ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

2010年1月号目次

2010-01-31 | 目次


A table of content:
2010-01-01 BOAS FESTAS 2010
2010-01-02新年を祝うソルコヴァ
2010-01-03 Closul Anului Nou 2010(新年クロス)
2010-01-04また雪化粧、ブカレスト
2010-01-04これも強敵、ポテトサラダ
2010-01-05 冬のチシュミジウ公園、屋外スケートリンク
2010-01-06ブカレストの雪道走行
2010-01-07救急隊、大忙し
2010-01-08女子高生と「スプリングる」
2010-01-09雪解けの下から・・・
2010-01-10もはや雪のせいではない!
2010-01-11誤解しないで、年賀状
2010-01-12ワクチン接種に殺到、死因に疑問
2010-01-13電気要らずのあんか
2010-01-14バーゲンが始まるよ!買い過ぎに注意!!
2010-01-15ブカレスト地下鉄空港線
2010-01-16日本のカレンダーなのに?
2010-01-17イオレ公園日曜練習会
2010-01-18 3度目の雪化粧、ブカレスト
2010-01-19雪の中をいつまでも走っていたい
2010-01-20生木の粗大ゴミ
2010-01-21ダイソーで50%オフ!
2010-01-22ルーマニア歴史博物館で革命写真展
2010-01-23ブカレストでアイスショー
2010-01-24ルーマニアのWindows事情
2010-01-25超寒波のルーマニアから帰国
2010-01-26ツシュナド・ミニキャンプ初日(1/5)
2010-01-26ツシュナド・ミニキャンプ2日目(1/6)午前
2010-01-26ツシュナド・ミニキャンプ2日目(1/6)午前
2010-01-27ツシュナド・ミニキャンプ3日目(1/7)
2010-01-27ツシュナド・ミニキャンプ最終日(1/8)
2010-01-28海外在住者の国際女子マラソン参加資格記録
2010-01-29後列からスタート、大阪国際女子マラソン
2010-01-30大阪国際女子マラソン前日
2010-01-31氷雨の中、DNF


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氷雨の中、DNF

2010-01-31 | 日本でランニング


見ている人たちも寒くて冷たい雨の中、たくさんの応援の人と沿道のボランティアの方々、主催者の方々に支えられ、大阪国際女子マラソンは終わりました。

沿道から「お帰り=!」と声をかけてくださる方々~「日本へお帰り」と「大阪国際女子にお帰り」、今回は参加資格記録を取り直してのエントリーだったので、さらに嬉しく感じる応援のなか、久々にレースモードへと集中。
 
20キロ地点を1時間30分15秒で通過、1キロあたり4分30秒ペース。関門を意識しすぎて、やや速含み。脚は決して軽いわけではありません。中間点ですでに脚に余裕無し。

25キロ地点過ぎ(大阪城に入るころ)から急速に失速、心配していた28キロ関門を通過するときにはまったく脚が回転していませんでした。帽子のつばから雨が滴り落ち、首筋にかかって冷たくて前しか向いていなかったけれど、ラン仲間のびっくりした顔、心配そうな顔が横目に飛び込んできました。しかもここは自分のホームコース。
 
もっとも苦手なパターン、寒さと雨。百戦錬磨といえど、この氷雨の中のフルマラソンは初体験。まったく身体が動かなくなり、脚の感覚も無くもつれて何度も転びそうになり、とてもゴールまでたどり着けそうにない、と31キロでDNFを決めました。たとえ関門制限がなくても、あの寒さの中、歩き続けることも出来なかったと思います。
 
最終ランナーのさらに後ろの収容車の2台目に乗って、コースをそのままたどり長居公園へ。ときおり最終ランナーの走る姿が前に見えてきます。足どりはあきらかに失速、自分の意思とは無関係に脚が止まったりして道路わきにうずくまるようだけど、懸命にゴールを目指しています。

黒のユニフォーム姿のその人は、今回20回目の出場となる奈良県の大先輩でした。フィニッシュ後、救急搬送。夕刻になっても連絡が取れなかったそうです。立派な完走。
 
自分にはそれだけの気力・勇気が無かったということ。でも、気力だけでは関門制限のあるフルマラソンを完走できないことを知っています。気力を奮い起こさせるのは、培ってきた練習。自分にはその練習が出来ていなかったと言うこと。練習環境云々よりも、工夫すらしなかったということ。
 
結果が良くても悪くても課題を与えてくれるマラソン、3月にもう一度チャレンジ!


奈良の大先輩の完走:
勇気をいただきありがとうございます。この方にふさわしい気力の完走でした、おめでとうございます。そして、その後の体調の回復をお祈りいたします。

一番上の写真:
御堂筋、折り返した後。私の表情から、もういっぱいいっぱいになっているのが判ります。
すぐ後ろに大きな集団がありますが、このあと25キロ過ぎ、大阪城へはいるころに吸収され、じりじりとおいていかれたのでした。
(ハンドルネーム高血圧ジョガーさんからいただきました、thank you so much!!)




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大阪国際女子マラソン前日

2010-01-30 | 日本でランニング


日本で長い間レースに出ていないので、実家でレースグッズをそろえるのに午前中いっぱいかかってしまいました。あれ?ウォームアップの前に塗るクリーム(私は日本ではサロメチールを愛用、ルーマニアでは似た感じのIce Power Hotを使用)が無いわ、エナジージェルも無いわ、買いに行かなくっちゃ、という具合。
 
エナジージェルは一般のスーパーなどではおいていません。どこに買いに行こう?いつもは長居か梅田のステップで買っているけれど。思い出しました、森之宮のRUN & WALK、ナンバーカード交付(前日受付のみ)のホテル・ニューオータニにも近いし。
 
実家から5キロ程度、ママチャリで出発。直前の2大会がDNF、DNSだったので、今回は参加資格記録を取り直してのエントリー。再びこの場に戻って来ることができたことが、まずもって嬉しいです。



受付を済ませると、自転車を大阪城公園内に走らせていました。最初の関門となる28キロ地点に願をかけるため。もうすでに沿道にはテープが張られています。



ここまでを2時間10分以内、目安としてキロ4分35秒ほどのペースで駆けてこないと関門制限にかかり、そこで止められてしまうのです。



 
これまでのポイント練習、
1/10に21キロ走、キロ4分45秒のペースでしか出来ず、
1/17に31キロ走、これはペースを落としてキロ5分でしか出来ず、
1/24は30キロジョグ、ちょうど3時間。
それぞれペースを落としてしか、距離を走れなかったのです。
 
昨年10月にダブリンマラソンを走り、30キロ通過2時間19分27秒、このときおそらく28キロ通過は2時間10分をわずかでも超えていたはず。ゴールタイムは3時間18分。

その後、なかなかうまく練習がつながらず、そのときよりも良い状態とは思えず、スピード持久力に不安あり。さらに当日のコースコンディションが追い討ちをかけないように祈るのみ。




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後列からスタート、大阪国際女子マラソン

2010-01-29 | 日本でランニング
最近のマラソンブームに乗って女性ランナーが急増化、人口が増えるとそれだけ熱心に走る人も多くなるわけで、大阪国際女子マラソンの参加資格記録を突破する人も多くなります。
 
特に定員を設けていない大阪国際女子マラソン、今年の参加者は資格記録を突破した500名ほど。国内外からの招待選手20名あまりがナンバー1番からはじまり、101番から一般参加選手(大多数が市民ランナー)に割り振られるナンバーカード。
 
スタート時の様子など、映像はトップグループを追っていると思いますが、その後ろにうんとたくさんの市民ランナーがそれぞれの夢を掲げて走っているのです。たくさんの女性ランナーたち、マラソンブームを反映して今年は500名近いエントリーなのです。

老いも若きも、それはそれはたくさん。下限は満19歳以上と参加規則がありますが、最年長は60歳。年齢にかかわらず一律に化せられた参加資格記録を突破しての堂々のエントリーです。

参加者の平均年齢をあげている私ではありますが、まだまだ上には上がいらっしゃる・・・私も頑張らねば、と勇気をもらえる大会でもあるのです。

今年の1番はリディア・シモン選手。1997年初参加~当時、お人形のように華奢で可愛らしいルーマニア人選手、同国の白い妖精ナディア・コマネチさんを思い起こさせる存在でした。

ルーマニア語で人形は「papuşa(パプシャ)」といいます、とても可愛らしい存在であることを「パプシャ」とも言います。「パプシャ・リディア(papuşa Lidia)」は、その翌年から3連覇を達成。大阪で、日本で、絶大なる人気を誇るマラソンランナーとなられました。今大会が10回目となるメモリアル・ラン。
 
さて私のナンバーカードは?~500番を超えています。例年、市民ランナーには申し込み先着順によるナンバーカードの割り振りでしたが、今年からは持ちタイムを考慮したものに変更。スタート時の混乱を避けるため、持ちタイム(参加資格記録突破のフルマラソン→30キロ→ハーフの順)の速い人から若いナンバーが割り振られているのです。
 
当然、スタートラインに並ぶのもナンバーカード順。一般の市民マラソン大会で見られるような割り込みは出来ません。20名ずつ位のグループできちんと隊列を作り、補助員の指示にしたがってスタートラインにつくのです。
 
私の持ち番号だとほとんど最後列に近いところ。マンモスマラソン大会にありがちなスタートロス10分は無いだろうけれど、ロスタイム必至。28キロ通過2時間10分、30キロ通過2時間20分の関門制限が気になるだけに、数十秒が大事。
 
でも、弱気にならず出走します。スタート後トラック周回を3周ほど、雰囲気で気分が盛り上がりどうしてもオーバーペースになってしまうところ。後方からのスタートでゆっくりしか走り始められないことは、オーバーペース防止にはちょうどいいかな。

13回目のエントリーとはいえDNF(途中棄権)やDNS(不出走)が3度もあるので、まず完走が目標。3時間15分を越えそうだけれど、長居陸上競技場(発着地点)まで帰り着くこと。関門との戦いになっても、途中であきらめないこと。このレースを大事に走ること。号砲は2日後の12時10分。




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海外在住者の国際女子マラソン参加資格記録

2010-01-28 | 日本でランニング


近づく大阪国際女子マラソン。参加選手の条件は①日本陸上競技連盟に登録していて、②「参加資格記録」を突破すること。そのなかで私の資格記録は、ルーマニア国内でのAIMS公認マラソンでのもの

「大阪国際女子マラソン申し込み要項」にはあいまいに参加資格記録突破は「国内外での公認大会のものに限る。」と書いてあったので、だめもとで外国でのAIMS公認マラソンの記録証を添えて申し込みました。

申し込みは日本の妹が代行、記録証はメールに添付してファイルで送り、妹が印刷してくれて、申込書に添えて送付。私が参加した大会の記録証は手書きだったので、マラソン大会のサイトからリザルト一覧をダウンロードし、これも印刷して一緒に提出。

「日本の陸連登録選手として」と言うところが引っかかったのですが、ルーマニアの大会主催者に大阪国際女子マラソンへの参加資格記録として認めてもらえるよう、直筆サインを記録証にいただきました。日本の陸協登録証を見せても日本語なのでルーマニア人には判らないため、事情を説明したら快諾いただいたものです。

ルーマニアはなにぶんリディア・シモン選手の地元、大阪国際女子マラソンのことも良くご存知で「ぜひまた我が国のリディアと一緒に走りなさい、君の地元で。」と励ましてもらうほど。

所属陸上競技教会の承認印は、すぐにもらうことが出来ました。この承認印のある申込書を大会事務局に提出、最終的には主催者である陸上競技連盟と大会事務局の判断による、との回答。その後、エントリー予定選手に事前に国内保険証のコピー提出を求めてきました。私はずっと日本の保険証をそのまま残しているため(日本に不在の間も保険料を払い続けています)、実家に依頼して、実家に置きっぱなしの保険証をコピーして提出、事なきを得ました。

外国でのAIMS公認マラソンでの記録を認めてもらうためには、①「日本の陸連登録選手として」参加したものであること、②日本国内の保険証を保持していること、が、条件になったようです。

開催要項には、「日本国内での陸連公認大会に限る」と明記されていた時代が長く、「国内外での公認大会に限る。」となったのはここ2~3年くらいかも?と言うわけで、外国でのAIMS公認大会での結果を持ち込むのはおそらく、ほぼ前例が無いことだったかも。

でも、条件さえクリアできれば、海外在住者が日本国内での陸連公認大会を走らなくても国際女子マラソンに参加できる道が開けているわけで、チャンスが広がってとても嬉しいことだと思います。

一番上の写真は発着地点の長居陸上競技場。2006年の写真帖より。今年もこんな快晴でありますように。


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超寒波のルーマニアから帰国

2010-01-25 | 日本のいろいろ

 
全土が寒波に襲われマイナス15~35℃、南部のブカレストでもマイナス10~20℃。すべてが凍りつき、公園の大きな湖も全面結氷。こちらのニュースサイトの写真8枚はいずれもいつも走っているチタン公園(Parc Ior)。

ブカレストを飛び立つ前から寒波で、雪もどっさり。マイダーリンは「ヒロコの飛行機、飛ばないよ。ヒロコはずっとルーマニアにいるんだよ。」などとイジワルを言いました。



お姑さんも「飛行機、大丈夫かね。飛べるのかね。乗り継ぎのロンドンはもっと北にあるだろうよ。」、こちらは本当に心配してくださっています。雪が降り始めて1~2日はオトペニ空港発着のダイヤに乱れがありましたが、氷点下と雪を覚悟すればパイロットも整備士も万全に飛行機を飛ばせてくれるのです。
 


英国航空でブカレスト発ロンドン経由。ここで24時間滞在できるチケットですが、ゆっくりするつもりも無くすぐに乗り継ぎ。成田で国内線JALに乗り換え。このときJALのカウンターのお姉さん、ものすごく親切で丁寧でした。後で知ってびっくり、先週半ばに、経営破たんしていたのでした。
 
と言うわけで無事帰国。しばらく時差ぼけでぼんやりしていました。夜中に寝付けず&昼間に睡魔が襲ってきたりして。私の場合、ヨーロッパから戻ってきたときのほうが時差ぼけが強く出ます。実家に帰ってきた安心感かな。

次の日曜は大阪国際女子マラソンに出走。



最後の一枚は、飛行機の中から見えた富士山。意外なことに真っ白ではありませんでした。 


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ルーマニアのWindows事情

2010-01-24 | ルーマニア・わたしの日常
もともと壊れかけていたハードディスクにウィルスが入り込み、ネットにつながっても数分足らずで切断されてしまう状態になっていたマイダーリンのパソコン。メールの確認もままならず、サイト閲覧やブログ更新も滞る状態に。
 
が、1月に入り格安航空会社の4月以降のチケットが売り出され、今なら底値。一番安く購入できる時期。これを見逃さないわけには行きません。ネットカフェのPCにクレジットカード番号を打ち込み航空券購入などもってのほか、たやすくスキミングされてしまうのがルーマニアのネット事情。それだけパソコンに詳しい人が多いのです。
 
我が家にはネットにつないでいるデスクトップのほかに、ラップトップが2台。私が日本から持参して使っているものと、マイダーリンが昨年購入し仕事場に持って行ったりしているもの。
 
これをネットにつなぎ、とりあえず急場をしのぎました。4月のミラノマラソン遠征、5月のフランス遠征の航空券をネット予約&購入。ダーリンのラップトップはモデム内蔵型、ケーブルをつないでネット接続の設定をするだけですぐに使えるようになったのです。
 
このPC、日本語の読み書きは?今の段階で多言語サポートされていないので、まったく文字化け。OSに使っているWindowsXPのCD-ROMがあれば簡単にインストールできるのですが・・・。
 
さてここでルーマニアのWindowsXP事情を。電気屋さんの店頭に並べられているPCは、Windowsがインストールされているものとされていないものの2種類。当然ながら価格に開きあり。少しでも安く買いたい人が多いので、インストールされていないものを買う人が圧倒的に多いようす(友人でインストール済みのPCを持っている人、1人だけ、仕事でアメリカに渡ったときに買ってきたもの)。
 
で、OSはどうするの?たいてい身近に何人かPCに詳しい人が居るので、その人に頼むのです。PCが壊れたときにも同様。ダーリンのラップトップは職場の友人に一日預け、WindowsXPをインストールしてもらってきました。
 
ルーマニアでは「WindowsXPは1台に一枚」は当てはまりません。オリジナルのWindowsXPを持っている人も見かけません。すべてコピー。ガードをはずし何台のPCにもインストールできるようにしてあるのです。
 
以前に我が家のPCが壊れたときに直しに来てくれた職場の同僚、「これ、コピーだからちょっと不具合があるけど。」と、ぽんとWindowsXPのコピーCDを置いていってくれました。次に壊れたとき直しに来てくれたラン仲間も、持っているソフト類はすべてコピーしたもの。今回見に来てくれた友人も同様。

「オリジナルは高くて買えないからね、僕たちは工夫するのさ。」、ちょっと不具合がおこるけれど、さらにそれを克服するために工夫するそうです。何度も不具合に出会っているうち、PCのスペシャリストに。まさにハングリー精神からの産物。新製品のWindows7もじきにコピーで出回ってくるかも?

でも困ったのが私の日本語入力。それがコピーであってもPCにインストールされているWindowsXPがなければ日本語がインストールできません。手元にあるWindowsXPのコピーCDは別の人からもらったもの。これでは今のOSに対応していないのです。

OSをインストールしてくれた友人に頼んでWindowsXPのCD-ROMを借りてくるか、またはCD-ROMを持って我が家に来てもらわなければなりません。面倒だなあ。

もともと使っていたデスクトップを再生するためには、ハードディスクの買い替え&付け替えが必要、さらにOSの再インストール、旧ハードディスクからデータの取り出し。これも面倒だなあ。私の日本語PCをつなぐためには適応したモデムの購入が必要、これまた面倒、ウイルス対策も必要になってくるし。

ものぐさ&面倒で日本語入力できない状態のまま来てしまい、日本からのメールやこのブログも放置。でもやっと日本語環境に戻りましたので、書き溜めていた日記を順次アップしていきます。お目に留まりましたところから見ていただければ幸いです。

何度も不具合がおこっているこのPC、そのたびコピーCDで対応




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ブカレストでアイスショー

2010-01-23 | ルーマニア・わたしの日常

 
冬は氷点下に冷え込むルーマニア、都会ではあちこちに特設スケートリンク(patinoar)が出来、気軽にアイススケートを楽しんでいます。スケートリンクの上のみんなが余りにも楽しそう、ワタクシ、マドモワゼルも○十年ぶりに滑ってみることに。

子供のころに母に連れられスケート初体験、このときには手すり磨き(=ビギナーが手すりから離れられないこと)中心。高校時代にはすっかりスケートが楽しくなって、何度もスケートリンクに通っていました。当時近郊に3箇所くらいスケートリンクがあったものです(その後の数年間ですべて閉鎖、その後遊園地に併設された屋外リンクが出来ています、現在も営業中~ひらかたパークにて)。



出かけたのはチシュミジウ公園、滑ることも泳ぐことと一緒で一度出来たら忘れないもの、なんとか氷上、滑ることができました。



自分が滑ってみると次はこんな広告が目に止まるもの、ブカレストでアイスショー。

1月31日、モスクワの星アイスショー。ロシアから33名のスケーター(patinator)がやって来ます。全員、オリンピックor世界選手権orヨーロッパ選手権のメダリスト達。昨年大好評を博したアイスショーの再演。リア・マノリウ総合運動公園内スケートリンク(屋内)にて。特等席200レイ、1等席150レイ、2等席100レイ、3等席70レイ。



少し先ですが、4月14日、白鳥の湖アイスショー。こちらもロシアからのスケート団。宮廷劇場(Sala Palatului)にて。

この冬は冬季バンクーバー五輪。そこまで見に行けないから、オリンピックはテレビで楽しむのがいいかな~。冬季五輪の花形、フィギュア・スケート(patinaj artistic)。頑張れ、日本!~真央ちゃん、ミキティ、鈴木選手。


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ルーマニア歴史博物館で革命写真展

2010-01-22 | ルーマニア・ブカレストの日常

 
革命20年を記念した2009年から年明けて、ブカレストでは革命写真展が続いています。真実を伝えるものは写真、そして当時の映像。会場を新たに今月はルーマニア国立歴史博物館にて。

ルーマニアでは「社会主義の時代はよかった。」と懐かしむ人もいます。年配の人に多いようです。昨年秋の大統領選挙で、コミュニズムの色濃い政党が決選投票にまで持ち込んだことからもわかります。国中が真っ二つに分かれての大激戦。
 
当時の映像が何度もテレビで流れていたり、写真展で見ることできましたが、同じルーマニア人同士で銃を突きつけあったり、撃ち合ったり。なぜそこまでの犠牲が必要だったのか、一番の疑問です。
 
日本では、いくら将来が明るくない、とはいえ、殺しあったりはしないはず。・・・時々、むしゃくしゃした人たちが、無差別殺人事件を起こしたりするけれど。政治的な意図のある事件は少ないです。
 
社会主義を貫いている中国でさえ、「中国反体制作家に懲役11年」(12月下旬のニュース)、この判決が国際的に適正であるかどうかは別問題として、殺し合いにはいたっていないのです。

20年前の革命時の市民への相次ぐ銃撃事件は何故起こったのか、誰によってもたらされたのか。多くの流血の犠牲者はなぜ惨事に巻き込まれたのか。

チャウシェスク体制下の大臣で、革命後、新政権によって裁かれ、15年も獄中にいる人がいます。20年前の12月21日、チャウシェスクの命令(=民衆鎮圧のために軍を出せ)に従うことを拒否し、自殺したとされる(又は射殺されたという説も)国防大臣の後任として急遽任命された、その次の国防大臣。
 
彼自身も、軍を出すことをぜず、むしろ退去命令を出したといわれています。が、革命は起こり事態は一変。彼の妻は革命後に単身自殺。彼自身も獄中へ。革命ですべてを失ったのです。
 
が、この裁きが正当であるのかどうか。同じ時期に同じ共産党員としてチャウシェスクの元にいた人たちが、かたや獄中へ、かたやその後20年間も政界で権力を握り続けている・・・。ルーマニア革命が、宮廷官僚の反乱、と言われている由縁でもあるかも。
 
何かを知りたくて歴史博物館の特別展を訪ねてみました~革命時の様子、同じ1989年に相次いで起こった東欧革命の各国での様子、革命前のルーマニア国民の暮らしぶりがいかに制限されていたものであるか、など。が、展示資料も少なく、解説も最小限。「見にくる人は少ないよ。」と入り口の係員。
 
自由主義になり自分達の生活に夢中で多くの人は革命を忘れてしまったかのように生活している、とも言われているけれど、風化してほしくない20年前の出来事。
 
 

上の写真は大学広場にたつ「自由から0km」の道しるべ(写真右側にあります)。
 


上の写真は同じ大学広場にて、「1989年の英雄を偲ぶ」石碑(写真左側にあります)。


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ダイソーで50%オフ!

2010-01-21 | ルーマニア・ブカレストの日常

 
のぞくとは無しに毎日のように通りかかっているブカレストのダイソー(DAISO)6レイ&9レイ均一ショップ。ここでも50%オフのクリアランス。
 
普段の価格、6レイ&9レイでは、とてもお買物できません。日本での税込価格105円のものを、わざわざルーマニアで倍以上も出してお買い上げすることなし。が、50%オフとなると3レイ、1レウ=35円で換算するとほぼ日本価格と同じ。日本で買って運んでくるよりもお買い得。
 


でも、店内をよく見渡してみると50%オフは品数限定、什機ひとならび分だけ。どんなものがクリアランスになっているのかな~、市場調査がてらくまなくチェック(←逆輸入を試みようとしているマドモワゼル!) 
 


やった!50%オフで今わたしの欲しい物を見つけてしまいました。お掃除用の炭酸ソーダ。化学合成の洗剤ではなく、自然派のエコ製品。油分をアルカリで中和して落とすので、キッチンの掃除にもってこい。
 
私が特に使いたいのは電子レンジの掃除。合成洗剤で拭き掃除をしたとしてもレンジそのものを水洗いできるわけではなく、拭き掃除のあとの合成洗剤の残留分が気になるのです。
 
我が家の電子レンジ、私がこちらへ来てから「電子レンジ、買ってもいい?便利だよ~。」とマイダーリンに直訴して購入したもの。庫内が熱くならないのに中に入れた食品が温まるという不思議さに、お姑さんは恐れをなして一度も触ったことなし。マイダーリンでさえ、「電源オンで中に手を入れても大丈夫なの?」と私に聞いてきたくらい。
 
今では我が家の男連中はしょっちゅう使うようになりました。男連中というのは使いっぱなし、庫内は油はねだらけ。家中をぴかぴかに磨き上げるお姑さん、電子レンジだけは管轄外。というわけで電子レンジの掃除は私の担当なのです。
 
お掃除の強力な助っ人を50%オフでゲットしたので気分よくお掃除、たんぱく質汚れも良く落とすので、えり垢汚れやちょっと転んで衣服に血が付いてしまったときにもよく落ちます。

内緒話ですが・・・こちらの弟さん、凍った路面で転び、ポケットに手を突っ込んでいて酔った勢いもあり顔面スライディング、えらい擦り傷で帰って来ています。私も人のことは笑えません、顔面キズ、数度あり。自慢にもなりません~。



ブカレストのダイソー50%オフ情報:
チタンとミリタリーのオーシャン(Auchan)、両方で実施中。チタン店のほうが圧倒的に大きな売り場面積。ミリタリー店はかなり小さめ。双方とも50%オフは全品ではなく、商品限定なのであしからず。~マイダーリンはバスルームで使うマットをお買い上げ。




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