ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

2006年12月号目次

2006-12-31 | 目次


A table of contents:

週末はホノルルマラソン 2006-12-06
東山三十六峰マウンテンマラソン 2006-12-10
クリスマスカード発送 2006-12-11
ヨーロッパとアジアの線引き 2006-12-18
大阪国際女子マラソン2007ペースメーカー発表 2006-12-21
大阪国際女子マラソン2007招待選手発表 2006-12-21
マリアン一家からクリスマスメール 2006-12-25
(拡大EU圏)内最貧国ブルガリア、ルーマニア 2006-12-28
ルーマニアの地方都市ヤシより 2006-12-30
ヤシの夜景 2006-12-30
ハングルのキーボード 2006-12-30
どうぞよいお年をお迎えください 2006-12-31


thank you for your one click

ハングルのキーボード

2006-12-30 | 日本のいろいろ
 これはおまけにアップしちゃいます、日本では余りお目にかからないハングル文字が書かれたキーボードです。韓国のビジネスマンをソウルのオフィスに訪ねたとき、このキーボードがわたしには珍しく感じたので、おもわず写真に撮ってしまいました。キーボードも所変れば、ですね。

 わたしのPCもAsian Languages Suportすると、韓国語なども書けるようです。Languageから韓国語をSelectするだけでいいそうですがハングルはわたしにとっては意味不明。たいていの外国人にとって日本文字は意味不明なように・・・

ヤシの夜景

2006-12-30 | お出かけ先のナイススポット
 ヤシも年末になると冷え込み、夕方には-5℃くらいだそうです。―12℃くらいに冷えたときもあったそうです。でもまだ雪は降っていなくて、「今年ハナンダカオカシイヨ。」~日本でも11~12月暖かい日が続いています、ルーでもルーなりに暖冬なのでしょう。でも彼の部屋の中は24℃、Tシャツで過ごしているそうです。

 ヤシの彼とはもっぱらyahooメッセンジャーを利用しています。日本人の彼女が居るという彼、PCにも日本語をインストールしていて、日本語+ローマ字+英語+ルーマニア語で会話です。

 彼のキーボードはUniversal、一般的に日本で使われているものにはひらがなが書かれていますが、彼はローマ字入力で日本語を表記してきます。たとえば、「カ」をかくとき、「K」と「A」の二つのキーを使う方式はローマ字入力ですね。 

 わたしはたどたどしくルーマニア語の単語を並べます。スペルの間違いや男性形・女性形の変化など手直ししてくれるので、ルーマニア語の先生でもあります。

ルーマニアの地方都市ヤシより

2006-12-30 | お出かけ先のナイススポット
 夜景の写真が届きました。Iasi、ヤシ、と読みます。

 ヤシには、ブカで知り合った「日本語を話す自転車に乗った青年」が居ます。わたしが4月にブカに滞在を始めたときに、「日本語で話しても良いですか?」と声をかけてくれた彼です。

 秋からヤシの大学生になり、日本留学のための奨学試験を受けているとのこと。合格したら5年間、日本に留学できるそうです。年明けには合否の発表があるそうですが吉報を祈っています。

(拡大EU圏)内最貧国ブルガリア、ルーマニア

2006-12-28 | ルーマニアを想うとき
 2007年元旦よりEU加盟するのを秒読みに控えて、こんな記事が朝刊に載っていました。確かに経済的な指標となる数値ではその通りでしょう。

 マイダーリンも「僕達ノ平均的ナオ給料ガEU西側諸国ニ追イツクニハ30年カカルト言ワレテイルンダヨ。」とちょっと心配気です。あらあら、マイダーリンの定年は55歳とのこと、これじゃあ、定年まで安月給のままかしら?

 でもブカで知り合った、ルーと日本を数ヶ月単位で往復するロムン(=ルーマニア人男性を表わす単語)ビジネスマンは、「この国はものすごい勢いで変化しています、3ヶ月の出張で帰ってきたら、変化を実感します。西側資本も入ってきてこの国はきっと良くなるでしょう。」とルーの将来展望に期待を持っています。
 
 大きな変化にのっていくルーを見つめてみたいものです。

マリアン一家からクリスマスメール

2006-12-25 | 日本のいろいろ
 ルーマニアで仲良くしてもらっているラン仲間マリアンの一家からクリスマスフォトメールが届きました。夏にリニューアルしたばかりのマリアン宅、綺麗にクリスマスツリーを飾り付けて、その前で子供ちゃんたち、「HIROKO, we miss you」と、わたしに向けてメッセージボードを掲げてくれています。日付がなぜかトンチンカンになっていますが、マリアンパパ、デジカメの日付修正操作ができないそうです…

 夏に一緒に黒海リゾートに行ったマリアとアンドレイ、わたしが10月末に日本に帰国した後もブカレストのマラソン大会で「ヒロコハ何処?ヒロコハ何処ニ行ッタノ?」とわたしの姿を探してくれるそうです。~春になったらまたブカに戻るからね!!

大阪国際女子マラソン2007招待選手発表

2006-12-21 | 日本でランニング
 今年もルーマニアよりリディア・シモン選手がナンバーカード1番で招待されました。1998年より3連覇のシモン選手、母国ルーマニアよりも日本での知名度のほうがずっと高いと思われます。なんといってもマラソン愛好者が多い国ですから、日本は!

 写真は、2006年の同大会で出会ったシモン選手とご主人&息子さんです。春にルーマニアに行くことが決まっていたので、覚えたてのルーマニア語でご挨拶、びっくりさせてしまいました。シモン選手、とっても親切に「何カ貴女ノ役ニ立ツダロウカラ。」と大阪在住の彼女の通訳であるルーマニア人女性を紹介してくださいました。 

 今シーズンもお目にかかれるのはとても嬉しいです。でも、わたしのルーマニア語がほとんど進歩していないことがばれますね~(^_^;~

大阪国際女子マラソン2007ペースメーカー発表

2006-12-21 | 日本でランニング
 ルーマニアより、アドリアナ・ピルティア(Adriana Pirtea)選手です~公式発表を見てびっくりしました!ブカのマラソン大会・高地練習の拠点となる山のリゾート地などで出会い、面識のある選手なのです。

ランニング人口の少ないルーマニアでは、国家養成のエリート選手も気軽に市民ランナーに声をかけてくれます。マイダーリンのランニング仲間とも声を掛け合う間柄、一緒にくっついて行動している日本人のわたしのこともすぐに覚えてくださいました。

 写真は10月のペトロ・クロスの表彰式でのアドリアナ選手。日本国旗を携えたわたしの一人おいて右側、このクロスの直前にアメリカでの高地トレーニングから帰国したばかりとのことでした。クロスではもちろん優勝、ガソリン1000リットルゲットされていました。一般の部はこのようなエリート選手も参戦、入賞は狭き門です。

 アドリアナ選手は11月のイスタンブール・ユーラシアマラソン15キロ部門を走っています。52分04秒で8位入賞、さすがのエリートです。

ヨーロッパとアジアの線引き

2006-12-18 | 日本のいろいろ
 ドーハアジア大会が閉幕しました。世界地図を広げて、どこからどこまでの国が参加しているのかな?東は日本、中央アジア~アラビア半島からアジア大会の参加国がやってきています。今年の夏にイスラエルと一騒動あったレバノンなども参加してきています。シリア・イランなどもアジア大会の参加国です。

 ところが、イスラエル選手団はこの夏、陸上のヨーロッパ選手権に参加していました。ということは、イスラエルはヨーロッパ圏になるのでしょうか?北隣のレバノンはアジア圏?東隣のシリアやヨルダンもアジア圏?イスラエルはイギリスから独立したからでしょうか?シリア・レバノンはフランスから独立していますが・・・?

 イスラエルはユダヤ教だから?ほかのアラブ諸国はイスラム教だから?とても疑問です、疑問ですが誰に尋ねることもできません。Yahooの知恵袋に尋ねてみましょう~

 さっそく答えが見つかりました。「イスラエルは、アジア大会を主催しているアジアオリンピック評議会に加盟していないから」でした。非加盟の経緯などはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に記載されています。とても判りやすいので、そのまま貼り付けておきます。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 アジアオリンピック評議会(-ひょうぎかい、Olympic Council of Asia、略称OCA)は、アジア地域の国内オリンピック委員会(NOC)の集合組織。アジア競技大会等を主催している。本部はクウェートに置かれている。モットーは「限りなき前進(Ever Onward)」。

 1982年アジア競技大会(ニューデリー)の開催直後開催された「アジア競技連盟」(AGF)総会で、それまで大会ごとに組織されていたAGFを発展的に解消し、OCAを設置することが決議された。

 このニューデリー大会については、当時のインド政府がイスラエル人の入国を拒否していたことから、イスラエルは参加しておらず、当然、大会後のAGF総会にも参加しなかった。その結果、イスラエルはOCAには参加せず、その後の国際スポーツ界においてはヨーロッパ地域に属することとなった。

 OCAの設置を提唱したのはアラブ諸国(イスラム教国)が中心であり、1962年アジア競技大会(ジャカルタ)においてもイスラエル排除(招待しなかった)などが問題となっており、OCA設立においてはパレスチナ問題の影響が見られた。