ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

2014年6月号目次

2014-06-30 | 目次


A table of content:
2014-06-01
2014-06-02
2014-06-03
2014-06-04 フランスTPC大会、女子総合3位
2014-06-05
2014-06-06
2014-06-07
2014-06-08
2014-06-09
2014-06-10 ブカレストのランニング事情
2014-06-11
2014-06-12
2014-06-13 マラソン談義で盛り上がったパスタパーティ
2014-06-14 会心のアラド・マラソン(レース編)
2014-06-15 前庭の紫陽花
2014-06-16 ビールより高いレモネード
2014-06-17 大学卒業、おめでとう!
2014-06-18 肌寒いブカレスト
2014-06-19 6年ぶり開催のDHLマラソン
2014-06-20
2014-06-21 走らないほうが良かった週末
2014-06-22
2014-06-23 盛り上がるワールドカップサッカー
2014-06-24 それぞれの卒業
2014-06-25 マイケル・ジャクソン小路
2014-06-26
2014-06-27
2014-06-28 名前のコーラ
2014-06-29
2014-06-30 2014年6月号目次


ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑


雨が行き渡って欲しいです

2014-06-29 | ルーマニア・ブカレストの日常


ヨーロッパのある地域では、渇水のため雨乞いの行事が行われたりしているというのに、セルビアの洪水に始まりブルガリア、そしてルーマニア南部も集中豪雨に見舞われています。6月1日にせっかく海開きをしたコンスタンツァも、雨続きで道路が川のように水びたし。そんな日が続いて、せっかくひとあし早く海に行ったのに「寒かった~」と帰ってきた友人も。
 


ブカレストでも、例年に無く突発的な雷雨が多く、今年ほど晴雨兼用パラソルが役に立つ年はありません!~今週水曜日も土砂降りに合いました。でも、降り始める直前にバスに飛び乗り、そのバス路線の始発からほぼ終点までの乗車時間のうちに、雨はほぼ小降りに。でも、道中はものすごい雷雨==。しかしながらあの雨風は、晴雨兼用パラソルでは防ぎきれない・・・。
 


木曜日は曇りがちでものすごい風、薄日をも避けるためパラソルを差したかったけれど、開くことが出来ません。金曜日も未明から、雷雨。昼過ぎまで雨は降りやまず。例年6月も中旬ともなれば熱波もやってきて、「暑い暑い」の挨拶だったのに。なんだか変です。そのせいか、ルーマニア産のスイカが出まわって来るのが遅いかな。

ルーマニアには無い晴雨兼用パラソル:
もちろん日本から持参&空輸で、今のものはすでに2代目。もともと色黒で紫外線対策が欠かせない私にとって、パラソルは必携です。ここの人にどんなに怪奇な目で見られても!・・・子供ですら「雨、降ってないよ==??」と言ってきます。

日傘はルーマニアにも存在します。もちろん輸入品で、豪華にレースなどがあしらわれ、贅沢品という感じ。穴あきレースだと、日が差し込んでくると思うけれど、お洒落のためだからそれでいいみたい。

晴雨兼用パラソルは、存在しません@ルーマニア。理由はかんたん、使う習慣が無いからです。


 
記事中の写真は、雨続きで水かさが増したチタン公園の湖。もともとこの公園は、遊歩道から水際が近く、カモ達にえさをやったり、夏場にはワンコが泳いでいたり、さらには子供たちも泳いでいたりするのです。


ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑

名前のコーラ

2014-06-28 | ルーマニア・わたしの日常


日本から、「名前のコーラ」~滋賀のラン友(=昨年ブカレストマラソンを走りに来てくれた彼)から、「HIROKO」と「OGAWA」の両方を同時に見つけたから、と、その写真を送ってくれました。
 
これ、ルーマニアにもありました、昨夏のブーム。友達のを見つけたら、私は飲まずにとっておいてサプライズでプレゼント~。カップルで見つけたときは、嬉しかった==お揃いでプレゼント出来ました。
 
だいたいにおいて、ルーマニア人の名前はオーソドックスなものが多いです。たいてい聖書の中の聖人の名前をつけるし、または、歴史上の英雄にちなんだ名前です。それだけ、宗教と歴史を重んじる国だと私は思っています。男性ならクリスティ、ミハイ、ボクダン、アレクサンドル、アンドレイ、イオン、ステファンなどなど。女性ならマリア、ミハエラ、イオアナ、オアナ、アンドレアなどが、ルーマニア人に多い名前。
 
マイダーリンはほぼ皆に「ダン」と呼ばれているけれど、本名はもう少し長いです。「ダニエル」からも「ダン」と呼ばれますが、ダーリンはダニエルではありません。私の知り合いの中で、姓も名も、ダーリンの名前は一人だけ。
 
日本では奇をてらったような名前がどんどん考え出されているけれど、私の名前はオーソドックス。両親からもらった名前にはちゃんと女の子らしい「子」がついていて、私は気に入っています。
 
そして、ルーマニア人にとって「HIROKO」はアルファベットの配列からも覚えやすく発音しやすい名前だそうで、おかげですぐに人に覚えてもらえるのでよかったかな=。(ただし、「h」を発音しないフランスでは、最初「IROKO」と言われることが多いけれど、外国人の名前なのでそのうち、ちゃんと発音してもらえます。)
 
しかしながら、「名前のコーラ」in Japan、たくさんの名前がありすぎて、日本のコカコーラ社、ラベルプリントするのにデータ集めが大変だったに違いない。ルーマニアでは、名前(ファーストネーム)だけのラベルでしたが、この写真(一番上のもの)を見ると、日本では苗字&名前の二本立て。
 
そこでぴったり当てはまる名前のワタクシ、マドモワゼル、ごく普通の名前と自覚していますが、自分の人生はオリジナルで楽しくいきたいものです==♪


ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑


マイケル・ジャクソン小路

2014-06-26 | ルーマニア・ブカレストの日常

 
急逝からもう5年。6月25日でした。ブカレストのヘラストロウ公園には、マイケル・ジャクソン小路があります。今日の記念碑前では彼の歌声が流れ、蝋燭をともす人、踊る人、ただ立ちすくむ人・・・
 


亡くなったすぐあとの8月に、この記念碑は完成しています。



ルーマニアの社会主義崩壊後、1992年と1996年の2度、マイケルはブカレストにやって来ています。社会主義崩壊後、マイケルがルーマニア公演に来てくれたことは、自由主義への憧れが爆発したようなもの。ステージにマイケルが登場した瞬間、失神するファンが続出したというほど。ブカレストっ子にとって、マイケルは音楽性と共に、社会主義からの解放の象徴でもあったのです。
 


マイケルの2度目の公演はマイダーリンも見に行ったそうです。親友とそのGF、そして自分のGFの4人のダブルデート。盛り上がったこと、必至。

ちなみに初回訪問のブカレスト公演で「ハロー、ブダペストの皆さん!」(=ブダペストはハンガリーの首都!?!)と言ってしまったことは、あまりにも有名。

でも、『ライヴ・イン・ブカレスト/マイケル・ジャクソン』(1992年に350万人を動員した『Dangerous Tour』の中から、ブカレスト公演の模様をDVD化)のおかげで、ブカレストはルーマニアの首都、と知れ渡るようになったはず。



Memorial, Michael Jackson, a murit 25.06.2009
@Aleea Michael Jackson, in Parc Herastrau
His voice flows in front of the monument today, people light the candles, people dancing, people just stand rooted to the spot,,,,

5年前のこの日:
私とマイダーリンはギリシャでトレイルラン(オリンポス・マラソン、43.8キロ)に参加していてキャンプ生活。彼の死を知ったのはその4日後だったのです。ダーリンに言わせると「マイケルはヒロコのアイドル」、確かに同世代。当時のギリシャでの雑誌などの様子はこちらから。


ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑

それぞれの卒業

2014-06-24 | ルーマニアを想うとき


ダブルのおめでとう、卒業とご懐妊。医学系を目指しましたが、ひとまず看護系大学を卒業、看護師への道が開けています~高校時代に日本語専攻だった縁で出会ったIちゃん。
 
それと同時に、赤ちゃんを宿していることが判りました。「今日、モグラフィーを受けるの、男の子かしら?女の子かしら?」、12月にはママになります。「日本語の名前は、どんなのがいいですか?」と尋ねられて、子供を持たない私がいつも思っていたのが、女の子だったら「さくらこ」、男の子だったら「隼人(はやと)」。

「さくらこ」は「桜子」でもいいけれど、「さくら」は絶対に「cherry blossoms」。マンモグラフィーの結果がわかったら知らせてね、隼人かな、さくらこかな。
 
「たぶん、はやとです=」、その日のうちに知らせが。大学1年生の夏に、アルバイト先で知り合った2歳年上のボーイフレンドと丸2年の月日を経て、越しかた行く末、この夏一緒に暮らし始めることになりました。
 
ルーマニアでは、正規雇用の女性に対して手厚い出産休暇があります。出産前3ヶ月から産後1年間、給与の6割を国から支給されて休暇をとることができるのです(5年ほど前までは、2年間の産休保障でしたが、制度改悪)。民間企業でも公務員でも同じ、制度は保証されています。でも民間だと「早く職場に戻って来い=。」と圧力もあるようです。
 
しかしながら、学生の身ではその保障はありません。ボーイフレンド(tatoo施術者)と自分のアルバイト収入だけが頼り。看護系大学から医学系を目指すと言っていたIちゃんですが、今はすべて休止、生まれてくる隼人にひとまず夢を託します。困難に間違いないけれど、自分の夢を置き去りにしないで。


ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑


盛り上がるワールドカップサッカー

2014-06-23 | ルーマニア・ブカレストの日常


いよいよ盛り上がってきました、ワールドカップサッカー。ルーマニアでは民放で全試合テレビ放映があって、番組開始はルーマニア時間の1:00、4:00、19:00と22または23:00。連日、男連中が顔を合わせれば「あの試合はどうだった」「あの国は良くやった」とつぶさにサッカー論評。今は全世界と同様、コスタリカを絶賛。
 


そういう人たちは各年代の優勝国をつぶさに覚えていたり、さらに試合内容までしっかり記憶していたり、と、とにかくサッカーに夢中。
 


スーパーのチラシや雑誌などに星取表がついていて、それに連日、試合結果を書いていくのも楽しみ。
 


ルーマニア代表チームは残念ながら1998年を最後に出場していませんが、マイダーリンに言わせると「サッカー強豪国の多いヨーロッパだからね。歴史の浅いアジアとは違うんだ。」とちょっとお高く出ています。歴史大好きなダーリン、もちろんサッカーに関する歴史もよく覚えています(こちら「ルーマニアのワールドカップサッカー参戦歴」から)。
 


スーパーでもここぞとワールドカップ商戦、うずたかく積まれたビールを飲みながらテレビ観戦してね、と言うことらしい。



それぞれの出場国のビールが集められたり(残念ながら日本のアサヒもキリンもありませんでしたが)、各国の国旗が店頭に並んだり(これまた日本の国旗はありませんでしたが)。
 


とにかくサッカーと言えば熱くなります、熱くなりすぎて国を超えて乱闘騒ぎが起こったりするのもヨーロッパ。ブカレストでも昨秋、予選大会のときにこんなことがありました(こちら「ルーマニアに押し寄せたハンガリーサポーター達」から)。歴史上の民族の対立・国家間の対立なども背景にあるようで。国民感情が巻き込まれるのはどこでもそうなるらしいですが。 



数字メモ:
ルーマニア代表のFIFAワールドカップ出場回数は7回、初出場はFIFAワールドカップ初開催の1930年、13カ国が出場。このときルーマニア代表チームは船旅だったそうです。最高成績は1994年のベスト8。
同じくUEFA欧州選手権には3回出場、最高成績は2000年のベスト8。

単語メモ:
日本と同じグループで好戦しているコートジボワールは英語でCôte d'Ivoire、ルーマニア語ではCoasta de Fildes。fildesはアイボリー(象牙)。この地域の海岸が象牙海岸と呼ばれていたから。


ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑

走らないほうが良かった週末

2014-06-21 | ルーマニア・わたしの日常


消極的な話題ですが、二人とも、「走らないほうが良かった」と言ったそれぞれの週末。マイダーリンは「行かないほうがよかった。」とも。
 


ダーリンは、ブカレストから車で6~7時間かかるところにあるレテザット国立公園で開催されたトレイルレース28キロ、高低差2300m+。



ガレ場とロープを伝わなければならないほどの急傾斜(レースでは下り部分)が続き、残雪あり残氷あり、非常にテクニカルなコースだったようです。ルーマニアで最もテクニカルなコースとされている老舗のピアトラ・クライウルイ・マラソン(42キロ)をも上回る危険度、と。



さらにブカレストでも肌寒い日が続いた週末の山岳地方、ダーリンは単独のテント泊だったので疲れ倍増、レース後は山小屋に投宿しました。テント泊も、こじんまりとしたテントに二人寝ならば寒さを感じたことがありません。人のぬくもりって、ありがたいです。



でも、このレースの完走メダルは、美しいエーデルワイス(ルーマニア語でflori de colt)、一番上の写真。
 


わたしは6年ぶり開催のDHLマラソン、山岳マラソンでロード8割弱、トレイル2割強。ほぼペイヴドですが、そこで急傾斜の上り下りがあります。レテザット・トレイルにエントリーしていたけれども回避して、ペイヴドのDHLに。これは思い入れ深いマラソンだったから。
 
しかしながら、連戦に続く連戦で回復のしようがない腰痛。スタートから飛び出した女性ランナーを何とか捕まえようとのぼりでがんばったものの、下りは腰が悲鳴を上げ走れません。でも一歩も歩かずに、追いつかないことは判っても一秒でも速く、過去にこの大会を3連覇したディフェンディング女王です。
 
ゴール手前で3キロほども続くトレイルは、傾斜は緩やかながらも足場の悪い草地、そして泥道。バランスをとるためには体幹の強さが必要だけれども、もはや腰部分がそれを支えきれません。
 
二本指を立ててゴール、これは「V」サインではなく「2位」の印。ゴール後は丸くなってうずくまりました。とにもかくにも腰を伸ばすことが出来ません。身体を丸めたまま座り込んで居ると、腰の痛みがさらに脚部まで及んできてしびれてきました。立ち上がることが出来なくなり、標高900mほどのゴール地点で雨模様、かなり冷えてきたこともあってそのまま抱えられながら救急隊の車の中へ。
 
鎮痛クリームを塗ってもらって暖かい車の中で丸くなっていると、身体も温まってきました。即効性のある痛み止めの錠剤を処方され、普段は摂りたくない成分ですが、とにかく普通に動けるようにならないと。空腹で摂取すると胃に影響があるので、ちょうどポケットに残っていたエナジーバーを食べてから、錠剤を飲み込みました。その後、身体が温まると動けるようになって、立ち上がることが出来るようになり、救急部署を後にしました。
 
自分としては最後まであきらめずに走ったDHLマラソン、走り切れてよかったです、でも古傷となった腰痛がそれにより好転するはずも無し。テクニカルなトレイルレースを回避したものの、いずれにせよ走らないほうが良かったのかもしれません。
 


でも、みんなに会えて良かった=。


ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑


6年ぶり開催のDHLマラソン

2014-06-19 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


2005年から4年連続で開催されていたDHLマラソン、2008年を最後に経済危機で中断されていましたが、6年の年月を経て同じコースで同じ大会が開催されることになりました。時期も同じ、6月中下旬。
 
DHLマラソンが開催されていた当時はまだまだランニング人口は少なく、国内で開催されるフルマラソン大会といえば、3つほどしかなかったのです(AIMS公認レースのティミショアラ、ルーマニア選手権を兼ねているシギショアラ・メディアシ、そして民間開催のDHL、DHLは日本にも来ている国際宅配便会社)。
 
これはチャリティーイベントで、過去4年間総計で、個人種目(フルとハーフ)に参加したのは合計約2000人、6人でつなぐ駅伝には230チームが参加していました。このマラソン大会では、収益のすべてを難病を抱える子供たちのためのNGOに寄付されています。

4年間の寄付総額は60.000ユーロ。そのNGOはブカレスト腫瘍病院の小児セクションに無償の援助をしたり、また、視覚障害児のための点字書籍のための活動をしていたり、自閉症・失読症・ダウン症と診断された子供のための8箇所の教育センターを手助けしているのです。
 
マイダーリンは第1回大会に駅伝チームで参加、登りの第1区を好走し見事優勝しています。私は第2~4回大会でフルマラソンを走り、3連覇。最速タイムは3時間5分で、プレデアルからルシュノフをへてポイアナ・ブラショフに駆け上がる山岳フルマラソン(ロード8割とトレイル)を制しているのです。2007年の第3回大会では、マイダーリンとワタクシ、マドモワゼル、アベック優勝♪
 
今ではとてもそんな力は無いけれど、どれくらいで走れるのだろう。体調が悪かった2008年大会は、登り坂でかなり歩いたりもしました。今回はどれくらい歩かないで行けるだろう?(急激なのぼりで歩きが入るのは覚悟の上)
 
それよりも何よりも、2004年にフランス大会で知り合った最初のルーマニア人3名のうちの一人、ステファンがグリーンカードを得て家族揃って7月にアメリカ移住が決まっています。彼はスピードランナー、めったにフルマラソンを走らないけれど(下記:参照)、このDHLをルーマニアでの最後のフルマラソンに選びました。ステファンの息子達も大学生になり、駅伝に参加します。彼らのゴールを祝うために、DHLマラソンへ、いざ。

ステファンはギネス記録ホルダー:


2013年ブカレスト国際マラソンで達成された『6人のつながれたランナー』によるマラソン・ギネス記録、2時間54分14秒、ステファンもその6人のうちの一人です。

走っても最速ステファン、つねに周りの人がうまくいくように気を配り、「僕たちは動物じゃない、人間なんだから。」と助け合う大きな寛大な心を持っています。

間違いなく、私の人生の中で出会った最良&最速&最、がいくつ重なるか判らない、そんな人。・・・ルーマニア・ランニング界は、ステファンのUS移住により、それはそれは大きな逸材を失うことになります(新生活へ激励の涙・別れの涙・・・)。

一番上のイラストは、DHLマラソンのサイトより拝借、リンクは画像をクリック。


ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑


肌寒いブカレスト

2014-06-18 | ルーマニア・ブカレストの日常


例年ならこの時期、熱波が来て急に40℃以上に気温が上がったりするのですが、今年はそんなことなく快適です。先週だけは気温30℃越え、一気に夏が来たか、と覚悟したけれど、今日も朝から雨風続き。ちょっと曇り空&雨雲が多すぎる今週。夏至を前に一番日が長いはずなのに、その恩恵を受けていません。
 
日本では、エリニーニョの影響か冷夏の予報もあるらしい~涼しくすごせるのは助かるけれど、長梅雨・集中豪雨・低温・・・、農作物に影響が出てしまうのはどうしても困ります。いつもTシャツでいるから、夏物ニューモード商戦にはもともと興味なし。
 
暑くないのは助かります、私はフランスTPC大会から帰っても週末ごとに転戦中=。8日にトレイル44.5キロ(6時間18分で女子総合3位)、14日にフルマラソン(ロードで3時間32分、地方都市の第1回大会だったので女子総合優勝)、この週末は山岳フル(ロード8割とトレイル)、マイダーリンはガレ場の多いトレイル28キロに行きます。

私はトレイルの下りが苦手、ガレ場は特にダメなので、腰も痛いし、入賞の賞金とトレイル用品は魅力的だけれど、リスク回避となりました。ダーリンはテント泊で参戦、週末まで続く雨予報が心配。
 
一番上の写真は、今が盛りと咲く紫陽花、国立競技場前の通りに面したとある一軒家の前庭。


ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑


大学卒業、おめでとう!

2014-06-17 | ルーマニア・ブカレストの日常


Felicitari pentru absolvire!(卒業おめでとう!)
ルーマニアの大学は10月始まりの6月終了、今は卒業式のシーズン。そして、1年生のときからずっと日本語を教えてきた学生達が早くも卒業となりました。大学は3年制、短く感じあっという間の月日でした、とにもかくにも感慨深いです。
 


黒のコートに四角帽、そしておそろいのリボン(この学生たちは赤)が卒業生の正装、みんなとても綺麗で立派に見えて、「おめでとう」の言葉を一人ずつ掛けてあげたいけれど、近づいていくと涙が出そうで、しばらく遠巻きに居ました。
 
この国立土木大学では、学部がたくさんあるので卒業式は学部ごとに行われます。私の学生たちは、外国語学部。いくつもの外国語を学び、通訳や翻訳家を目指します。第一外国語は英語、全員必須。第2外国語(主専攻)にフランス語・ドイツ語・スペイン語。第3外国語(副専攻)にポルトガル語と日本語。
 
第2外国語では、在学中にすでに翻訳のアルバイトをしている学生達も居るほど高いレベルにあります。第3外国語とはいえポルトガル語はラテン系、スペイン語にも近いので、習得は困難ではありません。が、日本語となると??
 


1年生のときから見てきた彼ら、大学入学までに日本語学習者は2人だけ、ほかの全員がゼロからのスタート。が、とても熱心な女子大生は、1年余りで日本語能力試験5級を取得。彼女はその他の科目にも優秀で、外国語学部の首席卒業生となりました。



小柄で華奢、でも卒業スピーチが待っているこの日は、20センチほどもあるハイヒールを履きこなし、背筋もピンと伸びて颯爽としていました。愛くるしい大きな瞳、誰から見ても可愛らしい彼女、何もちっとも鼻にかけること無く、みんなから愛されています。
 
反面、日本語クラスには男子学生が3名居ました、が、3名とも初心者ということもあって1年に一人ずつ脱落、ほかの授業にも来なくなってしまったようで、3人を卒業式で見ることはありませんでした。いったん志をもって大学に入ったものの、、、。この大学は国立なので、大部分の学生が授業料を国から支給されて勉学に励むことになっているのですが・・・(男子学生3名のうち2名は学費免除生、1名は学費を払ってきていた学生でした)。
 
気になるみんなの卒業後の進路は?首席卒業のアンドレアは同じ専攻で大学院に進みます。在学中から翻訳の仕事をしていたカティはそのまま仕事続行。字がちょっと乱雑で「わんわん」と書くつもりが「わくわく」と書いてあるように見える夢子ちゃんは?
 
EU主催の学生・教員交歓プログラムのエラスムス・プラスの奨学金(scholarship、bursă)を勝ち取り、ポルトガル・ポルト市にある大学院に留学します。半年間の第一期間を経て成績優秀なら半年延長、1年後さらに成績優秀続行なら、最長で2年間、マスター・コースで学ぶことが出来るのです。


 
授業料はもちろん免除、生活費として月500ユーロ支給されます(渡航費の半額も支給されるかも?とのこと)。寮設備は無く、同じプログラムで留学する2人の女子大生達とアパートをシェアすることになるようです。2人の女子大生はポルトガル語副専攻ですが、夢子ちゃんにとってポルトガル語は新しい言語。とはいえラテン語系、スペイン語をほぼ自在に操る彼女にとって、言語は壁ではないようす。がんばって来てね、今のうちにしっかり勉強してね。
 
卒業式に参加して:


外国語学部だけの卒業式だったのでこじんまりと中教室で行われました。学長の挨拶はビデオで、数ヶ国語に堪能な翻訳・通訳者のお祝いのスピーチがあって、学生達に卒業証書が授与されます。



着席の最前列には教授たち。



式に列席するのは、教職員と保護者。3年間学生達を指導し続けた教授たちに、1輪ずつ花が手渡され、卒業生がひな壇に揃って四角帽を投げ上げ、卒業おめでとう=と。シャンパンの振る舞いがあるのが、大学らしいです。



ちょっと驚いたのは大勢の保護者の臨席。式の様子をつぶさにビデオに収め、子供と一緒に記念撮影するのです。そして子供は「卒業おめでとう!」と親から花束をもらうのです。両親が揃って来ている家族も多し。日本では今の時代、大学の入学式に保護者が参列するというのはよく聞くけれど、卒業式はどうなんだろう・・?



ルーマニアの制度:
7歳で入学する小学校は4年、続けて中学校4年、そして高校も4年。その後大学に進むならば、通常は3年制。大学院は2年制。以前は大学4年制&大学院1年制だったのが、EU加盟に伴い制度改正。

ただし、日本から留学した場合、期間や単位数・授業時間の問題で、ルーマニアの大学卒業資格がのままそ日本で認められるかどうかは不明、ケース・バイ・ケースとのこと。私から見ても、かなり休みが多い(=授業時間が少ない)です、ルーマニアの大学。


ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑