1942年(昭和17年)2月10日、日本軍の攻撃に直面しているシンガポール英軍に対してチャーチル首相が送った激励電報と翌11日、日本軍の山下軍司令官が英軍に送った降伏勧告をシンガポールジュロン鳥園のペリカンの写真と一緒に紹介しましょう。・・・オーストラリア、タスマニアに分布するコシグロペリカンは、全長150~190cm、翼開長2.3~2.5m、体重4~6.8kg、最大13kg、クチバシは40~50cm
<英国軍の兵力は、日本軍よりもはるかに優勢である。(当時チャーチルは日英兵器の質を、ロールスロイスとダットッサンほど違うと考えていたようです)敵を粉砕すべきである>・・・コシグロペリカン
<この期に及んで、(降伏して)兵を救うとか住民を傷つけないとかを考えるべきではない。何を犠牲にしても徹底的に戦うべきである。指揮官と上級将校は兵と共に死すべきである>とチャーチルは玉砕を指示しているのです。・・・コシグロペリカンの向こうにモモイロペリカン3羽。沖縄に迷鳥として飛来することもあるそうです。
しかし翌2月11日、山下奉文第25軍司令官は「英国軍司令官に対する降伏勧告文」を通信筒に入れて飛行機から英軍に投下しています。・・・ヨーロッパ、アフリカ、アジア南東部に分布するモモイロペリカンは、全長160cm、翼開長2.8mとこれも大型の鳥です。
その降伏勧告文は<大日本軍司令官は日本武士道精神に基づき、ここに在マレー英国司令官に対する降伏勧告をする光栄を有す>と、大英帝国軍を圧倒し勝利が目前となった喜びからはじまり・・・ハイイロペリカンはペリカンの仲間の中で最大種
<貴軍が英国の伝統的精神に基づき孤立克くシンガポールを守備し勇戦、以って英軍の名誉を高らしめつつあることに対し、予は衷心より敬意を表するものなり>と、まず力戦した相手を褒め・・・ハイイロペリカンは、東南アジア、インドなどユーラシアの熱帯域に分布し、日本にもごくまれに渡来するといいます。
<然れども戦局は既に決せられ、シンガポールの陥落は目睫の間に迫れり。故に今後の抵抗は徒らに多数の在シンガポール非戦闘員に直接危害を与え、且つ戦禍に苦しましむるに過ぎざるのみならず、この上、更に英軍の名誉を増す所以とは考えられざる所なり>と、人道的な配慮を示し・・・ハイイロペリカン
<本職は、素より閣下が我が勧告に従い、今後の無意義なる抵抗を断念し、速やかに軍使を派遣する処置を取られるべきを期待す>と、降伏を強要・・・ペルーペリカンは南米太平洋沿岸部に分布、魚などを食べる大型ペリカン。
<若し依然として抵抗を継続するに於いては、軍は人道上忍び難しといえども、やむを得ず徹底的にシンガポールに向かい攻撃を続行すべし>と、最後に威嚇・・・これは日本の動物園では見ることができないペリカンかもしれません。
<本勧告を終わるに当たり閣下に対し敬意を表す>という文章は、陸軍大学を3番の成績で卒業した軍司令部作戦参謀辻正信中佐が起草したのかも知れません。
参考文献:陸戦史集2 マレー作戦 陸戦史研究普及会編