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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



平城京に先立つ飛鳥から藤原京時代(6~7世紀)は、大官大寺・川原寺・薬師寺・法興寺(別名飛鳥寺)が朝廷の保護を受ける「四大寺」とされていました。



蘇我馬子(551?~626年)が飛鳥に建立した法興寺(588年起工)は、平城京遷都に伴って718年に飛鳥から奈良へ移転され、南都七大寺の1つ元興寺と寺名を変えています。



当時の元興寺は、東大寺や興福寺と並ぶ大伽藍を誇り、寺域は南北約440メートル、東西約220メートル、現在の猿沢池の南方、「奈良町」と通称される地区の大部分は、元は元興寺の境内でした。

猿沢池とゴイサギ



平安時代後半になると元興寺は徐々に衰退し、1451年の土一揆では金堂など主要堂宇が焼け、一部の僧房と五重塔などがかろうじて残っています。

元興寺の東門



そのため現在の「史跡元興寺」は、僧房跡が「元興寺極楽坊」、五重塔跡が「元興寺(塔跡)」、さらに元興寺小塔院跡と3か所に分かれて住宅街の中に点在しているのです。

東向きの本堂



世界文化遺産に登録された元興寺は、1977年まで西大寺の末寺となっていた「元興寺極楽坊」で、その本堂と禅室は、奈良時代の僧房を鎌倉時代に改築したものです。

本堂の南側



この極楽坊(極楽院)は、廃仏毀釈のために明治以降荒れ果て、悲惨な状態だったのですが、1962年に元興寺文化財研究所が設立されて整備が進んでいます。

石塔



現在の本堂(国宝-極楽坊本堂)は、1244年に元興寺旧僧房東端部分を改造したもので、内陣周囲の太い角柱や天井板材には奈良時代の部材が再用され、屋根瓦の一部にも飛鳥~奈良時代の古瓦が使用されています。

古い屋根瓦  



本堂の西に建つ禅室(国宝)は、旧僧房を鎌倉時代に改築したもので、最近この禅室の古い建築材を調査したところ、法隆寺最古の五重塔心柱(591年)よりも古い西暦582年以前に伐採されたものが使われていることが判明しています。

禅室(左)と本堂



従って元興寺には、飛鳥時代の法興寺(別名飛鳥寺)の建物や建築材が移転されたことはほぼ間違いないと思われます。

元興寺(塔跡)



室町時代の火災に焼け残り、東大寺の末寺になっていた五重塔(高さ約73mと興福寺の五重塔より高かった)と観音堂は、幕末の1859年の火災で焼失して、今では塔の基礎が残っているだけです。


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