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修験道の開祖、役行者(634?~706年?)が修行し、若き道鏡(700~772年)も修行したとされる金剛山は、1300年の歴史を誇る修験道場です。

金剛山の紅葉



1872年(明治5年)3月まで女人禁制であった金剛山ですが、今ではロープウエイ金剛山駅から葛木(かつらぎ)神社一の鳥居前まで、緩やかなハイキングコースを通り、25分くらいで到着できます。



鳥居を潜り、尾根道を進むと、両側に杉の巨木が立ち並び、中には樹齢500年と表示されたものもあり、おぼろげながら修験道の歴史をイメージすることができました。



石段を上がった上にある意外と広い境内には、社務所、拝殿、本殿があり、立ち入り禁止となっている本殿(1935年建立)の上部が金剛山の最高峰です。



拝殿の正面から右側に回ると、本殿を真横から眺めることができますが、こうした配置の神社は珍しいと思います。

拝殿



神社の石段を下に降り、貴船神社にあるような灯篭(楠木氏の菊水紋)が並ぶ尾根道をさらに進むと夫婦杉と呼ばれる巨木があります。



夫婦杉を過ぎ、尾根道を右に曲がると役行者が開いたとされる転法輪寺の本堂の前に出ますが、この本堂はもともと葛木神社の鎮座地にあったようで、修業道場としての金剛山は転法輪寺の歴史でもあるようです。

行者堂



「河内国名所鑑」(17世紀)の金剛山図を見ると、本堂とだけあり葛木神社の名前が見当たらないので、当時の葛木神社は転法輪寺本堂の背後に小さな祠としてあったようです。

本堂



金剛山転法輪寺は、もと金剛山寺と称し、「金剛山内外両院代々古今記録」には行基(668~749年)、鑑真(来日753~763年)、最澄(768~822年)などの来訪、899年に東寺の聖宝(832~909年)がここで修行したことも記録されています。

宿坊跡



奈良時代から平安初期にかけて著名な宗教家が修行した転法輪寺ですが、創建以来何度も焼失があり、1383年の足利義満の攻撃後、1426年にやっと再建されています。



豊臣、徳川の保護を受けていた転法輪寺は、、明治維新後の廃仏毀釈令によって土地を没収されますが、関係者の努力で宿坊跡の奥に本堂の再建(1951年)が成っています。

参考文献:金剛山記


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