ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

2017年9月号目次

2017-09-30 | 目次
A table of content:

2017-09-01 ルーマニアとカナダの合作
2017-09-02 これがクマの足跡だ!
2017-09-03 ここも熊が名物、ツシュナド・マラソン
2017-09-04 マラソンエイドのフルコース・ディナー、もちろんお酒も!
2017-09-05 エイドが豪華なマラソン大会 in France
2017-09-06 事故後にできた歩行者用の橋
2017-09-07 ハンドメイド・平仮名
2017-09-08 日本・日本語への情熱
2017-09-09 世界遺産をたどり⇒世界遺産前にゴールする、ダチア・マラソン
2017-09-10 世界遺産前にゴールするマラソン大会 in France
2017-09-11 野生の熊たちを追い詰めないで!
2017-09-12 『職場仲間が一番の家族だ』~日本人の働き方
2017-09-13
2017-09-14 今年も開催、国境橋越えロードレース
2017-09-15 世界遺産横にゴールするマラソン大会 in Italy
2017-09-16 世界遺産を走り抜けるマラソン大会 Capial in Italy
2017-09-17 ブカレスト、残暑の33℃!
2017-09-18 太陽照り付ける国境橋ロードレース
2017-09-19 森の中のボランティア
2017-09-20 ユネスコの世界遺産 in Romania
2017-09-21 大嵐を待っていた宵
2017-09-22 『Adidas Runners in Bucharest』 発足
2017-09-23 まだまだ油断できない空港バス
2017-09-24 アフガニスタンからの訃報
2017-09-25 第20回ロッテリーマラソン大会
2017-09-26 お酒、タバコは何歳から?
2017-09-27 ブロックハウスの防寒対策
2017-09-28 日本語ガイドツアーに出発する彼女へ
2017-09-29 一語、二役&三役
2017-09-30 2017年9月号目次


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一語、二役&三役

2017-09-29 | ルーマニア語・いろいろ
同音多義語というのは、ルーマニア語にもたくさんあります。日本語では、高低アクセント(ピッチアクセント)の違いで区別しますが、それもまた地方によってばらばらだったりするので、ややこしくもあり、興味深くもあり。



「橋」・「端」・「箸」のアクセントの違い、非常に地方性あり。上のホワイトボードの表記は、大学生の日本語クラスにて、標準アクセントの紹介。「端」を、ハシの2文字が高い音として発音している私は、典型的な関西弁。標準語ではハが低くてシが高くなります。



さて、ルーマニア語では、アクセントも同じ、発音も同じの同音多義語がたくさん==。

たとえば、「liliac」(=リリアック)、と言えば、初夏に咲く紫の花、ライラック(フランス語名リラ)、そして、コウモリ。ドラキュラと一緒にやってくる、羽のあるネズミみたいな小動物。二通りの意味があり。

動詞はもう少し、複雑。例えば、「a cadea」は、ニュアンスは似ていますが、日本語では三通りに訳すべき動詞。

・(鞄が)落ちる
・(木が)倒れる 
・(弟が)転ぶ

日本語クラスの大学生の作文で、「僕はスキーが得意です。最初はよく、落ちましたが、練習して上手に滑ることができるようになりました。」

スキーで落ちる?スキーが落ちる?リフトから落ちる??

伝えたい内容を詳しく聞いてみると、ルーマニア語では「a cadea」を使っているところを、「落ちる」と日本語に訳したのです。この場合は、「転ぶ」と訳するのが正解。



名詞に戻って、「limba(複数形limbi)」も、三通り。「言語」・「(時計の)針」・「舌」。どれもよく使います。
時計の針は通常、長針と短針の2本あるので複数形で「limbi」、「何か国語を話しますか?」と尋ねるときにも「言語」を複数形にして「limbi」。



では、こんなマジック書きが、公衆トイレの個室ドアの内側に書かれているとしたら?
「dau」は、「(一人称単数形で、私が)与える」。・・・想像に易いです、まさか、「語学レッスン←言語を与える」ではあるまいし。

(11年以上続けているこのブログ初の、下ネタ公開==!~ブログ記事に添えるために個室内で写真撮影しました、他意はありません==)


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日本語ガイドツアーに出発する彼女へ

2017-09-28 | ルーマニア・わたしの日常

(一番の名所の一つ、シナイアのペレシュ城、秋の始めに訪れた時の一枚)

日本語堪能で、日本語通訳もされているルーマニア女性の友人が、観光会社に就職し、日本人団体観光客を引率して初めてのガイドツアーに出ることになりました。各地の観光名所で、説明するべき事柄がいっぱい~会社から資料を渡され、これ、全部間違いなく言えるかしら、と不安な彼女。

私も人と接する似たような仕事をしていたことがあるので、初めてのガイドツアーに向かうときのちょっと不安な気持ち、判ります!

ルーマニアの歴史や地理や観光案内など、たくさんの資料があると思いますが、それらを正確にお客様に伝えることよりも、もっと大事なことは、お客様に楽しく旅をしてもらうこと。ルーマニアに行って、楽しかったな、と思ってもらえること。


(観光名所、ブラン城、ドラキュラ城としていつも賑わっています)

そして、楽しいという雰囲気を作るのは、通訳ガイドのお仕事です。観光案内を正確に全部話そうと思うと、緊張して笑顔が無くなることもあります。これは、本末転倒。それに、お客様が「聞く」だけになってしまっては、楽しい雰囲気は作れません。

お客様と、できるだけたくさん、会話をしてあげてほしいです。ヨーロッパ方面でも、フランスやイタリアではなく、ルーマニアやブルガリアまで足を延ばそうというお客様は、たいへん、旅行がお好きな方々ばかり。いろんな所へ既に言っておられると思われます。旅自慢の方々が多いので、つまり、お客様自身が、お話し好きな方が多いと思われます。

「会話」はすなわち、通訳ガイドとお客様をつなぐ一番の手段。「観光案内」だけでは一方通行になりがちなので、お客様からもいろんな話を聞き出してあげてほしいです。

「あのガイドさん、日本語でいろいろ説明してくれた。」よりも、「あのガイドさん、説明もしてくれたし、私たちといろんな会話もしてくれて、すごく日本語が上手だった。」が、一番印象に残ると思います。


(雪のブラショフ、トゥンパ山からの眺め、今年4月22日の予想外の市街地積雪)

初めてのガイドツアーが終わったら、ぜひ、彼女から、話を聞いてみたいものです、どんな苦労話が飛び出すやら~♪


追記:
「ヨーロッパからのお客様は、ヨーロッパの歴史を良く知っている人も多いので、ルーマニアの歴史を説明するとき、間違ったことを言っては大変。おまけに細かく質問が来るかも。でも、日本人のお客様は、ヨーロッパの歴史にそこまで詳しくない人が多いので、一通りを説明すればいいから、ちょっと気が楽。」とも、言っていました、彼女。楽しいガイド旅行となりますよう。


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ブロックハウスの防寒対策

2017-09-27 | ルーマニア・ブカレストの日常


ブカレストの80%の市民が住んでいると言われている『ブロック』と呼ばれる集合住宅。とくに共産主義の時代に建てられたものが、通称『ブロック』で、最近のものは、『アパートメントハウス』。



築30年以上のものも多いことから、順次、外壁の改修工事が進んでいます。我が家では、10年近く前(2008年夏)に済ませているこのリフォームは、外壁の上に、厚みのある発泡スチロールの断熱材を貼り付け、その上から塗装するというもの。

・・・お手軽で簡便だなあ、と思っていたら、我が家の外壁はすでに、塗装の上から小さな亀裂が入っているところもあります。

それでも、今でも、改修工事はこの工法。外壁に周りに足場を組み、その足場と言えば安全柵も防護幕も無し。作業員たちが身軽に歩き回っているけれど、何の保護もないので、時々突風などで落ちる人もいるそうです。



この発泡スチロールの断熱材の威力は大したもので、これと二重窓のおかげで外気温が遮断され、保温性が高まっているのが実感できます。(蓄熱性が高い、というわけで、夏は夜になってもいつまでも熱気がこもっている=)真冬にはマイナス20℃を下回ることもあるブカレスト、住宅は防寒を中心に設計されているのです。



先週水曜日のブカレストへの大嵐襲来予報は完全に空振りで、次の日(木曜日)はまだ日中暑くて、ノースリーブの人もちらほら居たけれど、夕刻から急に気候が入れ替わり、週末になると最低気温は10℃まで低下。

そして今週末は、最低気温が3~4℃まで下がると予想されています。週明けにはすでにカロリフェールの試運転~カロリフェールは工場で作られたお湯がパイプを通って各戸を循環して、集合住宅全体をを温めるルーマニアの暖房システム。ごく短時間ですが、このカロリフェールの配管パイプに水が流れてきて循環のテスト。

たいてい10月の半ばには、カロリフェールの運転開始。「今夜からカロリフェールが供用されます。」とテレビニュースなどで流れ、おしゃべり好きなルーマニア人が「今日からお湯が流れて来るよ。」と話題にするので、すぐにそのニュースは伝わります。



このカロリフェールの屋内配管も大したもので、壁にむき出し。こちらのお宅のキッチンのカロリフェール配管、ご丁寧に湾曲までしています。というのも、お湯が流れて来るので、パイプ自体もかなり温かくなるので、これで少しでも室内を温めよう、という作戦。

日本の設計だと、配管類はすべて壁の内側に収め、壁面をすっきりさせるのが普通ですが、暖房配管となると話は別。無駄なく利用するのが得策。

さあ、今年はいつからカロリフェールが温かくなるかな=?


関連記事:
外壁工事、足場も組まず宙づりで行われることも~2010年の記事はこちらから。


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お酒、タバコは何歳から?

2017-09-26 | ルーマニア&あちこちで・びっくり
日本語レッスンからの話題です。助数詞の一つ、年齢の数え方を教えていたとき~「20歳は、特別に『はたち』と言うのよ。日本では、二十歳から大人とみなして、お酒もたばこも許されます。」と、熱弁をふるい~♪

「ルーマニアでは、18歳が大人の仲間入りの年齢ね、パーティをして盛大に祝うわね。」と、これまでに見知ったルーマニアに関する知識も加え。
「だから、ルーマニアでは、18歳からお酒とたばこが許されるのかな?」と、逆に生徒に振ってみると。

「??、そんなルールは無いと思う。クラスの友達だって、タバコを吸っている子もいるし。第一、ルールがあっても、だれも守らないと思う。」と、返答してくれたのは11歳、5年生のロキシーちゃん。

はあ? この地、ルーマニアでは、未成年でもたばこ&アルコール、公認なの!?!



そういえばブカレストで、ドイツ人家族のバーベキューに招かれたとき、そのお宅の子供さんがソーセージを焼いてくれていました、ビール片手に。

「そうか、ドイツ人は、バーベキューと言えば、ソーセージを焼くのか=!」と、次々BBQ網の上に乗せられる、多種多様のソーセージに目を見開らいたものです。(=始めから終わりまで、ソーセージづくしだった!!)

と同時に、どう見てもまだローティーンの少年が、瓶ビール(たぶん330ml)を一本明け、二本明け、三本目を手にしていても、(火のそばだから暑かったに違いなし)、何も言わないご両親と大人たちに驚いたものです。さすが、ビール王国、ドイツ、と逆に感心!



『お酒、タバコは何歳から?』という疑問を胸に抱いたワタクシ、マドモワゼル、次の家庭教師先は13歳のアディナちゃん。ご両親も大の日本ファンで、レッスンが終わってから、ご両親も交えて四方山話が続きます。

ここで尋ねてみよう、タバコは何歳から?~お父さまは警察官、こういった規則に詳しいし、遵守を世間に説いておられるに違いない。

まず、日本の事情から説明を始めて~「日本では、例えば高校生がタバコを吸っているところが見つかると、教師はそれを戒め、学校から何日間かの謹慎処分をもらいます。」

「やっぱり、日本はきっちりしているね。」と返答してくれたお父さま、続けてこの地での事情を~「生徒がタバコを吸っていて、教師がそれを取り上げたりすると、警察沙汰になる。」~なるほど?

「親が出てきて、『なぜ、うちの子のタバコを取り上げるんだ。教師が子供のタバコを取った。』と、警察に通報することもある。」~はあ?教師がタバコを盗んだ??

そんな訳はないと思われますが、教師の立場でこのような指導をすると、『取り上げた』=『盗んだ』と、クレームをつける親もいるそうです。

「これがルーマニア人のメンタリティー。」と、完全にあきらめムード。例えば、スピード違反を取り締まっても、「なぜ、お前が俺の運転にケチをつけるんだ!?」と、逆切れする人、多いそうです。

「警察官」とは人々のあら捜しをして取り締まる、「くそ食らえ!」の奴ら、と、思っている人が多いのです。(これは、警察官であるマイダーリンも同じ意見、「警察官なんて、誰も尊敬していない。」と。))

あら捜し、じゃないですよ、法律違反・規則違反・ルール違反は、やっぱり駄目だと思うけれど=。

(そう思っていないルーマニア人、結構多いから、規則遵守を人に説くと、「お前に何の関係があるんだ、くそ食らえ!」となるわけで==。)


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第20回ロッテリーマラソン大会

2017-09-25 | 海外&ルーマニア・マラソン大会

 

このブログではずっと、「クロス・ロッテリー(Crosul Loteriei Romane)」として紹介、ルーマニアの宝くじ会社が主催する5キロのマラソン大会。今年で20回目を迎えた老舗大会。国民の館前広場をスタートし、統一大通りをアルバ・ユリア広場手前まで行って折り返してくるフラットなコース。
 


2005年から、一度だけ走らなかった年があるけれど(ダブリンマラソン遠征に行っていた)、それ以外ずっと参加、年代別2位になったのは1度、3位以下に落ちたことはありません、というわけで、年代別優勝の常連。ダントツのトップを独走中の年代別優勝回数で、主催者からもすっかりお馴染み。テレビの公開宝くじ番組にゲスト出演したこともあるほど。


 
参加し始めたころは、総合優勝者に国産のダチア車が副賞として贈られるとあって、ルーマニア国内だけでなく、隣国モルドヴァ共和国からもプロランナーが走りに来ていたものです。そのころの、年代別優勝の賞品は、自転車や大型テレビ・DVDプレイヤーなど。ジュニアの部には、ノートパソコンなどが贈られていました。
 
ここ2011年から賞金制になり、その賞金も当初は部門別の若いクラスが優遇され、ベテランの部は少なく贈られていたのですが、そのうちその賞金額も統一されるようになり、一番多い年で、優勝賞金3000レイをいただいたこともあります(2011年)♪(所得税が差し引かれるので額面通りではなく、手取りは2520レイ)
 
その賞金額は、毎年変わっていて(~会社の予算によるのかな?)、例年、事前に告知されています。賞金額を調べずに参加した年、宝くじ会社の賞金払い出し窓口で2000レイ近くをもらって、びっくりしたこともありました(昨年例)。
 
さて今年はどうかな?~完全に賞金をゲットする気分で参加。ナンバーカード引換所で賞金額を確認すると、部門別優勝800レイ、以下、500・300・200・100レイと5位まで表彰。これまでで一番少額の賞金・・・、会場を見まわしてみると、エリート選手の参加が少ないです。100レイでもいただけると嬉しいけれど、エリート選手にとってはこんなところで力を費やしていられないかな。
 
同年代のライバルを見渡して、これは完全に勝たなければならないレースになってきました。しかし、昨今の気候の入れ替わりで体調がすぐれません。

前日も、夕方6時ごろに疲労感と睡魔に襲われベッドにバタン。暗くなった8時ごろに一度起き上がったものの、食欲がわかずヨーグルトを食べただけ。マイダーリンも外国マラソン遠征中なので、かまう相手も無し。というわけでまた寝てしまいました。週明けからずっと左ひざがはれているのも心配。明らかにぷっくりと腫れているのです。
 
直前に足の親指の爪が剥がれるというアクシデントもあり、これまた不安に。でも、5キロなら、脚がちぎれない限り大丈夫だろう、と膝にはしっかりサポーター、足指にはテーピングをして出走。
 
よっぽど体調の悪い時以外、同年代のライバル、イオアナをマークすることは無いのですが、この日はイオアナの後ろで走り始めました。折り返し手前になって、やっと前に出て、少しペースアップ。イオアナは、トラックで1500mや3000mを走っているので、ゴール手前の小競り合いになると、危ういです。ロングスパートしておかなければ。
 
何とか危なげなくゴールでき、年代別優勝。実はイオアナは私よりも2つも年上。それでもスピードを誇る抜群のライバル。
来年になると、私たちの年代別クラスに、元国家養成選手で日本の国際駅伝にもルーマニア代表で走っていた、ダニエラ・ペトレスク(=結婚後の姓)が上がってきます。やはりスピードの地力が違います。

「この大会で年代別優勝できるのも、今年が最後。来年は、ダナ(=ダニエラの愛称)が上がってくる。」
とつぶやくと、男子50歳以上の部で58歳ながら2位に食い込んだステファン・チョキーナが、「そんなこと、だれが知っているんだ。やってみないとわからない。」と一刺し。

そうか=、このようなモチベーションでないと、「勝ち」に行けないんだ!

ステファン・チョキーナは、同じ年代常勝だった4歳年下のヴラッド・ビクターに、最近は何度も勝利しています。今年は、ビクターが足の故障で欠場、50歳になったばかりのステファン・オプリナは、同日地方都市で大会を主催していて不参加。でも、もう一人ライバルがいました、同じく50歳になったばかりのダニエル、残念ながらダニエルからは後着でしたが、ほかの同年代を押しのけ、堂々の2位入賞です。

歳は考えないこと、関係ない、というのがステファン・チョキーナの信条。脚や身体のあちこちは痛いけれど、ワタクシ、マドモワゼル、見習えるかな。


関連記事:
もう13回も参加しています、いろいろありました==。過去のクロス・ロッテリーの様子です。

2014年、何時も嬉しい表彰式の様子はこちらから。

2012年、この年から年代別が細分化、年代別クラス分けのなかでも、都合よく若いランナーとして出走できました、こちらから。

2011年、この年のベテランの部優勝賞金は3000レイ!(一般の部は6000レイ)、こちらから。

高額賞金だった2011年、ゴール手前でズルをしてきたランナーが横入りのスキャンダル、こちらから。


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アフガニスタンからの訃報

2017-09-24 | ルーマニア&あちこちで・びっくり

 
また一人、ルーマニアからの派遣兵がアフガニスタンで命を落としました。ルーマニアは親米政策で、イスラム原理主義組織タリバンを圧倒するため、という北大西洋条約機構(NATO)軍に協力し、2002年から兵士を派遣していました。その後、オバマ前政権が現地からの撤収を進めていた2014年、その政策に従ってルーマニア兵も派遣打ち切り、と報道されていたのですが・・・(ブログ内、記事はこちらから。)

そのあと、新たに駐留していたルーマニア兵が、アフガニスタン軍の装束をまとったタリバンからの刺客テロに命を落としたのは2016年、2人が犠牲になりました。

(2015年秋に知り合ったラン仲間のご主人が、アフガニスタンの首都カブール駐在の国際警察官なので、この事件は鮮明に覚えています。ラン仲間のご主人はオフィス勤務の警察チーフですが、何が起こるかわからないアフガニスタン。1~1カ月半の駐在 + 2~3週間の休暇でルーマニア帰省を繰り返しておられます。)

そしてこの9月、アフガニスタンでの任務に就いていたルーマニア兵が、戦闘状態ではないところでしたが、任務遂行中に命を落としました。

NATO軍をリードするのはトランプ政権、持論として早期撤収方針だったはずが、先月21日、「拙速な米軍撤退は過激派がつけ込む力の空白を生み出す」として、方針転換。
 
亡くなったルーマニア兵は、初めてのアフガニスタン派遣。41歳の働きどころで、12歳の娘さんもいます。トランプ政権の方針転換後に派遣されたのかどうか、任務に就いた時期はつかめていませんが、それらは今となっては問題ではありません、失われた命は決して戻ってこないから。


 
このニュースが伝わってきた翌日、たまたまその近くを通りかかったので、ふと思い出して、ルーマニア軍隊英雄の慰霊碑を訪れてみました。ブカレスト市内ティネレトルイ公園の近くにあるこの慰霊碑には、現在のルーマニアになってからのルーマニア軍として、任務中に命を落とした兵士たちの名前が刻まれています。
 


今回犠牲になった兵士のために、既に慰霊の花飾りが供えられていました、彼の顔写真と共に。写真は、テレビニュースで見たのと同じ、軍帽を被らない制服姿でした。「英雄よ、あなたを決して忘れない。」と添え書きされた花飾り。地方出身であった兵士、ブカレストに花飾りの供え主となる縁者がいるのか、または関係者なのか。彼の死を悼んだ有志なのか。

(記事内の写真は、すべて直近のルーマニア軍隊英雄の慰霊碑。碑を守るため、昼夜を問わず2名の兵士が詰めています)

ご参考に:
慶應義塾大学 経済学部 延近研究会共同研究「イラク戦争を考える」より、【アフガニスタン戦争における犠牲者数】はこちらから:

膨大な数のアメリカ兵が、アフガニスタンで命を落としています。半端な数ではありません、悲しむ家族はもっと多いはず。
多い時には、アフガニスタンには平和維持のため、北大西洋条約機構(NATO)軍の主力部隊として最盛期には10万人の米軍が駐留していたといいます。

オバマ前政権が撤収を進め、今年の夏現在、8400人の駐留。しかしながら、トランプ政権による約4000人の米軍の追加派遣決定(先月21日の戦略発表による)・・・。テロとの戦いは泥沼化、混迷の一途をたどっているのです。


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まだまだ油断できない空港バス

2017-09-23 | ルーマニア&あちこちで・びっくり


マイダーリンをオトぺ二空港で、ポーランド・マラソン遠征に見送っての帰り。市内中心部に向かう空港バス783番に乗っていた時の出来事。

ちょうど正午すぎだったので、空港バスはたくさんの到着客で一杯。おもに外国からのお客様、車内は聞いてもわからない言語が飛び交っています。

4人掛けの一席にワタクシ、マドモワゼル、向かいのカップルはイタリア人らしい、この地に友人がいるらしく「ボンジョルノ~、僕たち来たよ=」と電話でしゃべっています。

私の隣の一人客も、宿泊ホテルのバウチャーを取り出し、地図を見ながらどこでバスを降りたらいいか、ナビ片手に検討中。

市街地に入って、気づきました。このバス、次の停留所案内が、一つずれている~一つずつ、遅れてアナウンスしているし、車内の電工案内板もそれにリンクして一つ遅れて表示しています。

外国からのお客様たち、大丈夫かなあ~?普段はたくさんの人が降りるヴィクトリア広場で、あまり降りませんでした。次は、ロマーナ広場。

そういえば、前に座っているイタリア人カップル、ロマーナ広場の近くのホテルだと電話で喋っていたけれど(イタリア語の会話でしたが、なんとなくニュアンスで判りました、聞くとは無しに電話の会話が耳に入ってきていたのです)、降りる気配なし。

「ここ、ロマーナ広場です!」~「でも、ヴィクトリア広場、と電光で案内表示しているよ?」~「間違っています、ここはロマーナ広場!」

私が強く言うので、慌てて降りていきました、そこでバス停名称を確認して、一安心したのか、外から私にニッコリ笑顔で手を振ってくれました。良かった、よかった。

ついでに、私の隣に座っていた一人客も、このやり取りを聞いていて大慌てで降りていきました。これまた、良かった、よかった。



オトぺ二空港からの空港バスと言えば、大勢の外国人客も利用する幹線。オトぺ二空港の正式名称は、ヘンリーコアンダ空港、ブカレストの国際空港。つまり、ルーマニアへの玄関口。

このバスが、こんなふうにきちんとした案内ができていなければ、はじめてこの地に降り立った観光客は路頭に迷うではありませんか==。

ルーマニア人でも、地方から来た人には道案内が必要。バスの中では、ルーマニア人同士でルーマニア語で確認の声掛けが聞かれました。こんな時ルーマニア人は、知らない者同士でも馴染みのように、よく声を掛け合います。

というわけで、まだまだ油断できないです、ブカレストの空港バス。これから学ぶのは、私が外国に行った時でも、バスの停留所案内を鵜吞みにせず、しっかり確認しながら行動すべし、ということ。


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『Adidas Runners in Bucharest』 発足

2017-09-22 | ルーマニア・ランニング事情


ヨーロッパで5か国目、パリ・ロンドン・ベルリン・ウィーンに引き続き、ブカレストにも『Adidas Runners』発足!



華やかな発足記念ラン&パーティに私もお呼ばれ。初日のこの催しは、招待を受けた人だけが参加できるもの。



8キロランののち、ビールやカクテルで乾杯、軽食にはお寿司(わさび抜き、醤油なし)もありました。



記念撮影が続きます。

2回目以降は毎週木曜日19:00、ヘラストロウ公園内Tete a Tete(レストラン)集合、ストレッチのち、8キロコースと3キロコースに分かれて公園内をラン((参加無料ですが、事前登録制)。アフターはビール片手にマラソン談義、こんなクラブを待っていた~♪



8キロコースを引っ張るのは、男子キャプテンのアレクサンドル・コルネスキー(Alexandru Corneschi)さん、写真中、一番の長身でスリム。2020東京五輪にマラソンで出場を目指すプロ・ランナー。ペースはどんどんビルドアップしていくけれど、レベルに応じた任意のペースで走ればオッケー。3キロを引っ張る女子キャプテンは、アンカ・ブクル(Anca Bucur)さん、本職はフィットネストレーナー。



雑誌『今日の健康』に掲載されたアレクサンドル・コルネスキーさんの紹介記事は上の写真。その隣を快走しているのは、何と、ワタクシ、マドモワゼル。『走ること、一つの生き方』と題した特集記事です。(今年6月発行、ブログ内詳しい記事はこちらから。)



コーチに就任したのは、2004年来の旧知のステファン(写真内、私の横)。グリーンカードを得て一時家族でアメリカに移住、二人の息子さんもそれぞれ現地の大学とハイスクールに通い、アメリカ移住の夢を果たしたかに見えたのですが、ステファン自身がこれまでのルーマニアでのキャリアを生かすような仕事に就けず、奥様のロディカも同様で、1年足らずで帰国(2014年秋~2015年夏)。

一番の理由は、ルーマニア陸上界で人望の厚いステファン、ルーマニアの仲間たちが恋しくなり、ニューヨークを引き上げてきたのです。その後自分のランニングクラブを立ち上げ、さらに大会も主催し、さらに『Adidas Running Club』のコーチに抜擢されました。

アメリカから帰国後、元の職業(警察官)にも復帰、1年余り就業したのち、年金受給資格を得て退職。片手間ではなく、本業が陸上コーチとなりました。いつもいつも面倒見がいいです、そんなステファンと旧知、というのは私の自慢でもあります♪



ブカレストにやってきた『Adidas Runners』、毎回、ニューモデルの試し履きあり。さらに今後どんな活動をするのか、これまた楽しみです。

Dupa Paris, Londra, Berlin si Viena, Adidas Runners ajunge si in Bucuresti.


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大嵐を待っていた宵

2017-09-21 | ルーマニア・ブカレストの日常
夕方から気象が大荒れ予想、昨日のブカレスト、午後5時には学校はすべての子供たちを帰宅させ(高学年は午後6時まで授業がある)、午後8時以降は、不要不急の外出は控えるように、テレビニュースで流れていました。

午後9時に国立競技場(Arena National)でキックオフ予定だったダイナモ ブカレスト 対 CSコンコルディア・キアジナも中止(マイダーリンは、試合があれば残業予定だった)。

この日ちょうど私は午後から日本語個人レッスンの仕事。家庭教師先で子供たちが、「先生、今日もこの後、ランニング練習会に行くの?今日は早く帰ったほうがいいよ、大嵐が来るから。」と用心して促してくれるくらい、『大嵐襲来予報』は周知されていました。

というのも、先の週末にルーマニア西部で激しい暴風雨のため、少なくとも8名が死亡、67名が重軽傷。街路樹はなぎ倒され倒木が道路をふさぎ、家屋の屋根は吹き飛ばされ、壁もはがされ、電気や水道も止まり、甚大な被害が出ているので、ここブカレストでは事前に広く警戒を呼び掛けていたのです。

「でもね、ティミショアラのときは、cod portoaliu(オレンジ警報)だった。今回のブカレストは、cod galben(黄色注意報)。」

子供の指摘する通り、午後4時を廻っても空はまだ青空だし、少し風が強まってきた程度。でも、テレビで警戒しろと言っているので、家庭教師も30分短縮して早上がり(お母様のご希望による)。

ランニング練習会も中止だけれど、用事を済ませて帰宅を急ぐ午後7時半過ぎ。確かに遠くのほうで強い雷が光っていて、空全体が何度も何度も明るくなります。まだ雷鳴が聞こえるほどではないから、かなり遠くのほうで天気が荒れているらしい。風もさらに強まって、家にたどり着いたら、家中の窓という窓を閉めて、いくつかには目張りして、暴風雨に備えています。

午後8時過ぎ、バラバラと雨の音。「来た!」と思い身構えたものの、本格的な降りにならず、1分も降り続かず。何度も窓の外を見やるけれど、逆に風は収まり、穏やかになっている様子。

結局この夜は、雨も降らず。窓を開けて涼しい風を入れながら寝ました。いまだ、南からの暖気団が強く居座り、北からの寒気団を押しやっています。気候が入れ替わるのは、いつかなあ。まだまだTシャツ一枚で過ごしています、この時期にこの服装、ありえなかった=。


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