第1次世界大戦で戦場になったルーマニアの国土、モルドヴァ地方、Soveja~Mărăşti~Mărăşeşti、この戦線を三種目のランでたどるマラソン大会。
ランの種別:
その1)46キロ・スーパーマラソン
大きなドームの戦没者慰霊碑のあるマラシェシュティからマラシュティまで現在の国道をたどると46キロ・スーパーマラソン。
その2)ハーフマラソン
スーパーマラソンの半ば過ぎ、Străoane(ストラオアネ)にあるエカテリーナ碑(この戦いの唯一の女性兵士)からマラシュティまで21キロ、ハーフマラソン。
その3)マラソン
ソヴェジャからマラシュティまで42キロのマラソン。
私の参加したスーパーマラソン46キロのスタートはMărăşeşti(マラシェシュティ)の戦没者の記念碑公園から。当時の最高指揮官アレクサンドル・アヴェレスクの棺の安置されたモニュメントの地下で、このマラソンのために特別に早朝5時半から開催された慰霊祭。市長さんの言葉の中に、同日の広島原爆記念日へのメッセージもありました。参列者がナンバーカードをつけているのは、これからマラソンをスタートするから。
国旗を掲げながら記念碑公園を2周回。
このマラソン大会は今回で3回目。前回までの2回は、この逆ルート、マラシュティからここマラシェシュティの記念碑公園がフィニッシュのスーパーマラソン46キロ。第3回大会の今年は、42キロのマラソンとハーフマラソンが新設、それぞれ別地点からスタート。昨年46キロを走ったワタクシ、マドモワゼル、今年は逆ルートをたどりたくて同じ距離のスーパーマラソンにエントリー。でも、42キロに人気が集中し、46キロを走るのは私を含めて6名だけ。
それでも、先導に白バイ&監察にパトカー&最後尾に救急車が付いてくれて、地元警察も救急も全面的に協力。おかげで道に迷う心配もなし、日陰の少ない国道で熱射病になってもすぐに救護されます。
盛夏の暑い時期なので、午前6時スタート。ほどなくして日の出。
最初は国旗を掲げながらグループ走。途中いくつかのモニュメントで止まりながら。1917年の英雄碑。地元の人たちと、ハーフマラソンのランナーも一緒に記念撮影。
地元の人たちはこれから先回りしてエイド設営。ハーフランナーは、同じ道をハーフのスタート地点まで運ばれていきます。
この戦場で戦死したドイツ兵の慰霊碑。子供達が薔薇の花を携えて待っていてくれました。
ワインの産地、パンチウ市。軍服を着たお偉いさんも私達を歓迎。ここはまだ15キロ地点くらい。ここからだんだん先頭のペースが速くなり、私はマイペース&風景写真の撮影に。
あれれ、黒人ランナーに注目、ハーフ参加予定のテネ(カメルーン人)ですが、8時半スタートを待ちきれずにスーパーマラソンに合流。ウォーミングアップかな。
ハーフのスタート地点、ストラオアネのエカテリーナ碑。グループ走からはずれ、私ひとりで到着。8時30分スタートのハーフマラソンはすでに出て行ってしまったけれど、多くの人が待っていてくれました。
国道脇はトウモロコシ畑。それにしても日差しが強い。
物珍しげに振り返ってくれる子供達。アジア人の私も珍しいだろうけれど、先を走っているはずの黒人のテネ(カメルーン人)もさぞかし珍しかろう。
地元の人たちも全面協力と温かいもてなし、ほぼ3キロごとの給水所はすべて地元の人たちによるもの。これだけ給水があれば、水不足の心配もなし。
子供達も民族衣装を着てエイドステーションに出てくれました。
途中の国道、かんかん照りの道端にエイド設営されています。待ってくれているのは子供達だけ。「ここは太陽が強くて暑すぎるから、ランナーが来ないときは、日陰に入って待っているのよ。」、思わず声をかけてしまいます。
おでこをテカテカに日焼けさせてしまった女の子、「暑くて(エイドの)チョコレートが溶けちゃった。」~チョコのことよりも、あなたがそんなに日焼けして、大丈夫?日陰で待機するのしていてね。
マラシュティの村まで、最後の5キロは穏やかなのぼり。この上に英雄碑が待っていると思うと、歩いたり出来ません。
村に入ると、こんな大声援。もともとルーマニアの村人たちは、自分の家の前で隣近所の人たちと井戸端会議をするのが大好き。そのためのベンチが設けてあったりするほど。この日はマラソンランナーが走ってくるというので、より多くの人が井戸端会議に参加していたかな。
英雄碑公園の入り口で渡されたトーチ。地元の子供達も一緒に走ってくれます。Tシャツには“Pe aici nu se trece”。
この子達の曾おじいさんやその先の人たちが守ってくれたこの村。武勇談を聞かされ、悲しい犠牲ではあったけれども自分の祖先を誇りに思っていることでしょう。
「日本人がルーマニアの歴史に敬意を表しながらマラソンを完走しました。」、2年連続2度目の参加で、すっかりお馴染みに。
ランナーを一人ひとり迎えるたびに、郷土楽器「spulber」(grup de buciumaşi / hornblower gruop)の音が響き渡ります。
この日を記念して、最寄の基地フォクシャニ(Focşani)から3機の演舞飛行も。地上すれすれを通り、大喝采。
すべてのランのフィニッシュ地点はここ、マラシュティ。最終ランナーを待って、英雄碑の地下で慰霊祭。戦没者の弔いなので赤ワインやコリヴァ(麦を甘く煮た弔い菓子)も振舞われました。
さらに場所を小・中学校へ移して昼食会。細長い講堂で子供達もランナーも一緒に食事。表彰式もここで。
校舎の前で記念撮影。このマラソン大会は単なる走り競技にあらず。
先代の歴史に英雄を偲び、唯一心と愛国心からスポーツの教育的価値を信じ、実行するランナー達のメッセージをこめたイベント。
カメルーン人のテネと。人懐こい笑顔で人気者。
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