野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



3月半ばとなると、早咲きのセイヨウミザクラが満開となり、メジロが蜜を吸うためにやってきます。

暖かくなると姿を消すモズ♀もまだいました。

こちらも暖かくなると姿を消すジョウビタキの♀。黒目が大きく、なかなか愛くるしい顔をしています。

こちらは留鳥のヒヨドリ

近所の池にはアオアシシギ(左)とアカアシシギ(右)の姿がありました。この2羽は、今年ここで越冬したようです。

見た目はかなり違いますが、同じシギの仲間なので、いつも一緒に行動していました。

足が赤いアカアシシギは環境省のレッドリスト(2012年)絶滅危惧Ⅱ種に指定されている野鳥です。

メジロはまだまだたくさん生息しているようです。

もうじき繁殖地に渡るジョウビタキ♀をいっぱいまでズーミングしてみました。



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ジュロン鳥園には、ROYAL RAMBLE(高貴なぶらぶら歩き)という飼育舎があります。アカムネカンムリバトは、ニューギニアに分布、地上をぶらぶら歩いて給餌するのでぶらぶら歩く高貴な鳥の代表でしょう。真っ赤な虹彩が目立ちますね。

アフリカに分布するクミエダムクドリ(組み枝椋鳥)も地上で給餌するようです。

レンジャクバト(連雀鳩)は、オーストラリアに分布するハトの仲間。

レンジャクバトも地面で採餌するのでROYAL RAMBLEの仲間なのでしょう。

ペルーバトは、ペルー北部高地に分布するハトの仲間

ララックニシブッホウソウは、アフリカ南部とアラビア半島に分布するブッポウソウの仲間。

ライラックニシブッポウソウは、地上に住むトカゲ、昆虫などを捕食、その姿が色彩に富んでいるのでROYAL RAMBLEとされたのでしょう。

オオアオミミムクドリ(大青耳椋鳥)は、アフリカに分布するテリムク(照り椋鳥)の仲間。濃い緑色の個体は南アフリカに多いようです。

オオアオミミムクドリも体色が美しく、地上で昆虫などを採餌するのでROYAL RAMBLEの仲間とされたのでしょう。



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 半月ほど前の写真ですが、近所の池にたくさんのカモがきていました。

カモだけでなく越冬したシギもいました。

どうやらアオアシシギのようです。

こちらはツクシガモ

ムクドリと枝から飛びだしたツグミです

これがツグミ

色グロのツグミもいますね。

こちらは腹がグレーのメジロ

ミコアイサのつがい。

この翌日くらいに池のカモの多くは北に向けて飛び立ったようです。



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今日、近所の池に飛来してきたシロチドリを今年初めて見つけました。この画面だけで7羽写っています。

干潟でしきりに餌をあさっているのは、長旅で空腹なのでしょう。

冬鳥のハマシギも1羽混じっていました。

シロチドリとハマシギの体長は同じくらいに見えました。手元のシギ・チドリ類ハンドブックによればシロチドリの体長は15~17.5cm、ハマシギの体長は16~22cm。

シロチドリの大きい個体17.5cmは、ハマシギの小さい個体16cmよりも少し大きいのです。・・・・池のシロチドリとハマシギの体長を比べると、ハマシギがやや大きいようですね。

こちらはツグミとシロチドリの体長比べ。ツグミの個体は24cmくらいあるようなのでツグミのほうが大きいようです。

シロチドリ5羽とハマシギとツグミのそろい踏みとなりました。

普通、シロチドリの胸の黒い線は、前で途切れるのですが、左の個体の線ほとんどつながっているように見えます。

近くにアオアシシギもいましたが、この池で越冬した個体のようです。

参考文献:シギ・チドリ類ハンドブック 氏原巨雄 氏原道昭 共著



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シンガポールで華僑虐殺の指示を出した辻政信参謀のその後を、ジュロン鳥園「ジャングル・ジュエル」(森の宝石飼育舎)の鳥と一緒に紹介しましょう。マレー・シンガポール作戦着手から2週間後となる1941年(昭和16年)12月22日、本間雅晴中将指揮する第14軍は、フィリピンに上陸、1月2日には早くも首都マニラを占領しています。・・・コウカンチョウ(紅冠鳥)

しかし、アメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー司令官は、マニラの北西にあるバターン半島に立てこもって強く抵抗、1月16日以降、米軍の抵抗に逢い多数の損害が出たため本間中将は2月8日攻撃停止を指示することになります。・・・ウチワキジ

このときの日本は、中国から東南アジアに至る広い地域で作戦を展開中で、米軍を兵糧攻めする時間的余裕はなく、結局増援部隊多数を投入して4月3日に総攻撃を再開、4月9日バターン半島総司令官エドワード・キング少将が降伏を申し入れてきています。・・・オウカンエボシドリ

各地で投降した米軍とフィリピン軍の数は約8万、非戦闘員を含めると10万人以上、この捕虜のための食料や後方への輸送手段は無く、結局バターンから鉄道駅があるサンフェルナンドまでの約60kmを数日かけて徒歩で行進させることになります。・・・キンクロハジロに似たカモ

この「バターン死の行進」中に捕虜虐殺が多数発生(公式には行方不明者とされた)、その虐殺命令を出した人物は、2か月前のシンガポールで華僑虐殺を指示した辻政信参謀でした。・・・日本にはいないカモ

当時参謀本部作戦班長に栄転していた辻政信は、シンガポールでの経験を生かし作戦指導するとしてバターン攻略戦に参加、辻参謀が各部隊の司令部を回って口頭で捕虜を射殺せよと命令、各部隊はそれを下部に伝達し捕虜射殺したことが判っています。・・・アマサギの仲間のようです

捕虜射殺命令を口頭で受けた今井連隊長(大佐)だけは、命令を書面で貰いたいと時間をかせぎ、命令書が届いても捕虜を射殺しなくてすむよう数百人全員を釈放、結局命令書は来ませんでした。・・・名前は判りません

これがバターン死の行進での行方不明者発生の真相で、本間軍司令官は捕虜護送中に1200人のアメリカ人と1万6千人のフィリピン人を死亡させた罪に問われ、戦後絞首刑に処されています。・・・インコの仲間

終戦後、シンガポール華僑虐殺、フィリピン・バターン虐殺の責任を問われた山下軍司令官と本間軍司令官は処刑されますが、その原因を作った陸軍大学三番卒業の優等生、辻政信参謀は戦犯訴追を避けて国内を逃亡潜伏、後に国会議員となっています。・・・キンノジコ



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シンパポール攻略の前段となるマレー作戦で謀略と政治工作を担当したのが「藤原(F)機関」です。その機関長だった藤原岩市中佐(当時33歳)のことをシンガポールのジュロン鳥園のテリムクと一緒に紹介しましょう。・・・アカバネテリムク

藤原中佐は、マレー作戦でイギリス人と共に戦って日本軍に降伏したインド人兵士をイギリス人兵たちから切り離し、彼等の民族心に訴えて最終的に5万人もの規模のインド国民軍としています。・・・アカバネテリムク

元インド国民会議派議長だったチャンドラ・ボースは、1943年シンガポールで藤原中佐の設立したインド国民軍の指揮権を受けて自由インド仮政府を樹立、宗主国イギリスとアメリカへ宣戦布告しています。・・・オナガカラスモドキ

チャンドラ・ボースが指揮するインド国民軍は、インパール作戦で日本軍に協力しますが敗退、終戦後イギリスはインド国民軍の将兵を、イギリス国王に対する反逆罪に問う裁判を開催しています。・・・セイキテリムク

しかし、その裁判を機にインド民衆に独立の気運が一気に高まり、ゼネストや暴動が起きる中、「インド国民軍将兵はインド独立のために戦った愛国者」となり、1947年8月のインド独立を勝ち取る大きなきっかけとなったのです。・・・キンムネオナガテリムク

イギリスの歴史家エリック・ホブズボームは「インドの独立は、ガンジーやネルーが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動よりも、チャンドラ・ボースが率いるインド国民軍に依ってもたらされた」という説をとなえています。・・・ツキノワテリムク

インド国民軍創設者とも言える藤原岩市中佐は、シンガポールで華僑の虐殺が進行中という情報を受けて急遽25軍司令部を訪ね、杉田参謀(37歳)に軍の命令かと質すと、杉田参謀は暗然たる面持ちで、一部の過激な参謀の意見に左右されて粛清の断が強行されているのだと嘆じたそうです。・・・ムラサキテリムク

藤原岩市中佐はこの「一部の過激な参謀」が誰かということを公表していませんが、様々な状況から辻政信参謀(当時39歳)と推測して間違いなかろうと思います。・・・キンムネテリムク

藤原中佐は「この虐殺の結果が日本軍の名誉のためにも、又住民の民心把握、軍政の円滑な施行の上にも良い結果をもとらさないことを強調。インド人工作にも大きな影響があると指摘して善処を願った」といいます。日本軍参謀の中にも良識派はいたのです。・・・キンムネテリムク

参考文献:マレー・シンガポール作戦 森田康平著



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シンガポールのジュロンバードパーク「滝の飼育舎」の鳥と一緒にシンガポールを占領した日本軍の華僑工作を紹介しましょう。1942年2月15日シンガポールを占領した日本軍(第25軍)は、シンガポール(昭南)市民に次のような布告を出しています。・・・インドクジャク♂

昭南在住の華僑で18歳から50歳までの男子は来る2月21日正午までに左記の地区に集合すべし(中略)、右に違反したる者は死刑に処す。なお、各自飲料水及び食料を携帯せよ。大日本軍司令官・・・インドクジャクの♀

布告は華僑(23万6千人、シンガポール市人口の44%)の抗日分子を粛清することで、華僑の中から抗日分子を三日間で選択することになっていました。・・・コウラウン(紅羅雲)はインドから中国南部、東南アジアに分布するヒヨドリ科の鳥。警戒心が強く、なかなか近くに寄れません。

実は、シンガポール作戦を終えた第25軍は、すぐに他の地域に転進する予定となっていて、シンガポールには僅かの兵力しか残らないことから手薄な兵力での治安維持を容易にするための対策だったようです。・・・アフリカのサハラ砂漠以南に分布するウロコカワラバト。東アフリカでは日本のドバトと同じ扱いだそうです。

粛清対象となったのは「シンガポール華僑義勇軍、共産党員、抗日分子、重慶(蒋介石政権への)献金者、無頼漢、前科者」とされ、該当すると判断された華僑(戦後の英国軍発表では約6千人)が処刑されています。・・・硬いトサカのあるホロホロチョウもアフリカに分布する鳥

また、第25軍軍政部長渡辺渡大佐(45歳)名で出された「華僑工作実施要領」は、「占領地域内において服従を誓い協力を惜しまざる者に対してはその生業を奪わず、然らざる者に対しては断乎その生存を認めざる(認めない)ものとす」と、非常に厳しいものでした。・・・滝の飼育舎(ウォーターエビアリイ)の中で、ひと際目立つメタリックな青い羽を持つツキノワテリムク(月の輪照り椋鳥)もアフリカの鳥

抗日分子でなくてもシンガポール、マレー、スマトラ在住の有力華僑には、最低5千万ドルの軍資金調達が命じられ「協力せざる者に対しては、峻厳なる処理を以ってこれに答え、華僑全体に対する動向(日本軍への服従)決定に資せしむ」としていました。・・・ツキノワより少数派ですが、体がメタリック調パープルというムラサキテリムク(紫照り椋鳥)もアフリカの鳥

この通達は日本が敗戦に至るまで継続され、その過程で協力的でない者は抗日分子と判断されて容赦なく処刑されています。・・・カンムリバトは、インドネシア(ニューギニア西部)に分布する鳥でハトの仲間。体長64cmと大きな体をしているせいか堂々としていました。

この第25軍布告は、辻政信作戦主任参謀(39歳)と朝枝繁春作戦参謀(30歳)が発案したのではないかと推定されていますが、その命令を承認した山下奉文軍司令官(56歳)の責任も免れないでしょうね。・・・カンムリバトの光彩は赤でした。

参考文献:マレー・シンガポール作戦 森田康平著



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少し前にもありましたが、早朝散歩する中之島公園のユリカモメの姿がきれいだったので再度紹介しましょう。逆光のユリカモメ

野鳥をこれだけ近くから見ることができる大都会の公園は少ないと思います。・・・大きく翼を広げた逆光のユリカモメ

大都会なので超高層ビルを背景とした野鳥写真となりますが、自然の中に生きる野鳥と、人が造った巨大構造物との対比がまた面白いのです。・・・順光の朝日を横から受けるユリカモメ

ユリカモメの方がビルより大きく見える瞬間があります。・・・足が赤いので成鳥のユリカモメでしょう。

肉眼ではユリカモメの飛び出しをストップモーションで見ることはできませんが、高速シャッターで撮影すれば簡単に見ることができます。

こちらのユリカモメは足が黄色いので若鳥でしょう。

若鳥の飛び出し

飛行中のユリカモメも3羽まとめて写してみました。

ユリカモメのいる土佐堀川水面が穏やかで、水鏡となっていました。



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ジュロン鳥園には、ウインドゥ・オン・パラダイスという鳥舎があり、その中でゴクラクチョウ(極楽鳥)の別名でも知られるコフウチョウ(小風鳥)を見ることができます。



フウチョウは、ニューギニア島と周辺の島に多数の固有種が生息、♂の成鳥は、美しい飾り羽を持ち、♀には飾り羽がなく地味な姿をしています。



ヨーロッパに初めてフウチョウがもたらされた時、その美しさから天国に住む鳥(bird of paradise )と宣伝され、興行師が風をえさにしていると吹聴したことから「風鳥」とも呼ばれたようです。



フウチョウは、全長約32cm、ニューギニア北部と周辺島の平地から1500mまでの山地熱帯雨林に生息、パプアニューギニアの国旗、国章、国鳥ともなっています。



フウチョウは原産地での生息数が激減したために、輸出は禁止されていますが、ニューギニア航空の成田就航を記念し、2002年にパプアニューギニア政府から上野動物園にアカカザリフウチョウ2ペア(オス2羽・メス2羽)が贈られています。・・・雲の隙間から太陽の光が差し込み、コフウチョウのグリーンの羽毛の細部を写すことができました。



コフウチョウは、繁殖期に多彩な求愛ダンスを踊ることで知られていますが、ジュロン鳥園でも求愛ダンスの一部を見ることができました。

さて、ウインドゥ・オン・パラダイスの中には、ペルーの国鳥として知られるアンデスイワドリもいました。日本では、上野動物園で見ることができるようです。



カザリドリ科のアンデスイワドリ(岩鳥)は、全長約30cm、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアにかけてのアンデス山脈に分布しています。



アンデスイワドリオスの頭部の冠羽は、求愛ディスプレイとしての役目があるようで、ときにはクチバシが隠れてしまうくらい大きく前方に膨らむようです。





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ジュロン鳥園で見たショウジョウトキは、南アメリカ北部沿岸に分布する鳥で、集団繁殖するコロニーをつくることで知られています。・・・ショウジョウトキの体長は約60cm、翼開長は100cm。

日本でもショウジョウトキは各地の動物園で展示されていて、容易に見ることができるようです。・・・初列風切り羽の先端は黒でした。

ジュロン鳥園でも多数飼育されていました。・・・ショウジョウトキの背後にクチバシの平たい鳥が見えますね。

メキシコ湾岸、中央アメリカ、南アメリカ、西インド諸島に分布するベニヘラサギでしょう。

ベニヘラサギは、コウノトリ目、トキ科、ヘラサギ属で体長は69~81cm、翼開長120cm。

このベニヘラサギを飼育展示している日本の動物園は少ないようです。・・・翼の裏側はピンク色をしていました。

野生のベニヘラサギは、ショウジョウトキなどと混合コロニーをつくるようですが、ジュロン鳥園でも両種が混合で飼育されていました。

やや暗かったのでシャッタースピードを遅く設定、翼の先端が流れてしまっています。

こちらはユーラシア大陸中部とインドで繁殖するヘラサギ。去年、南港野鳥園にも飛来しています。体長85cm、翼開長120cmとベニヘラサギよりほんの少し大型ですね。



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シンガポールでの英国軍降伏を受けた後の大本営発表と、山下奉文軍司令官のことをシンガポール植物園、蘭園のVIPランと一緒に紹介しましょう。・・・コケのアーチ

1942年2月15日大本営は「2月15日英帝国の東亜(東アジア)侵略の牙城シンガポールは遂に陥落した。いまこそ英帝国を東亜より放逐し、その支配の鉄鎖を断ち切り、東亜再建の黎明は正に訪れんとしている」・・・これもランの花の仲間でしょうか。

「皇紀2602年(1942年)2月15日、この日こそは世界歴史の転換を約束する日であり、一億の日本民族、否、東亜十億の民族がその魂の奥底から歓喜するのである」と発表しています。・・・涼しい環境を好む植物の展示室はしっかり冷房されていました。

日本各地では賑やかな提灯行列が盛大に行われましたが、現地、特に軍司令部の戦勝第一夜は戦闘間と変わりなく静かな夜であったといいます。・・・シンガポール植物園の中の小高い丘にはVIPランの展示場がありました。

日本軍は部隊をシンガポール市内に入れて不祥事が発生することを慮り、各師団をして終戦時の線を越えて市内に進入ことを禁じ、まず師団から抽出した兵力を補助憲兵として第二野戦憲兵隊長の指揮下に入れ治安の維持を図っています。・・・VIPラン展示場前の広場は、記念写真の撮影スポット。

 

降伏直後の処理は整々と実施され、英軍との間に特別の問題が発生することは無かったようです。(捕虜約10万人のうち5万人がインド兵だった関係かも知れません)・・・VIPオーキッドガーデンの説明看板

2月19日軍司令部は、ブキバンジャンからシンガポール市郊外のまだ戦禍の跡も生々しいラフルス大学に移されています。・・・イギリスのサッチャー元首相の名前が付いたラン

翌20日、ラフルス大学校庭で荘厳な合同慰霊祭が行われ、ついで戦死者に厚く、生存者に薄く、通信や工兵、直協飛行隊などの支援部隊の将兵が重視された感状授与式がありましたが、山下軍司令官自らの発意であったそうです。・・・イギリスの故ダイアナ妃の名前がついたラン

ところでシンガポールより先に陥落した香港やマニラでは、勝利の入城式が盛大に行われましたが、シンガポールでは遺骨を抱いた部隊代表が静かに市街を行進しただけだったそうです。・・・日本の雅子皇太子妃殿下の名前が付いたラン

参考文献には<華々しいマレー作戦勝利のしめくくりとしては、一見ふさわしくないようにも見えたが、これぞ真の戦いはこれからであるとの自戒と、勝っても驕らない日本軍の真の姿を世界に顕現しようとする山下軍司令官の偽らざる気持ちの表れであった>と書かれていました。

参考文献:第二次世界大戦史 マレー作戦 陸戦史研究普及会編



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1942(昭和17年)2月15日19時、シンガポールの英軍司令官パーシバル中将(54歳)が停戦条件について山下奉文軍司令官(56歳)と会談、「山下中将がイエスかノーかと卓を叩いて威嚇した」という噂の真相をシンガポール植物園のラン園と一緒に紹介しましょう。

<山下:先に軍使に渡した当方の要求事項を見られたことと思うが。パーシバル:見ました。→山下:前記条件をさらに詳細にしたものがその書類(降伏勧告)である。それによって実行して貰いたい。パーシバル:シンガポール市内は混乱している。非戦闘員もいるので千名の武装兵を残置することにして貰いたい>・・・入り口にある噴水池

<山下:日本軍が進駐して治安を維持するから心配はいらない。パーシバル:英軍はシンガポールの事情を良く知っているので千名の武装兵を保持したい。山下:日本軍がやるので安心されるがよい。パーシバル:市内では略奪が起こる。非戦闘員もいる>・・・散策路のラン

<山下:非戦闘員には武士道精神をもって保護を与えるから大丈夫。パーシバル:空白ができると略奪が起きる。略奪による混乱は日本軍のためにも治安上好ましくない>・・・ラン園を代表するランのアーチ

<山下:それなら日本軍は夜に入っても攻撃を続行する。パーシバル:夜間攻撃は待ってもらいたい。山下:この停戦の話がつかない限り攻撃は続行する。パーシバル:シンガポール市内が混乱するので千名の武装はそのままにしたい>・・・タンフーシャンのミストハウスというランの展示場

<山下:(近くの池谷参謀に)夜襲する時刻は、池谷参謀:20時の予定です。パーシバル:夜襲は困る。山下:一体、英国軍は降伏するつもりか、どうか? パーシバル:(暫くしてから)停戦することにしたい>・・・その内部

<山下:(通訳官に対して)夜襲の時刻が迫っているから、英国軍に降伏するのかどうか(簡潔に)イエスかノーで返事して貰え。パーシバル:(通訳官の通訳を聞いて)イエス。千名の武装を認めて貰いたい。山下:(あっさりと)それはよろしい>・・・珍しいランの花が咲き誇っていました。

当時、日本の新聞は「英軍無条件降伏。山下将軍がイエスかノーかと卓を叩いて威嚇」と大衆受けするように報道しましたが、処理要領に無条件降伏の字句はなく、会見時に山下将軍の威嚇も無かったのでした。・・・珍しい朱色のランの花

後に山下将軍が戦犯としてフィリピンで刑死する直前、「シンガポール降伏会見での誤解を解いて(新聞報道の誤りを訂正して)おきたかった」と伝えられています。・・・こちらはよく見かけるランの花

参考文献:第二次世界大戦史 マレー作戦 陸戦史研究普及会編



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1942年(昭和17年)2月10日、日本軍の攻撃に直面しているシンガポール英軍に対してチャーチル首相が送った激励電報と翌11日、日本軍の山下軍司令官が英軍に送った降伏勧告をシンガポールジュロン鳥園のペリカンの写真と一緒に紹介しましょう。・・・オーストラリア、タスマニアに分布するコシグロペリカンは、全長150~190cm、翼開長2.3~2.5m、体重4~6.8kg、最大13kg、クチバシは40~50cm

<英国軍の兵力は、日本軍よりもはるかに優勢である。(当時チャーチルは日英兵器の質を、ロールスロイスとダットッサンほど違うと考えていたようです)敵を粉砕すべきである>・・・コシグロペリカン

<この期に及んで、(降伏して)兵を救うとか住民を傷つけないとかを考えるべきではない。何を犠牲にしても徹底的に戦うべきである。指揮官と上級将校は兵と共に死すべきである>とチャーチルは玉砕を指示しているのです。・・・コシグロペリカンの向こうにモモイロペリカン3羽。沖縄に迷鳥として飛来することもあるそうです。

しかし翌2月11日、山下奉文第25軍司令官は「英国軍司令官に対する降伏勧告文」を通信筒に入れて飛行機から英軍に投下しています。・・・ヨーロッパ、アフリカ、アジア南東部に分布するモモイロペリカンは、全長160cm、翼開長2.8mとこれも大型の鳥です。

その降伏勧告文は<大日本軍司令官は日本武士道精神に基づき、ここに在マレー英国司令官に対する降伏勧告をする光栄を有す>と、大英帝国軍を圧倒し勝利が目前となった喜びからはじまり・・・ハイイロペリカンはペリカンの仲間の中で最大種

<貴軍が英国の伝統的精神に基づき孤立克くシンガポールを守備し勇戦、以って英軍の名誉を高らしめつつあることに対し、予は衷心より敬意を表するものなり>と、まず力戦した相手を褒め・・・ハイイロペリカンは、東南アジア、インドなどユーラシアの熱帯域に分布し、日本にもごくまれに渡来するといいます。

<然れども戦局は既に決せられ、シンガポールの陥落は目睫の間に迫れり。故に今後の抵抗は徒らに多数の在シンガポール非戦闘員に直接危害を与え、且つ戦禍に苦しましむるに過ぎざるのみならず、この上、更に英軍の名誉を増す所以とは考えられざる所なり>と、人道的な配慮を示し・・・ハイイロペリカン

<本職は、素より閣下が我が勧告に従い、今後の無意義なる抵抗を断念し、速やかに軍使を派遣する処置を取られるべきを期待す>と、降伏を強要・・・ペルーペリカンは南米太平洋沿岸部に分布、魚などを食べる大型ペリカン。

<若し依然として抵抗を継続するに於いては、軍は人道上忍び難しといえども、やむを得ず徹底的にシンガポールに向かい攻撃を続行すべし>と、最後に威嚇・・・これは日本の動物園では見ることができないペリカンかもしれません。

 <本勧告を終わるに当たり閣下に対し敬意を表す>という文章は、陸軍大学を3番の成績で卒業した軍司令部作戦参謀辻正信中佐が起草したのかも知れません。

参考文献:陸戦史集2 マレー作戦 陸戦史研究普及会編

 



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シンガポールの話の途中ですが、近所の池に飛行してきたツクシガモです。風切り羽の後縁部が白く、胸の茶色いリングから腹部に続く線が薄茶色なので♀の幼鳥でしょう。

ツクシガモ♂成鳥は、風切り羽の後方縁が黒、胸の茶色いリングから下腹部に向かう線も黒です。・・・下の写真

ミコアイサの番(つがい)も池にいました。こちらは警戒心が強く、大きく写すのがかなり困難な野鳥です。

留鳥のカルガモは、比較的近くを飛んでくれますが、渡りをするカモの仲間は、なかなか近くを飛びません。

このくらいの距離で撮影できれば、翼鏡のコバルトブルーが良く判ります。ツクシガモのメタリックグリーン翼鏡も一度しっかりと写してみたいものです。

魚専門のハンター、ミサゴもいましたが、やや遠くを飛んでいました。

動きが素早く、なかなか真ん中に入ってくれません。翼の構造は何とか判りますね。

こちらはすぐ近くを飛んでくれたトビ。ミサゴもこれくらいの近さで撮ってみたいものです。

このトビは、ミサゴがいつも使う杭に止まろうとしていました。



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MRTボタニックガーデン(シンガポール植物園)駅に近いエコレイクにいたコクチョウ

入園したのが早朝だったので、明るさが不足していましたが、とりあえずシャッターを切っておきました。・・・その顔の大写し

同じエコレイクにいたリュウキュウガモ

植物園内の至る所で見かけたカノコバト

こちらも植物園だけでなくシンガポール市内の至る所で見かけたオオハッカ

シンフォニーレイクの近く、ヘリコニアウォークのバナナの花の横にいたキバラタイヨウチョウ(幼鳥でしょうか)。

同じくヘリコニアウォークにいたキバラタイヨウチョウ(黄腹太陽鳥)♂。クチバシは、花の蜜を吸いやすいように進化したのでしょう。

虹彩が赤いのでチャノドコバシタイヨウチョウ♀でしょう。この♂は、キバラタイヨウチョウより派手な鳥で、多くのバーダーが写真に撮っています。

ヘリコニアの蜜を吸うため次ぎから次にやってきていました。キバラタイヨウチョウ



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