ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

2008年1月号目次

2008-01-31 | 目次


A table of contents:

2008-01-01元旦マラソン
2008-01-02リクエストのあるお土産・日本酒
2008-01-05積雪40センチ
2008-01-06雪の中のジョギングコース
2008-01-07肉離れで途中棄権
2008-01-08選挙権が無い!
2008-01-09パリ・ダカ代替レース、ルーマニアへ!?
2008-01-10キーウィからのエアメール小包
2008-01-12肉離れ、その後
2008-01-13ブラショフの雪景色
2008-01-15天気良い連休
2008-01-16薄墨印刷の便り
2008-01-17大雪、その後
2008-01-18雪国のワンコたち
2008-01-19ブロックハウスの賢ネコ
2008-01-20第289回摂津淀川マラソン
2008-01-21大阪の雪
2008-01-23着地バランスの悪さ
2008-01-24人身事故&第1発見者
2008-01-25障害予防のために
2008-01-26姉妹会議de大阪国際女子マラソン
2008-01-27大阪国際女子マラソン、DNF
2008-01-28妹もDNF
2008-01-29大阪国際女子マラソン、収容バスの旅
2008-01-30在ルーマニアで献血出来なくなる!
2008-01-31人身事故、その後


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人身事故、その後

2008-01-31 | 日本のいろいろ


地下鉄駅での人身事故の影響を受けて夜遅くにやっと帰宅できた翌朝。新聞をくまなく捜しましたが、それらしき記事はありませんでした。「事故」ではなくて、やっぱり「自殺」だったのです・・・。 駅員さんもこっそり教えてくれていました、「人身事故、って言ってもね、ほとんど飛び込み(自殺)なんですよ。」
 


年間3万人を超す自殺者が平成10年から続いている状況。しかも統計によると、60歳以上の自殺者の割合が一番高いのです。日本では中高年の自殺率が高く、自殺者全体の6割を占めています。

中高年のうつ病、いや、中高年に限らずうつ病は自殺の引き金になります。私がホームヘルパーをしていたとき、一人暮らしの高齢の女性を自殺で亡くしました。夏のお盆で子供や孫たちが集まりにぎやかに過ごした後、みんなが帰ってしまって寂しくなり発作的にトイレの消毒液を飲んでしまったのです。

訪ねてきた人が発見し、救急搬送され胃洗浄など処置をしたのですが、集中治療室を出ることなく2日後に帰らぬ人となりました。私がそのお宅に週一度通い始めて2ヶ月あまりの出来事でした。うつ病、と診断されていた方でした。



年間3万人、という数字を単純に割り算してみると、一日82人の人が自ら命を絶っていることになります。「1都1道2府43県」で合計47地方公共団体。大阪のような人口の多いところだと、一日何人の人が自殺で亡くなっているのでしょう。府下の交通事故犠牲者の数よりも多そうです。この日本で・・・寂し過ぎる現実。自殺なんかでまわりの誰一人、失いたくないです!!


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在ルーマニアで献血出来なくなる!

2008-01-30 | 日本のいろいろ


ルーマニアに飛んで行ってしまって以来、縁がなかった健康診断。読んでいるブログから献血で健康チェックができることを思い出し、私も手っ取り早く出かけていきました。 
ところが事前の問診チェック項目で~、感染症等防止のため海外から帰国後4週間以内は献血できません。これは良しとして、ルーマニアに通算5年以上滞在していたら、献血できなくなるというのです。
 
イギリスを中心に発生している狂牛病などとの関連で、「安全が確認できるまで献血をご遠慮ください。」とのお触書が出ています。このお触書にユーロ圏のいくつかの国が列挙されていて、ルーマニアも含まれています。通算滞在日数の数え方もややこしいです。

でもルーマニアで狂牛病って、ほとんど聞きませんが・・・?それと、ルーマニア国内で鳥インフルエンザが発生したあとにも、まわりの人は結構平気でいつものようにチキンを食べていました??
 
念のため、日本赤十字社のweb-siteより記事を抜粋してお伝えしておきます。(以下、web-siteより)

「献血をご遠慮いただく場合」
 献血される方、輸血される方の安全のため、以下の事項に該当する方には、献血をご遠慮いただいています。ご理解宜しくお願いします。

海外旅行者及び海外で生活した方
(1)帰国日(入国日)当日から4週間以内の方
輸血を媒介して感染が危惧される疾患(ウイルス感染症等)によるリスクを軽減するため、海外からの帰国日(入国日)当日から4週間以内の方からの献血は、ご遠慮いただいております。

(3)変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)について
近年、英国を中心に発生している変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)については、輸血による伝播に関して未知の部分が多い一方、牛海綿状脳症(BSE)との関連も強く指摘されていることから、安全が確認されるまでの間献血をご遠慮いただいています。
(1) 英国に昭和55年(1980年)から平成8年(1996年)までに1日(1泊)以上の滞在歴のある方。
(2) 英国に平成9年(1997年)から平成16年(2004年)までに通算6か月以上の滞在(居住)歴のある方。
(3) アイルランド・イタリア・オランダ・スペイン・ドイツ・フランス・ベルギー・ポルトガルに、昭和55年(1980年)から平成16年(2004年)までに通算6か月以上の滞在(居住)歴のある方。(通算6か月の計算には(2)(4)の滞在(居住)歴も含みます。)
(4) スイスに、昭和55年(1980年)から今日までに通算6か月以上の滞在(居住)歴がある方。(通算6か月の計算には(2)(3)の滞在(居住)歴も含みます。)
(5) オーストリア、ギリシャ、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ルクセンブルグに、昭和55年(1980年)から平成16年(2004年)までに通算5年以上の滞在(居住)歴のある方。(通算5年の計算には(2)(3)(4)(6)の滞在(居住)歴も含みます。)
(6) アイスランド、アルバニア、アンドラ、クロアチア、サンマリノ、スロバキア、スロベニア、セルビア・モンテネグロ、チェコ、バチカン、ハンガリー、ブルガリア、ポーランド、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、マルタ、モナコ、ノルウェー、リヒテンシュタイン、ルーマニアに昭和55年(1980年)から今日までに通算5年以上の滞在(居住)歴がある方。(通算5年の計算には(2)(3)(4)(5)の滞在(居住)歴も含みます。)

一番上の写真は、献血者一人ずつに発行される「献血カード」。以前は「献血手帳」と言っていたものから一新されました。


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大阪国際女子マラソン、収容バスの旅

2008-01-29 | 日本でランニング
収容バスは暖房も効いていてテレビも付いています!わたしが乗り込んだときから早々に独走態勢となった福士選手の姿が映し出されていました。スタートのときにストップウォッチを押したまま、止めていなかったので彼女のハイペースが良くわかります。
 
最後尾ランナーの後ろをゆっくり進む収容バスに乗りながら、わたしはテレビ観戦を決めこみました。肉離れ再発してしまった左足はズキズキ痛むので、行儀悪く脚を前の補助席に上げて、くつろいでいるようにもみえます?!?(収容バスの中に氷やアイシング用スプレーがなく、シップと弾性包帯で圧迫だけだったのが残念でした。)
 
とにかく福士選手のペースは速いです。1キロ3分20秒ペース。大阪女子のこのコース、16.2キロに足切り関門があります。往路16.2キロ地点、復路23.9キロ地点、ここでコースが交差するのでこの地点で復路を走る先頭の選手に出会ってしまったら、往路にいる選手はレースを続けることができなくなるのです。
 
当時最速といわれたテグラ・ロルーペが来た時(1999)だってこの関門で引っかかったランナーはいません、どうぞ誰も引っかからないように・・・良かった!バスは誰も拾わず、無事16.2キロ関門京阪東口を通過。でも、すぐに復路から交通規制の先導パトカーが走ってきました。続いて計時車、そして福士選手。
 
バスの中から見たその走りはとても軽やかで、それでいてぐいぐい推進力がありました。トラックそのままの走りに見とれること一瞬~あっという間にすれ違って行きました。どこまであのペースで行くのかなあ?もしかして最後まで?~誰もが思っていただろう期待と不安をわたしたちも口にしていました。
 
そのまま土佐堀通りで第2集団に出会い、そこから一人、二人と単独走になっている実業団選手にも出会いました。すれ違うのは一瞬です、みんな真剣勝負。大阪の常連ともいえる小幡佳代子選手を見届け、バスは中ノ島へ。
 
中ノ島をぐるりと回り、御堂筋へとコースを取ります。ここでわたしたちのバスは淀屋橋にストップ。もう一台先行のバスだけが御堂筋に入り、わたしたちの乗ったバスは土佐堀通りに東を向いて止まりました。ここで先のバスが折り返してくるのを待つようです。
 
ここはまた観戦のナイス・スポット。新橋を折り返し、中間点を過ぎたランナーたちが、御堂筋から土佐堀通りに入っていくのです。バスが小休止している間に、2時間50分切りペースのランナーから最後尾まで、ずっと見ることができました。

何人も、何人も、知り合いのランナー、レースでともに走ったことのあるランナー、一緒に練習してきたこともあるランナーが走ってきます。でもまさか、収容バスの中から声援するわけにも行かず・・・いや、仲間の力走に思わず、時々バスの窓を開けて声をかけてしまいました~「バスから手や顔を出さないでください。」とバスに乗っている審判の先生からイエローカード!?
 
「走れるって、良いね。」と何度も思いました。「走れるって、良いね。」~妹とも同感しあいました。無理を承知で出走しリタイアした赤のユニフォームの友人とも、同感しあいました。
 
大阪国際女子マラソンに11回エントリーしていて、出走できなかったことが2回あります。1度目は沿道を移動しながら友人たちの応援、2度目は体調も悪く家でテレビ観戦。沿道に出たときにはわたしも興奮していたけれども、家に帰ってから沈み込みました。テレビ観戦したときには、家でずっと腐っていました!
 
今回は納得の上で出走し早々のリタイア、そして収容バスから観戦。また自分も走れるようになりたい、と元気をもらいました。肉離れ再発してしまったのは手痛いけれども、治さなくては。
 
その後バスは大阪城内28キロ関門(スタートから2時間10分以内)まで順調に進み、ここで満員になるほどのランナーを乗せたあと、復路のコースを外れ一般道を走り、長居競技場に戻っていきました。スタートから2時間50分くらい経過していました。たった今まで、スタンド内で福士選手の劇走を見ていた観客たちが大勢、競技場から出てくるところでした。続々と帰り道に進んでいきます。オリンピック選考会を見に来た人たちでしょう。まだレースは続いているのですが・・・。
 
今回のわたし、コースの最後尾を走る収容バスの中から顔をのぞかせながら、沿道のたくさんの人が、走れなくなってしまったランナーにさえ温かい声援を送ってくれるのを、いつも以上にありがたく受け止めていました。

収容バスを見上げる沿道の人のちょっと心配そうな顔、よく頑張ったね、とねぎらってくれる表情、バスに乗っていても良くわかりました。バスに向かって手を振ってくれる人も多かったからです。
 
きっとまた、元気に走れるようになりますように!いつもありがとうございます!!


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妹もDNF

2008-01-28 | 日本でランニング
予想よりもちょっと早く5キロ手前で収容バスに乗ることになったわたし、故障を抱えたまま走り続けている妹を追いかけていきます。 

バスのすぐ前には赤いユニフォームのランナー。もう少し前に妹がいるようです。マスターズの大会などで知り合ったその彼女も故障中、とてもフルマラソンを走れる状態ではようですが、懸命に走り続けています。痛々しいまでのバランス、悪いところをかばって彼女本来のフォームからは程遠いです。それでも走り続けています。
 
10キロを50分ほどかかっています、そしてその地点で走り止めました。一緒のバスに乗り込んできた彼女、先ほどわたしがコース脇にうずくまったときに追い越しざまに「わたしも調子悪いの。」と声をかけてくれていました。

「腰を痛めているんだけど、審判に止められるまで走ろうと思っていた。」と。何度も故障してスタートラインにすら立てなかったこともあるのをわたしも知っています。ベスト記録2時間50分台前半のランナーです。

もう一人ランナーを拾い、収容バスは進んでいきます。バスのすぐ前にはついに妹が。これもまたバランス悪く、無理をしながら一生懸命走っているのが後ろ姿からもわかります。「もう、無理せんとき(=無理しないで、の大阪弁)。はよ、やめて。」「あの子、脚悪くしているから、誰か止めてあげて。」というような気持ちで、その姿に涙が浮かんできました。

11キロを過ぎて、妹も走り止めました。「よく頑張ったね、もういいよ、脚、治そう。」~致し方ないです、覚悟の上。

そしてここからは、姉妹で巡る収容バスの旅~。(以下、続々編へ)


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大阪国際女子マラソン、DNF

2008-01-27 | 日本でランニング
応援ありがとうございました、収容バスの中からたくさんの人に出会いました。心配かけてごめんなさい。いやあ・・・脚、困ったです。せっかく良くなって来ていたのに、肉離れ再発。

スタートからの1キロごとラップ4:38、4:31、4:21と脚が動き、ペースがあがっていったとたん、ブチッ!~4キロ過ぎて止めました。痛みがなくなっていたので、治ったと思っていたけれど、治りきっていなかったのです。全治1ヶ月、といわれ、3週間を経過するところだったのでした。

コース脇でうずくまったわたし、あまり多くない後続ランナーに追い越され、妹も前に走って行きました。審判員の乗った車が止まり、何度か「止めますか?」~でももうちょっと走ってみたいです。

わたしの後ろは白バイ隊2台。痛めてしまった左ふくらはぎをさすったり歩いたりしているわたしを追い越していきません。わたしが走り止めるまで、最終ランナーの後ろを走るのが白バイ隊なのです。その後ろには交通規制解除を告げる車。これ以上迷惑はかけられません、両手でばってんマークを出して「棄権」の意思表示。バイク隊はわたしをすぐに追い越していきました。

長居公園を出たばかりのところなので歩いて帰っても知れていますが、急性の肉離れ直後は何せ安静が第一。前に走っていった妹も追いかけたいし、収容バスに乗せてもらうことにしました。そして収容バスツアーの始まり~。(以下、続編へ)

:*:`☆、。・:*:`★、.。・:*:`☆、。・:*:`★、.。・:*:`☆、
summary in English:DNF in Osaka Ladies Int'l Marathon
Yesterday I started to run Osaka Ladies Marathon,
but I injured my left leg(calf) again.
I could not run any more and stopped.
I need time to recover.


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姉妹会議de大阪国際女子マラソン

2008-01-26 | 日本でランニング


週末の大阪国際女子マラソンに向けて、姉妹会議が行われました!いや、たいそうなことはありません、お互い12月中旬に故障してしまい十分な練習ができていないので、出走をどうするか話し合ったのです。
 
姉の意見:スタートしても完走はとてもおぼつかない、マラソンの距離はハンパな距離じゃないし(=実際にはハンパな数ですが!)、ごまかしが効かない。女子マラソンは制限時間が厳しいから、ジョグでは完走はできない。走り始めればゆっくりでも完走、という選択肢は無く、関門にかかるか、さらに足を痛めて途中棄権するか、二つにひとつ。いずれにせよ、故障が悪化するのは目に見えている。よって、出走は最悪の選択。
 
妹の意見:今年が最後のチャンスだと思って夏ごろから頑張ってきたので、今走れなくても、スタートラインに立ちたい。スタートしたい。長居競技場で周回遅れになっても、審判から止められるまで走りたい。
 
妹の気持ちもわかります。2005年を最後に参加資格を失い、今回3年ぶりの復活。同居のお姑さんの病状が悪化の一途をたどり、いつ自分が介護に専念しなければならなくなるか、秒読み段階なのです。今年をあきらめて、来年に向けてさらにまた1年間、継続してトレーニングを積む時間があるかというと、何の保証も無いのです。私の留守中は、実家の母のことも抱え込んでくれる妹なのです。
 
「それで、脚の具合はどうなの?どれどれ?」~わたしが妹の故障の箇所を見てみると、くるぶしまでぷっくりと腫れあがっています~「え!!この状態で走るの!!」、妹は偏平足から来るひずみで、足首近くにある三角靭帯を痛めているのです。

驚きました、とても走れる脚とは思えず、休んだほうが良いに決まっています。年末から妹もハリの先生にもお世話になり、「これでもましになったほう。熱も今は持っていないし。」~今日も午前中、治療に行っています。
 
わたしの脚は、おかげさまでハリ治療も功を奏してゆっくり30分位ならほぼ異和感無く走れるようになってきました。心配なのは完治していない肉離れの再発。ほぼ治った様子、とはいえ、スロージョグと1キロ4分半で走るのではスピードがまったく違うので、筋肉の落ちてしまった脚に負荷が大きすぎます。
 
でも、わたしの決心は。妹と一緒にスタートし、妹が走れるところまで走ることにしました。リタイアをしたとき、一人で収容バスに乗るよりも姉妹二人で居たほうが気が紛れます。ショックも半分。
 


女子マラソンは一般の市民マラソン大会とは違う、今回はオリンピック選考会までかかった大会です。その大会の趣旨にまったく反するかもしれないけれども、わたしにとっては大事な妹です。多くの女性ランナーの目標になるような大会です、懸命に参加資格記録をクリアしてきた人たちからはわたしたちの甘さを笑われるかもしれません。でも、今回は妹を見守ることにしました。妹が走り止めるところまで、姉は走れるかな?
 
わたしが走っているのを見て、1年遅れで国際女子マラソンに追いついてきた妹です。地方のフルマラソン大会で、ふたり揃って年代別優勝&ワン&ツー・フィニッシュをしたときには喜びダブルのさらに二乗でした、そんなこともあった・・・二人で走っている私たちです。


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障害予防のために

2008-01-25 | 日本でランニング
わたしの故障は長年の着地バランスの悪さから来ている、とわかってきて、何か対策を探していたら、スポーツトレーナーの先生から情報をいただきました。いずれも足裏に近い部分において効果を発揮してくれるもの。

その①
RunDesighのオーダーメイド・インソール



「歩くことを快適に、走ることを機能的に」をキャッチコピーに、一人ずつの足形に合わせ要望も聞きながら作ってくれるインソールのお店。場所は京都市内。
以下、web-siteから抜粋。上の写真はsiteからいただきました。

>インソールの必要性
人の体は彎曲とねじれが存在し、この彎曲とねじれの度合いがアライメント(骨、関節、いうなればO脚、X脚や扁平足、凹足など)との関係で関節に負荷が加わり、スポーツでの障害発生の大きな原因の1つといえます。インソールはアライメントを医学上理想の状態に近づけ、関節に無理なく効率的に体重移動を行うために重要な道具の1つでもあり、起こってしまった傷害に対してのアプローチ、もしくはこれから起こりうる傷害に対しての予防対策でもあります。

>フルカスタムインソール
トップアスリートのハードでシビアな環境に対応することで、私たちは独自のインソール形状と、激しい動きに耐えられる素材を選び出し提供してきました。プロスポーツの世界で磨きぬかれた私たちの技術力は足、膝、股関節の屈伸、歩く、走るなどの動きを観察するほか、身体的特徴、骨格、受傷部位も考慮して製作し、一般のスポーツ愛好家の方々の下肢のトラブルや、それらが原因で引き起こされる様々な問題に対しても、有効なインソールを提供することができます。

詳しくはこちらから。


その②
かかとに装着するマウント・シェル(商品名)



以下、web-siteから抜粋。上の写真はsiteからいただきました。

>マウント・シェル
マウント・シェルは、スポーツによる足関節の障害予防や治療に効果を発揮します。マウント・シェルを正しく着用することで、ランニングやジャンプなどの足関節および下腿へのパフォーマンスは大きく向上します。
健康維持の基本は歩くこと。しかし、足首に異常があるのに歩行を続けると、健康維持どころか、身体の軸が傾き、足首の異常や下半身、しいては身体のバランスを崩し、全身に悪影響を及ぼします。マウント・シェルは、着用することで足の踵から腰までの軸が正しく形成され、自然に正常な歩行が可能となります。

詳しくはこちらから。


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人身事故&第1発見者

2008-01-24 | 日本のいろいろ
昨夜11時に近い時刻、ハリ治療からの帰りに利用する地下鉄線が止まっていました。途中の駅で30分ほど前に人身事故。新型地下鉄で少し小型の車両を利用しているため、線路と車両の間の空間が少なく、車体に巻き込まれてのかなりの事故だったそうです。

「申し訳ございません。」と頭を下げながら説明してくれる駅員さん。駅員さんは何も悪くありません、でも丁寧に謝ってくれるのが日本式(ルーマニアだとそうは行きません、「僕ノセイジャナイヨ。」とプイと横を向いてしまうかも?)
 
電車が動くまでにまだしばらくかかりそうということだったので、「事故はどうだったんですか?」とたずねてみました。
 
事故にあった人は車両の下に巻き込まれてしまったので、ジャッキで車体を持ち上げて助け出しているそうです。でもそんな状況で助かるの?~「おそらくは飛び込みでしょうね。」と駅員さん。
 
地下鉄構内で事故のあった場合、警察や救急に通報してもまず最初に事故にあった人を助けるのは地下鉄の駅員さんの仕事。目の前で人が飛び込むのを見た運転手さんも肝を冷やしますが、助け出すのがまた大変。からだが傷ついている場合など、「身体がばらばらになっていたら、ちぎれたところを全部探し出さないといけないし、しばらくは肉が食べられないですよ、わたしも経験あるけどね。」と、これまた駅員さん。
 


う~ん、この一言でわたしも思い出しました。飛込みではありませんが、木にくくりつけた紐で首をつっている人を発見してしまったことがあります。3年も前のことになりますが、いまだその木のある道は通ることができません。

生駒山へあがるハイキングコースのひとつで、とてもお気に入りのコースでした。その日もいつものように駅からジョギングで山に入ろうとスタート。集落を抜けてハイキングコースに入ってすぐのところでした。

細いハイキング道が下っていたので視線を足元に配りながら走っていました、ふと視野の端に何かはためいているようなものが見えました、「洗濯物でも干してあるのかな?」~でも、足元注意しなければならないので、焦点をそちらに持っていかず、足元だけを見て走っていました。
 
何かある、と気付いたものに一番近づいたとき、「え!!人がぶら下がっている!!」~初めて気付きました~でも脚がジョギングモードだったので気付いたときにすぐさま止まることができず、真横を通り過ぎてしまいました。
 
「助けて===!!!」、振り返ることもできず、ものすごいダッシュをしていました。あとで考えると、なぜわたしが「助けて~」なの?でもそのときはものすごく怖くなって、とにかく誰かに知らせなくては、と、猛スピードです。
 
ここらあたりの管理センターともいえるふれあいセンターまで2キロあまり、走りに走りました。センターの敷地近くになってハイキング客に出会いました、「あわわゎゎ、あなた、脚、地に付いていますか?!?」などとものすごく変なことを口走っていました。出会った人はキョトン?「わわゎゎたし、今、この下で、木で首を吊っている人、見たんです、嘘じゃないです、これからセンターに知らせにいくところです。」
 
センターに到着してもまだ、わたしは慌てふためいています。あごもガクガクしてこわばっています、「あぁわゎゎたし、今、この下で、木で首を吊っている人、見たんです、本当です!!」わたしがあまりの血相なので、センターの人は「はい、ゆっくり聞きましょう。」と促してくださいました。
 
「助けて===!!!」と叫び続けながら走ってきたので、声もかすれているわたし、場所と状況、時刻などを説明して、センターから警察に通報してもらいました。そして第1発見者たるわたしは警察の到着を待って、現場まで警察の人たちを案内しなければならなくなったのです。

パトカーに乗せてもらってハイキングコースへの入り口までアプローチ。この間、第2発見者からの通報もあったようで、「ただいま、第1発見者と現場へ向かっています、場所からして同じものと思われます。」と無線へ応答。
 
ハイキングコースを一緒に歩いて現場に向かいましたが、「その先を曲がったところです。」まで案内して、わたしは立ち止まりました。道を進んでいく警察官たち。「どうやー。」「見つかったー。」「まだ新しいぞ。」etc. 担架を持って進んでいった救急隊員が、その人を木から助けおろしたようです。
 
警察の人にも状況を説明して、これはほぼ事件ではないだろう、とのこと。事件だったらまた事情徴収があると言われていたのですが、その後の連絡もありませんでした。
 
その日の夜はなかなか寝付けませんでした。その日からしばらくは、洗濯物のズボンが干してあるだけでドキッとしました。Tシャツが風になびいていても怖かったです。公園のトイレなどを利用するときにも、個室の中に何かいるのでは、とこれまた怖かったです。


 
その後かなり長い間、「よっぽどの事情のある人、どうぞ成仏してください。」と祈るしか無かったです。今でも一瞬見ただけでまぶたに焼きついてしまった光景を思い出すのが怖くて、その道を通ることができません。

・・・でも、第1発見者としては、「救助」をしなければならなかったのかしら?今日の事故でふと、気付きました。う~ん、とてもとても・・・誰かに知らせるだけが精一杯でした。やっぱり今一度、「どうぞ安らかに。」と祈るしかないです。
 
この3年前の話、あまり誰にもしゃべったりしていなかったのですが、ついにここに載せてしまいます。少し気が楽になるような・・。(こんな話でごめんなさい、読んでくださった方、ありがとうございます。)


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着地バランスの悪さ

2008-01-23 | 日本でランニング
 

いつ写真を撮ってもらっても右足が着地した直後というのはこんなバランス。レース中にある程度のスピードで走っている場合。
>よく捻挫しないもんです。とハリの先生に言われる代物。

右足は過去にスキーでひどい捻挫をしたので、関節がゆるくなっているためと思われます。関節袋、かな?とりあえず、こんな着地です。
 
これが主原因となって、今、痛めているところ。
①右ひざ(12月三田ハーフ以降に痛みの出たところ)。
②右ふくらはぎ(11月4日アテネマラソン後半で痛みの出たところ)。
③右土踏まず(夏ごろからずっと硬く固まってしまっているところ)。
④左の肉離れ(急性だったけれど、いまは治りかけ)。
 
右脚全体のバランスが悪く、特に股関節の動きが悪すぎ。走っていても右股関節部分に何か引っ掛かりがあります。外旋のストレッチのスムーズさが左右でまったく異なり、右脚の動きはどうしようもないです。
 
ダンス出身なので身体は柔らかそうに見えますが、実は動きをごまかしているだけ、と言うこともわかってきました。でも、このような身体の動きなので、流しは快調にできません。
 
右ひざ云々言う前に、抜本的にフォームのひずみから来ているようです。木の枝の両端を両手で持ってひねったら、持っている部分が壊れるのではなく、たいてい真ん中あたりがねじり折れる、この理屈で最後にひずみが来たのが右ひざ。
 
当面痛いところをハリの先生にお世話になりながら、ゆっくり走りながら、ストレッチや軽い筋トレなどでほぐしていくのが方向性。


:*:`☆、。・:*:`★、.。・:*:`☆、。・:*:`★、.。・:*:`☆、
summary in English:
I take treatment by the acupuncturist.
My legs are much better than before, but not enough to run 42km.
There will be Osaka Ladies Int'l Marathon next Sunday...
I may skip or will start.


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