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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



近鉄当麻寺駅で下り、西に歩くと相撲の神「当麻蹴速」の記念塚があります。



さらに西の二上山に向かって進むと、当麻寺の東門が見えきます。



東門の先に広がる境内は意外に広く、手前の鐘楼の中にある梵鐘は、奈良時代前期のもので国宝に指定されています。



当麻寺は、平家の南都焼き討ち(1180年)の際に講堂、金堂が焼かれていますが、現在の当麻寺は、南を正面とする金堂と講堂が並び、その西側に東を正面とする本堂が建つ配置となっています。

左金堂、中央本堂、右講堂



講堂(重文)は、南都焼き討ちから123年後の1303年に再建されたことが、棟木の墨書で判明しています。



金堂(重文)は、内陣の柱に文永5年(1268年)の銘があるのでその頃に再建されたもので、その南には日本最古と言われる石灯籠(重文)が置かれていました。



金堂の南側には、東西2つの三重塔(いずれも国宝)が建っていますが、金堂と東西両塔の間に中之坊などの子院が建てられために創建当初の伽藍配置は判りにくくなっています。

西塔



しかし、創建当時は南の竹内街道方向が正面で、金堂を中心とし、南北方向の中軸線に沿って、金堂の後方に講堂、前方に東西二つの塔を配する薬師寺式の伽藍構成だったようです。



曼荼羅を安置する曼荼羅堂(国宝、1161年)、9世紀の堂を改築した「本堂」で、奈良時代の建築材料が一部に使われていることが判明しているので、さすがの平家も曼荼羅堂には手を付けなかったのでしょう。



当麻寺自体には本坊がなく、中心伽藍は浄土宗と高野山真言宗に属する子院によって管理されています。

当麻寺本堂の奥にある浄土宗知恩院の塔頭奥院の本堂(重文)



奥院の牡丹園に咲く冬牡丹




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