ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

2006年5月号目次

2006-05-31 | 目次


A table of contents:

まるでルーマニア合宿?!? 2006-05-03
ルーマニア・ロードレース事情 2006-05-06 アロエ・クロスで優勝 2006-05-07
ドクター・クロス 2006-05-07
新聞に掲載される! 2006-05-08
湖の周りを走るクロス 2006-05-09
ルーマニア語学習...(難航・・・) 2006-05-10
ただいまのネット事情 2006-05-11
一難去ってまた一難~ルーの災害 2006-05-15
時刻表のないブカレスト市民生活 2006-05-16
マイヨ・ジョーヌとともに~3度目のツール・ド・ペイ・ド・コー 2006-05-27
フランスの新聞に掲載される! 2006-05-27
エッフェル塔の下で2006 2006-05-29
エッフェル塔の下で2005 2006-05-29


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エッフェル塔の下で2006

2006-05-29 | お出かけ先のナイススポット
 フランス・ノルマンディーでのレースの後、パリ・ハネムーンで4泊していました。でも、じつは丸1日半、熱が出てまったく起き上がれずに寝込んでしまいました。ペイ・ド・コーのレースはやっぱり半端じゃありません、体力酷使してしまいました。
 
 それでもおのぼりさん気分でパリをメトロで自在に移動、観光スポットを一回りです。そこにいるだけで華やかな気分になれるパリ、さすが花の都です。

フランスの新聞に掲載される!

2006-05-27 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


このペイ・ド・コーのレース(フランスTPC大会)、今年はなんと、ルーマニア・チームとして参加。「ヒロコがルーマニアに来るんだったら、一緒にペイ・ド・コーに行こう。」と、私を快く受け入れてくださり、フランス側に招待選手として推薦してくださったルーマニアのチームメンバーに本当に感謝しています。

わたしのルーマニア入り1週間前にフランス側から内諾のメールがあったとのこと、その後ブカレスト入り直後にルーマニアチームの一番最後のメンバーに私の名前が記載された正式な招待状を見せてもらったときには本当に驚きました。

「ヒロコの2年間の実績があったから招待が決まったんだよ。」とのことですが、今年の私はまったくの練習不足。ルーマニアへ来てからは少しずつ走っていますが、短期間で大慌ての調整で臨みました。

「ヒロコがルーマニアに来て、ルーマニア人と結婚!」~どこのラン仲間のびっくり。



フランスの主催者側も私たちのカップリングを喜んでくれて、渡仏前から新聞に二人の紹介記事が載ったりして話題を作ってくれていました。その後、実際に取材を受け、レース最終日の新聞にカラー写真つきでさらに大きく載せてもらいました。

新婚旅行をかねて参加した私たちに、宿舎では主催者側の配慮で二人部屋(=ダブル、ともいう)にしてくださったのにはちょっとびっくり。でも、こちらの習慣では「夫婦は一緒の部屋」となるのです。普通ならレース中には女子は女子部屋、男子は男子の部屋となるので、きっと私は日本から参加の日本女子選手と一緒の部屋になって思いっきり日本語を話せるだろうな、と思っていたら、そうではありませんでした。

ルーマニアに来てからずっと一緒にいるので、レースのときくらい一人のベッドで休みたかったな~なんて思ったりしましたが、やっぱり一緒でよかったかな。

長丁場のレースなので、マイダーリンとちょっとしたいさかいもあったりしたのですが、ルーの仲間たちは「あれ?二人の様子がおかしいぞ??」と私たちの様子をよく察してくれて、うまく執り成してくれたりして、終わりよければすべて良し。


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マイヨ・ジョーヌとともに~3度目のツール・ド・ペイ・ド・コー

2006-05-27 | 海外&ルーマニア・マラソン大会
 ルーマニアに滞在してちょうど1ヶ月、ルーマニアのランニング仲間とともにブカレストの空港からフランスに飛びました。3時間足らずの飛行時間でパリへ、時差ぼけ無く3度目のペイ・ド・コー参戦です(実際の時差は1時間)。

 コースも宿舎での滞在の様子も知り尽くしたペイ・ド・コー、4日間連続6レース、今年はコース変更あって少し距離が伸びて合計93キロのスーパーマラソンです。

 ラッキーなことに、昨年までは女子には年代別がなかったのですが、今年は40歳以上のベテランの部が新設されて、初戦から一度もマイヨ・ジョーヌを譲らず、初代ベテラン女王になりました。女子総合では3位入賞です。

 日本にいるときには思うように走れずに苦しんでいましたが、1ヶ月の準備期間でこのタフなレースを良く走り切れたと自分でも思います。土壇場に強い!=火事場の馬鹿力を発揮してしまったようです。2回のハーフで2回とも1時間30分を切り、10キロは38分台。不思議と筋肉痛もあまり出ませんでした。担いでいったストレッチポールのおかげかしら?

 第1ステージの距離が変更されたのと、第6レースのコースが変更されたので、単純に前回・前々回の記録とは比べられないのですが、目安として全長90キロあまりのレースの、平均時速が算定されています。

  2004年=平均時速14.65キロ
  2005年=平均時速14.36キロ
  2006年=平均時速14.64キロ

それと、各レースでの記録です。
  第1ステージ(16.5キロ)  1時間09分23秒(時速14.87キロ)
  第2ステージ(21.1キロ)  1時間29分21秒(時速14.17キロ)(=自己のコースベスト)
  第3ステージ(10.0キロ)     38分58秒(時速15.40キロ)(平坦地)
  第4ステージ(8.4キロ)     33分35秒(時速15.01キロ) 
  第5ステージ(13.8キロ)     54分12秒(時速15.28キロ) 
  第6ステージ(21.1キロ)  1時間29分53秒(時速14.08キロ)
        合計      6時間15分22秒(時速14.64キロ)


時刻表のないブカレスト市民生活

2006-05-16 | ルーマニア・ブカレストの日常
 日本で当たり前だと思っていることが、こちらの国では当たり前ではありません。日本人は時間にきっちりしている国民性、といわれているようですが、ブカレストの地下鉄・バス・トラム・トロリーバスにはなんと、時刻表がありません。

 始発はだいたい6時ごろで終電は11時半ごろ、というだけで、「何時何分発の電車に乗る。」という感覚がないのです。時刻表がないのだから当たり前ですが、人々は自分の乗る乗り物がやって来るまで辛抱強く駅で待っています。もちろん国際列車の発着駅には時刻表があり、始発駅の場合は時刻が守られているようですが、終着駅になっている場合などは延着当たり前。

 路面を走るトラム・バスのスピードはドライバー任せ。車が多いので朝夕のラッシュ時にはのろのろ運転は仕方ないのですが、空いているときでものろのろ運転するドライバーもいます。

 「コノバスノドライバーサン、疲レテイルノカシラ?」
 「今日ノ運転手サンハスピード狂ネ。」
 
 公共の乗り物に乗っていてそんな会話が普通になってきました。「何故?」と尋ねても「ココハルーマニアダカラサ。」と国民性の違いとのことでしょうか?「コノ国ノ人々ハマダマダcivilizeサレテイナイ。」との答えも返ってきましたが、ここらあたりの七不思議はまた、よく観察して、レポートいたしたいと思います。

        

 不思議・不便なことばかりではありません。こちらブカレストでは、街のいたるところに公園があり街路樹も茂り、新緑がとてもきれいです。街のいたるところに木々が生い茂りビルの五階以上の高さにまでなっているので、とても緑が多い印象です。毎朝鳥の鳴き声で目が覚めます。

 公園もいたるところにあり、人々の休日を和ませてくれています。先週、ブカから北北西へ約220キロ離れたサン・ジョルジュという街に出かけましたが、とてもかわいらしいおとぎの国のような風景を見せてくれました。

 写真上は、時刻表のない中、辛抱強くバスの到着を待つ市民。
 その下は、ブロックハウス5階の我が家から見た木々の高さ。

一難去ってまた一難~ルーの災害

2006-05-15 | ルーマニア・ブカレストの日常
ルーマニアでは災害が続いています。先月のドナウ川の大洪水で1000人以上の人々が住居を失い、テント生活となっているそうです。そして今、ブラショフという山間の町で鳥インフルエンザが再発(昨年10月に黒海沿岸で発生、原因は渡り鳥か、といわれていました。)、1万羽以上の鶏が処分され、街を通過する車などにも厳重な消毒がなされています。

これらの事情に政府は十分な援助も出来ないようです。明くる1月にユーロに加盟する予定とはいえ経済的にはまだまだ不十分で、日本など諸外国からの経済援助を受けている国で、格差を感じています。
 
格差といえば、市民の間でも貧富の差が大きいようです。車を例にとってみれば、革命以前からのポンコツといえる物体が走っているかと思えば、ぴかぴかのルノーやベンツが走っています。

 ガソリンが1ℓ1ユーロするので決して安くはないのですが、こちらでは今、自家用車が急増していて、首都では慢性的な交通渋滞と大気汚染が問題になっています。けれどもガソリンよりも馬の飼料のほうが安い、とのことで物資運搬・農耕用の馬も首都の市内で見かけます。

 さらに市民の80%以上が革命以前からの集合住宅に住んでいるので、日本の新築マンションに完備している地下駐車場などがないため、路上駐車がものすごいです。それでも道幅が広いので、助かっているようです。幅広い歩道の一部を駐車スペースにすべく工事が進んでいるところもあります。

 車は国産車が2社あり、ほかにはヨーロッパ各国の車、日本のトヨタ・ニッサン・ホンダも人気のようです。韓国のDae Wooも走っています。消費税が一律19%掛けられているため、国産車を購入するのも隣国で買ったほうが安い、という逆転現象も生じているそうです。

 1989年の革命から17年、十分な蓄えがないため皆ローンで購入しているとのことです。車本体の価格は日本で見るのと大差ないようですが、大きく異なるのはお給料。ルーマニア人の平均的なお給料でどうやって高額ローンを組めるのか、七不思議の筆頭です。

写真は、ブカレストの市街地での三重駐車の車。

ただいまのネット事情

2006-05-11 | ルーマニア・わたしの日常
 日本出発直前に自宅のPCがトラぶってしまい、バックアップを取ろうとしてメールデータを全部消してしまうというハプニング。これって、過去を消して行けってことなのかしら、と自問自答しながら仕方なくあきらめ、お世話になったかたがたにもメールできずに、失礼いたしております。

 おまけにこちらでネットにつないであるパソコンは日本語対応ではないので日本のweb-siteを見ることが出来ず、かなり不便を感じています。日本のニュースはThe Japan Timesの英字で読んでいるのですが十分な読解力がないのでタイトルだけ見ています。

 暇にまかせてHPやらブログやら、発信したいのですが、なんといっても日本語入力できません。たぶん、多国語サポートを設定すれば、読むことだけは出来るようになると思われるけど、windows XPのCD-ROMが見当たらないので、あきらめています。

 マイダーリン、私以上にPCに詳しくないみたいで、「CD-ROM??ソンナン知ラン。」と言っているのです。私の持参した日本語対応のラップトップ(=ノートパソコン)をつないでもらうしかないと思うのですが、私もまったく詳しくないので、よくわからないし出来ません・・・トホホ・・・とりあえず、こちらの地域のネット接続が7月にケーブル回線に変わるそうなので、それまで待つ予定。

 それでも、新しいメールアドレス(web-mailを取得)に日本から何人かの友人がメールを送ってくれて、当初は英語とローマ字でメール交換、ノートパソコンにて日本語で作成したファイルを、メモリースティックでこちらのPCに移し替えてそれを添付してメールを送ればよい方法を思いついてからは私も楽にこちらの様子を知らせることが出来るようになりました。

ルーマニア語学習...(難航・・・)

2006-05-10 | ルーマニア・わたしの日常
 ラテン系のロマンス語に属するルーマニア語、これがこの国の言葉です。英語のアルファベットに近いヨーロピアン・アルファベットを使うし、表記の通りに発音すればよいというので、習得は楽勝かと思いきや・・・語形変化の大きいルー語は世界中の言語の中でも難しい言語に属するそうです・・・

 それでもルーに居る限りはルー語を話さなくてはなりません。どの国に居てもその国の言葉は出来て当たり前、プラスアルファで人間性が問われるのです。

 けれども私にとってのルー語、日本を離れるまでにほとんど勉強をせず、挨拶の言葉程度を覚えたきりでまだまだ物の名前(=名詞)を覚えている段階です。

 それでも日本人が「オ腹、空イタ。」「私、眠タイ。」「スタジアムヘ、行コウ。」などと片言でしゃべっているのが面白いらしく、ラン仲間はみんな私のルー語が少しずつ増えていくのを見守ってくれています。”Japanese girl”と、言われています。「Not a girl, but a woman.」と主張するのですが、「No, you are a Japanese girl.」と言い返されます。

湖の周りを走るクロス

2006-05-09 | 海外&ルーマニア・マラソン大会
 なか一日置いて、また別の湖の周りを走るクロスです。1周約1500mとのことですが、これがまた危険なコース。公園なので、舗装されていないところもあるし芝生を横切るところもあり、階段を登り陸橋を渡り、鉄柵をかいくぐり急カーブあり。

 距離が短いのでものすごいスタートダッシュで、足場の悪いところで本当に危なかったです。何とか走れるようになったのは半分を過ぎてから。前に女子選手が見えたので徐々に追い上げ、ラスト300mほどでいったん前に出るけれども付いてこられて、ラスト100mで抜き去られました。

 ゴールしてみれば、まだ子供。年齢を尋ねると14歳とのことでした。そりゃ、スピードではかなわない。私がもう少し賢くレース運びをするべきでした。途中で前に出ずに彼女に気づかれずに付いていき、隙を付いてゴールに飛び込むべきでした。こちらで大事なのはタイムではなく勝ち負け。順位を上げてゴールすること、そして勝つことなのです。日本では百戦錬磨を自認していたけれども、まだまだ未熟者であることが露呈してしまいました。

        

 このレースの表彰は男子8位までと女子1位のみ。男子1位500レイ(=約2万円)、2位300レイ、3位100レイ、以下60レイと続きます。ほかに全体の25位までTシャツプレゼントがあり、私は辛くも24位(女子ではアリーナ、アナ、14歳の女の子に続き4位)だったので主催の政党ナショナルリバティー党の黄色のTシャツをいただきました。綿の普通のTシャツだけれども、日本から十分な量のTシャツを持ってきていないので、これまたとても助かります。早速部屋着に愛用しています。

 この週末だけは、たまたまクロスが4つも続いたけれども、こちらではそんなにたくさんレースがあるわけではありません。でも、走り仲間はレース大好きなので、まめに参加しているみたいです。なにせ参加無料だし、入賞すれば賞金をゲットできることもあるし、大会によっては参加賞にTシャツをくれるし、必ずといっていいほどお楽しみ抽選会があって何かもらえるのです。私はまだ賞金も抽選グッズも当たっていないけど、そのうちチャンスがめぐってくるかしら?

* 日本の友人からコメントをいただきました。
何かの雑誌で 陸上の為末大選手がプロの道を選んで
海外レ-スを渡りあるいていた時
レース賞金だけで暮らしている、他のヨ-ロッパ選手から
勝つ事へ執着心を学んだと書いていたけれど・・・
タイムより勝ち負け!
やっぱり そちらでは 素人もアスリ-トも全て、勝ってなんぼの
世界なのかな~ 賞金もでるしね・・・

*今後のレース予定*
5月10~13日:サン・ジョルジュにてAll Policeman Championship of Athleticsに参加するマイダーリンの応援。
5月20日フランス入り、24~27日Tour du Pays de Caux。6月1日ブカレストへ帰還。
6月フルマラソン。
8月45キロレース。