゆったりのんびり過ごしているようです。

 下の写真は、共用部分となりますがシャワーとトイレです。SLEEPING WAGONにのみ、附属しています。

        

 

今回の旅程

2006-04-23 | お出かけ先のナイススポット
 大阪・伊丹から成田で出国、イスタンブールを目指します。日本からルーマニアへの直行便はないので、どこかで乗り継がないといけません。ここからは陸路でルーマニア入りを予定しています。

 国際列車で国境を越えていくのですが、半年前にマイダーリンと再会したときも同じルートでルーマニアを訪問したので、切符の買い方・パスポート検査の受け方・車内での過ごし方など、要領はわかっているつもり。ただ、前回はダーリンと一緒、でも今回は一人旅なので、「ブルガリアハ泥棒ガ多イノデ気ヲツケテ。」と何度も言われていました。

 そう、イスタンブールのシルゲジ駅(=国際列車の発着駅)からダーリンに電話したときにも言われました。そして、「ヒロコガイスタンブール迄来テイルナンテ、信ジラレナイヨ。」とも。わたしだって信じられない気分です。1

 2時間の飛行時間があっという間でした。これが観光旅行なら、機内食を楽しみ、映画を見て、時には機内販売の買い物をすることだってあるのですが、今回はひたすら眠りこけてしまいました。飛行機が単なる移動手段になってしまっています。

 写真はイスタンブールのシルゲジ駅。向かって右横に「オリエントエクスプレス・レストラン」。

出発のセレモニー

2006-04-23 | ルーマニアを想うとき
 あっという間に出発の日がやってきました。大阪城を走る仲間総勢8名+我が家の母親に見送られ、空港ロビーにてクス玉を割るセレモニー、胸にはピンクのレイをかけてもらい、元気に出発。

 レイにはアミノバイタル・梅干・チョコレート・りんごのキャンデーがついています。思う存分走っておいで、というはなむけの飾りなのです。成田で乗り継ぐ国内線の出発ロビーだったので、とおり行く人皆が注目してくれたみたいだけど、この盛大な見送りは嬉しい限りです。

 自分で決めたこととはいえ、やはり不安も大きいです。それに向こうには待ってくれている相手もいるとはいえ、大阪には年老いた両親を残しています。おまけに父のほうは緊急入院中となっています。

 わたしのことなので、じきにルーマニアでの生活になじみ、すっかりラテンのノリに染まってしまうかもしれません。日本との二重生活に悩むことになるかも?でも、日の丸持参で、取りあえず行ってみてやってみるしかないという思いです。

 写真は、出発前に届いたルーマニアの青空。