ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

ルーマニアのハロウィン

2017-10-27 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


私がルーマニアにやってきた当初からしばらくは、ハロウィン(Hallowe'en)は、ルーマニアにありませんでした。ここ5~6年で、急速にルーマニアに輸入されたアメリカの年中行事です。


 
それにまつわるバックグラウンドはさておき、楽しい部分だけをいただき!~かぼちゃ飾りを作ったり、お化けの仮装を考えたり、そしてパーティで盛り上がります。



しかしながら!!
このおかげで、今年の秋の私の仕事が一つ増えました!!

教鞭をとる大学の、アメリカンセンター主催のHallowe'enワークショップが開催される予定で、普通のかぼちゃ飾りでは飽き足らないと、折り紙のHallowe'en飾りを依頼されたのです。11月下旬開催予定の『ダルマ・ワークショップ』の会場に、アメリカンセンターの教室をお借りするので、この依頼も断れません。

これ以上仕事を増やしたくないのに、増えてしまいました。今年の私にとっては、まったくもってありがたくないHallowe'enです。



でも、おかげで思い出しました、2012年秋に、初めてナイキ・ランニングクラブ主催のHallowe'en Run(カロル公園)が開催されたことを。



このころから徐々に街にハロウィンの仮装集団が現れるようになったのです。



2014年には、ブカレストのダウンタウンを走る本格的なHallowe'en Run、土曜日の夜に人が繰り出す時間帯に、旧市街の石畳のうえをぐるぐる周回しての5キロマラソン大会でした。



さすがに、サタデーナイトに旧市街に繰り出す一般市民や観光客に甚だ迷惑、とあって、1回限りの開催。でも、道行く人を驚かせながら走るのって、楽しかったです==。・・・旧市街を舞台にナンバーカードをつけて競走しているだけで、人々は驚いていると思いますが・・。



盾もかぼちゃ型、ルーマニアのハロウィン・ラン。

記事中の写真は、ナイキ主催のハロウィン・ランの様子と、旧市街でのハロウィンマラソン大会の様子。


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黒猫に兄弟ができたよ!

2017-10-15 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


第10回記念ブカレスト国際マラソンで、4時間45分のペーサー仲間、フロリン・ゲツ君に、「猫耳と猫メイクで走る?」と誘いかけたら、快諾。というわけで、黒猫に兄弟ができました。

日本のラン友で、「猫耳と猫メイク」被害にあった人、たくさんいます♪~駅伝などでチーム参加するとき、たくさん猫耳を作って行って、「これが団結のしるしだから。」「みんなで一緒にネコになったほうが、楽しいから。」とかなんとか言って、「猫耳」をつけてもらい、ほぼ無理やり「猫メイク」を施したこと、何度かあります~♪



そして、その被害は、ついにルーマニアのラン友にも及びました==。フロリン・ゲツ君は、去年のアテネマラソンの時に、一緒にパルテノン神殿に上ったノリのいいラン仲間(上の写真はその時のものに落書き。「mib」は、「Maratonul International Bucuresti」。「僕、ピンクと黒の蝶ネクタイを持っているよ。」と言っていたけれど、当日までに見つけられなかったみたい、まだ小さい二人の男の子のパパでもあります。



マラソン当日、尻尾までつけてくれて、ノリノリでした♪~「4時間45分の電車が、駅に向かっています。今日に限り、乗車賃は無料。まだ、座席に余裕があります。どうぞご乗車ください。」と、周りのランナーを誘ってくれて、快調そのもの。

「ヒロコ、沿道に日本人がいるよ。応援してくれているよ。」と、周りを見る余裕もあるフロリン君。視線を横にやってびっくり、あの方は確かに日本人のVIP。

「今の、誰だと思う?」
「?」
「日本大使館の、日本大使。ガードマンもつけずに一人だけど。」
「!!!ヒロコの応援!?!」
・・・な、わけないでしょ==。スポーツ観戦、お好きなご様子。



おかげで3人いるペーサー仲間も元気に声を掛け合い、キロ6分40~43秒のイーブンペースを保ち、ハーフ地点を過ぎてからはどんどん落ちてくるランナーを拾い、さらに声をかけ、ネットで4時間43分25秒、グロスでは4時間46分を少し超えたところでフィニッシュ。

ペーサーの役割を担いながら、自分一人ではない、たくさんの人たちと走って、またマラソンの楽しさ・面白さ・難しさを発見。(レポートはまた後日)



Suntem soferi de trenul de 4:45 la maraton.
Avem experienta foarte frumoasa cu multi pasagerii .
Multumim, tuturor.




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黒猫ペーサー、再び

2017-10-10 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


週末は、第10回ブカレスト国際マラソン、4時間45分ペースメーカーでの参加。4時間45分=1キロ当たり6分45秒(=405秒)、100mあたり40.5秒。

2年前にもブカレストマラソンでペーサーを務め(一番上の写真)、「net timeで良い」と主催者側からペースメーク指導あり。

このときは、4時間のペーサーだったので、スタート直後からグループの中では、「フィニッシュゲートを通過するとき、3時間台でありたい。(=グロスでサブ4したい)」という希望が大半。そのため、スタートロスを取り戻すべく、最初の10キロをやや早い目に入りました。

主催者側にも、ランナーの声を伝えました。サブ3やサブ4を目指すランナーは、net timeではあまり満足しません。とくに、サブ3目標のランナーは、ゴールに2時間台で飛び込みたいものです。

また、制限時間ぎりぎりのランナーはどうなるの?制限時間というのは、グロスタイムで設けられているはず。スタートゾーンの定められた位置(=ゾーンの後方)からスタートした制限時間のペーサーが、スタートロスを考慮せずに走っていたら、タイムオーバーになるではありませんか。

その後、主催者側のペースメーク指導がどうなっているか、次のブカレストマラソンで確認です。


マラソン用語解説:
ペーサー=レースを安定速度で走り、ランナーを目標タイムに導く走者。ペースメーカー、ラビットともいいます。

サブ4=マラソン(=42.195キロ)を4時間未満で走ること。4時間以内、という表記もありますが、「以内」というと数字的には4時間0分00秒も含まれる表現なので、これはサブ4ではありません。3時間59分59秒以内。

サブ3=マラソン(=42.195キロ)を3時間未満で走ること。サブ3ランナーといえば、マラソンを2時間台で走るランナーのこと。現在のところ、世界中のどこを探しても、サブ2ランナーはいません。

サブテン=さらに、マラソンを2時間10分未満で完走することを「サブテン」と言います。
また、100キロウルトラマラソンにおいて、10時間未満で完走することも、「サブテン」と言います。

マラソンの今の公認世界最高記録は、デニス・キプルト・キメット(32、ケニア)の2時間02分57秒(2014年9月ベルリンマラソン)。

非公認世界最高記録は、エリウド・キプチョゲ(32 、ケニア)の2時間0分25秒(2017年5月、ナイキ「ザ・ブレーキング2」)。こちらから

ハイレ・ゲブレセラシェ(エチオピア)が2008年9月のベルリンマラソンで、2時間4分の壁を破って(2時間3分59秒)以来、それを上回るランナーが8名。今の公認世界最高記録はデニス・キプルト・キメット(ケニア)の2時間02分57秒。


グロスタイムとネットタイム:(wikipediaより)
グロスタイム(Gross Time)とは、スタートの合図を起算としてゴールラインを通過するまでに要した計時の公式記録のことをいう。一方、ネットタイム(Net Time、正味のタイム)とは、スタートラインを通過した瞬間を起算としてゴールラインを通過するまでに要した参考記録のことをいう。

多数のランナーが参加する市民マラソンなどでは、スタートの号砲と同時にスタートラインを通過できる人数は限定され、多数のランナーはスタートラインに到達するまでにある程度の時間を要する。公式な記録であるグロスタイムには、このスタートラインに到達するまでの時間が含まれるため、正味の走行時間を把握する場合にネットタイムが用いられる場合がある。日本国内においては、ネットタイムはあくまでも個人的な参考記録とされるので、取り扱いには注意をする必要がある。

しかし、海外のマラソン、特にニューヨークシティマラソン、シカゴマラソン、パリマラソンなど、伝統的に大規模なマラソンにおいては、グロスタイムとネットタイムの間に最大1時間以上の開きが出ること、同一ウェーブ内においてもグロスとネットの間に10分程度の差が出る不公平から、エリートランナーのみにおいてグロスタイムが正式タイムとなり、一般ウェーブスタートのランナーではネットタイムが正式タイムとして公表され、順位もこれにもとづいて発表されている。また、ボストンマラソンなどの参加の可否もネットタイムをもとに決定されている。


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ハーフ一本、賞状5枚

2017-10-05 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


ブカレスト近郊、ブフテア(Buftea)で行われたレースは、7キロの部・14キロの部・21キロの部。ハーフを1本走っただけなのに、賞状を5枚もゲット&ハーフ女子総合2位入賞で、シャンパンもゲット。



というのは、同時スタートで7キロコースを周回(一部土道あり)。この大会に特別なのは、7・14・21キロ地点に早く到着(または通過)したランナーから表彰する、というもの。つまり、14キロの部のランナーでも、7キロ地点をトップで通過すれば、そのランナーが7キロの部の総合1位。



7・14キロの両地点をトップで通過し、さらにそのランナーが21キロフィニッシュに一番に飛び込めば、『総合王者』として、大々的に表彰しよう、というもの。強者の勲章『総合王者』の称号を与えられますが、賞金レースではありません、ちょっとした副賞がもらえるお楽しみレース。



男子の部は、順当に、7キロの部・14キロの部・21キロの部のそれぞれのスペシャリスト(=それぞれの部門に申し込んできた人)が、総合1位になっていました。



女子の部では、たとえばワタクシ、マドモワゼルの成績で言えば、7キロの部総合6位・年代別1位、14キロの部総合3位・年代別1位、21キロの部総合2位・年代別1位。つまり混戦で、7キロの部の総合1位は14キロ部門のランナー、14キロの部・21キロの部の総合1位は同じ女性で21キロ部門のランナー。7キロ部門の女性ランナーは7キロ総合5位と沈んでいます。



男女別総合トップスリーに加えて、10歳刻みの年代別トップスリーにも表彰があったため、ワタクシがいただいた賞状は5枚。総合表彰にはカップがついてきたので、いただいたカップは銀色カップ(ハーフ総合2位)と銅色カップ(14キロ総合3位)。

実際のところ、走っている間はこの表彰システムを理解しておらず、いつも通りイーブンペースで押していこう、と、つまり『マイ・ペース』。気分良くペースが上がった2周回目で、うまい具合に14キロの部の女性ランナーを抜いていたのです。



7キロコースを3周回、という単調になりがちなハーフのレースを、楽しみ3倍&見どころ満載にした表彰システム、非常にユニークです!!

・・・もっとも、表彰レベルに達しない大方のランナーにしてみれば、いつも通りマイ・ペースで走るだけかな。でも、見ているほうは面白かったらしいです♪~こんなレース、日本にもあるかな?



旧知のラン友、シェルバンは栄養学専門のドクター。ルーマニア初の市民ランナーのランニングクラブ、『RO CLUB MARATON』の初代からの会長。昨年から、サッカールーマニア代表チームの栄養ドクターも務め、国外遠征にも帯同と大忙しながら、この日は私よりも4分2秒先着。4分というと、1キロ近い差、Bravo!Jos palaria!
向かって左、男子7キロの部総合1位、フロリン。私が日本から運んできた、『adidas takumi sen』がお気に入りギア。


Buftea Result:
結果が、PDFファイルで見られます、こちらから


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二連戦でワイン3本+シャンパン1本!

2017-10-03 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


先週末のワタクシ、マドモワゼルは、ハーフマラソン2本。いずれもブカレスト近郊。土曜日は、ウルラッツィ(Urlati、ブカレストから約100キロ)、日曜日はブフテア(Buftea、ブカレストから約25キロ)。ありがたいことに、2レースとも、参加料免除という招待をいただきました♪



ウルラッツィ(Urlati)は、その地名がワインのブランドになるほどのブドウ&葡萄酒の産地。すっかり秋景色の中、もぎたてのブドウを賞味し、そのブドウを絞ってできるムスト(これを発酵させるとワインになる)を堪能。



嬉しい参加賞は、フルボトルワイン1本入りの、スポンサー商品盛りだくさんのキット。年代別優勝しさらにワイン1本ゲット、総合優勝までしてしまい、23Kの金箔入りラグジュアリー・ワインもゲット。



金箔入りワインは、10キロと21キロの、男女それぞれの総合優勝者に贈られました。みんな、ご機嫌♪

ブドウ畑の間を走る、Urlatiの風景はこちらから。



ブフテア(Buftea)のレースは、7キロコースを3周回するものでしたが、非常にユニークな発想で、ハーフを1本走っただけなのに、賞状を5枚もゲット~どうしてこうなったかは追ってレポートいたします~。ハーフ女子総合2位入賞で、シャンパンもゲット。

というわけで、2日間でボトル4本(ワイン3本+シャンパン)をいただき、味覚の秋にふさわしい幕開けとなりました。あ、いずれもまだ開けていません、飲んでいませんよ=。2日間でボトル4本、飲んだわけじゃありません、念のため。


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第20回ロッテリーマラソン大会

2017-09-25 | 海外&ルーマニア・マラソン大会

 

このブログではずっと、「クロス・ロッテリー(Crosul Loteriei Romane)」として紹介、ルーマニアの宝くじ会社が主催する5キロのマラソン大会。今年で20回目を迎えた老舗大会。国民の館前広場をスタートし、統一大通りをアルバ・ユリア広場手前まで行って折り返してくるフラットなコース。
 


2005年から、一度だけ走らなかった年があるけれど(ダブリンマラソン遠征に行っていた)、それ以外ずっと参加、年代別2位になったのは1度、3位以下に落ちたことはありません、というわけで、年代別優勝の常連。ダントツのトップを独走中の年代別優勝回数で、主催者からもすっかりお馴染み。テレビの公開宝くじ番組にゲスト出演したこともあるほど。


 
参加し始めたころは、総合優勝者に国産のダチア車が副賞として贈られるとあって、ルーマニア国内だけでなく、隣国モルドヴァ共和国からもプロランナーが走りに来ていたものです。そのころの、年代別優勝の賞品は、自転車や大型テレビ・DVDプレイヤーなど。ジュニアの部には、ノートパソコンなどが贈られていました。
 
ここ2011年から賞金制になり、その賞金も当初は部門別の若いクラスが優遇され、ベテランの部は少なく贈られていたのですが、そのうちその賞金額も統一されるようになり、一番多い年で、優勝賞金3000レイをいただいたこともあります(2011年)♪(所得税が差し引かれるので額面通りではなく、手取りは2520レイ)
 
その賞金額は、毎年変わっていて(~会社の予算によるのかな?)、例年、事前に告知されています。賞金額を調べずに参加した年、宝くじ会社の賞金払い出し窓口で2000レイ近くをもらって、びっくりしたこともありました(昨年例)。
 
さて今年はどうかな?~完全に賞金をゲットする気分で参加。ナンバーカード引換所で賞金額を確認すると、部門別優勝800レイ、以下、500・300・200・100レイと5位まで表彰。これまでで一番少額の賞金・・・、会場を見まわしてみると、エリート選手の参加が少ないです。100レイでもいただけると嬉しいけれど、エリート選手にとってはこんなところで力を費やしていられないかな。
 
同年代のライバルを見渡して、これは完全に勝たなければならないレースになってきました。しかし、昨今の気候の入れ替わりで体調がすぐれません。

前日も、夕方6時ごろに疲労感と睡魔に襲われベッドにバタン。暗くなった8時ごろに一度起き上がったものの、食欲がわかずヨーグルトを食べただけ。マイダーリンも外国マラソン遠征中なので、かまう相手も無し。というわけでまた寝てしまいました。週明けからずっと左ひざがはれているのも心配。明らかにぷっくりと腫れているのです。
 
直前に足の親指の爪が剥がれるというアクシデントもあり、これまた不安に。でも、5キロなら、脚がちぎれない限り大丈夫だろう、と膝にはしっかりサポーター、足指にはテーピングをして出走。
 
よっぽど体調の悪い時以外、同年代のライバル、イオアナをマークすることは無いのですが、この日はイオアナの後ろで走り始めました。折り返し手前になって、やっと前に出て、少しペースアップ。イオアナは、トラックで1500mや3000mを走っているので、ゴール手前の小競り合いになると、危ういです。ロングスパートしておかなければ。
 
何とか危なげなくゴールでき、年代別優勝。実はイオアナは私よりも2つも年上。それでもスピードを誇る抜群のライバル。
来年になると、私たちの年代別クラスに、元国家養成選手で日本の国際駅伝にもルーマニア代表で走っていた、ダニエラ・ペトレスク(=結婚後の姓)が上がってきます。やはりスピードの地力が違います。

「この大会で年代別優勝できるのも、今年が最後。来年は、ダナ(=ダニエラの愛称)が上がってくる。」
とつぶやくと、男子50歳以上の部で58歳ながら2位に食い込んだステファン・チョキーナが、「そんなこと、だれが知っているんだ。やってみないとわからない。」と一刺し。

そうか=、このようなモチベーションでないと、「勝ち」に行けないんだ!

ステファン・チョキーナは、同じ年代常勝だった4歳年下のヴラッド・ビクターに、最近は何度も勝利しています。今年は、ビクターが足の故障で欠場、50歳になったばかりのステファン・オプリナは、同日地方都市で大会を主催していて不参加。でも、もう一人ライバルがいました、同じく50歳になったばかりのダニエル、残念ながらダニエルからは後着でしたが、ほかの同年代を押しのけ、堂々の2位入賞です。

歳は考えないこと、関係ない、というのがステファン・チョキーナの信条。脚や身体のあちこちは痛いけれど、ワタクシ、マドモワゼル、見習えるかな。


関連記事:
もう13回も参加しています、いろいろありました==。過去のクロス・ロッテリーの様子です。

2014年、何時も嬉しい表彰式の様子はこちらから。

2012年、この年から年代別が細分化、年代別クラス分けのなかでも、都合よく若いランナーとして出走できました、こちらから。

2011年、この年のベテランの部優勝賞金は3000レイ!(一般の部は6000レイ)、こちらから。

高額賞金だった2011年、ゴール手前でズルをしてきたランナーが横入りのスキャンダル、こちらから。


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森の中のボランティア

2017-09-19 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


気温が33℃まで上がった日曜日、私が出かけたのはブカレスト郊外バネッサの森で開催されるトレイルレースのボランティア(上の写真は、チームで団体参加したボランティアのメンバー)。

日本人が「森」と聞くと、イメージするのは山の中の森。けれど、ここは広大なワラヒア平原に位置するブカレスト。「森」というのは文字通り、木がたくさん生い茂っているところ。アップダウンには関係ありません。というわけで、完全フラットのトレイル、21キロと10.5キロコース。

わたしは、7キロ過ぎの分岐点審判員を担当。同時スタートした21キロと10.5キロがここで別れていくので、それぞれのランナーが間違って進んでいかないよう、交通整理です。

まれ~に、”ズル”をしてハーフのランナーが10キロコースに入り込み、ショートカットして入賞を狙う、ということもあるそうなので、要注意(部門別男女別に4つのクラス分け、それぞれ優勝賞金500レイ、以下300レイ、100レイと続く)。

もっとややこしいのは、ハーフのランナーでありながら、当日種目変更をしてハーフのゼッケンで10キロを走る人もいます(この大会では認められている)。色で別けられたナンバーカードをよく見て、種目変更をした人(=ハーフのゼッケンで10キロコースに進んでいく人)には口頭で確認してゼッケン番号をメモ。2人、いました。
 
交通整理をしながら、もちろん熱烈応援。自分自身もランナーであるから、沿道からの声援がとても嬉しいことを知っています。逆にランナーから、「ヒロコ=!」と声援をもらい、ハイタッチ。

「ヒロコ=!どうして走らないの==?」~「応援したいから==。」
「ヒロコが走らなかったから、入賞できたわ。」と後で言ってもらうこともあります。

男女を問わず、実にたくさんのランナーとハイタッチして、ちょっとしたランニング・アイドルの気分かな♪

地元開催だけあって、10キロの男女トップも、21キロの男子トップも、日ごろからよく声を掛け合うラン仲間。続くランナーにもたくさん知り合いがいて、名前を呼んで声援。知り合いだけではなく、走ってくるすべての人がものすごく一生懸命でかっこよく見えて、応援にも熱が入ります。

この地点はさらに、フィニッシュに向かう17キロ過ぎでもあり。10.5キロの最終ランナーが7kmを通過しないうちに、ハーフのトップが17kmを通過し、さらにランナーがどんどん通過していきました。森の中、土道なので走力の差が大きく出るのです。

ちなみに、7キロ過ぎ地点まではハーフも10キロも同じコースを走ってくるのですが、ハーフの最終ランナーが通過してからもまだまだ10キロのランナーが続き、皆楽しそう。初心者で10キロに挑戦してみよう、というやわらか~い感じの大会。

17キロ過ぎ地点で、ハーフ最終ランナーとコース閉鎖係の通過を見送ったのは、スタートから実に3時間が経過した後。そこから給水テーブルを片付け、徒歩で会場に戻ってくると、全日程を終了し、ほとんどランナーがいなくなった後。コース途上でランナー全員に出会ったとはいえ、ちょっと寂しかったかな=。

残念だったのは、同じボランティアに来ている若い子たち。明らかにランニングとは関係のないところから来ているようで、給水所係だと、給水テーブルに水や果物などを並べるだけで、ランナーに声もかけません。

コース係だと、進路を指し示すだけ。ランナーが続いていてコースを間違いそうな心配がない時には、ただ立っているだけ。ボランティア活動に参加した、ということが学校等で、何らかの評価があるから来ているのだと思われる子たち。

私が一人で盛り上がって声援しているのを見て、続いて声掛けをしてくれる子もいたけれど、大半が自分たちで雑談、用事がすむと手持ち無沙汰にそこらに腰掛け、また雑談。ランナーには目もくれず。

後半になって、まだランナーがぽつぽつと続くにもかかわらず、「用事がないし、帰ってもいいですか=?」、走ることの爽快感、ランナー同志の共感を経験していない子たちだから、致し方ないかな。


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太陽照り付ける国境橋ロードレース

2017-09-18 | 海外&ルーマニア・マラソン大会

 
第2回フレンドシップラン、国境橋を渡る15キロのロードレース。パスポートを携帯せず、国境を走り抜ける爽快なラン・イベント。

今年はブルガリア側のルセがスタートですが、ルーマニアからの参加者はフィニッシュ地点のジュルジュウでナンバーカード交付。その後、主催者手配のバスで、国境越え。

ルーマニア側からの参加者で、パスポートコントロールが必要なのは私だけ。私一人のために、いったん国境ゲートまで出向きパスポートコントロール(=ルーマニア出国&ブルガリア入国)。

バスは迂回路を引き返し、警察等特別車両通行ゲートを通って、国境橋へ。(通常通り、国境ゲートから国境橋を渡ろうとすると橋の通行料が課金されるが、マラソン大会特別措置により、課金されない特別車両通行ゲートの通行が許可されている)
 
「ブルガリア側でもう一度、パスポートコントロールを受けてください。(=ブルガリア出国&ルーマニア入国)」と言われていたけれど、スタート地点に選手輸送バスが到着したとき、スタートまで30分を切っていました。大慌てで競技服装に着替え、荷物をまとめて荷物預かりへ(ゴール地点まで搬送される)。そのまま、大会会場を出てウォーミングアップ。
 
スタート10分前に、大会会場に戻ってくると、「ヒロコ、マイクで何度も呼んでいたよ、パスポートを持って来いって。」、やっぱりそう来たか=。時間がなかったので強行突破しようと思ったけれど、国境警察にはかないません。
 
いったん預けた荷物を受けだしに会場を横切ると、「あ、日本人がいた!」、警察が叫んでいます。「はい、パスポート、取ってきます=。」

ここでは、パスポートの顔写真の部分を、写真に撮られました。撮影に使っていたのは、どう見ても個人のスマホ。悪用されるとは思わないけれど、お気軽だぁ~。出入国スタンプを押してもらい、コントロール終了したのは、スタート4分前。荷物預けに戻っている時間はありません、私をエスコートしてきてくれた大会スタッフにパスポートを預け、じきにスタート。


(スタートゲートはMIZUNO)


(スタート直後のルセ)


(国境へひた走る)
 
直後から誰かにマークされていて、同じ足音がずっとついてきます。3キロ過ぎに追い抜かれた女性ランナーは、おそらく同じ年代カテゴリーのブルガリア人女性。少し離され、中間地点の国境橋への登りで追いつくものの・・・、彼女も必死で走っている様子で、逃げられました。


(ブルガリア側の国境ゲート、通常はここでパスポートコントロール。横に通行止めを食らった車両が、諦め顔のドライバーとともにたくさん列を作っていました。)


(国境ゲートを超え、橋への登り。橋の名称は、フレンドシップブリッジ)


(国境橋のほぼ中央。ここからルーマニア。当然ながら、この看板の反対側には、「Bulgaria」と書いてある。)

というか、私が暑さのため大幅にペースダウン。15キロのうち給水所が7キロ手前の一か所しかなく、31℃の暑さの中、水不足と照り付ける太陽にやられたのです=。長時間のマラソンを走るときには、ウォーターローディングを含めて体調管理するけれど、ここまで暑くなるとは思っていなかったので、体内に蓄えられている水分自体が、適量を下回っていたのです。
 
南のルセから北上してジュルジュウだから、太陽も正面からあたらないだろう、と思っていたのも間違い。日陰のほとんどない幅広い国道、国境橋の上を、カンカン照りの太陽の下で走っていたのです。
 
橋を越えふらふらしながら走っていると、「ヒロコ=!どうしたの==!?大丈夫=??」と一緒に走っていたラン仲間が声をかけてくれ、「水、水==」と叫ぶと、持っていた水をくれました。もう一人のランナーからも水をもらったけれど、それぞれボトルにわずかに残っていた貴重な水。
 
私が全く回復しない様子を見て、ラン仲間が沿道を通る人(=観衆ではなく買い物客)に「水、ください=」と呼びかけ、小さな女の子を連れたおばあさんがボトルの水を差しだしてくれました。さすがに全部飲めず、ボトルを沿道に捨てたけれどありがたかったです。

水をくれたラン仲間たちにも置いていかれ、ここで痛恨のミス、コースアウト。交差点で勝手に勘違いして曲がってしまったのです。交通整理の警官は何も言わなかったけれど、後続のランナーが叫んでくれました、「ヒロコ==、道が違う==。」、ここで「ヒロコ」と聞こえなければ、そのまま走っていたに違いなし。
 
視界が暗く&狭くなるほどフラフラしながらゴールしたけれど、おばあさんにもらった水が無ければ、途中で倒れていたかも。途中でラン仲間にも助けられ、ありがたや。
 

(フィニッシュ後、メダルをかけてくれる民族衣装の女の子たち)
 
そして、年代別2位に食い込みました♪優勝をさらっていったのは、感づいていた通り、最初からマークしてきたブルガリア女性。3位はルーマニア国内で旧知のライバル、イオアナ。イオアナは、このブルガリア女性ランナーを、マスターズ陸上バルカン選手権で見知っていて、「彼女は去年の、10000mバルカンチャンピオン(年代別)。」
 
今年、年代別クラス分けが一つ上がり、私の年代に参戦してきました。そして、昨年のこの大会で日本人が部門優勝している、と知って、最初からマークしてきたのです。でも、10000mで選手権をとるほどだから、スピードもスピード持久力も上回っていて、私の相手ではなかった、というわけ。
 

(みんなで嬉しいフィニッシュ)

そして最大の失策は・・・、ゴール後、500mlボトルの水を2本、350ml缶のコーラを飲み干し、それでもまだ喉が渇いていて、近くの商店にビールを買いに入っているうちに表彰式が始まり、自分の表彰を逃してしまったこと。ラン仲間が慌てて電話で呼んでくれたけれど、時すでに遅し。


(女子の年代別表彰。2位の私がいない!)


(主催者の配慮で、一人だけですが表彰台にあげてもらいました。)

慌てて戻って、「ヒロコ、表彰に間に合わなかったよ。」と何人にも言われ、誰かが「ヒロコが来た!」と主催者に叫んでくれ、ステージにあげてもらい表彰してもらいました。

この日の失敗は二つ。30℃超えの気温になることは天気予報を見て知っていたけれど、42キロのマラソンではないから油断していたこと。そして、表彰式が始まりそうな余興のダンスが始まっていたにもかかわらず、ビールを買っていた商店から見える距離にステージがあったので、これまた油断していたのです。

いつも&いつまでも勝てるとは思っていませんが、油断していればいろんなものが遠ざかって行きます。

諺(ことわざ)にもあるではありませんか、『勝って兜の緒を締めよ。』



男子総合の表彰式。
トップスリーはケニア人ランナー。4位に食い込んだのは、ルーマニアのオリンピック・マラソンランナー、ニコラエ・ソアレ君。彼が二十歳になる前から知っているので、君付け。モロッコ人が続き、7位に、マラソンで2020東京を目指すアレクサンドル・コルネスキーさん。

これだけのメンバーがそろっているので、迫力あるスタート風景となりました(一番上の写真)。


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世界遺産を走り抜けるマラソン大会 Capial in Italy

2017-09-16 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


思い出したら、今年の4月に、ローママラソンも走っていました。『街全体が博物館』と言われるローマをもれなく駆け巡ります~カメラをもって観光ラン♪

『ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂』(Centro storico di Roma, le Proprieta della Santa Sede che godono dei diritti di extraterritorialita, e San Paolo Fuori le Mura)が、1980年に世界遺産登録されています。



実は今年の1月末にふらりとローマを訪れ(=LCCの季節限定格安チケットを見つけたから)、2泊3日で歩き回りすっかりローマに魅了され、「ローママラソンを走ってみたい!」と熱望。

帰りのチャンピーノ空港内でネット検索していると、4月開催のローママラソンのエントリーがまだ受付中。帰宅後、その夜のうちにマラソンエントリー完了・LCCチケット購入完了・宿の手配も完了させ、ランナーとして駆けるローマを短期間のうちに再訪、実現。

観光はすでに1月に済ませているので、4月のローマ行はマラソンに徹して。



大会前日の土曜日の午後にローマ到着、そのままナンバーカード受取へ。書類に不備があって、長い列に並び3時間ほどかかりました。ホテルへ直行し、マラソンに備えてゆっくりと過ごし。



マラソン当日、天候が荒れ、ちょっと大変。スタート直後から雷が鳴りだし、最初は市街地から離れるコースで10キロ過ぎから断続的に激しい雨。余りにもの豪雨だったので、カメラが濡れないように気遣いました。運よくバチカン市国通過の時には雨はやみ、もちろん記念撮影。

いったんユニフォームが渇くほど雨が中断していたけれど、35キロ以降の旧市街の石畳とカーブを走らなければならないときに、また雨が降り出し、石畳というのはかなり滑りやすいのです。しかも冷たい雨。寒さをしのぐため、おかげでラストスパート全開でフィニッシュへ。


(スタート前の一枚)

ここでも困ったのは、更衣場所。AIMS(国際ロードレース協会)公認の大会なので、どこかに更衣スペースが設けられているはずなのですが、誘導されて到着したゴール会場のコロッセオ付近はランナーでごった返し、しかも雨。

屋根だけがあって、囲いのないテント発見、みんなここで雨をしのいでいます。飛び込んでみると、中のほうで着替えている人、多数。女性も男性も入り混じって、ミックスの更衣場所。着替えている女性が多いところまで進み、男性陣に背を向け、私も着替え始めました。とにかく濡れているものをすべて脱いで着替えないと、寒くて寒くて。



そのあと、雨は夕方まで降り続き・・・、傘を持っていなかった私は温かいホテルでずっとゴロゴロ。同宿の人たちに、「マラソンを走るなんてすごい、完走おめでとう!」と言って記念撮影までしてもらい、ニコニコ。日没に近い頃にやっと雨は上がったのですが、もう外出する元気を失い、ゴロゴロ。

翌月曜日、テルミニ駅を早朝4時発の空港シャトルバスで空港へ、午前9時半にはブカレストに帰着していました、とさ。


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世界遺産前にゴールするマラソン大会 in Italy

2017-09-15 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


世界遺産前にゴールするマラソン、イタリアでも走っていました~ピサ・マラソン(2016年12月)。ピサのドゥオモ広場(Piazza del Duomo a Pisa、1987年に世界遺産登録)がその発着地点。



スタート地点は、正確にはドゥオモ広場から廻り込んだ一般道。このあたり路地も入り組んでいて、大勢のランナーを誘導するために一方通行やナンバーカードによる立ち入り許可区域が設けられて、スタート地点へは、早い目に移動するほうが安全。

ピサ市は大きな都市ではありません、すぐに市街地を離れ、トスカーナ州の緑豊かな丘陵地へ出ます。中間地点くらいで海岸沿いも走り、潮風を感じられるルート。開催は12月ですが、地中海沿岸なので、驚くほど暖かいです。

フィニッシュゲートは、まさにピサの斜塔(Torre di Pisa)の真横!ただ、この広場付近路地が入り組んでいるため、曲がり角の連続でゴール横の斜塔が見えるのは、手前100mくらい。



シーズンベストの3時間29分11秒(年代別優勝)。中盤までに「3:30」のペースメーカーに背中が見えないほど離されていたのですが、30キロ以降盛り返し、40キロ手前でぺーサーも追い越し、気分良くゴール。ランナーであふれるドゥオモ広場で記念撮影。



困ったのは、更衣場所。大勢のランナーが利用すべく設けられていた更衣センターは1キロ以上離れたところ。荷物を持って歩きたくなかったので・・・、世界遺産になっている広場の、そこらあたりの茂みで着替えました♪男性ランナーたちは、堂々と芝生の上で更衣。観光客も混在しているんだけど==。



12月のイタリアは、クリスマスムード一色。イタリア語で「Merry Christmas」は、「Babbo Natale」。



おまけの写真:


初めてピサを訪れた時。

ミニ知識:
ピサ市(トスカーナ州)のドゥオモ広場の正式名称は、奇跡の広場(ピアッツァ・デイ・ミラーコリ Piazza dei Miracoli)。11世紀から12世紀にかけてピサの繁栄の象徴ともいえる、洗礼堂・大聖堂・鐘楼・墓所回廊があります。



鐘楼(ピサの斜塔)は円筒形の8階建てで、階段は296段。傾きは地盤の弱さが原因とされ当初の予定の約半分の高さ(55メートル)で完成を余儀なくされました。傾斜増加のため1990年から立ち入り禁止となっていましたが、10年の改修工事を経て2001年12月に一般公開が再開。


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