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住吉大社神代記(731年?)などの古文書には、八幡神を応神天皇(誉田別尊 ほむたわけのみこと)としてあることから、河内の応神天皇陵(誉田山古墳)に八幡宮が置かれたのは必然的だったようです。

応神天皇陵



誉田八幡宮は、継体天皇の皇子欽明天皇(509~571年)の命により、応神天皇陵の南に社殿を建立したのに始まるとされ、「日本最古の八幡宮」と称していますが、定かではないようです。

誉田八幡宮の東門



八幡宮と言えば、大分県宇佐の地に神仏習合の八幡神を祀る宇佐神宮が712年頃に創建されたと伝わっていて、全国八幡宮(4万3千社)の総本山とされています。

誉田八幡宮鳥居



宇佐神宮の創建から150年後(西暦860年)、南都大安寺の僧、行教が宇佐八幡宮からの神託を受け、男山に石清水八幡宮を創建しています。

参道から見た誉田八幡宮の拝殿



石清水八幡宮は、源義家(1039~1106年)が元服式を挙げて以来源氏の氏神となり、源頼朝が鎌倉幕府を開く際、石清水八幡宮を勧請して鶴岡八幡宮としたのは有名です。

石清水八幡宮の拝殿



誉田八幡宮は、1051年に後冷泉天皇が元の地から100m南にある現在地に造替しているので、石清水八幡宮の創建と同じような時期に置かれたのではないかと思います。

誉田八幡宮の本殿



1196年、源頼朝は社殿、伽藍を修復し、国宝の神輿や、神馬などを寄進、足利義教は、重要文化財「誉田宗廟縁起」、同「神功皇后縁起」を奉納していますので、鎌倉、室町を通じて当時の幕府から大切に保護されていたようです。

誉田八幡宮の拝殿



かつては、頼朝が奉納した神輿(現在は国宝)が太鼓橋を渡って応神陵の後円部頂上にあった御堂まで渡る盛大な祭礼があったといいます。

太鼓橋



しかし、1454年頃に始まった河内守護畠山氏の内紛によって社殿・伽藍を焼失し荒廃し、その後再興された社殿も1586年に焼失しています。

古戦場跡の碑



現在ある拝殿は、1606年豊臣秀頼が片桐且元に命じ、再建させたものですが、完成直前に大坂の陣が起きたため途中で放置され、その後、徳川家光が工事を続行して1620年代に竣工したものです。


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