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京阪電車の伏見桃山駅で下り、東へ少し歩くと御香宮神社の大きな表門が見えてきますが、この門は、伏見城にあった大手門を徳川頼房(水戸藩祖)が1622年に移築したものと伝わる重要文化財です。

表門



御香宮神社のHPによれば、862年この境内から「香」の良い水が涌き出たので、清和天皇より御香宮の名を賜ったとあり、創建から1147年の歴史を誇っています。

一の鳥居



1590年、豊臣秀吉は伏見築城に際し、鬼門除けとし外堀の北東に移設しましたが、関ヶ原の戦いの直後、家康によって元の地に再建(1605年)されています。

二の鳥居

 

家康は、この伏見城滞在期間(1601~1607年)中に10男、徳川頼宣(紀州藩祖、1602~1671年、家康59歳)、11男、頼房(水戸藩祖1603~1661年、家康60歳)をもうけ、この二人は御香宮神社の清泉「御香水」を産湯としたと伝わっています。

本殿前にある御香水(環境省の名水百選に認定)



また家康の伏見入りより2か月早く生まれた9男徳川義直(尾張藩祖、1601~1650年、家康57歳)も、御香宮神社の清泉を使って成長したと伝わっていますので、江戸時代を通じ徳川御三家からの援助が続いていたようです。

拝殿前の境内



徳川御三家の藩祖が、御香宮神社によって無事成長したことからか、今では安産の神としての信仰を集めているようです。

正保2年(1645年)紀伊国主とある石灯籠(徳川頼宣は当時44歳)



現在の本殿(重要文化財)は、徳川家康の命により京都所司代坂倉勝重を普請奉行として着手建立されたもので、豪壮華麗な大型社殿です。

本殿



近年、1990年より着手された大修理によって、創建以来390年ぶりに軒にある極彩色の壁画が復元されています。

割拝殿



割拝殿(京都市文化財)は、1625年紀州の徳川頼宣によって造営されたもので、こちらの軒にも、本殿と同じような手の込んだ彫刻があり、1997年の修理によって元の極彩色が復元しています。

割拝殿の裏にある月桂冠の雨桶



1868年、伏見鳥羽の戦に御香宮神社は官軍(薩摩藩)の屯所となり、すぐ南にあった伏見奉行所に拠った幕軍と対立していますが、どうやら戦火は免れたようです。


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