ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

2014年8月号目次

2014-08-31 | 目次


A table of content:
2014-08-01
2014-08-02
2014-08-03
2014-08-04
2014-08-05
2014-08-06 ふたつの国の8月6日
2014-08-07 Super Maratonului “Pe aici nu se trece”、歴史編
2014-08-08 Super Maratonului “Pe aici nu se trece”、マラソン編・前半
2014-08-09 Super Maratonului “Pe aici nu se trece”、マラソン編・後半
2014-08-10 Super Maratonului “Pe aici nu se trece”、マラソン編・フィナール
2014-08-11
2014-08-12
2014-08-13
2014-08-14
2014-08-15
2014-08-16
2014-08-17
2014-08-18
2014-08-19
2014-08-20
2014-08-21
2014-08-22
2014-08-23
2014-08-24
2014-08-25
2014-08-26 『ALSアイス・バケツ・チャレンジ』、ルーマニアでも
2014-08-27
2014-08-28
2014-08-29
2014-08-30 いざ、北海道
2014-08-31 予想以上の出来、北海道マラソン
2014-08-31 アフターマラソン
2014-08-31 2014年8月号目次


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アフターマラソン

2014-08-31 | 日本でランニング

 
大阪から北海道にお嫁に行った旧友に案内してもらい、大倉山ジャンプ競技場。





高いところは怖いけれど、眺め抜群、気分爽快!



行きは酔いよい、帰りは怖い、下りのリフトがかなり怖かったです。急傾斜のため。



90m級ジャンプ場のランディングバーン。昔、栂池スキー学校でインストラクターをしていたとき、「ジャンプ台整備」という業務があって、雪が降った後のランディングバーンを階段登行でのぼり踏みしめ、最後にそこを一気に直滑降。クローチング姿勢を組むのだけれど、ものすごいスピードが出て怖かったです。ジャンプの選手はここに降りてきて、そこから直滑降なんだ・・・・まさに鳥人間。





大倉山にある『月見想珈琲店』。



店内のテーブルがそれぞれ趣き異なり、プライベート空間にいるみたい。



静かにおしゃべりできるのが嬉しい。



とても落ち着ける空間、店内にさりげなく置いてある小物も、凝っていました。



薪ストーブもありました。もちろん飾りではなく、冬場は大活躍する暖房具、薪で焚くのがじんわりと温まるのです。

ブカレストで言うところの邸宅カフェ(Green Tea や、Tea House)みたいな感じ。久々の落ち着いた時間でした、連れて行ってくれたちゃみーさん、ありがとう=。


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予想以上の出来、北海道マラソン

2014-08-31 | 日本でランニング


北海道マラソン、予想以上の出来、3時間28分24秒。ネットでは、3時間25分36秒、こんなタイムはめったに出ない(今年に入っての単年度ベストは香港マラソンの3時間26分45秒)、スタートロスが悔やまれます。
 
腰痛を抱えて7月中は走れず、8月に捻挫&練習中断というアクシデント、その状態でよく走れました。最近のマラソン、「走ってみないとわからない」みたいな出来事が多いです。自分でもびっくりするぐらい、体が動いて走れました。自分の思ったような練習が出来ていなかったのに、不思議。こんなことがあるから、マラソンは面白い&ムツカシイ。
 
さて、レースでは自分のナンバーカードの通り、きちんとFゾーンからスタートして、想定以上にスムーズに進みました。前半の課題は雑踏になるべくストレスを感じずに走ること、それでも前のランナーをするすると交わして身体は動いているみたい。1キロあたり5分を切るペースは今の私には速すぎるはず。ちょっと抑えなければ。
 
8キロ手前で腕時計が故障、わけのわからない数字の羅列に。これで完全にペース感覚だけで走らざるを得ない状況に。それでもどんどん前のランナーを追い越しているみたい、速過ぎるに違いない、どこまで持つかな。大切な友人がリオパラ目指して走っている、私も頑張らなければ。
 
このレースでは、リオ・パラリンピック強化女子選手が指定レースとして走っているのを聞いていたので、もし追いつけたらぜったいに声を掛けたいと思っていました。みんな、頑張っていました。私が逆に力をもらえる瞬間です。
 
途中で何度か、男子ランナーに並走される数キロがあったけれど、次々に置き去りにしてきたみたい。レースの中盤戦は、アスファルトの上で日射をさえぎるもののない直線コース、身体は楽ではなかったけれど、脚は動きました。いつまで持つかな、このままゴールまで突っ走れるとは思えない。 
 
・・・35キロを過ぎていよいよ脚がつってきました。夏場のマラソンにかかわらず、ここまで来ると、誰だって脚に来るもの。腕もしびれてきた、ラスト5キロからはカウントダウン表示、そしてラスト3キロを過ぎて、もう脚も動きそうにない。でも、いったん立ち止まったら痙攣が来て、完全に脚が止まってしまうに違いないから、手足を動かし続けフィニッシュに。
 
視界が真っ暗になり倒れこんでしまいました。まったく動けない、これは想定内。こうなりそうな覚悟はありました。夏場のレースで水分不足により熱中症(熱痙攣)になるのは3度目。病院送りになったこともあるので、身体の状態はよく判っています。
 
担架に乗せられ、救護班のお世話になりました。腹部の痙攣までおこり、ちょっと時間がかかったけれど、1時間余り休んでいるとそれなりに復活。熱痙攣ぐらいで良かった、身体の限界は身体が知っていてそれ以上無理をしないように出来ているみたいです。
 
しかしながら、救護所で経口補給水を大量に飲んだため、お腹がたっぷんたっぷんになり楽しみにしていたビールは飲めませんでした、夜になってからワインでゆっくりと~♪

*原因は水分・塩分不足
スタート後最初の給水所ともう1箇所を除く全給水所で、水やスポーツドリンクを摂っていました。が、コップいっぱいの水などとても飲み干せない、二口か三口ぐらい。

さらに特に汗を多くかく夏場のレースで給水とともに大事なのが、水分を胃袋に留まらせ、身体に吸収されるようにすること~そのためには、エナジージェルなどの液体物ではなく固形物でエネルギーを補給すること。

体験上知っているので、エナジー系の固形物もポケットに持っていました。が、水分を一生懸命摂りすぎて、固形物を胃が欲しなくなり、それを食べなかったのです。私は夏の暑さが苦にならないタイプ、だから自己過信してしまうのが、ミスにつながります。

そして、夏場は特に、サプリメントでマグネシウムを補給すべき、けいれん対策になります。レース前だけに摂取するのではなく、日常的に補給が良いかも。

夏のレースが好き、私にとっては寒い冬のレースのほうが、ずっとずっと過酷です。

*湿度の低い土地でのフルマラソン
北海道は、湿度が低くて、汗をかいているのをほとんど感じませんでした。汗をかいていないように感じても、それは肌の上からすぐに乾燥していくから。もちろん、ルーマニアも同じように乾燥しているので、この状態は周知のこと。つまり身体はちゃんと汗をかいて体温調節しているので、水を飲まなければならないのは知っています=。


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いざ、北海道

2014-08-30 | 日本でランニング

 
早い目の午前便JALで北海道に到着、札幌に向かう前にこんなところでお買い物&腹ごしらえ。新千歳空港から無料シャトルバスが出ていてアクセス簡単。意外と空いていました@土曜日のアウトレット・レラ。
 
さすが北海道、空気がぜんぜん違います~乾燥していてからっとしているけれど、日差しは強いです。いつも思うのだけれど、湿度が低いと言うことは空気中の水蒸気が少ないということ、太陽光線が水蒸気によって乱反射しないので直接地上に届きます、というわけでこの日差しの強さ。
 


明日は北海道マラソン。17000人以上が参加するマス・マラソン。わたしは後ろから2番目のスタートゾーン、とっても混雑しそう。
 
それにしてもかつてなく後方~時差を乗り越えルーマニアからクリック競争に打ち勝ち、無事先着順の申し込みできたのはよかったけれど、記録証を送れなかったから後方ゾーンへ割り当てられたに違いない・・・(3時間20分15秒の持ちタイム@クルージュ国際マラソン2013、その記録証、どこへ行ったんだろう??記録証の保管、余り気にしていなかった・・・)
 
このブロックだと、私の前には少なくとも12000人、スタートゾーンにもぐりこむのが遅くなったら15000人が前に居る!!これはすごい==。ナンバーカードは16531。
 
おまけに予想外に暑くて日差しも半端じゃない!!今年の夏、曇り空ばかりの大阪で、日照に慣れていないので、すごく日差しが強く感じます。春からのシーズン、すでにフルを7本走っているけれど、間違いなく、かんかん照りのフルマラソンを走っていない・・・。 


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『ALSアイス・バケツ・チャレンジ』、ルーマニアでも

2014-08-26 | ルーマニア・ブカレストの日常


ルーマニア出身の超有名なスポーツ選手といえば、モントリオール五輪女子体操女王のナディア・コマネチさん。世界中のあちこちで有名人が氷水をかぶり話題になっている『ALSアイスバケツチャレンジ』(ALS Ice Bucket Challenge)に参加!

ご主人のBart Conner(バート・コナー)さんとともに、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の研究を支援する姿勢を示してくれました。

ほかにルーマニア・スポーツ関連では、FC Dinamoの支配人Constantin Anghelache(コンスタンティン・アンゲラケ)氏、サッカーのAdrian Mutu(アドリアン・ムトゥ)選手と Romeo Surdu(ロメオ・スルドゥ)選手、コーチのFlavius Stoican(フラヴィウス・ストイカン)さん。

ルーマニアでも『ALSアイスバケツチャレンジ』、次の広がりは?
http://www.alsa.org/

関連記事:
★『国民的英雄、ナディア・コマネチ』、こちらから。
★『ナディア・コマネチ、20年前の脱出劇』、こちらから。
★『ルーマニアの「白い妖精」~ナディア・コマネチ人形』、こちらから。
★『レオタード姿も~ナディア・コマネチ人形、大好評』、こちらから。
★『金メダルの記念日』は、こちら

(いちばん上のナディアさんの写真はメディアコネクトロさまより拝借)


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ブカレストの夏涼み

2014-08-13 | ルーマニア・ブカレストの日常


ブカレスト3区にあるチタン公園(旧称イオレ)、大きなひょうたん型の湖を携えた緑豊かな公園。中心街から少し離れた居住区に位置し、地元の人が四季折々にそぞろ歩きに出かけるところ。



湖の周りの遊歩道1周は3140m、格好のジョギングコース。水面がとても近い湖で、カメもこんなに近くに見られます。



水温が上がるとプランクトンが発生して緑色になったりするし、ここでは遊泳禁止。



でもボート遊びは出来ます。あれ、なにか泳いでいる?



勇敢なワンコ。



いったん岸にたどり着いたけれど。



再び湖面の上をザバザバ。



プハ=。涼しそう。



マイダーリンも足先を水に付けてクールダウン。



野良ワンコたちは、木陰ですやすや。
(写真は日中でも戸外に走りに行くマイダーリン、提供。)


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Super Maratonului “Pe aici nu se trece”、マラソン編・フィナール

2014-08-10 | 海外&ルーマニア・マラソン大会
Super Maratonului “Pe aici nu se trece”、46キロスーパーマラソン編の続き。いよいよフィニッシュへ。



ゴール地点のあるマラシュティの村に入ると、こんな大声援。もともとルーマニアの村人たちは、自分の家の前で隣近所の人たちと井戸端会議をするのが大好き。そのためのベンチが設けてあったりするほど。この日はマラソンランナーが走ってくるというので、より多くの人が井戸端会議に参加していたらしい(?)。
 


英雄碑公園の入り口で渡されたトーチ。地元の子供達も一緒に走ってくれます。Tシャツには“Pe aici nu se trece”、この子達の曾おじいさんやその先の人たちが守ってくれたこの村。武勇談を聞かされ、悲しい犠牲ではあったけれども自分の祖先を誇りに思っていることでしょう。
 


「日本人がルーマニアの歴史に敬意を表しながらマラソンを完走しました。」、2年連続2度目の参加で、すっかりお馴染みに。
 


ランナーを一人ひとり迎えるたびに、郷土楽器「spulber」(grup de buciumaşi / hornblower gruop)の音が響き渡ります。



この日を記念して、最寄の基地フォクシャニ(Focşani)から3機の演舞飛行も。地上すれすれを通り、大喝采。カメラでとらえることが出来たのは1機だけだったけれど、この目で見たのは3機の演舞。
 


すべてのランのフィニッシュ地点はここ、マラシュティ。最終ランナーを待って、英雄碑の地下で慰霊祭。戦没者の弔いなので赤ワインやコリヴァも振舞われました。
 


さらに場所を小・中学校へ移して昼食会。細長い講堂で子供達もランナーも一緒に食事。表彰式もここで。
 


校舎の前で記念撮影。このマラソン大会は単なる走り競技にあらず。先代の歴史に英雄を偲び、唯一心と愛国心からスポーツの教育的価値を信じ、実行するランナー達のメッセージをこめた足跡。



今年は第4回大会、さらにスーパーなマラソンへ:
ルーマニアが第一次世界大戦でドイツ軍と戦い死守したSoveja~Mărăşti~Mărăşeşti、この戦線を一気にたどる72キロのスーパーマラソンとして実施。ほかに、キッズランの1.5キロ、5キロ・21キロ・42キロ・46キロの各種目。


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Super Maratonului “Pe aici nu se trece”、マラソン編・後半

2014-08-09 | 海外&ルーマニア・マラソン大会
モルドヴァ地方ヴランチャの田舎道を行くスーパーマラソン “Pe aici nu se trece”46キロの後半編。



コースのあるヴランチャはワインの産地だけれど国道脇はトウモロコシ畑ばかり。
 


それにしても強い日差し。これがルーマニアの肥沃な土壌と相まって美味しいトウモロコシやブドウを育てるはず。
 


ここら当たりは農耕用・物資運搬用に馬車が大活躍。何台通り過ぎたことか。



物珍しげに振り返ってくれる子供達。アジア人の私も珍しいだろうけれど、先を走っているはずの黒人ランナーのテネ(カメルーン人)もさぞかし珍しかろう。
 


地元の人たちも全面協力と温かいもてなし、ほぼ3キロごとの給水所はすべて地元の人たちによるもの。これだけ給水があれば、水不足の心配もなし。



子供達も民族衣装を着てエイドステーションに出てくれました。



沿道から犬も遠吠えで声援。



また子供たちのエイド。



それぞれの村々で。



通過する各所でこんな風景を見ながら。



戦線を偲びながら、当時も同じように暑かったに違いない、でもこんなアスファルト舗装はなし。雨が降ればどろどろになる土道。乾燥すれば土埃。



途中の国道、かんかん照りの道端にエイド設営されています。待ってくれているのは子供達だけ。



「ここは太陽が強くて暑すぎるから、ランナーが来ないときは、日陰に入って待っているのよ。」、思わず声をかけてしまいます。
 


おでこをテカテカに日焼けさせてしまった女の子、「暑くて(エイドの)チョコレートが溶けちゃった。」~チョコのことよりも、あなたがそんなに日焼けして、大丈夫?日陰で待機していてね。
 


マラシュティの村まで、最後の5キロは穏やかなのぼり。



ここの入り口でも、村人によるエイド。



この上に英雄碑が待っていると思うと、歩いたり出来ません。いよいよフィニッシュへ。(マラソン編・フィナール編に続く)


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Super Maratonului “Pe aici nu se trece”、マラソン編・前半

2014-08-08 | 海外&ルーマニア・マラソン大会

 
第1次世界大戦で戦場になったルーマニアの国土、モルドヴァ地方Soveja~Mărăşti~Mărăşeşti、この戦線を三種目のランでたどるマラソン大会、これがSuper Maratonului “Pe aici nu se trece”。

ランの種別:
その1)46キロ・スーパーマラソン
大きなドームの戦没者慰霊碑のあるマラシェシュティからマラシュティまで現在の国道をたどると46キロ・スーパーマラソン。

その2)ハーフマラソン
スーパーマラソンの半ば過ぎ、Străoane(ストラオアネ)にあるエカテリーナ碑(この戦いの唯一の女性兵士)からマラシュティまで21キロ、ハーフマラソン。

その3)マラソン
ソヴェジャからマラシュティまで42キロのマラソン。



私の参加したスーパーマラソン46キロのスタートはMărăşeşti(マラシェシュティ)の戦没者の記念碑公園から。



当時の最高指揮官アレクサンドル・アヴェレスクの棺の安置されたモニュメントの地下で、このマラソンのために特別に早朝5時半から開催された慰霊祭。



市長さんの言葉の中に、同日の広島原爆記念日へのメッセージもありました。



参列者がナンバーカードをつけているのは、これからマラソンをスタートするから。
 


盛夏の暑い時期なので、午前6時スタート。国旗を掲げながら記念碑公園を2周回。
 


このマラソン大会は、最初の2年は、第3回大会の逆ルート、マラシュティからここマラシェシュティの記念碑公園がゴールとなるスーパーマラソン46キロ。第3回大会では、42キロのマラソンとハーフマラソンが新設、それぞれ別地点からスタート。第2回大会で46キロを走ったワタクシ、マドモワゼル、第3回大会は逆ルートをたどりたくて同じ距離のスーパーマラソンにエントリー。でも、42キロに人気が集中し、46キロを走るのは私を含めて6名だけ。
 


それでも、先導に白バイ&監察にパトカー&最後尾に救急車が付いてくれて、地元警察も救急も全面的に協力。おかげで道に迷う心配もなし、日陰の少ない国道で熱射病になってもすぐに救護されます。



ほどなくして日の出。
 


最初は国旗を掲げながらグループ走。途中いくつかのモニュメントで止まりながら。



1917年の英雄碑。地元の人たちと、ハーフマラソンのランナーも一緒に記念撮影。地元の人たちはこれから先回りしてエイド設営。ハーフランナーは、同じ道をハーフのスタート地点まで車で運ばれていきます。
 


この戦場で戦死したドイツ兵の慰霊碑。子供達が薔薇の花を携えて待っていてくれました。



ワインの産地、パンチウ市。あれれ、黒人ランナーに注目、ハーフ参加予定のテネ(カメルーン人)ですが、8時半スタートを待ちきれずにスーパーマラソンに合流。ウォーミングアップかな。



パンチウでは軍服を着たお偉いさんも私達を歓迎。ここはまだ15キロ地点くらい。ここからだんだん先頭のペースが速くなり、私はマイペース&風景写真の撮影に。
 


ハーフのスタート地点、ストラオアネのエカテリーナ碑。グループ走からはずれ、私ひとりで到着。8時30分スタートのハーフマラソンはすでに出て行ってしまったけれど、多くの人が待っていてくれました。
 


ここからは単独走に。



ヴランチャの田舎の風景を楽しみながら、トコトコと脚を進めます。(マラソン編・後半に続く)
  

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Super Maratonului “Pe aici nu se trece”、歴史編

2014-08-07 | 海外&ルーマニア・マラソン大会

 
8月6日、この日はルーマニアにとっても戦争のメモリアルデー。第1次世界大戦で目前に迫ったドイツ軍との激戦に耐え死守したのは、Soveja(ソヴェジャ)~Mărăşti~Mărăşeştiの戦線(モルドヴァ地方Vrănceaヴランチャ)、1917年のこと。
 


上の写真は小高い丘の上にあるMărăşti(マラシュティ)の村から見た風景。手前の木の茂っているところはルーマニア領で、向こうに見える山までドイツ軍(Neămţ)によって占領されていたのです。何ということもない風景だけれど、こんなふうに説明を聞くとその間にあるくぼ地での当時の激闘の様子がしのばれます。
 
この戦いでは兵士だけではなく、近隣の農民達も自分達の村を守るため、前線に立ちました。農民に軍服は与えられません、農作業に出かけるような白のシャツで戦場へ。

広大な緑の稜線で、白のシャツはよく目立ち標的になりやすいです、にもかかわらず、勇敢に戦ったのは農民達でした。地元のどの家からも複数の戦死者が出て、農地は荒れ、苦渋の時期でした。
 


将校Eremia Grigorescuが96年前に言った一言、“Pe aici nu se trece”(=ここを通すな!)との指示を、ルーマニア軍と地元民が守りきった真夏の激戦。8月6日に行われたマラソン大会“Pe aici nu se trece”のネーミングはここから。ソヴェジャからマラシュティへの42キロ、マラシェシュティからマラシュティの戦線をたどると46キロのスーパーマラソン。
 


Mărăşeşti(マラシェシュティ)の戦没者の記念碑公園。大きなドームのある記念館、敷地内にはルーマニアの国旗、国旗、国旗。戦争に勝ったからこそ、この国旗を掲げることが出来るのです。もしドイツ軍の侵略に甘んじていたら、ここにはドイツ国旗が掲げられていたに違いありません。
 


ワタクシ、マドモワゼル、つい、いつものスマイルで記念撮影していますが、ここは笑顔では居られないところ、大きな犠牲のあった悲しい場所。日本人の誰もが、原爆ドームで笑顔で記念撮影出来ないように。
 


記念館の地下には、当時の最高指揮官(maresalu)アレクサンドル・アヴェレスクの棺が安置。戦後の1938年没。l
 


この戦争に唯一女性が参加していました、エカテリーナ・テオドロイウ(sublocotenent、1894-1917)、23歳で戦死。
 


ここからMărăşti(マラシュティ)まで、いくつかの市と町を経ながら、今でこそ舗装道が通じていますが、当時はアップダウンの多い土道に違いなし。道が舗装され、そして当時を偲ぶ記念碑があちこちに。
 


この戦いで亡くなった無名のドイツ兵のための記念碑もあります。



記念碑への入り口。
 


通過地点のPanciu(パンチウ)は、有名なワインの産地。ヴランチャ全体が、ワインで有名。
 


そして、マラシュティの村へ。分岐点から5キロ、穏やかなのぼり。丘の上にあるマラシュティの村だからこそ、戦いの要所となったのです。
 


村の入り口。
 


戦争の記念碑。英雄碑、と言う名前がついているけれど、農民達も含みます。戦没して「兵士」の呼称が与えられたのです。
 


両側に飾られたレリーフに目が留まりました。
 


村人達の苦渋の表情が。赤ちゃんを抱きかかえたお母さん・・・。子供達も苦しんだのです。



犬も悲しげな表情。



多くの犠牲を払いながら、この戦線は守られました。結果として第1次世界大戦に勝利。オーストリア・ハンガリー帝国からトランシルヴァニア地方を取り戻しました。ここは代償の大きかったところ、でもそのおかげでこうやってルーマニア国旗を掲げることが出来るのです。忘れてはならない戦争のメモリアルデー。

この日:
「6 August...O zi pe care intreaga umanitate NU ARE VOIE SA O UITE!」
(私訳で:8月6日、すべての人類が忘れてはならない日)

日本びいきのルーマニア人がメッセージをくれました。8月6日は、日本人にとっては広島原爆記念日。

この日にルーマニアの慰霊碑を訪れ、少し考えされられました~ルーマニアは(第一次、第二次とも)世界大戦に勝利し、英雄の慰霊碑が国土のあちこちに。特に第一次世界大戦での勝利は大きな利益(国土回復)をもたらし、犠牲となったすべての人が英雄としてたたえられ、国旗が掲げられています。


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